アークとジンの役目
河のせせらぎが涼やかな音を奏で、ホウホウと鳴く梟が羽ばたきと共に森の奥へと消える。空は藍色から白へと変わり、直に夜明けが到来するだろう。
そんな爽やかな空気の中、軽快にステップを刻む子狐が1匹。
『ふんふ~ん♪計画通り!後はエリーちゃんと合流するだけなんだぞ。頑張ったから、きっとご褒美がもらえるんだぞ。ケーキにするべきか、プリンにするべきか……いや、ここは両方ねだっても罰は当たらない筈』
じゅるり、と涎を飲み込んだルーファはこれから訪れるであろう至福の時に思いを馳せる。
実際は少ない兵糧を遣り繰りしており、とてもお菓子を作る余裕などないのだが……頭がお花畑なルーファは気付かない。
『えっと、この辺でいいかな。〈亜空間〉は恐ろしい場所だってバーン君とガウディが言ってたし、早く出してあげないと……』
そこは以前、チャーター君に降ろしてもらった川辺の近く。
辺りに人気がないことを確認したルーファは早速、アークとジンを外へと出した。
――瞬間、甘美な香りが辺りに広がる。
そこに佇むは生クリーム塗れのアークとプリン塗れのジン。
無言で顔を拭う2人にゴクリ、と喉を鳴らしたルーファはキラキラとした目で尋ねた。
『……ペロペロしてもいい?』
美しい朝焼けの中、おっさんとじいさんの喘ぎ声が響いたとか響かなかったとか。
「酷い目にあったぜ」
「人生とは真に何が起こるか分からんものじゃの……」
ハアハアと息を荒げる2人を前に、満足気にゲップをしたルーファは重たくなったお腹を抱えて立ち上がる。
『あのね、ここに行きたいんだけど、行き方分かる?』
そう言って〈思念伝達〉で送ったのは、以前〈時空眼〉で見たジェーンの潜伏場所だ。鷲獅子たちにも同じ映像を送ったため、エリザベスたちもそこに合流している筈である。
ルーファもそこに向かいたいのだが……如何せん方向音痴のためにイマイチ何処にあるのかが分からない。
というか、河に流されてきたルーファには正確な現在地さえあやふやだ。
ルーファが知っていることといえば、ここが王都ハラマダの近辺だということ。
ちなみに、ハラマダがシリカの北にあるのか南にあるのか、それとも中央にあるのかすら知らない。まあ、要するに迷子状態なのだ。
ここで、アークとジンに出会えたことはルーファにとって幸運だったと言えるだろう。
「これは……北部にある帰らずの森か?簡易な家が建っているが、ここに住んでいる命知らずがいるのか?」
激しい高低差に、所々岩が突き出している断崖絶壁の数々。
そして、うねうねとした独特な樹木が崖を這うように生い茂る姿は、とても人が踏み入れるとは思えない。
慣れた者ですら気を緩めればあっという間に足を踏み外し、命を落とす危険地帯――故にその名は帰らずの森。
幸いな事といえばこの地形故に大型の魔物の生息数が少ないという事か。反面、断崖には鳥型の魔物が多く住み、空からの攻撃には注意が必要だ。
「見てみぃ、オマーン河じゃ。しょしてこれは……キリシアの断崖。しょこから南にしゅうキロといったところかのう。迷宮神獣様はここへ行きたいんでしゅかな?」
『そうなんだぞ!エリーちゃんとジェーン・サンライトがいる筈なんだぞ』
「まさか!王女殿下と将軍が!?」
「これ、将軍はオメェしゃんじゃろうに。じゃが……ジェーンが生き延びちょるか。しゃしゅがはわしゃの弟子じゃ!」
喜びに目を輝かせる2人に、ルーファは今までの経緯を軽く説明していく。
「なるほど……迷宮神獣しゃまがクロード殿下を脱出しゃせて下しゃったのですね」
それは、シリカの汚名を晴らす機会を与えられたということ。そして……自分たち固有魔法士を助け出したのは戦力拡大を狙ってのことだろう。
尊き存在の神獣が、危険を犯してまでも隣国であるシリカの民を導こうとするその姿に彼らは涙する――なんと慈悲深き御方かと。
その期待に応えぬことなど男として……否、シリカの民としてあり得はしない。
アークとジンの目に炎が宿る。
牢で感じていた絶望が嘘のように、彼らの心には希望があった。それは、吹けば飛ぶような小さなものかもしれない。
だがそれが何だと言うのか。まだ出来ることがある……その事実こそが“幸せ”なのだ。
「老骨の身ではありましゅが、必ずやお役にたってご覧にいれましょう」
「おいおい、じいさん無理すんなよ。ここからはオレの出番だぜ」
大いにやる気に満ちてはいるが、ルーファが求める彼らの役割はただの道案内……知らないとは幸せなことである。
ただここで問題が1つ。
「場所の検討はちゅきましたが……ここからでは遠しゅぎましゅなあ。徒歩で向かえば1月近くはかかりましょう」
今は何より時間との勝負。
ベリアノスは既にリーンハルトへ攻め入っているのだから。ふさふさの白い眉毛を八の字曲げたジンに、ルーファはむふふ、と気持ち悪い笑い声をあげる。
『大丈夫なんだぞ!近くにチャーター君を待たしてあるから!』
元気よく走り出したルーファを彼らは慌てて追いかけた。
『チャーターく~ん!』
ルーファの呼び声と共に河の中からザバリと音を立てて巨大な蛇の頭が覗く。
薄く青みがかった鱗に凶悪そうな長い牙、全長は20メートルといったところか。
鋼の剣を軽々と跳ね返すだろう分厚い鱗はまるで竜族のソレ。強靭な爪こそないものの、その長い身体は自分より巨大な敵であろうと容赦なく絞め殺すだろう。
――Aランク“巨大蛇”
出会ったが最期、高位冒険者であろうと水中に引き込まれ、あっさりと命を落とすほどの危険性を誇る。この辺りで最も恐れられている魔物である。
ただし陸には殆ど上がって来ないために、そこまで危険視されていないことが特徴か。
“水辺には近づくな”――それはシリカで小さい頃から言い聞かされる言葉だ。
チャーターに即座に反応したアークがルーファの前へと飛び出し、魔法を発動させる。
――〈魔獣変化〉
メリメリっと音がしたかと思えば、アークの身体に変化が訪れる。
長く太く伸びた腕はまるで猿。
剛毛がアークの身体を覆い、ジャキンっと音を立ててその毛が逆立つ。
その姿はまるで針ネズミのようだが……ソレを針というには語弊があるか。剣か槍か……どちらにしろ触れるだけで人の身体などあっさりと切り裂くことだろう。
ギギギっと音を立てて伸びるのは鞭の如く伸びた尾だ。本体と違い毛こそ生えていないものの、それ自体が硬質な輝きを宿していおり、当たればただでは済むまい。
「ガルルル……じいさんは下がっとけ!今は朝だ!」
やや不明瞭になった声でアークが叫べば、ジンは無言でルーファを拾い上げその場を離脱……
『待って!ストープ!チャーター君は敵じゃないんだぞ!』
ジンの腕をペシペシと前足で叩いたルーファは、その力が緩んだ隙にピョンっと飛び出すとチャーター君目がけて飛んで行く。
『アークとジンは仲間だから襲っちゃダメなんだぞ』
「しゃー」
頭の上に子狐を乗せて頷く巨大蛇の姿はどこか間抜けだ。
よくよく見るとペロペロと舌を出し入れする様子は可愛く見えなくもない……爬虫類好き限定でだが。
「もしや、迷宮神獣様の眷属の方でしゅか?」
そう問うたのはジン。
アークは未だに警戒をしているのか〈魔獣変化〉を解いてはいない。
『違うんだぞ。チャーター君はヴィーの……竜王ヴィルヘルムの眷属だからオレを襲ったりしないんだぞ』
“竜王”――その言葉を聞いたアークは即座に変化を解いて畏まる。この世界のどこにその名を畏れぬ者がいようか。
緊張する2人を他所にルーファは暢気にチャーター君に話しかける。
『待っててくれてありがとう!あの男の人は目を覚ましたの?』
コクリ、と頷いた大蛇に『良かった~』と尻尾を振るルーファ。
「ましゃかここまで知能が高いとは」
「進んで人種を襲わねぇのは竜族だったからか……」
地走竜や翼竜といった竜族は、自分たちの生活圏を侵されない限り人種を襲わないことで有名だ。ただし、1度敵と認定されればその限りではない……というか殲滅するまで襲ってくるため、竜族の卵を盗む行為は法律で禁止されていたりする。
『あのね、オレ達を目的地まで運んで欲しいんだけど……んっと、あと2人乗れるかな?』
チャーター君の頭の上とアーク・ジン両名を交互に見つめ、ルーファは首を傾げる。
いくら頭も巨大だとはいえ、流石に男2人を乗せれるかと問われれば厳しいと言わざるを得ない。鱗はつるつると滑りやすく、更に水で濡れているのだ。特にご老体のジンに頭の上に長時間しがみ付いていろというのは酷というもの。
頭を悩ますルーファにチャーター君は嬉しそうに一声鳴いた。
――シャー!!
呼び声に応えるように水中より飛び出したるは2匹の巨大蛇。
『おお!流石はチャーター君!用意がいいんだぞ」
引きつった顔のアークとジンを頭にのせ、1匹と2人の珍道中が始まった。




