真夜中の襲撃・下
「くそっ!ついてない」
剣で引き裂かれた巨大蛇の腹から1人の男――ネロが姿を現す。
身体に付着した血と消化液は〈清浄〉の魔法で綺麗になったものの、今まで腹の中にいたことを考えれば彼の言葉は最もだろう。
そして……これから訪れるであろう戦闘に、ネロは愚痴を重ねる。
「本当に最悪だ」
ネロの目の前に佇むのは闇将軍ジン。
朝までまだまだ時間があることを考えれば、その巡り合わせは最悪だと言っても良い。
「しゃっしゃっしゃ!オメェしゃんが一番厄介そうじゃったからのう」
そう言って地面を蹴ったジンが正面からネロへと突っ込む。
固有魔法士同士の戦いでは敵との魔法の相性は勿論のこと、その手の内をいかにして暴くかが重要となる。
故に最も威力を発揮するのが初見での戦いだ。
バーンであれば接敵する寸前に〈疾風〉を使い、緩急をつけたスピードの差で相手に反撃の隙を与えず止めを差し、アイザックであれば〈分身〉を囮に本体は〈影移動〉と〈気配完殺〉で敵へと接近、相手に気付かれることなくその命を摘み取る。
誰しもが固有魔法を中核とした必殺の“技”を持っているのだ。
だがそれは言い換えれば、手の内が分かれば対策を取ることが可能だと言うこと。
バーンは範囲攻撃と相性が悪く、アイザックは相手の防御力が〈一撃必殺〉を上回れば為す術はない。
故に敵に自分の権能を知られるということはその命を削ることに繋がり、例え知られたとしても容易に対処できない“技”を生み出すことこそが重要だと言える。
まあ、これは対人戦を主とする軍人の話であり、魔物を相手にする冒険者にはあまり関係ないが。
ともあれ、この時ジンの攻撃に“技”などなかった。
いや、その様な小細工など必要なかったと言うべきか。
所詮、小細工とは同程度の実力があって初めて成り立つ“技”であり、それが天と地ほどかけ離れていれば全ては無意味なのだから。
ジンが愚直にネロに向かっているのは、その力を歯牙にもかけていないことの証。
いや、最短距離を向かって来ることを考えれば、それは油断と真逆の境地……全力でネロを狩るつもりだ。
そしてベリアノスの歴史の教科書に登場しているジンの力を、ネロが知らない筈がない。故に、彼のとる行動は1つ。
ネロは反撃……することなくジンへと背を向けると、逃げるための一手を打った。
「〈大地よ壁と成れ〉!」
ネロとジンの間に巨大な壁が出現するが、それも「フン!」と言う掛け声とともに粉砕される。
だがしかし、もうもうと上がる土煙の先にはネロの姿はなく、代わりに地下へと続く大穴があった。
「逃げに徹しゅるか。良き判断じゃが……まだまだ甘いわ!」
ジンが地面へ足を打ち付ければそれを基点に、波紋が広がるように波打った大地が1本の道を指し示す。地盤沈下――ネロの作り出した地下道が崩れ落ちたのだ。
「しょこか!」
追いかけようとしたジンの眼前では数多の樹が大地より迫上がり、大穴が、沼地が行く手を阻む。
常人には進むこともままならぬ自然を使った罠も、ジンにとっては何処吹く風。
ジャンプ1つで罠地帯を越えたジンはそこで足を止めると大気の匂いを嗅いだ。
「成程。罠は囮かよ」
〈月下無双〉の発動時において、ジンの能力は全て強化される。魔法も、肉体も……そして五感さえも。
ネロが逃げた先は風上であり、風下にいるジンがその存在を見失う筈がない。
となれば、逃げる振りをして身を隠し、ジンをやり過ごしたということ。
「わしゃの力をよう知っちょるようじゃ。まずはあの男の匂いを見つけねばならんのう」
踵を返したジンの表情は厳しい。
すぐに発見できればいいが、時間がかかればかかるほど逃亡される可能性が高まるからだ。
いや、仮に河へと逃げられたのなら追跡は不可能だと言っても良い。
焦るジンに声が届いたのはそんな時。
『もっと右へ。そう、そのまま真っ直ぐ』
声に導かれて進むこと暫し、覚えのある匂いを捉えたジンは肉食獣さながらの獰猛な笑みを浮かべる。
「感謝いたしましゅぞ。ルーファシュセレミィしゃま」
小声でそう呟いたジンは走る速度を上げた。
ネロがジンの追跡に気付いたのはそれから直ぐのこと。
何せジンは障害物――主に樹や岩――をなぎ倒しながら真っ直ぐにネロへと向かって来ているのだから。否が応にも分かるというもの。
「フッ!フッ!フッ!」
荒くなる呼吸を無理矢理抑えながら、ネロはそれでも足を動かす。
焼き切れるかのように痛む肺に、ブルブルと無様に震える足。
それでも尚、諦めることなく前へと進むネロの目に目的地が映った。
――湖……いや、河か。
緩やかに流れる水面は月の光を反射して仄かに輝き、湧きあがる地下水はどこまでも澄み切っている。
ここはオマーン河の源流の1つ。この流れは遠くハラマダを越え、海にまで続いている。
僅かな希望を抱いたネロはそこへ向けて疾駆する。
ズズゥン!
だが……ネロの希望はその音と共に終わりを告げた。
行く手を阻むかのように沸き上がった粉塵の中から、彼が最も聞きたくなかった声が響く。
「逃がしゅかよ」
「勘弁してくれ……〈地よ割れよ〉!」
言葉と共にジンの足元が崩れ落ちた。
その先は果てしない闇が広がり、どれほどの深さがあるのか想像すらできない。
それが地獄へ続く大穴だと言われれば誰もが信じることだろう。
正にそこは虚無の穴蔵であり、その最奥にはジンの力の根源たる月の光すら届くまい。
だが……それはあくまでも落ちればの話。
ジンは魔法が発動するよりも速く空へと飛んだ。
ネロの魔法の発動が遅いのではない。ジンが速すぎたのだ。
その反射速度にネロは絶望……することなく河へと向かって走り出す。
「〈剣よ在れ〉!」
先程は上から下へと降り注いだ剣は、今度は逆に下から上へ。地を割ったのはジンを空中へ追いやるための布石に過ぎず、絶え間なき剣の嵐がジンを空中へと縫い留める!
「煩わしい!カァァ!」
気合一閃……いや、気合一息という方が正しいか。
息を鋭く噴出することでジンの前方を風が薙ぎ払い、それを推進力にその身体は後ろへと吹っ飛んだ。その結果、僅かに開いた距離は一気に縮むこととなった。
「〈水よ檻と為せ〉!〈水よ我が身を運べ〉!」
ネロの魔法は願望魔法。
己の願いを叶える魔法であり、自由度が高く強力な代わりに魔力消費度が非常に高い。
ネロの願い通りに魔法はその身体を下流へと運び、ジンは檻へと囚われる。
パアン!!
その音が響いた瞬間、ネロは無意識の内に叫んだ。
「〈水よ盾となれ〉!」
見えた訳ではない……ただ感じた。
ネロの首筋を撫でる死神の魔手を。
咄嗟に横へと飛んだネロを追いかけるように、水の盾を食い千切ったジンの蹴りが迫る。
(躱せた)
そう安堵した瞬間、感じたのは鋭い風。
目まぐるしく変わる景色
遠のく音
視界の端に映る赤は己の血の色か
ドオオン!!
激しく叩き付けられた衝撃にようやくネロは現実を認識した。
風圧だけでこの威力。もし少しでも掠っていたのなら、今頃ネロは輪廻の果てへと旅立っていたことだろう。
「は、ははっ……ははははは!」
ネロの肉体は既にボロボロ。
衝撃で折れた手はおかしな方向を向き、頭から流れ落ちる血が顔半分を真っ赤に染める。
どう見ても重症。それでもネロは嗤う……ただただ嗤う。目の前で拳を振り上げたジンを見て。
「狂ったか?今、楽に……」
「〈雲よ月を隠せ〉」
瞬間、月光が……消えた。
暗雲が双子月を覆い隠したのだ。
「バカな!?しょんな予兆は……ガハッ!」
愕然と空を仰いだジンの身体が吹き飛ばされる。それを為したの死にかけていた筈のネロ。
「〈回復せよ〉」
その言葉1つで、傷に塗れた身体はまるで時間が遡るかのように消えて行く。
“癒し”は光魔質でなければ使えない。
だが、“自己回復”や“再生”は癒しではなく己の肉体そのものに作用する。
つまりネロは魔力さえ残っていれば、多少の傷であればどうとでもなるのだ。
ジンの敗北はネロの権能の詳細を知らなかった故、そして……ネロの勝利はジンの手の内を知り尽くしていた故のこと。
「雲を集めるのに時間がかかったが、何とか間に合ったな。お前はもっと自分を誇っていいジン・ドレイク。ベリアノスの軍人育成講座には必ず闇将軍の名が出て来た。その強さと……弱点が。〈月下無双〉は月が出ている時に発動するのではなく、正確には月光が地上に届くかどうか。薄曇り程度ではその力を封じられず、その結果、お前の拳圧で雲が晴らされたことがあったと。だからオレ達はこう教わった――闇将軍と戦うことがあれば一気に無力化するように、とな」
ネロは戦闘が開始したその瞬間から雲を集めた。双子月を囲むように厚く、幾重にも。
そう、ネロは逃げていたのではなく、ただひたすら反撃するための時間を稼いでいたのだ。それこそが自分が勝てる唯一の道筋だと信じて。
そして……彼はその賭けに勝った。
ジンは一度も空を見上げることはなく、ネロは追撃に耐えきった。
それは強者の驕りか
それとも弱者の戦略ゆえか
勝者は敗者へと変わり
敗者は勝者へと変わる
今や地に膝をつくのはジンであり、剣を片手に余裕の表情を見せるのはネロだ。
「闇将軍ジンの首、このネロがもらい受ける!」
高らかに勝利が宣誓され、剣の切っ先が天を指す。
ここに勝敗は決し……
「ダメェェェ!!」
突如、聞こえてきた叫び声と同時に、逞しいネロの腕に絡みつくのはたおやかな白い腕。
だが何より彼を驚かせたのは白銀色に輝く髪と藤色の眼差し。
「まさか、神獣か!?」
乱暴に腕を掴んだネロがルーファを高く掲げれば、露になった白い裸体が惜しげもなく晒された。
その美しさは暗闇の中でこそより際立ち、戦闘中にも関わらずネロの視線が引き寄せられる。
それは慎重な彼らしからぬ明確な隙だ。
「諦めるな!ジン・ドレイク!月はここにある!」
――光だ。
地上に新たな月が生まれ、その輝きが決した筈の勝敗に一石を投ずる。
「チィィ!〈剣よ在れ〉!」
数多の剣がジンを刺し貫こうと雨あられと降り注ぐ……が、その剣も空中で霞の如く消え果てた。
――超越種を前に魔法は無意味
ここが勝敗の分かれ目となった。
もし、ネロが即座にルーファを殺していれば
もし、ネロが魔法で止めを刺そうとしなければ
勝敗は逆転していただろう。
ネロの剣はジンに届かず、ジンの拳がネロの頭部を粉砕した。
◇◇◇◇◇◇
サンタクルス領・領都サンタ近郊
ここでは多くの兵が天幕を張り野営の準備をしていた。
アスタロスへ向けて進行しているシリカ・ベリアノスの混成軍だ。
とは言っても、シリカの先発隊はすでにアスタロスが視認できる位置に迫っており、ここにいるのは後発隊……つまり安全がほぼほぼ確約されているアグィネス教教徒たちである。
槍玉となるのは操られているシリカ兵とあって、この場は戦場のひりつくような雰囲気とは真逆の、どこか安穏とした空気が漂っていた。
そんな中、雑談する兵たちの合間を縫って進む男が1人。
青い髪とエメラルドグリーンの目を持つ男だ。
ベリアノスの陣営の中でその男が着ている軍服はよく目立つ。
何故ならそれはシリカ正規軍の軍服でこそないものの、明らかにシリカに所属することを表すものだからだ。
だが、ここにいる誰もがその男に注意を払うことはない。男が身に纏っている軍服こそ、シリカにおけるアグィネス教の大御所、暴君候リゼル・ヘルスティオの部下である証なのだから。
長きに渡るアグィネス神への献身に敬意を表すことすれ、不快に思うものはまずいない。
「失礼いたします」
そう声を掛けた男が一際豪華な天幕の中へ入ると、待ち構えていたかのように壮年の赤毛の男――リゼル・ヘルスティオ――が振り返った。
「良く戻った、エイリック。報告を」
「はい。〈反射禁止〉」
それはエイリックの固有魔法。
音の反射を禁止された今、何人たりともこの場の会話を盗み聞きすることは出来ない。
「首尾よく接触できました。御屋形様の予想通り攻撃されることはなく、鍵も無事に渡せました」
「フフっ、そうだろう。何せジェーン・サンライトは私の存在に薄々勘付いているからな。反乱軍……いや、解放軍の戦力は?」
「ざっと見積もって500ほど。内、固有魔法士はサンライト元将軍とキルゲイの2名。それと、鷲獅子5頭に……両殿下方」
「待て。今、おかしな言葉を聞いたぞ?鷲獅子に両殿下だと?そもそも殿下はリーンハルトにいる筈だろう?」
「それが……どうやら迷宮神獣様の手引きで脱走した模様です。その際に鷲獅子を貸し与えられたとか」
「迷宮神獣様が動かれたか。ならばこのまま終わることは有るまい」
どこかホッとしたように目を閉じたリゼルに、エイリックが可笑しそうに笑う。
「何だ?まだ何かあるのか?」
「ジン・ドレイクとアーク・サルヴァトーレの姿が牢から消えたそうです」
それは思いもよらぬ朗報だ。
リゼルはシリカのために力を振るってきた2人が、ベリアノスに奪われることを歯がゆく思っていたのだから。
「エイリック、お前はあの2人を脱獄させることができるか?」
「不可能ですね。あそこにはベリアノスの固有魔法士が多くいますし、出入口も1箇所ですから」
「フッフフッ。迷宮神獣様の手の者かな?」
「恐らくは。数多の魔物を統べる迷宮神獣様ならば容易いかと」
「そうか……予定変更だ。お前は解放軍と共に戦え。私は最低でもサンタクルス伯を道連れにするとしよう」
「それでは御屋形様の身が……」
「構わん。どの道、この戦いに勝てねば未来はないのだ。迷宮神獣様が戦力を集めておいでなら、お前はそこへ向かえ」
「……御意」
ここにも反乱の芽が1つ。
ジン・ドレイク(人族)
固有魔法:月魔法
〈月下無双〉月の下では文字通り不死身。全ての力が極限にまで高められ、MP・HP共に無限
アーク・サルヴァトーレ(人族)
固有魔法:魔獣魔法
〈因子獲得〉ランダムに倒した魔物の因子を獲得する
〈魔獣変化〉因子を獲得した魔物に変化する。部分変化も可能
エイリック(人族)
固有魔法:反射魔法
〈反射〉音、光、魔法等、様々なものを反射する
〈反射禁止〉反射しているものの動きを止める
※エイリックが使っていた姿を隠す魔法は〈反射〉で光の屈折を操作して姿を消し、〈反射禁止〉で気配と魔力を漏れないようにしている。




