第14話「朝の鐘」
≪前回のあらすじ≫
市場から戻ったハルヤは、マルダたちと共に慌ただしく夕食の支度をこなす。温かな食卓を囲む中で、生活費や収入の話に触れ、この世界で生きていく現実を意識し始める。夜、手にした本に綴られた神話の中で語られる「黒い髪の人」の存在が、彼の胸に小さなざわめきを残す。
鐘の音で、目が覚めた。
「……朝……?」
日中に聞く、ゴォン……ゴォン……と低く響くそれではなく、遠くから響いてくる高い鐘のメロディーに、ぼんやりと呟きながら身を起こす。
朝一番に鳴る、一日の始まりを知らせる鐘だ。この異世界で初めて朝を迎えた日に、ヴォルクさんから教えてもらった。
今日で、転移してから四日目になった。
――いや、正確には昼過ぎに飛ばされてきたから、朝の時点ではまだ三日目か。
そんなことを考えながら、仄暗い部屋を見回した。
外はもう日が昇っているはずなのに、部屋の中はまだ夜の名残みたいに暗い。
窓の小さいレンガ造りの建物だからか、窓を閉めていると光があまり入らない。
ベッドから降り、鎧戸へ手を伸ばす。
ギィ……と木が軋む音を立てて開けた瞬間、ひやりとした空気が腕へ触れた。
「……」
冷たい、というほどじゃない。むしろ心地いい。
薄い長袖シャツの袖を肘辺りまで捲っていたせいで、朝の空気が肌をすっと撫でていく感覚がよく分かった。
少し湿り気を含んだ風。
石畳やレンガが夜の間に溜め込んだ冷気。
遠くから漂う、焼きたてのパンみたいな匂い。
そして、朝の街の音。
荷車の車輪。
誰かの呼び声。
薪を割るような音。
窓から外を覗く。
朝日はもう昇っていた。けれど、まだ低い位置にあるせいか、光は柔らかい。
石畳の道も、赤茶色のレンガ壁も、淡い金色に染まって見えた。
「……綺麗だな」
思わず、小さく漏れる。
日本で見ていた朝とは違う。
けれど、不思議と嫌じゃなかった。
少しだけ、その景色を眺めてから、俺は顔を洗うために部屋を出た。
水場へ行くと、そこには先客がいた。
ヴォルクさんだ。
大きな体を少しかがめながら、桶に溜めた水で顔を洗っている。
「あ、おはようございます」
「……おう」
短い返事。
けれど、前より少し柔らかい気がする。
ヴォルクさんは布で顔を拭きながら言った。
「マルダなら朝市だ」
「朝市?」
「第3エリアと第4エリアでやってる。花の刻の鐘からだな」
花の刻……
たしか、さっきの鐘か。
「さっきの鐘ですか?」
「ああ」
つまり、あの鐘が鳴る時間から市場が始まるらしい。
「ってことは、マルダさん、もっと早く起きてたんですか?」
「市場が始まる頃には向こうへ着いてないといけねぇからな」
「えぇ……」
思わず声が漏れる。
今だってまだ朝早いのに、それより前に起きて出掛けてるってことだろ……?
花の刻が、何時くらいなのかは分からないけど、日の出前に家を出ているのは間違いない。
顔を洗いながら、改めてそんなことを思った。
一度部屋へ戻り、着替える。
寝間着代わりにしていた古着を脱ぎ、日中用の服へ袖を通す。
これも、一昨日ヴォルクさんと買い物へ行った時に買った服だ。
借りていた、お孫さんのお古よりサイズはピッタリだ。……お孫さんが昨日会ったラグスなら、お古でも大きかったのは頷けてしまう。
布のベルトを締めながら、ふと考える。
異世界に来てから、まだ数日しか経ってないのに、少しずつこの生活が当たり前みたいになってきてるな……。
そんなことを思いながら階下へ降りた。
キッチンへ入ると、持ち手付きの水瓶には既にたっぷり水が入っていた。
ヴォルクさんが、かまどへ薪をくべる。パチ、と火花が弾け、じわじわと熱が広がっていく。
「手伝います」
「なら、皿出しとけ」
「はい」
マルダさんほど会話が弾むわけじゃないけど、沈黙が気まずいわけでもなかった。
昨夜、マルダさんと一緒に仕込んでおいたパンをかまどに入れ、焼きあがるのを待ちながら、少しずつ、短い会話を交わす。
そんな時間が流れていた頃――
「ただいま!」
元気な声と共に、マルダさんが戻ってきた。
両手には新鮮な野菜や香草の入った袋や包み。
「おかえりなさい」
「悪いねぇ、朝から動かせて」
「いえ」
それから三人で朝食の準備を始めた。
焼きたての黒パンと、簡単な野菜と香草のスープ。
それに、薄切りの燻製肉。
派手じゃない。
でも、ちゃんと美味しい。
食べ終わると、ヴォルクさんはすぐ立ち上がった。
昨日素焼きしていた物の窯出しをするって 、食事をしながら聞いたな。
「窯の様子見てくる」
「はいはい、行っといで」
そう言って、ヴォルクさんは早々に、昨日使ったと言う共同窯へ向かっていった。
片付けや昨日買った苗の植え付けに、細々した用事を手伝った後、俺はマルダさんと酒場へ向かった。
今日は掃除の仕上げと備品の確認作業をするつもりだ。
4人掛けのテーブルが2卓と6人掛けが2卓、カウンターには椅子が7脚。角には2、3人くらいが座れそうなテーブルが一つ。どれもがゆったりとしたスペースで置かれてるくらいの広さがある。
テーブルと椅子を一つ一つ、丁寧に水拭きしていく。
その後に、カウンター内にある棚から全ての物を取り出し、カウンターの上に置いていく。乗りきらなかった物は、水場から大きめの桶を持ってきてその中に入れた。
それで目についたのが――ジョッキの多さだった。
「うわ、ジョッキってこんなにあったんだ……」
木製ジョッキが三十個以上に、陶器製が十五個ほど。
平皿が二十枚くらい。
深皿は十数枚。
木椀、小皿、スープ用の器、酒瓶。
それから、昨日洗った木製の器はまだ水場に置いたままだ。
「エールを出してたからねぇ。ジョッキは特に多いんだよ」
マルダさんが俺の感想にそう返答してくれる。
「洗うだけでも大変そうですね……」
「だから毎日忙しいのさ」
苦笑しながらマルダさんが答える。
そして、マルダさんは、ジョッキの山を懐かしそうに見つめながら続けた――
「でも、これでもかなり減った方なんだよ……」
「……そうなんですか?」
「あぁ、エリアナが亡くなる前までは、テーブルも椅子ももう少し置いててね……」
「エリアナ?」
「あんたのおばあさんだよ」
「……俺の……」
エリアナさん――それはきっと、本物のお孫さんの、おばあさんなんだろう。間違っても、俺じゃない――
エリアナさんが10年程前に亡くなってしまったこと。
エリアナさんが亡くなるまで、この酒場が賑やかだったこと。
亡くなってしまってから当分の間、ゲンラートさんが塞ぎ込んでしまっていたこと――
悲しい話も多かったけど、笑いながら、「エリアナの方が年上だったのに、あたしよりも年下に見られてたのを気にしてたよ――」と、大量のジョッキや食器を水場に運ぶ間、マルダさんは少しずつ、エリアナさんとゲンラートさんのことを教えてくれた。
全ての食器類を水場に運び終わると、今度は空にした食器棚にしていた背の高い木製棚を、一段一段きれいに拭き上げていく。
木製棚には、扉なんてなく、代わりに布を掛けて埃避けにしてあって、今はそれも外している。 できたらこの布も洗いたい。
「あれ?」
拭きながら、棚の中を確認していた時だった。
一か所、棚板が妙に傾いている部分がある。
よく見ると、支えの木が少し外れかけていた。
マルダさんに声を掛けて、確認してもらう。
「建て付け悪くなってるねぇ……」
マルダさんが眉をひそめる。
「危なくないですか、これ」
「そうだね、大工に見てもらった方がいいねぇ」
そう言うと、マルダさんは腰へ手を当てた。
「じゃあ、工房の奴呼んでくるよ。ハルヤはここで待ってな」
「分かりました」
マルダさんはそのまま酒場を出て行った。
一人になった店内は、しん……と静かだった。
時間も昼に近づいていたのか、明かり取りの小窓から差し込む日の光の角度が、だいぶ変わっていた。
「……そういえば」
ふと、昨日気になっていたことを思い出す。
「エル、この世界って洗濯どうしてるんだ?」
『洗濯、ですか?』
「洗濯機なんて当然ないし……マルダさんが洗濯してるところ、まだ見たことないなって」
すると、エルが淡々と答えた。
『この国では、主に木灰や黒石鹸を使用して洗濯を行います』
「木灰?」
『灰を水へ浸し、アルカリ成分を抽出するのです。前日に灰汁を仕込み、翌日にまとめて洗濯を行います』
「え……」
思わず声が漏れる。
『なお、洗濯は基本的に週一回です』
「週一!?!?」
思わず叫んだ。
『石鹸や洗剤の技術が未発達なため、一度の洗濯に非常に労力を要します。それでも、週一回は多い方ですよ。他の国や、地球の中世や近世の頃だと洗濯は月に一回程度ですから』
「そ、そうなのか……」
週一でも驚きなのに、月一回という話に驚愕する。毎日気軽に洗濯機を回していた日本の生活を思い出す。
文明ってすごかったんだな……。
そんなことを考えながら、今度は小さな物置スペースの整理へ移った。水場に移動させた食器類を洗ってしまいたいけど、マルダさんが戻ってきた時のノック音が聞こえる位置にいた方が良いだろうから――
樽、掃除道具、ずいぶんとボロボロになっている布。それから、予備食器――まだあったんだ……。
中身を一度外へ出して確認していく。
その時だった。
コンコン――
店の扉がノックされた。
「マルダさんかな? 思ったより早かったな」
そう呟きながら入口へ向かう。
すると――
『ハル、待って下さい……!』
珍しく、エルが焦った声を上げた。
「え?」
だが、その制止が間に合うより早く、俺は扉を開けていた。
そこに立っていたのは、見知らぬ男が三人。前に一人、二人は前の人の少し後ろに、控えるように立っている。
全員、統一された濃紺の装束に、黒に近い紫色のマント、銀色の装飾を合わせている。
まるで騎士みたいな格好だ。
ノックをしたであろう目の前の男は、俺より頭一つ分は高い。 後ろの二人も背が高いけど、前に立つこの人よりかは低いみたいだ。
目の前の男は紺色の髪を短く整え、端正な顔立ちをしていて、特に目を引いた。
それに、威圧感はあるのに、不思議と不快さがない。
鍛え上げられた体格。鋭い視線。なのに、必要以上に威張る感じはしなかった。
「突然すまない」
低く落ち着いた声が響く。
「王国魔道騎士団所属、アーディン・グレンフェルトだ」
騎士団。
やっぱり騎士だったのか。
「少し、調査へ協力願いたい」
「……調査?」
「三日ほど前の昼頃、この周辺で大規模な魔素反応が観測された」
――三日前。
その言葉に、心臓が嫌な音を立てた。
それって……。
『ハル』
エルの声が響く。
『離島から、祖父が所有していた転移魔道具で来た、と伝えてください』
俺は乾いた喉を無理やり動かした。
「え、えっと……その日、俺……離島から来たんです」
「離島?」
『ナーヴァ漁村の離れ島と伝えれば、深くは追及されないはずです』
少し言葉が詰まるだけで、すかさずエルが教えてくれる。
「……な、ナーヴァ漁村の……離れ島、です」
俺は動悸の激しい心臓を落ち着かせるように、胸のあたりのシャツを握り込む。
「祖父が持っていた転移魔道具を使って……」
「祖父は?」
「……亡くなりました」
口にした瞬間、胸の奥がずしりと重くなる。
なりすまし。
嘘。
仕方なかったとはいえ、自分から口にすると罪悪感が一気に押し寄せてきた。
転移して間もないのに、この二日間は忙しくて、考える暇もなかったから――
今になって、急に現実感が増してくる。
鼓動が速くて、手のひらがじっとり汗ばんでいた。
アーディンと名乗った騎士は、そんな俺をじっと見ていた。
けれど、責めるような目じゃなくて、確認するような視線だった。
しばらくして、彼は短く頷く。
「……協力感謝する」
そう言って踵を返した。
後ろの二人も続く。
去っていく――と思った、その時。
アーディンさんが一度だけ振り返った。
「建物から顔を出す際には気を付けろ」
「……え?」
「不用心だ」
それだけ言い残し、三人は去っていった。
姿が見えなくなった瞬間、全身から力が抜ける。
「っ……はぁ……」
その場へ、ずるずると座り込んだ。
怖かった。
バレるんじゃないかと思った。
心臓が、まだうるさいくらい鳴っている。
「ハルヤ!?」
慌てた声がした方向を見ると、戻ってきたマルダさんが駆け寄ってくるところだった。
「どうしたんだい!?」
「だ、大丈夫です……ちょっと……」
うまく声が出ない。
一緒にいた男も後からやって来て、困ったように眉をひそめた。
「とりあえず、中入った方がいいんじゃねぇのか」
「ああ、そうだね!」
マルダさんに腕を支えられながら、俺は酒場の中へ戻った。
次回:幕間「静かな波紋」 騎士団長sideをお送りしマス。
6月4日(木)20:30公開です|・`ω・´)




