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華と漣の物語り【七】

 小高い丘の上には一本の横に枝を長く伸ばした大きな木が立っていた。そしてその下は雨が当たらず雨よけとして丁度いい場所で、もうずぶ濡れのウチはともかくとして、菊永漣は濡れずに済み、そこにウチと菊永漣は向かい合いながら立っていた。

「――ひとつお願いがあります」

 ウチがそう切り出すと菊永漣は静かに、

「……なんだ」

 と全く興味がない様に聞いてきた。

 だけどその顔をウチは睨みつけるような真剣な顔で言う。

「ある人を助け出したいんです。その人とは今日初めて会ったんですけど、ウチに取っては分身のような……ううん、分身そのものな人なんです。その人をウチは助け出したいんです。けど、そこには用心棒のお侍さんがいたりでウチの力だけじゃあ無理なんです。だから――だからあなたにその人達をどうにかしてもらう依頼をしたいんです」

 初めの町でウチを殺そうとしたタヌキのようなおっちゃんは言っていた。菊永漣に依頼をして殺してもらうことが出来ると。ウチは侍はみんな人を殺すためにいるんだとしか思っていないけど、でもどんな人なのか分からない以上簡単に人を殺して欲しいなんて頼むことが出来ない。前のようにウチを、死なないけれど殺そうとしてくるかもしれない。

 だから、信用は出来ないけど、ちょっとでも知っている人物に頼るしかなかったのだ。

「助けるのは街外れにある小屋のような研究所の中にいる空木という女の子です。その娘はウチと全く同じ顔をしているので見ただけで分かると思います。そこには研究をしている小納寺という人と、その用心棒のお侍さんだけのはずで、どうにかして欲しいのはその二人になります」

 そしてウチは懐からボロボロで濡れている布袋を取り出し、逆さまにして全部出してそれを菊永漣に差し出す。

「これが今あるウチの全財産です。足らなければ遊郭でも何でもやります。だからどうかお願いします」

「………………」

 菊永漣は掌に置かれたお金、その金額四文。それを見て少し黙り、それからまたボソリと静かな声で、

「……いいだろう。これでいい」

 と言ってくれた。

 ウチは嬉しくなり思わず菊永漣の手を握って、

「ありがとうございます」

 嬉しくて涙がこぼれそうになった。

 しかし、ウチのそんな高ぶる気持ちとは裏腹に菊永漣は冷めたような声で話しかけてくる。

「……しかし、その前に違う依頼がある。それを先に済まさなければならない」

「依頼? それって時間が掛るんですか?」

 ウチとしては一刻も早く空木さんを助け出したい。だからそれを聞いて少し不安になる。

 時間が掛るようならば他を当たるしかないかもしれない。

 けど、菊永漣はそれに対して、

「……いや、時間は掛らない」

 そう言ってくれたのでウチは安堵した。

 しかし、続けて、

「……殺す相手が、目の前にいているからな」

 そう言った時には音もなく刀は抜かれており、

「っ!?」

 ウチの心臓がある部分に鈍く光る鋼の刀身が突き刺さって、そして貫かれた。

「……ぐがっ……」

 意識が飛びそうな程に痛かった。息が一瞬出来なくなり、そのあとも半分ほどしか出来なく、息をする度にさらに激痛が走る。突かれた箇所が異様に熱く、それが全く抜け去らない。

 そして――それだけだった。それ以上の事が起きなかった。

 確かに痛くて立っているよりも蹲りたい気持ちにはなるけど、でも動くとそれだけで痛いので震える足を踏ん張ってどうにか立たせていたりはする。でもそれからが無いのだ。

 間近で人が心臓を刺されたところなど見たことがないからちゃんとは分からない。けど、そうなればどうなるかということは知っている。どうなるのか。それは死ぬのだ。死んでしまうのだ。それは例外なく人であろうが動物であろうとも関係なく死ぬ。

 けれど、ウチはそうならなかった。

 刺されたことは驚いたし洒落にならない位に痛い。けれどもウチは倒れることなく、菊永漣の顔を見て笑ってしまった。

 笑わずにはいられなかった。だって、だって本当に死なないんだから。

 さっき腕を斬られてそれが治ったのには驚いたけど、でもまさか心臓を貫かれて生きて、さらに立っていられるなんて思っていなかった。

 それが本当だと自分で分かって、もうこれは笑わずにいられなかった。

 多分痛々しく笑っているなんて言う程の顔はしていないと思う、でもでも心の中ではもう大笑いだ。叫んでいるほどに笑っている。

「ビャアッハッーーーーハッハアアア、アーーッハヒャアア」

 そう、まさにこんな意味も分からないような叫びのような笑い声を、ウチは心の中で上げているのだ。

 だけど今本当に声を上げているのは目の前にいる菊永漣で、その顔はさっきまでとは別人の、目を瞳孔まで見開いて殺すことしか頭にない顔をしていた。そして声は笑っているというよりも、それはもう叫び狂っている声としか聞こえない。

 ウチは突き刺されていた刀を一気に抜かれ、その時に訪れた激痛と解放感に足の力が抜けて膝を着く。

 だが、それも束の間で菊永漣は刀を上に振り被り、そしてそれを勢いよく振り下ろす。

 ウチは真っ二つに斬られても生きているだろうけど、でもそれは頭で分かっていても体は勝手に動いてしまう。

 右腕をとっさに顔の前に出して刀を腕で受ける。でも腕で刀を受け止められるはずがなく、ウチの腕は斬られ、その先の感覚がブツリと無くなり血が噴き出して宙に舞う。

 瞬間の事だったので痛みはあったのもの、それよりも自分の腕が無くなったという驚きの方が強く、その腕が無くなる恐怖の方が濃かった。

 でも、それも一瞬だった。

 まだウチの腕が宙を舞っているその間に時間が逆に戻る様に腕が、血が、ウチの本体といっていいのだろうか。そっちの方へと戻りくっ付き、何も無かったように指先が動く。

「………………」

 それを見た菊永漣は、真っ青な顔になりウチを見降ろしていた。

 それはそうだろう。死なない、腕を斬り落してもすぐにくっ付いてしまうなんてまさに妖怪か化け物でしかない。

「――ウチは昔、自分では全然覚えていないんだけど、死に掛けたことがあるらしいの。その時に人魚の肉を食べて死なない体になった。その話しが本当かどうかはわからないけど、でも体だけは死なない」

 菊川連の口は戦慄き、そしてまた、

「ギャアアアァーーーッハ ワッヒャャァアァァァアッッ」

 甲高い声を喚き散らしながら横一線に刀を振るう。

 するとウチの首に冷たいものが走り、かと思うと突然焼けた鉄でも押しつけられたように熱く痛く、そして口の奥から大量の鉄の味がする液体が溢れて口から吐き出す。けれどそれが地面に落ちる前にウチの首に戻り、痛みも無くなる。

「ビャーーアアアアハッッハハアァァァァーーーーーッ」

 さらに叫びながら斬られる。

 痛かった。止めて欲しいくらい痛かったが、こんな痛みなど比じゃない位に空木さんは苦しみに耐えていたのかと思うと、本当に謝っても謝りきれない程の事なんだと今更ながら感じてしまう。

 ううん、空木さんだけじゃない。椿さんにしても藤にしても菫にしてもその他の名前も知らない私の分身達もそうだ。何らかの実験を行わされ、悲惨な目に合わされていたのは事実だ。それもこれもウチがいたからで、そう考えるとこれは罰じゃないかと思う。

 だから受け入れるように斬られ続けた。こんなことしかウチは出来ないから。

 それが斬られる続ける理由の一つだった。

 そして、もう一つ斬られ続ける理由があった。

 それは目の前の菊永漣だ。

 この人がウチを斬りつけながら、何故かどうしてか分からないけれど――泣いているのだ。

 その目は妖怪を見たり化け物を見たりして怖がり怯えているのではない。必死に、必死になって何故死なないのかという目をしながら斬りつけ泣いていた。

 それは信じていたモノに裏切られたような、知らない方が幸せだったのにそれを知ってしまった。そういう目だった。

 その目を見ていると「止めて」という声が出ない。

 だって、その気持ちはウチが今日この街に来て知ったのと同じだからだ。だから、それを受け止められなくても、それでも理解するまでウチは、ウチに出来ることならばそれをされ続けられてもいいと思ったのだった。

 どれくらい斬られたか分かららないけど、気付けば菊永漣は斬るのを止め、上を向いて肩で息をしていた。

 そしてしばらくはそのままだった。

 それはウチにしても自分の心の整理をするのに丁度よかった。だって頭では分かっていても、ここまで死なない体だと知ると正直言って受け止めるまでに時間が欲しかったのだ。

「花は綺麗な花びらをいっぱいに、その命は儚いけど、でも精いっぱい開けて咲いて、そして散って行く。そう思っていた」

 ウチは別に菊永漣に語りかけるわけじゃなく、自分を言い聞かせるために声にして自分に語りかけた。

「でも本当は違ったんだ。自分の名前が華だから、生きている、精いっぱい花びらを咲かせている時には必死になっていつ死んでもいい様に、悔いがない様に生きていこうと思ってた。けどこれじゃあ、こんな死なない体じゃ儚さなんてない。……違う。死んでいるのと同じなんだから、もう花びらなんて付いてない散って何もないのと同じだ。どの道ウチには儚さなんて無い。ウチはあの病に侵されたときにとっくに死んでいたんだ」

「………………」

「儚さがない花なんて作りモノの花と同じ。いやそれ以下だ。作りモノの花は作りモノとしての価値がある。でもウチには価値がない。儚さもなければ価値もなく、なんだこれ。ウチって生きてることすら意味ないじゃん」

 「ははは」と空笑いが出る。

「………………」

「なんでウチは生きてるんだろう。ウチに生きて欲しいと願った父親も母親も殺されてもう居なくなった。唯一の肉親だと思っていたおじいすら本当は自分のおじいじゃない。誰の為に生き続けているだろう。こんなことなら、こんなことになるなら――死なない体なんていらなかったのに……」

 ウチは玄関の前にある石臼を思い出した。誰からか必要とされて置かれたままになっている石臼。でも今じゃあ誰にも使われる事なく、ただただあるだけの石臼。今のウチと一緒だ。忘れ去られる事は無くても本当に必要とされない。役目を終えたと思ってもいいモノだ。後は無くなっていくのを待つだけのモノ。

 そう考えると目から涙が溢れて頬を伝って流れ落ちた。そしてもう一つ流れ落ちようとした時、

「……それはお前が、誰かの為に生きたいと思っていないだけだ」

 静かに、いつの間にか雨が止んだ静けさで満ちた空気の中で、上を向いたままの菊永漣はそう言った。

「……人を想い、その人間の為に生き続けたいともがいたことが無いからそう言える。それに、今はいなくても、お前の事を大切に思ってくれる者が出来た時、そいつがお前を失わなくて済む。苦しまずに済む」

「…………」

「……儚い花は美しいが、時には醜く凄惨に散っていく。文字通り目を背けたくなる程に。だがお前は違う。もう花が散っているというのならそれを見せずに済むんだ。自分では咲いた花が良いかもしれないが、違う人間から見れば咲いていようが散っていようがそれがお前だ。そして時には散ってしまっている方がいい場合もある」

「…………」

 静かに坦々と話している声には何故か悲しみが籠もっていた。

 この人は誰かは分からない、分からないけど大切な誰かの散って行く姿を見たことがあるのだろう。それは儚くて、儚過ぎてそれを忘れられない。そう考えるとウチを斬っている時に見せた、あの耐えがたい想いをぶつけた顔はウチを通してその人を見ていたのかもしれない。

 それを思うとウチはなんて幸せなんだと思う。だって死なないのだから。どんなに斬られても、潰されてもそれが、その姿が妖怪よりも化け物のように惨たらしくても、それでも生きている。生きていけるのだ。

 悲しませずに済む。

 もしそれを見ておぞましく思われても、苦しむのは、悲しむのはウチだけで済むのだ。

 苦しむのも悲しむのも嫌だけど、それでも誰か大切な人を苦しませ悲しませるよりもマシだ。

 そう思った時、不意におじいと繭の顔が浮かんだ。

 あの二人を悲しませたくない。もしウチが死なない体じゃなかったら今頃には死んでいて、帰らぬ人になっていた。そうなっていればもう二度とおじいにも繭にも会うとは出来なかった。

 おじいも繭も悲しむだろうし、ウチも悲しい。

 だからこれで、これが良かったのだ。もう散ってしまっていた花で、良かったのだとそう思えた。

 そう思えたのだけど、でも、それじゃあ、

「――それ以外の人はどうなるの?」

 ウチは良かったと思えた。けどそう思う事でウチ以外の、例えば目の前にいる菊永漣はどうなるのだ。

 菊永漣が引きずる、誰かが散った事に対しての苦しみ悲しんでいる気持ちがそれじゃあ消えない。だって、世の中にすでに散ってしまっている人間がいると知ってしまえば、その方法で悲しまずに済んだと思えてしまうから。

 人は絶対に散ってしまうと分かっていても、いくらそれが頭でも分かっていても受け入れられない。

 ウチはこの旅でそれを見て来た。散ったのが命じゃなくても、それがその人自身の姿だったり、想いであったり、希望であったり、それぞれがそれぞれを受け入れられずに生きていた。

 そして苦しんで悲しんで、どうにか立ち上がったり立ち上がれなかったりする。普通はそうなのだ。だけど、ウチは普通じゃない。

「それは違う。散るから大切に出来る。散ってしまうから大切にしようという気持ちが強くなる。いつまでも居る、いつまでも想われてる、幸福がいつまでも続く、そう思うよりいつまで一緒に居られるか分からない、いつまで想ってくれるか分からない、幸福がいつまで続くか分からない、と想う方が人はそれを大切にしようとするものだから。だから散っていることに胸を張って、誇りに思って、自分らしいなんて思っちゃダメなんだよ。そう想う事がそうじゃない人達を苦しめることになるから……」

 普通じゃない人間が自分を普通と思ってはいけないのだ。

 確かにそれが普通から飛び抜けているならば良い方向に考え、その能力を使って皆を幸せにすればいい。

 でも、それが普通以下の普通じゃない人間は周りに合わせ、居た堪れない程の気持ちを持ちながら生きていかなければならないのだ。だってウチはもう散ってしまって歳を老って死ぬことがあってもそれ以外で死ぬことがない、普通から見たら下の、底辺の人間なんだから。

「周りは羨ましく想っても、でもウチだけはそう想っちゃいけない。想う事は散っていった、皆の綺麗な、儚い華を侮辱する事だから。だから――決してそう想わない」

 ウチは結論を下した。

 きっちり自分が納得した場所に降り立った。そういう感覚があった。

 そしてその感覚と共に重かった体が自然と軽くなる。地面に押しつけられていたのが今ではどこまでも飛んで行けそうな程に軽い。

 ウチは立ち上がって、

「うう~ん」

 と唸りながら伸びをする。

 それを菊永漣はボーっとした生気の無い顔だけをこちらに向けて見て、

「……お前は自分を特別だと思わないのか?」

 聞いてきた。

 それに対してウチは腕を下に降ろしながら息を吐いて、

「思わない」

 きっぱりと言った。

「ウチは特別でも普通でもない。強いて言えば化け物だ。人から気持ち悪がられて疎まられ、絶望に追いやっていく。非道で残酷過ぎる化け物。と同時に儚い華に憧れる化け物でもある。ウチは人以下のそういうモノと思って生きていく。今まで散って行った人達のためにも、それを見て来た人達のためにもそう決めたんだ」

「………………」

 ウチは菊永漣の顔を、生気の抜けたような目を一直線に見て、そして言う。

「だから、もしあなたが死なないウチを見て何かを恨んで怒って悲しんだとしたら、ウチも同じだけ恨んで怒って悲しんで上げる。そんな事しかウチには出来ないけど、それが死なない体を持つウチの義務だと思うから」

 何が正解で何が間違っているとか言う事はウチには分からない。でもウチはウチが思うままの、感じるままの事を言った。

 後はウチ以外の人間がそれでそう思うかだけど、

「………………ふっ」

 笑われた。

 しかも鼻でバカにするように笑われてしまった。

 だけど、目を閉じ、もう一度開いた菊永漣の目は何故か綺麗で、雨が上がり雲の間から現れた半分より少し欠けた月もあいなって、輝いて見えた。それはそれは綺麗で、見入ってしまう程の眼だった。

「…………」

 ウチがその眼に見入っていると、菊永漣はクルリと背を向けて、

「……行くぞ」

 言って歩き出した。ウチは、はっと我に戻り、

「行くって何処に?」

 追い掛けながら聞くと、

「……お前の依頼を終わらせにだ」

 と答えた。


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