■第18話 頭の先から爪先まで
病院を飛び出し猛烈な勢いで駆けたショウタは、毎夜シオリとやさしい時間を
過ごす公園にやってきた。
昼間の時間帯のそこは若い母親に連れられた小さなこどもの姿が多く、愉しげに
歓声を上げながら駆け回ったり砂場で遊んだりしていて、微笑ましい反面どこか
呑気に感じショウタの心はささくれ立つ。
いつもふたりで寄り添い座るくたびれたベンチにひとり、ショウタが腰掛ける。
俯く頬に吹き付ける冬風がやけに冷たく感じる。 シオリとふたりで並んで座り
他愛ない話で笑い合う時には寒さなど感じないというのに。
背中を丸めてうな垂れ、シオリが突然夜中に飛び出してきた時のことを思い返し
ていた。
訴えるような、すがるようなその視線を向けたあの夜のシオリを。
”ぜんぶ捨てて・・・ 逃げる気、ある・・・? 私と、一緒に・・・。”
そして、去り際に強い意志が宿りしっかりとした目で呟いた一言。
”私に、まかせて。”
シオリはなんとかしようと必死に悩んでいる。もがいている。
勿論不安だらけだけれど、どうしたらいいのかなんて全く分からなかったけれど
ショウタはシオリを信じていた。
他の誰かが言うことなんてどうでも良かった。 シオリだけを信じていた。
真っ赤に泣きはらした目で深夜に助けを求めるようにショウタの元へ駆けて来た
シオリだけを、心の底から。
(どうしたらいい・・・?
俺は、どうしたらいい・・・??
・・・俺に、なにが出来るだろう・・・。)
胸にこみ上げ吐き気がする程の焦燥感に、膝の上で握り締める拳がふるふると
震え落ち着くことなど出来そうにない脚がせわしなく貧乏揺すりを繰り返した。
その頃シオリは病院廊下の長椅子に座り、首のネジが壊れた人形のように
うな垂れていた。
もたげた首の両サイドから長い黒髪がしっとりと胸に垂れ、爪先をじっと
見つめるその目はじわじわと滲み視界が歪んでゆく。
ちゃんと自分の口からショウタに話をしたかったのに、予想だにしない形で
知らせてしまったそれに、シオリの胸は容赦なく痛み震える。
ショウタがどれだけショックを受けたかは、病院に突然駆け込み不安でいっぱい
の泣き出しそうな哀しい目で、シオリを痛いくらいに抱きしめた腕の強さが物語
っていた。
(どうすればいいの・・・?)
ふたりは互いの胸の内ばかりを思い合い心配し、各々ひとりぼっちで悩み苦しんでいた。
その日の夜は、雨が降った。
冬の冷たい雨は、ショウタの自転車をシオリから意地悪く遠ざける。
そっとカーテンをめくり自室の窓から空を見上げ、激しく叩き付ける雨粒を
じっと見つめていたシオリ。
ショウタもまた、哀しげに窓から外を見つめていた。
会えない寂しさの反面、どこかホっとする気持ちが否めないふたりの目に
雨の雫が映る。
『もしもし・・・?』 ショウタが意を決してシオリへと電話をした。
第一声で既に居心地が悪い ”間 ”が呼吸に混じり、互いに気まずそうに目を
伏せていることが伝わる。
『・・・雨、降っちゃったなぁ~・・・。』
ショウタはそのなんとも言えない嫌な空気を払うかのように、努めて明るい
声色を上げシオリへと話し掛ける。
『うん・・・。』 その返答する一言だけで、電話向こうのシオリが哀しげに
細い背を丸めているのが目に浮かんだ。
互い ”その件 ”は怖くて口に出せなくて、避けるように目を背け息をする。
これが悪い夢であってくれればと祈るように天を仰ぐ。
ジリジリと痛む、胸。
頭の先から爪先まで愛おしくて切なくて、本当は1秒だって離れたくなどないのに。
『・・・やっぱ、今から行く。』
ショウタの声色が急におどけたそれから、真剣なものに変わった。
『雨じゃない・・・ 自転車乗れないでしょ・・・。』 堪え切れなくなった
シオリが涙声で囁くように喉の奥から絞り出す。 ケータイを口許から離し、
手の甲で泣き声が洩れ伝わってしまうのを必死に隠すと、その反動のように
頬には次々と涙の雫が零れる。
『走って行くっ!!』
『いいよ、そんな・・・。』
すると、『行くからっ!!』 叫ぶように言って、ケータイは切れた。
シオリの耳に通話終了の機械音がツーツーといつまでも鳴り響く。
自室のラグにぺたんこ座りをして両手で顔を覆い、シオリが声を殺して泣いていた。
ベッド枕元に佇む情けない顔のくまのぬいぐるみが、少し傾いでそんなシオリを
やさしく見つめていた。




