第18話「落花の日」
≪前回のあらすじ≫
職人たちとの打ち合わせの日。ハルヤは香草茶を振る舞い、その味を認められる。さらに改装計画もまとまり、職人街の人々に支えられながら、新たな一歩を踏み出すことになった。
――翌朝。
耳に届いた鐘の音に、俺はゆっくりと目を開けた。
……あれ?
布団の中でぼんやりと天井を見上げながら首を傾げる。
いつも聞いている鐘の音と違う。
異世界へ来てから何度か耳にした鐘は、朝の始まりを告げる明るい旋律だったはず。
けれど、今聞こえているのはもっとゆったりとしていて、どこか穏やかだった。
その音を聞きながらしばらく布団の中で転がっていたけど、寝起きがそう悪くない俺は、身支度を整えて一階へ降りた。
すると、台所ではすでにマルダさんが朝食の準備をしていた――
「おはようございます」
「おや、おはよう」
鍋をかき混ぜながら振り返るマルダさんに、そのまま気になっていたことを尋ねた。
「今朝の鐘、昨日までと違いましたよね?」
「ああ、今日は落花の日だからね」
「落花の日?」
「休息日さ。他じゃあ、花の日とか眠りの日とか言うみたいだけど、この辺りは落花の日って呼んでるよ」
そう言ってマルダさんは笑った。
「世界樹様へ感謝を捧げて、身体を休める日だよ」
その言葉を聞きながら、俺は昨夜のことを思い出していた。
――昨夜。
寝る前に文字の練習をしていた俺は、息抜きにエルが生成してくれた本の、この世界についてまとめてあるページを開いていた。
ぱらぱらとページをめくっていると、『ヴィータ=ガイアの暦』という項目が目に入った。
暦……せっかくだから読んでみよう。
そんな軽い気持ちだった。
――まさか、あんな衝撃を受けるとも知らずに。
――この世界では、1週間は6日から成り、
「6日?」
思わず声が漏れた。
――1ヶ月は6週間、36日で構成される。
「え?」
――1年は12ヶ月在り、432日で廻る。月の名称は――
「待って待って待って」
思わず本を閉じそうになった。
なんだそれ。
多くない?
めちゃくちゃ多くない?
月の数は12ヶ月で、そこだけでも地球と同じで安心する。
……いや、安心してる場合じゃない!
俺は嫌な予感がして、急いで白紙のページを開き、羽のついたペンを手にする。
『俺って、日本では26歳だったけど、こっちでは何歳になるの?』
昨日の夜に表示された絵本の翻訳のすぐ下に、そう書き出した数秒後。
文字が浮かび上がった。
『ハルは現在、この世界の年齢ですと22歳になります』
「…………」
俺はしばらく固まった。
いや。
待って。
待ってほしい。
22? 22歳なの、俺?
嘘であってほしいと、「何かの間違いじゃないよね?」とペンを走らせると――
『計算上は22歳です』
と、返ってきた。
「そうですか……」
俺は静かに本を閉じた。
知りたくなかった。
本当に知りたくなかった……
――そんな衝撃的な事実を思い出しながら、マルダさんの手伝いと頼まれごとを済ませて、朝食の整ったテーブルへ着く。
……まあ、年齢のことは誰にも言わなければ問題ない。
うん、問題ない。
たぶん。きっと。
そう自分に言い聞かせながら目の前にある朝食を見た。
今朝のメニューは昨日の残りの黒パンと、ベーコンと目玉焼きに、ティア球と香草がたっぷり入った温かなスープ。
――そして、
テーブルの中央には陶器のジャグ。
いつもの水代わりの「スモール・ビア」ではなく、中にはさっき淹れたばかりのハーブティーが入っていた。
これが、マルダさんに頼まれたこと。
「せっかくだから、香草茶を淹れてくれるかい?」
そう言ってくれた――
それからいつもの木製ジョッキではなく、ヴォルクさんの昔の作品だという、俺がこの前見つけた陶器のタンブラー――こっちでは筒杯って言ってたっけ。
その筒杯の中にハーブティーが注がれている。
俺はそれを見てうれしくなる。
思わず笑みがこぼれると、つい昨日のことも思い出してしまう。
昨日の職人さんたちへ出したハーブティーは、たくさん淹れてしまったというのもあって、その場では飲み切れず、残りをそのまま持ち帰っていた。
それを夕食のときに、スモール・ビアの代わりに出して、ヴォルクさんにも飲んでもらったのだが……
『なぜ俺より先にあいつらが飲んでるんだ』
と、ヴォルクさんが少し不機嫌そうだった。
夕食後の片付けの時に、マルダさんがこっそり、「子どもみたいに妬いてんのさ」と、怒っていたわけではないと教えてくれた。
正直、可愛いな、って思ったけど、本人に聞かれたら絶対怒られるから口には出さなかった。
――昨日と同じように鍋にたっぷりのお湯を沸かして、火から外した鍋に直接ハーブを入れ、蓋をして蒸らす。
ただ、酒場に居る時と違って、エルの声は届かないから、本当に自分の感覚頼りだ。だけど、少し味見をしたら、薄すぎることも苦みや渋みが出てることもなかった。
おいしく淹れられてほっとしたよ。
昨日よりたっぷり沸かしてしまったハーブティーは、陶器のジャグ2つ分になってしまった。
でもまあ、今日一日の飲み物と考えたら悪くないか。
いつもの、ヴォルクさんの「食べよう」の合図で始まる食事。
俺はこの世界へ来てから初めて、ゆっくりと朝食の時間を過ごしている。
住民登録に市場。
酒場の掃除に井戸の修理。
職人さんたちとの打ち合わせもあった。
毎日何かが起きていた。
だからこそ、この静かな朝が不思議だった。
のんびり会話をしながら食事を楽しむ。みんなが食べ終わっても、そのまま続く会話。
そんな穏やかな時間の中で、俺はふと思い出した。
「そういえば……」
「ん?」
会話の途切れたタイミングで切り出せば、二人が不思議そうに見てくる。
「窓の工事代なんですけど」
銀貨百枚――それを、思い出しただけで正直、胃が痛い。
「収入ないのに大丈夫なのかなって……」
心配事を相談すれば、マルダさんが笑った。
「だったら副業をすればいいじゃないか」
「副業?」
「あたしやエリアナが昔やってたやつさ」
そう言って立ち上がったマルダさんは、「おいで」と二階へ案内してくれる。
席を立つ時に、テーブルの上に並んだままだった空の食器が気になったけど、ヴォルクさんの「ここは気にしなくていいぞ」の言葉に甘えて、マルダさんの後を追った。
案内された部屋は、俺が借りている部屋より少し狭かった。
その部屋に作業台にチェスト。
そして――布が掛けられた大きな何か。
……あれ?
そういえば、これ……神話の本があった、あの部屋にも似たようなのがあった……?
「これさ」
そう言って、マルダさんが丁寧に布を外すと、現れたのは――
「……機織り機?」
思わず声が漏れてしまった。
細かく張られた縦糸と織りかけの布で、一目で分かった。
「ああ、まあ見れば分かるかね」
俺の言葉に、マルダさんは少し驚いた顔をしたが、納得したように頷いた。
「100年近く、くらい前になるのかねぇ……」
懐かしそうな顔で機織り機を撫でる。
「あたしのばあさんが子ども頃に、この小さい機織り機が広まったんだってさ」
これが広まったおかげで、工房だけでなく家庭でも布を織れるようになったこと。
それが女性たちの内職になって、布の供給も増えて布や服が少し安く買えるようになったこと。
――そう説明してくれた。
「やってみるかい?」
その問いに頷き、俺は人生で初めて機織り機へ触れた。
マルダさんに一つ一つ教えてもらいながら、ペダルを踏み、横糸を通して、櫛状になっている部分――リードと言うらしい――を手前に動かして糸を締める。
これを繰り返して布になっていくのが、自分で布を作っていることに感動すらする。
だけど、少し織ったところで気付く。
……下手だ。
マルダさんが織った部分と、俺が織り始めた境目が丸分かりだった。
「すみません……」
「何がだい?」
「売り物だったんじゃ……」
申し訳なさに素直に謝ると、マルダさんは声を上げて笑った。
「あたしが内職してたのは随分昔さ」
――今は家族用。だから気にしなくていい。
そう言った言葉に、ほっとする。
そして気付けば、鐘が鳴るまで織っていた――
――ゴーン……ゴーン……ゴーン……ゴーン。
「えっ」
低く響く鐘の音に、俺は思わず窓を見た。
鐘が四回鳴るのは、雨の刻を知らせるもので、昨日までなら、とっくに昼食の準備を始めていて、何だったらもう粗方出来上がっている時間だった。
「ま、マルダさん!」
俺は慌てて、マルダさんに振り返った。
「ん?」
「お昼!」
急いで立ち上がり、機織り機に足を引っかけてしまわないようにそっと、一歩離れる。
これでも内心かなり焦っていたのに、マルダさんはまったく慌てる様子もなく、のんびり笑った。
「大丈夫だよ」
「え?」
「今日は落花の日だからねぇ」
その意味が分からず首を傾げる。
すると――
「順調か?」
開けたままにしていた入口の方から声がして振り返ると、腕を組んだヴォルクさんが立っていた。
「昼、準備できてるぞ」
「えっ?」
俺は固まった。
……準備できてる?
するとマルダさんが嬉しそうに笑う。
「落花の日の昼はね、」
「うん?」
「いつもこの人が作ってくれるんだよ」
マルダさんのその言葉に驚いて、俺はついヴォルクさんを凝視してしまった。
すると、ヴォルクさんは少しだけ居心地悪そうに視線を逸らした。
「そんな驚くことか」
「いや、だって……」
陶芸家だぞ? 職人だぞ?
どちらかというと、寡黙な人だぞ?
……昼飯作るの!?
という顔になった俺を見て、マルダさんはまた笑い出した。
寡黙と料理を作ることに関係なんてなかったか……なんて思いながら、ちらりとまたヴォルクさんを見る。
……なんだろう。
急に格好良く見えた。
いや、元から格好良い人なんだけど。
なんというか、家族の顔を見た気がした。
そして俺たちは一緒に一階へ降りた。
階段を下りる途中から、ふわりと良い香りが漂ってくる。
焼けた肉の香ばしい匂いに、香草の爽やかな香りが混じっている。
思わず鼻をひくつかせながら食卓へ向かうと、テーブルの上には既に美味しそうな料理が並べられていた。
「おお……」
思わず声が漏れた。
セッティングされたメインのお皿には、大ぶりにそぎ切りされたお肉が斜めにきれいに並べられていた。
外側の香ばしい焼き色と、中心に向かってじんわりと色づいた、豚肉よりもずっと深みのある、艶やかな赤褐色のグラデーション。豚肉とは明らかに違う。
この世界にきて何度も食べた、野性味を帯びた赤褐色はきっとイノシシの肉だ。
カリッと焼かれたセージにそっくりな葉だから、サルヴェナって言ってたやつだろうか――その深い緑が散らされていて、肉の横には深緑色の葉物野菜。
軽く炒められているらしく、艶やかな見た目が食欲を誘った。
そして湯気を立てるスープ。
細かく刻まれた野菜や豆が入っていて、その表面には鮮やかな緑色の香草が散っている。
飲み物は朝淹れたハーブティー。
ジャグもしっかり、食卓にスタンバイされていた。
「うまそう……」
椅子に座りながら、正直な感想が口から零れる。
すると向かいのヴォルクさんが少しだけ顎を上げた。
ほんの少しだけ……だけど何となく分かった。
たぶん今、ちょっと嬉しいんだと思う。
マルダさんも同じことを思ったらしく、くすりと笑っていた。
「じゃあ食べようか」
まずはイノシシ肉を一切れ、口へ運ぶ。噛んだ瞬間、肉汁と香草の香りが広がった。
「うまっ……!」
思わず声が出る。
脂はあるのに重たくないし、セージ……サルヴェナが肉の臭みを綺麗に消している。
なにより――
「柔らかい……」
「ふふっ」
笑い声に視線を上げれば、優しく微笑むマルダさんと目が合った。
気恥ずかしくなって、視線を落として目に映った葉物野菜に手を伸ばす。
こちらも程よい苦味があって美味しい。肉との相性が抜群だった。
スープを口に運ぶと、今度は優しい味に、細かく刻まれた具材も舌で押しつぶせるほど柔らかい。
「これも美味しいです」
「そうか」
素直にそう伝えると、ヴォルクさんが短く答える。
だけど、ヴォルクさんの耳が少し赤い気がするのは――たぶん気のせいじゃない。
作ったものを認められるのは誰だって嬉しい。
そんなことを思いながら昼食を楽しんだ。
ヴォルクさんの仕事も休み、マルダさんも買い出しに行って、工房の人たちの食事を作る必要もない。
ただ食べて、話して、笑って過ごした。
本当にそれだけ。
こんな時間を過ごすのは異世界へ来てから初めてかもしれない。
なんだか不思議な気分だった。
昼食を終えたあとも、俺たちはそのまま食卓で話を続けた。
「今日は本当に何もしなくていいんですか?」
そう聞くと、マルダさんが頷く。
「ああ」
「掃除も?」
「だめ」
「買い物も?」
「だめ」
「……酒場の片付けも?」
「だめ」
即答だった。
俺は思わず苦笑する。
「徹底してるんですね」
「落花の日は休む日だからね」
生命の樹へ感謝を捧げる日。
身体を休める日。
家族と過ごす日。
だから働いてはいけない。
もちろん急病人や護道ギルドの人たち、許可された一部のパン屋さんなんかは別らしいけど……基本的には皆休むそうだ。
「じゃあ今日は何するんです?」
俺が聞くと、マルダさんは肩をすくめた。
「話したり」
「散歩したり」
「昼寝したり」
「ぼーっとしたりさ」
なんとも平和だった。
日本にいた頃の休日より休んでいる気がする。
「あと大事なのが教会だね」
「教会?」
「誕生月には必ず一度は祈りを捧げる習慣だ」
ヴォルクさんもそう教えてくれるが、その言葉に俺は一瞬だけ固まった。
「誕生月?」
「ああ」
ヴォルクさんが頷き、マルダさんも教えてくれる。
「その月の落花の日に教会へ行くんだよ。毎週行く人もいれば、一度だけの人もいるね」
「へぇ……」
こわばりそうになる顔を、どうにか笑顔のまま話を聞いていた。
が、内心はとてもじゃないが、笑ってなどいられる状態じゃなかった。
だって昨日の夜、俺は知ってしまったばかりだ。
この世界は1年の日数が地球と違う。年齢も違った。
当然、この世界で誕生日が同じはずもなく――そもそも月の名前が、水の月とか花の月って……覚えやすいようで覚えにくい……それって地球で言う何月だよ!?
白紙のページで返ってきたエルの返答は、本当に聞いたこと――年齢の返答だけで、誕生日については何も書いていなかった。
まさか、ここで伏兵が現れるとは……いつもの、聞いてないことまで詳しく教えてくれるAIさんはどうなったの!?
だんだん冷や汗が流れ始める。
そんな俺の様子には気付かず、マルダさんが何気なく言った。
「そういえばさ」
嫌な予感しかしなくて、心臓がうるさく鳴り始めた。
そして――
「ハルヤは何の月生まれなんだい?」
やっぱりいいぃっ!? そう来るよな!!??
嫌な予感は的中……というか、この流れで聞かれない方がむしろ変か!!?
俺の脳内で警鐘が鳴り響く。
落ち着け、落ち着け俺。
焦るな、考えろ。
でも何も知らない。
知らないことを考えたところで答えなんかすぐには出ない。
どうする。どう誤魔化す?
いや、誕生月って誤魔化せるか!?
教会行くんだろ!?
毎年あるんだろ!?
絶対覚えてるやつだろ!?
俺が硬直していると、向かいのヴォルクさんが不思議そうに眉を上げた。
「どうした?」
「いや……その……」
喉が渇く……朝淹れたハーブティーを一気に飲みたい。
助けてエル。
今すぐ助けて。
だが当然、酒場のある、あの建物の中じゃないから、エルからの返事はない。
俺は必死に、この場を切り抜ける答えを考え出した――
次回:第19話「雨の日」 7月9日(木)20:30公開です|ω・)




