第37話 三篠森・Nと愛猫レオの終活 ①
愛猫のレオが死ぬ。
まだ生きているが、今日獣医さんで「あと何年も一緒にはいられない」と……。「今年中ですか?」と聞くと否定せずに濁された。
実際体調はすごく悪そうだ。もう16歳。体重は半年で3.7kg→3.3kg。呼吸は浅く、遠くから見ているとしていないように見える。すぐに吐く。体はガリガリ、呼びかけても反応しない。
覚悟……。しなければならないのだが……。
その前に随分間が空いたので、現在の俺についてお伝えしたい。
俺のうつ病の自宅療養は続いており、一応今月いっぱいまで療養指示が出ているが、おそらくまだ延長になるだろう。
とにかく気力が起きず、チキンラーメンやカップ麺すら「湯を沸かす」→「湯を入れる」→「待つ」→「食う」→「容器を洗うor捨てる」が面倒でやれないため、最小単位である「豆乳ぶっかけて食う」だけのシリアルしか食えない。リストから再生するのすら面倒で今までに録画していた番組はほぼ観ていない。『水曜日のダウンタウン』を数週間撮りだめて一気に見る。一方でリアルタイムで観ているNHKのニュース、月曜23時の『バタフライエフェクト』、水曜23時の『歴史探偵』、それから野球は楽しく見ている。楽しくない訳ではなく、すべてが面倒なのだ。だからあれだけ救いだったモンハンもやれず、WWEもレッスルマニア以降疎かだ。
ただとにかく落ち込みがひどかった療養当初とはだいぶ変わってきており、とにかく無気力でありながら一日20kmのサイクリング、先日の文フリに出すための同人誌の編集、その他物書きは問題なく……。
というよりも過剰だった。一日中書きまくり、『トラッシュ』7部終盤から8部序盤は毎日4000字以上、多い日は14000字以上書く史上最速ペース、インプットのために桜井政博DのYouTubeチャンネルをエンドレスリピートし、さらにもう紙で持っている本をいつでもどこでも片手で読めるようにするため100冊以上電子で買い直した。これは多分躁だったのだと思う。
体がバキバキに凝って左足に強い痛みを覚え、痛みで寝ても起きてしまうくらいで通院し、大学病院にも行ったが「凝り過ぎ」とだけ言われ、あぐらと足組のクセを徹底的にやめて一日一度のラジオ体操、そして痛みと凝りが引いたのでサイクリング再開で今は大丈夫だ。
テンション的には躁の時期は超えたと思うのだが、習慣としてサイクリングは残している。そして桜井政博DのYouTubeチャンネルのエンドレスリピートは続いている。
映画館にも行けるようになってきたが、先日池袋に行く際に道中のバスと電車……バス15分、電車15分程度なのにものすごいストレスを感じてしまい、「あ、俺もう電車に乗れないのかも」と物凄く不安になり、以降どこへ行くにも自転車だ。だから自分の本の委託販売をしてもらっているのに文フリに行くことも出来ず、拙作の晴れ舞台も友人への感謝も出来なかった。
弟の夢をよく見る。死んだはずの弟がそこにいる、ということは「ああ、これは夢なんだ」とわかる。祖父母もよく出てくる。付き合いがフェードアウトした小中時代の友人に「ずっとお前が嫌いだった」と言われる夢。あとは父の車に乗せられて事故る夢、父が人に騙されてお金を失う夢……。俺の夢はすべてこのバリエーションだ。
3月末には職場に「それなりに元気です」と伝えに行ったのだが、その時は電車は大丈夫で、オフィスについて部長や事務長、若手さんや嘱託さんとは普通に挨拶出来、何か苦ということはなかった。多分電車さえクリアできれば職場復帰は出来そうな気がする。今までは復路だけ自転車で帰ってきていたが、往路も自転車ならば……。無理ではないが、これからの時期の気温ではビチャビチャになる。
父とは一切連絡を取っていないが、父は妹に粘着しはじめたようで、大量に野菜を送ったり、父の子分にみたいになっているめちゃくちゃ不審な人物に妹と猫の写真を見せ、その不審人物が会ったことのない妹の誕生日にオモチャ……妹曰く「大人が持つものじゃない」ものを送ってきたようだ。
退院当日から酒とタバコは再開。ケアマネさんによると元に戻ったようなスゲェ量の酒の空き缶とタバコだそうだ。こっちも元に戻ると毎晩椅子の上で酔いつぶれているし、もう一生週一でインスリンなのに訪問看護もヘルパーさんも自分から切ったようなので今年持たないかもしれない。
そして、この数日で急激に弱ったレオで俺はまた壊れかけてしまっている。
レオは偉大な猫だった。
レオのことは大好きだし、最初の猫がレオで本当によかったと思っている。下手で感傷的な擬人化はしたくないが、適した言葉がないのでこの言葉を使うが偉人だった。猫なので当然裸だが、レオを讃える衣や勲章、装飾品はいくらあっても足りない。
レオと出会ったのは16年前。俺はまだなろうにアカウントすら持っていなかったし大学にも入っていなかったので今一番仲の良い自称イケメンとよりもレオの方が付き合いが長い。
あれは2010年の5月だった。存命だった祖父の家に行った時、祖父母と同居している従弟たちが白い子猫を飼い始めていた。そして祖父の車に乗って山奥で陶芸の窯をやっている親戚のところへ行った時、
「猫飼いたいんですよねぇ」
と妹と一緒に話してみたら
「いるよ」
と、毛布に包まれてやってきたのが子猫のレオだった。猫を飼うなんてとんでもない! 飼うとしても犬! だった母も赤ちゃんレオの可愛さに「うっ……」と息を飲み、俺と妹は「この子を連れて帰らないなら自分たちも東京には帰らない」と子供のような駄々をこね、レオは関越自動車道を通って東京に来た。南アフリカWカップのブブゼラ応援をTVで経験した猫だ。
とにかくいい子であった。
騒がない、トイレの粗相をしない、テーブルに乗らない、モノを壊さない、レオの四歳下のみかんが来た時、みかんに猫の所作を教えて“猫”にした。みかんを決してイジメず、みかんに噛まれても怒らない。人が来ても威嚇しないし攻撃しないし逃げない。むしろお客さんの膝に乗る。
弟が死んだときはずっと弟のお棺のそばにいて、来た人たちと一緒にいた。出棺の際だけは姿を消した。
弟が死ぬ前、母に最後に言ったのは「レオには挨拶を済ませた」だったらしい。
俺は2017年から2024年までの間一人暮らしをしていたのでその間のレオを知らない。
だが俺の尊敬する祖父のように温厚篤実、見ていると祖父を思い出す猫だった。
弟が死んで2024年から実家に帰った俺だが、うつ病で療養が始まるまで帰宅時に
「もし扉を開けて、レオのところに行って死んでいたらどうしよう」
と動悸がするようになっていた。
決して自分を美化、正当化せずに言ってしまうとその頃から俺の精神にはヒビが入っていたのだろう。
このエッセイを読んでいた方はご存知だと思うが、俺が一人暮らしを始めた理由は2017年に弟に実家を追放されたからであり、それからの7年間俺は弟を憎み続け、適応障害で2週間休んだこともあった。とにかく各役所や相談窓口に電話して引きこもりの弟をどうにかしなければ……そして憎しみによる復讐が動機にもなり始めていた。死んだ弟をこれ以上悪く言うつもりはないが、2017年から俺の精神は通常ではなかったのだろう。
だがうつ療養が始まってからどこか「レオは大丈夫」と無理に思い込んでいたような気がする。今日は椅子に飛び乗れた、今日はご飯を食べている、今日はよく鳴いて歩いている……。だがこの二日のレオはどれも出来ない。
……。
本当に生ぬるいことを言って申し訳ない、もっと辛い思いをしている人はいるのだろうが、俺は一昨年弟を亡くしてその二週間後に祖母を亡くした。
弟の時は通勤中に母から電話がかかってきて知り、新潟の祖母は余命宣告されてその宣告よりもだいぶ早く亡くなったが大往生だった。誰もが大往生と認め、山程いる親戚も大往生と……。そのお葬式もどこか明るく送り出そうという空気だった。不謹慎だけど。
そしてドン引きされるのも覚悟の上だが……。先日、弟の死の際に家族同然……家族以上に手伝ってくれたK家のお母さんと話す機会があった。俺の母がいないタイミングだが、K母さんは2024年末期の母と弟のことを俺よりもよく知っており、母は無理心中の覚悟さえほのめかし、母も弟もひどいうつ病、母は仕事以外の外出さえも出来なくなっていたそうだ。どうにかあの状態から脱するにはどちらかがいなくなるしかなかった、当然この結果は悲惨すぎるが、これしかなかったのかもしれないと……。少なくとも俺はそれで納得した部分はあったし、祖母が亡くなった時は弟の死の直後でなんというかそれどころではないところがあったし、何より山程いる親戚に支えられた。
つまり俺は誰も看取っていない。突然「死んだ」という情報を知らされただけで、「これから死ぬ」、「じっくりと死ぬ」は初めてだ。
そして自宅療養している限り俺が看取る可能性は限りなく100パーセントである。きつい。これはきつい。これを書いただけで吐き気がするほどきつい。
母が看取るにしても母は大泣きするだろう。それが本当に怖い。その気持ちはわかる。俺だって悲しい。だが今の俺にはそれを支えることも耐えることも出来ない。
というかレオの老いが顕著になってから
「お兄ちゃん(俺の弟)がさみしくしないようにするために逝くんだもんね」
「天国でお兄ちゃんと再会出来るからよかったね」
みたいなことを言うんだが、これが本当にムカついて……。
弟のためならレオが死ぬのは当然みたいな言い草もそうだし、死後の世界などない。
……。
とりあえず今日、俺がレオを獣医に連れて行った。
俺の気持ちとして、レオがもし苦しいのなら延命は望まないことを告げた。母、離れて暮らしている妹がどう思うかはわからない。




