■第11話 陽だまりのようなその空間
『今から、行ってもいい・・・?』
電話向こうのシオリは泣きじゃくり、しゃくり上げて、言葉に詰まりながら
必死に呼吸を整えようとしている。
耳に聴こえる吐く息に、シオリが夜道を駆けている気配が伝わった。
『え?? 今から・・・?
なんかあったの?? てか・・・ それより今ドコ??
こんな時間に危ないよ! すぐ行くから・・・
どっか明るいトコで待ってろよ! 今、もう・・・ すぐ行くから!!』
自室でベッドにゴロンと寝転がりマンガを読んでいた部屋着スウェット姿の
ショウタが慌てて体を起こした。 ケータイを耳に当てたまま部屋を飛び出し
玄関へ向かう。
古びた木造階段を2段飛ばしで駆け下りると、踏面がギシギシと軋む音が
築40年のだいぶガタがきている家中に響いた。
『電話切らないで、そのままにしてて!』 ショウタはそのまま玄関を駆け
抜け暗く静まり返った商店街をシオリの家の方向へと全速力で駆ける。
ひと気のない夜の、商店と商店の間にぽつんと佇む弱々しい街灯の灯りが
心細すぎて灯りはともっているというのに寧ろその不安感をより煽る気がする。
こんな遅い時間にひとりでいるシオリに何かあったらと思うと怖くて恐ろしくて
ショウタが握りしめ耳に当てるケータイがじっとりと手汗で湿ってゆく。
『今ね、コンビニに来た・・・。』 シオリがいまだ震える涙声で小さく電話
向こうで呟いたその一言に、ショウタの駆ける足は更にスピードを上げて
アスファルトを蹴った。
やっと見えたそのコンビニは、真っ暗な冬空の下そこだけ嫌味なほどに煌々と
明るく、今まで全速力で駆けていた物寂しげな街灯に照らされた夜道とは別世界
のように感じる。
店内の雑誌コーナー前に、居場所無げに小さく身を潜めるように佇むシオリの
姿が目に入った。 ショウタの姿を探して、ガラス窓越しに不安気に外を覗いている。
ショウタは自動ドアにぶつかる勢いで慌てて飛び込むと、眉根をひそめてシオリに駆け寄る。
夜道を走り続けたショウタの肺は爆発しそうに苦しくて、膝に手をつき体を
屈めてゼェゼェと荒い呼吸を繰り返す。 顔を歪めながらシオリへ目を遣ると
泣きはらした赤い目でまっすぐ見つめられて、ショウタはなにも言えなくなってしまった。
本当は心配する気持ちに混じり、ほんの少し怒ってもいた。
こうやって無謀に夜道を駆けて来る前に一本連絡をくれれば、いくらでも迎えに
行くのにという思いが喉元まで込み上げるも、とにかく無事に会えた安心感で
胸がいっぱいになる。
互い、繋げたままだったケータイを画面に指先で触れてそっと切った。
『コートも着ないで、なにやってんだよ・・・。』
シオリの小刻みに震えるセーターの細い肩に手を置き、不安気に覗き込む
ショウタ。
ケータイだけ引っ掴み慌てて家を飛び出して来たシオリは、上着を羽織ることも
忘れてショウタの元へ駆けて来ていた。
『ごめんね・・・。』 ショウタを見つめ更に涙をこぼすシオリ。
シオリを咎めるショウタもまた、くたびれたスウェット姿でダウンジャケットは
着ていない。 シオリに貸す上着を自分も着ていないことに今気付いたショウタ
がバツが悪そうに顔をしかめ情けなく口をつぐんだ。
そして、
『とにかく・・・ 寒いし、ウチ来て。』
小さく呟きコンビニレジ横のホット缶コーヒーを1本買うと、それをシオリの
凍えた手へ差し出して、もう一方の手を強くにぎり再び来た道を戻って行った。
『悪りぃ! ちょっとコタツ貸して!!』 八百屋裏の自宅玄関から居間へ
上がりこたつで背中を丸めテレビに見入っていた両親を追い出すように
ショウタがまくる。
『遅くにすみません・・・。』 シオリの泣きはらした赤い目を見て、
ショウタ母は只事ではない感じを察し、事情は何も聞かずにそっと台所へ立ち
ヤカンにお湯を沸かし熱いお茶を淹れる。
『ほんとに・・・ 迷惑かけてごめんね・・・。』
すっかり見えてしまっている困り眉が哀しげに更に下がり、小さくすくめる肩が
いまだ寒さにカタカタ震えている。
腰から下はこたつの暖かさにほどかれてゆくが、上半身はまだ冷え切っていた。
お茶を淹れた湯呑を差し出すと、自分の着ていたちゃんちゃんこを脱ぎ後ろから
シオリの肩にそっと羽織らせたショウタ母。
そして、やさしく肩をなで微笑むとショウタ父とふたり居間を出て寝室へと
静かに消えて行った。
『とにかく、お茶でも飲んで・・・ あったまるから。』 ショウタのぬくもり
溢れるやさしい声色に再び涙が込み上げ、シオリは俯く。 泣いてばかりいたら
更にショウタを困らせてしまうのは分かっているのに、そのあたたかさと安心感
に涙が止まらない。
冷え切った指先で涙を拭うと、両手で湯呑を包んでお茶の湯気に哀しげに目を細めた。
はじめて入ったショウタの実家。
庶民的で、まるで陽だまりのような温かみのあるその空間。
いまだブラウン管のテレビの上にはショウタと妹の幼い頃の写真が立て掛け
られ壁にはショウタ父が火災の消火活動に協力した際に貰った感謝状が
誇らしげに飾られている。
そして、そこかしこに飾られた植木鉢の花々。
シオリの大好きな橙色のミムラスも、溢れんばかりに電話台横に佇んでいた。
『あったかいお家だね・・・。』
ここにいると、なんだか心がどんどん解きほぐされてゆく気がした。
トゲトゲになった自分が、まあるく、やさしく溶けてゆく。
『え?そう?? こたつだけだから寒くね??』 意味が通じていない
ショウタにシオリはクククと肩をすくめて愛おしそうに小さく笑った。




