椿と東次郎の物語【壱】
ある日、町外れに今は亡くなった両親から受け継いだ蕎麦屋を営む東次郎がいた。
小さい店ながら親の代では繁盛していたのだが、東次郎が受け継いでからというものさっぱりのありさまとなり頭を抱え困り果てていた。
いくら試行錯誤をしても全く美味いという客はおらず、とうとう誰一人として店に入る者はいなくなった。
そんな時、一人の少女が店を訪れ、一口食べるなりこう言った。
「厨房をちょっと借りてもいいですか?」
東次郎は何事かと思ったが、客がいるわけでも秘蔵の汁があるわけでもないので断る理由も無く、少女に厨房を貸した。
何をするのかと厨房の端で見ていると、少女は手際よくダシを取り始めた。手順的にどうやら蕎麦の汁を作っているようだ。
そして出来上がったのは予想通りのかけ蕎麦。
それを東次郎は一口食べて驚いた。
「お、おいしい……」
今まで食べたどのかけ蕎麦よりも群を抜いて美味しかった。そんな東次郎を少女は微笑むように優しく、そして嬉しそうに見ていた。
東次郎はあまりの美味しさに思わずこの少女がどこの誰なのかも知らないまま、
「この美味い汁をずっとここで作って欲しい!!」
とまさに求婚さながらに真剣な眼差しで少女の肩を掴んで言ってしまったのであった。
「…………」
それを聞いた少女は少しの間ポカンとし、そして東次郎は自分が変な事を言った事に気が付き慌てるが、それを少女は見てクスリと笑い、
「わかりました。こちらこそ宜しくお願いします」
と本当に目がしらに涙を浮かべ嬉しそうに頭を下げた。
それを聞いて東次郎は大喜びし、少女が小声で言った、
「……もうここまで来れば大丈夫だろうから」
という言葉を聞いていなかった。
その後、少女が厨房を、そして東次郎が接客と盛り付けを行い店は大繁盛していった。
そして少女が東次郎と暮らし始めてから半年が経った頃、二人はお互い相手に対して好意を抱いていた。優しく真面目に働く東次郎に、一途に愚痴も言わず尽くしてくれる少女、それは自然の流でもあった。
だから東次郎は本当の求婚を口にしようと思った。だが、少女はそれを察したのか困った顔をして、それを見て東次郎は口にするのをやめてしまう。
それを見て東次郎はいつか別れが来るのではないかと悲しく思った。少女は不安にさせてしまった事を申し訳なく思い、東次郎に優しく抱きつき、
「いつまでも、いつまでもいつまでもずっと一緒に居ましょう」
そう何度も口にした。
それからも何も変わらず、いや、一層相手を思いやりながら二人は過ごしていった。それは口にはしていないがさながら夫婦のような仲で、二人は本当に幸せの中で日々を送り続けていた。
そして少女と出会ってから一年が過ぎようとしたある日、一年を祝して少女が汁の作り方を伝授すると言い出した。東次郎は少し不安を抱いたが、少女はいつもと変わらない口調で一人前の蕎麦職人ならばそういう事も学ばなければならないだろう、言われ納得する。
それならばと東次郎は少女に内緒で少し値の張る着物を贈ろうと思い、そして一年になる前日に購入した。
少女の喜ぶ顔を浮かべ、着物を着た姿を現実に見るのを楽しみにして少女を見ながら眠ったのであった。
そして翌日、祝う日の朝になり起きて東次郎は唖然となった。それはどこを探そうがいくら待とうが誰に聞こうが分からず、東次郎の前から少女がいなくなってしまったのだ。
そして、とうとう祝う日が終わる鐘の音が鳴り、だが、それでも少女が帰って来る事はなく、着物を渡してやることもそして汁の作り方を教えてもらう事もなく、少女が帰って来る事はそれからずっとなかった。
※
(確かこっちの道を進んで行ったら町があるはず)
近くの村がある道とは逆方向の、更に迂回する人気のない道をウチは一人歩いていた。
(今頃おじいと繭が心配してるかなあ。でも書き置きもしてきたし大丈夫だよね)
表の道は見知った顔とすれ違う可能性があった。そこからおじいに知れるかもしれないので迂回する道を選んだのだ。
そして八時間ほど歩いたとき、ようやく町の建物が見えてきた。それからさらに三十分歩くとやっと町の中に入る事が出来た。
川辺では物乞いのウチよりもまだ若い女の子が棒を使った芸をして、どうにかお金を得ようとしている。そんな光景を横目に、
「と、遠かった……」
昔来た事があるけど、こんなにこの町って遠かったかな? でもあの時は最後おじいにおぶってもらって家に辿り着いたんだっけ? う~んもう昔過ぎて忘れてしまった。
いや、はっきり覚えて入るけど、忘れられるはずもないんだけど、昔感じたよりも長かったというだけだ。
時刻はもうとっくに昼は回っている。疲れた体と朝も食べずに歩いて来たためもうお腹もペコペコで、目に付いた蕎麦屋に転がり込むように入って机に突っ伏した。
そして注文を取りにやって来たのだろう前掛け姿のお兄さんに、
「かけ蕎麦一つ。あっ、それから蕎麦湯も」
頭を持ち上げる気力も無く、失礼と思いながらもお兄さんの方に顔を向かせて言った。
「椿っ!」
そんな、もうだらけきった体にだらけきった声を出し、さらにだらけきった雰囲気の中、突然お兄さんは驚きの声を上げた。
「??」
ウチは何だと思い、重い頭を上げてお兄さんの顔を見ると、驚いた顔をしてウチを見降ろしていた。
そしていきなり、
「今までどこ行ってたんだ! いきなり居なくなりやがって、オレがどれだけ心配してたと思ってるんだ……。……別れが来るかも知れないとは分かっていたが、あんな居なくなり方はないだろう」
優しそうな目いっぱいに涙を浮かべながら、今にも大泣きしそうになるのをどうにか耐えている。
「??」
「それにお前に汁の作り方を教えてもらわなかったらオレはいつまで経っても一人前に蕎麦職人になれやしない……。もし、教えるのが嫌らならばまたここでずっと一緒に暮らそう」
「??」
全く持って身に覚えが無い事を言われてポカンとしてしまう。
「っ!!」
そして唐突にお兄さんはウチに抱き付こうとしてきたので両手で突っ張り、それを阻止した。




