第38話:秀頼への想い
漫才コンビ、カンゴーズの佐藤佳澄は、自宅でお出かけの準備をしていた。
今日は、水曜日の朝。佳澄と友人の恵が、両方とも非番の日である。カンゴーズの二人は、久しぶりの同時非番を利用して、漫才のネタ合わせではなく、本当の休日デートを楽しむ予定である。
すでに、ゆったりした明るめのグレーのカットソーとチノパンに着替えている佳澄は、1LDKのリビングに置いてあるシンプルな鏡台の前で、入念にメイクをしている。
メイクが一通り終わり、佳澄はクローゼットに向かう。そしてクローゼットの中にかけてある、和風でコンパクトなポシェットを取る。そのポシェットは、高さが20センチ、幅が18センチぐらいの黒の布製のポシェットで、明智桔梗の家紋が
細かく描かれている。
佳澄は、ポシェットを両手で持ち、明智桔梗の家紋を見ながら、このポシェットを患者さんからいただいた日のことを思い出していた。
それは、ある晴れた心地良い微風が、窓から病室に流れている午前中のことだった。個室の病室で50歳のスラっとしたデニムが似合うイケオジの紳士が、退院のため奥さんの手も借りながら着替えや荷物をスーツケースにまとめていた。
ナース姿の佳澄は、そんな二人がいる病室のドアをノックして入ってきた。
「真辺さん、いよいよ退院ですね。よくなられて本当によかったです」
「ええ、軽めの脳梗塞で助かりました。幸い今のところ後遺症もないようなので」
真辺というその男性は、佳澄が確認できるように、左手をスムーズに握ったり、開いたりしてみせた。
スーツケースの横から男性の奥さんも立ち上がり、佳澄に礼を言う。
「早く、救急車を呼んでよかったです。今回は本当にありがとうございました」
「いえ、私はいつも通りの仕事をしただけですから…」
「でも、あの戦国話は仕事じゃないでしょ。本当に、あなたや、もう一人の看護師さんの柿田さんのお話がいつも楽しみで。あなたたちの戦国時代が大好きなエネルギーに癒されたというか。私も戦国時代は大好きですから」
「それはよかったです」
佳澄は、自分の戦国好きを患者さんに褒められて、心の中で小躍りを繰り返していた。
「私はこの人と20も離れているので、もし今、先立たれたら、本当にパニックになるところでした」
「おいおい、勝手に殺すなよ」
佳澄は夫婦が仲良さそうに話しているのを見て、自分もこんなふうな夫婦になりたいと、ふと思った。
そして、奥さんが紙袋を1つ持ち、佳澄に渡そうとする。
「実はこれ、主人がよく行く戦国時代ショップで見つけたお二人への感謝の品です。お気に召すかどうかはわかりませんが、佳澄さんや恵さんが戦国好きと主人から聞いていたもので。どうぞ、お受け取りください」
「そんな、気を使っていただいて‥。ありがとうございます」
佳澄は、紙袋を受け取ると、中に入っているポシェットを取り出した。それは、明智桔梗の家紋柄が細かく配置されたポシェットで、全体的な作りが和風のちょっとオシャレな一品である。
「えっ、かわいい。私、明智桔梗の紋が大好きなんです」
ご主人は、佳澄が喜ぶ姿を見て、嬉しく思った。
「よかった〜。佳澄さんは光秀ファンで、恵さんは信長ファンでしたもんね。もう一つは、織田木瓜の家紋が入ったポシェットです。恵さんに、お渡しいただけますか。あっ、それと、もう一つはウチの地元名産のお饅頭です。ナースステーションのみなさんでお召し上がりください」
ご主人はそう言うと、和菓子屋さんの紙袋を佳澄に渡す。
佳澄は、紙袋を2つ持ち、満面の笑みでご主人と奥さんに礼を言う。
「本当にありがとうございます。恵も喜ぶと思います。真辺さん、本日は退院おめでとうございます。これからも、無理をなさらずお身体を労ってくださいね。 このポシェット、いつまでも大切に使わせていただきます!」
大阪城天守閣から距離にして160m離れた、金蔵の横に豊臣石垣館がある。その入口に、厚手のパーカーとチノパン姿で肩から明智桔梗柄のポシェットを下げた佳澄がやってくる。彼女の横には、織田木瓜柄のポシェットを下げたワンピースにデニムのジャケットを着た恵もいる。
恵は、石垣館の外観を見渡し、少し感心した表情で佳澄に話しかける。
「なんか、すごくかっこいい建物よね。石垣の壁からガラス張りのロビーの建屋が突き出してるって、大坂城ぽいと言うか、洗練されたデザインというか…」
「いわゆる、和モダンって言うやつね。じゃ、入ってみよか」
「うん。ちょっとワクワクするね。ほんと今日、二人とも非番でよかったね」
石垣館の入口からロビーに入ると、左側にガイダンスルームがある。そこには、地下の石垣が昭和59年(1984)の発掘調査で発見された当時の新聞記事や、豊臣大坂城の築城から、徳川大阪城が再建されるまでを解説した映像が展示されている。
佳澄と恵は、その展示を一つずつ入念にチェックしながら、地下の石垣展示に続く階段の方へと進んでいく。
地下に降りていく階段手前のスペースからは、石垣を上から見下ろすことができる。地下のスペースの左角に、スポットライトで照らし出された豊臣大坂城の石垣は、400年前の重厚な雰囲気を漂わせている。
二人は階段手前のスペースで立ち止まり、上から見た石垣を堪能している。
「上からみると、石垣の裏側には、細かな石がたくさん積まれているのがわかるね」
「そうね。それに、なんとなく石垣の積み方が、安土城と似ている感じもする。自然の石を上手に積み上げる、野面積みが主流なのかもね、まだこの時代は…」
そのような会話をしながら、佳澄と恵は地下1Fの石垣の側まで降りて行き、解説パネルも読みながら石垣を鑑賞していく。すると突然、佳澄がある石を指差して恵に声をかける。
「ねぇ、あれ見て。あのあたりの石が赤くなってるでしょ。あれは、夏の陣で落城の時、火に包まれて変色した石なんだって。大坂城は、燃えて落城したって本当だったんだ。秀頼さんや淀の方もさぞかし無念でしたでしょうね」
その話を聞かされて、恵はすぐに反応しなかった。そして、少し下を向き、ボソッと独り言のように口を開く。
「でも私は、あの言い伝えが、まんざら作り話ではないと思ってる…」
「秀頼さんが、薩摩に落ち延びて、再び天下を手に入れる機会を伺った…というあの話?」
「そう、実は死んだと思われていた真田信繁さんと一緒に」
佳澄は、少し呆れた顔で、恵を諭す。
「あくまで作り話だと思うよ。それって、義経が大陸に渡ってチンギス・ハーンになったというぐらいないわ。まぁ私も、明智光秀は山崎の合戦の後も生きていて、最後は家康の相談役、天海和尚になったという話を、一瞬信じてたこともあったけどね」
佳澄の話を聞いて、少し語気を強めるように恵は反論する。
「でもね、信長も秀頼も、炎に焼かれた寺や城から脱出して、その後も生きていたという感じがするのよ、私の中では。何の確証もないけどね…」
そうしみじみと語る恵の横顔を見て、佳澄は、自分が最初に、恵の話を全否定したことを反省する。
「それも、戦国時代とか安土桃山時代が好きになる理由かもね、ミステリアスというかロマンがあるというか。
でも一つ言えることは、豊臣の家に生まれただけで、こんな目に会うなんて秀頼さんはかわいそう。まだ22歳だったのにね〜」
「そうね。徳川と豊臣ってもっと仲良くできなかったのかなぁ〜」
恵がそう言うと、二人は少し切ない思いになり、いつまでも石垣を眺めていた。




