■第42話 木っ端微塵に傷付ける覚悟
マヒロが再びシオリの元へやって来た。
その足取りは異様に思えるほど静かなもので、胸にこみ上げる怒りを必死に
堪えている感じが滲み出ている。
最初睨むように眇めていたマヒロの目は、次第に懇願するようなそれに変わる。
健康的に日焼けしたその頬が、そっと口許から覗く八重歯が、遣り切れない
感じで引きつり歪んでゆく。
『また倒れたよ、あいつ・・・
ねぇ・・・ ヤスムラのこと・・・
一瞬でも本気だったんだよね・・・?
ちゃんとあいつのこと、好きだったんだよね・・・?
なら、ちゃんと傷つけてあげてよ!
ちゃんと木っ端微塵に、ちゃんとあいつが諦めつくくらいに傷付けて、
ちゃんとフってあげてよ!!
もう・・・ 見てらんないよ、あいつが気の毒で・・・。』
まくし立てながらも所々言葉に詰まるマヒロに、シオリが俯き唇を噛み締めた。
マヒロの苦しそうに歪めた頬には涙の雫が伝っている。 その表情にショウタを
想う気持ちがありありと滲んでいた。 必死にショウタを心配し腹を立てそして
心の底から哀しんでいるその姿。 握り締めた拳が力が入り過ぎて小さく震えている。
好きな人が苦しむ姿を見るのは、
自分が苦しむより、ずっとずっとツラい・・・
( ”好きだった ”って、過去形に映ってるんだ・・・。)
進行形だという事は自分の胸にのみ秘め続けなければいけない、その想い。
誰にも知られてはいけない。
ショウタにだけは気付かれてはいけない。
ショウタの笑顔を取り戻すためには、自分が傍にいてはいけない・・・
”ちゃんと諦めつくくらいに傷付けて、フってあげてよ!!”
”最初で最後の想い出 ”に、1回ぐらい抱かせてやれば~・・・?”
頭の中を駆け巡るその言葉。
(ヤスムラ君の笑顔を取り戻すためには・・・。)
シオリは弾かれたように駆け出していた。
午後の授業も放り出して学校を飛び出すと、シオリの脚はショウタが静養する
実家へ向かう。
肺が爆発しそうに苦しいけれど、決して足を止めずに走り続けてやって来た
八百安の店先にはショウタ母ミヨコが、いつもの前掛けをして恰幅の良い腹を
迫り出しツヤツヤの野菜を並べている。
『あら!シオリちゃん。』 シオリの姿を目に、ミヨコから掛けられた声にも
殆ど反応せずにシオリは一瞬だけ目を向けると 『お邪魔します。』 と低く
呟いて勝手に裏口玄関に入って行った。
どこか様子がおかしなシオリに、母ミヨコはなんだか嫌な予感を感じ目を凝ら
してその華奢な背中を見送る。 店先に並べられたカゴに山に積まれたツヤツヤ
の青りんごが触れてもいないのに雪崩れて足元に転がり落ち、目映く輝くそれが汚れた。
玄関先でキレイに手入れされ磨かれたローファーを脱ぎ、一旦しゃがんで靴を
揃えるとシオリは覚悟を決めたようにひとつ息を付き、振り返ってショウタ自室
に向け階段を静かに上がった。
とん とん とん とん・・・
シオリの濃紺ハイソックスの足が、静かに階段の踏面を一歩また一歩と進む。
古い階段はシオリの小さな重みを受け、軋む音をその壁に天井にどこか哀しく
響かせる。
ドアの前で留まると、震える小さな手をそっと胸にあててシオリは深呼吸した。
目をつぶり鼻から深く息を吸うと、”今からしようとしている事 ”に不安しか
ないその小さな胸がコトリ コトリと急速に痛いくらいに心臓の音を立てる。
そして、俯いていた顔を静かに上げると、シオリは拳をつくってドアを2回
ノックした。
『んぁ~?』 扉の奥から疲れたような沈んだ声が返事をする。
大好きなやさしいあたたかいはずのショウタの声は、あまりに心細く弱々しく
シオリの耳に届き、体調の悪さは顔を見なくても容易に伝わる。
静かにドアノブを回し、シオリが部屋へと足を踏み入れた。
その顔は、”木っ端微塵に傷付ける ”ための覚悟をした至極冷静なものだった。




