華と漣の物語り【六】
路地の裏は何処でも一緒なのだろうか。長屋等が立ち並び、何とも言えない薄気味悪さが立ちこめている。
今は雨が降っているせいなのか、そんなことは関係ないのか人っ子一人いない。
そんな時、何処からともなく、
カランコロン カランコロン
とこの路地裏の空気には似つかわしくない陽気な音が聞こえ近づいてきた。
見ると桃色の着物を着たウチと同じ歳か少し上かという娘が、桃色の傘を差して片足で交互に軽く跳びなら鼻歌交じりにご機嫌そうにやってくる。
ウチは以前の事があったので迷ったが、それでも今は他に誰か見つかりそうもなかったので決心を固め、
「あの!」
と声を掛けた。すると女の子は足を止めウチを見て、
「はいはい、どうした!? 傘も差さずにそんなに濡れて。水も滴る良い男とは言うけれど、水に滴っても女は色気が増すばかりだよ。ん? 良い女になってるじゃん! あたしも傘を差さずに帰ろうかな。そしたら良い女になれるかな。いやいやもうなってるとかお世辞は良いって。ってあれ? 何だっけ?」
「…………」
な、なんだこの人。ウチは一言声を掛けただけなのに早口の何だか歌うように、さらに身ぶり手ぶりを付けて喋って来た。変な人に声を掛けてしまったようだ。
けど今更引くわけにはいかず、
「え、えーと、ウチは情ほ――」
傘を持っていない方の手で口を塞がれた。そして口から手を放して、にこやかな顔で掌を上に向ける女の子。
これってやっぱり渡せって言われているんだよね?
「…………」
ウチは手に握っていたモノを女の子の掌に置くと、それを見てうんうんと頷きながら、
「困ってるね~。凄く困ってるんだねえ~。人生困った事が多くて困っちゃうよね。もう困った困ったで何に困っているのかさえ分からない程に困っちゃってるんだねえ。でもでもそんな時だからこそ歩いて前に進まなきゃいけないんだよ」
そう言うとクルリと後ろを向き、歩いてきた道を再度今度はゆっくりと歩きはじめる。
ウチが手渡したのはお金で、小納寺さんがウチを連れていくために渡した一朱だ。取られずにまだ残っていた。そしてそのお金で知りたいことがあったのだ。でもこの人が何なのかさっぱり分からず、渡して良かったものか今更不安になる。
「ち、ちょっと、あのウチは人を探していて――」
どしゃぶりの中追い掛けるウチを見ようとも傘を向けようともせず、まあもうウチはびしょ濡れなのでもう傘を差しても差さなくても一緒なんだけど、それでも人の話しも遮って女の子は話しをし始める。
「人と人との結びつきなんて薄くて脆くてすぐに壊れてしまうモノだけど、なぜか縁だけは濃いんだよね。一度道端でバッタリ会っただけなのに何故か意外なところでまた会ってしまったり、そんな時に赤い糸で結ばれてるんじゃないかって思うんだよね。でも実際はただの偶然・奇縁の産物であるだけの勘違い。まあ勘違いと言えば菊が永遠向こうまで続く場所にはサザナミなんてものは起たないんだけれど、でも風が吹けばそういう風にも見えるわけで、それを見たいという人もいるわけだ」
「いや、縁も菊の話しも……?」
今この人なんて言った? 菊が永遠向こうまで続く場所にはサザナミとか何とか。それって偶然? この中だけでウチが探している人の名前があるのだけど……。
「人は一人じゃ生きられなく頼り頼られ支えられていくものだけど、あまりに頼り切るのは見ていて良いものじゃない。でも意中に思う殿方には是非とも自分の全部をさらけ出し、全てを支えてもらいたいものだよね。それでも長年一緒にいれば、これでよかったのかとふと思ったりするわけで。しかしその時にはもう時すでに遅しの覆水盆に返らず。そうなってからではだめだめだめって事だよね。よくよく考え結婚はやっぱりしなくちゃね」
「…………」
「ああ、そうそうあたしの名前は宮綛真瑚。用があってもなかっても、呼ばれれば行ったり行かなかったりの齢十六の女の子」
「あっ、はい。ウチは華って言います」
「華、良い名だね。煌びやかだね。煌びやかと言えばきなこが付いたおはぎも煌びやかだね。見ていて惚れ惚れする程煌びやかだよ。けどあたしはきなこが付いたおはぎが怖いんだよね。まんじゅうじゃないよ、きなこが付いたおはぎだよ。きなこが付いたおはぎが怖くて怖くて仕方ないんだよね。押しつけられると泣いてしまうぐらい怖いんだよ。ああきなこが付いたおはぎ怖い怖い」
言いながら目がキラキラして涎が垂れそうになっているのは気のせいだろうか……。
と言うか、なんだかすっかりこの宮綛真瑚という人の雰囲気に呑まれてしまっている。
そんな今まで明るく、何を言っているのか分からないけど絶え間なく話しをしていた宮綛さんが、唐突に顔を、真剣な眼差しをウチに向けられると息が詰まってしまう。そんな感じになる。
「さてさて、そろそろ雨宿りでもしないと風邪を引く。この道の突き当たりを左に曲がると長屋が立ち並び、その左の手前から三つ目に丁度よく雨宿りが出来る場所がある。だけどそこは、行きはよいよい着けば怖くて帰りは帰れぬ場所となる。よくよく考え行く事だ。もしなにかあれば、あたしの名前を出せばいい」
そう言うと宮綛さんは来た道の方へとまた向いて、
「それじゃあ、煌びやかな女の子」
と左手を上げてヒラヒラ振って去って行った。
「…………」
初めて会ってウチの話しを全く利かず、意味が分からないことを話して勝手にここまで来て場所を言って去って行く。そんな人間を信用できるのかといえば、信用できるわけがない。
信用できるわけが普通はないのだ。だけど、あの人は最初から最後まで真剣だった。
半分以上と言うかほとんど理解不能だったけど、でも何故かウチの事を気遣い、心配し、そして知りたい事をそれでも教えてくれた。そんな気がした。
不思議と騙されているという気が全くしないのだ。逆に疑う方が失礼と思ってしまうほどの気持ちになる。
特に、最後のウチを正面から見たあの眼差しは、一直線で心の中に語りかけてくるような気がした。
だからウチは、普段なら疑ってしまうだろうけど、あの宮綛真瑚が言った事を素直に受け止め、言われた方へと足を向けることにした。
宮綛さんがいなくなり、今まで忘れていた静けさが取り戻されて不安な気持ちが広がっていく。
言われた通り突き当たりまで行くと左に長屋が立ち並んでいる。ウチは長屋の入口にある井戸を越えて、さらに左にある長屋の軒数を数えながら歩いてく。
一つ目
長屋はいつから立ち続けているのか、古ぼけて黒いシミがあちこちにある。ウチが住んでいた家よりも酷い状態だった。
そもそもこの両端に並ぶ長屋には誰かが住んでいるのだろうか? もう夜で暗いというのに明りは一つも付いておらず、食事の匂いや物音さえしない。寂れた小屋のような雰囲気だ。
二つ目
だけど今はそんな事よりも宮綛さんが言っていた最後の言葉、「行きはよいよい着けば怖くて帰りは帰れぬ場所」っていうのはどういう意味だったのだろう。多分何かの忠告だったのだと思うけど。
ウチが尋ねればどうなるのだろう。もしかするとまた牢に閉じ込められるという事になるのだろうか。それとも違う酷い目をみるとこになるのだろうか。
でも、それでも空木さんを助けてくれるのであればウチはどうなっても構わない。
だって、本来はウチにされる事を今の今まで空木さんが変わりに受けてくれていたのだから。これからは自由になって生きて欲しい。ただそう思うだけだ。だからウチは迷わない。
そして、三つ目……。
宮綛さんは三つ目と言っていた。ウチはそこで足を止め、戸を正面に生唾を飲み込む。
「…………」
ここにいるはずなのだ。ウチと面識はあると言えばあるが、無いと言えばない。それぐらいの面識で、唯一ウチがこの街で知っている人物。だって、その人に会うためにウチはやって来たのだから。
そう、菊永漣に会うために。
ウチは戸の障子を破らない様に木の部分を押すように叩くと障子が揺れ、
ガダン ガダン
と音を立てた。
それからしばらく待つが中から全く反応がない。仕方ないので中を確認しようと思い障子に手を掛けようとしたその時、中で何かが動く音が聞こえ、そしてそれが戸の方へ近づいてきて、
ガーーッ
と建て付けの悪い音を立てながら一人の男が姿を現した。
その男は体付きと顔は女性のようにスラッとしていて綺麗だったが、それを台無しにするぐらい髪はボサボサで着ている着物もボロボロ。さらに目には生気というモノが感じられず、ウチが初めて見た時と同じボーっとした表情をした紛れもなく、探し続けていた男、菊永漣がそこに立っていたのであった。
「………………」
菊永漣は見ず知らずの女の子が訪ねて来たはずなのに驚きもせず、ただ変わらない表情でウチを見降ろしていた。
「あ、あの、お願いがあって来たんですけど……」
ウチがそう言うと、菊永漣は畳に置いてあった刀と戸の横の傘を取り外に出て、そして向いの長屋の戸を勝手に開けるとそこからもう一本傘を取ってウチに差し出した。
ウチは首を横に振る。もう十分濡れている。これ以上濡れたところで何もかわらない。
菊永漣はそれを見ると取った傘を元に戻し、戸を閉める。中には誰か住んでいるような雰囲気が見えたが今は誰も居なかった。
すると菊永漣は傘を差して長屋の外へと向かって歩き出した。それをまたウチは追うように菊永漣について歩き始めた。




