華と漣の物語り【弐】
※
一人の侍が江戸の街外れの野原にある岩に腰掛けて夜空を見上げボーッとした、何を見ているのか分からない顔つきをしていた。見ている先に半分になった月があるためにそれを見ているのかとも思われたが、しかしそんなモノは目に入っていないようにも見える。
侍は体付きと顔は女性のようにスラッとしていて綺麗だが、それを台無しにするぐらい髪はボサボサで着ている着物もボロボロだ。
そして、そんな侍の腰掛ける岩の下には侍だった者が横たわっていた。今ではもう侍でも人間でも無く、腹部から大量の血が流れ出て、ただの死体と化していた。
今先程、ボーッとした顔付きの侍が斬ったモノだ。そして二週間で何人目かもう分からない程の誰かが侍を狙って送って来た刺客だ。
侍には何となく検討は着いていた。それは狙われ始めたその前に何をしていたかというのを思い出せばなんてことなく、それに依頼主の口から直接聞いている事でもあった。
「この刀を見た者は生きていて欲しくない」と。
そして侍は大いにその刀を見ていた。殺されるには十分な理由だった。
では何故急いで依頼主を斬りに行かないのかというと、人を斬るというのが侍にとって生きがいだからだった。だから江戸に戻って来ても目的である少女を斬るまで依頼主の元に行くつもりはなかったのだ。
それは斬ることもさることながら、斬られるという覚悟も必要なことだったが、そんなものは侍に取ってどうでもいいのだ。
ただただ人の命というモノは儚く、ちょっとしたことで無くなってしまう。それさえ確かめられれば十分なのだった。それが他人の命だろうが自分の命だろうが関係なく、ただ人は簡単に死ぬ、それさえ分かっていれば諦められるのだ。
そして、その確認を常に行っていなければ不安と後悔に押し潰されそうになるのだった。
「……………………」
侍は未だボーッとした顔で、春先とはいえまだ寒空の下で空を見上げている。
依頼された目的の少女は遊郭で火事があった街にいたところまでは分かっていた。しかし、そこからは何処に行ったのか全く分からず、知っている情報屋に手当たり次第聞いたが情報は無かった。
侍が考えられる事は三つで、一つはまだ江戸に着いていないということと、もう一つは江戸に向かわず違う方向へと行った。そして最後は来る途中で何かしらあって死んでしまったということだ。
一つ目は待っていればそのうちやってくるが、残りの二つは調べるのに手間がかかり、三つ目などは分かるかどうかも怪しいところだった。
それでも侍は何もかもどうでもいいように夜空を見上げている。
そして目には綺麗な半月が映し出されていた。
※
ウチは地面を両足で踏みしめ両手を胸の前で強く強く握り、そしてその手を思いっきり上に上げて叫ぶように声を上げる。
「着いたあぁ!!」
感慨無量。ついに、ついに念願の江戸に到着したのだ。思えば長い道のりだった。殺されそうになること二回に遊郭にも入れられ、拉致も二回程されたし。初めはみんな良い人だと思ってたけど……世の中って怖い。
そんな事を思い出し、未だにウチは両の手を上げながら涙を流しながら喜ぶ。周りからどう見られても今だけはいい程にウチは嬉しいのだ。
まだ目的は達成できていないけど、でも江戸にまで来たらもう終わったも同然で、菊永漣っていう人も江戸に居るってあのお姉さんも言ってたし。 え? 帰りもあるんじゃないかって? ……………………。
「とにかく! 着いたんだーっ!!」
ウチは振り払うようにまた叫ぶ。そしてその横を通る親子の子供に指をさされ、「頭おかしなお姉ちゃん!」「見ちゃダメよ」というやり取りが聞こえて来るのはさすがにちょっと痛かった。
けどウチはそんな事は聞かなかった事にして、ひとまず江戸を散策するように鼻歌を歌いながら軽快に歩き出す。菊永漣っていう人が江戸に居るのは聞いたけど、何処に居るかまでは聞かなかった。でもまあ歩いてればそのうち見つかるだろう。
……と思ったのが甘かった!
江戸は広い! 広過ぎるよ!! 何このどこまで歩いても街を抜けない江戸的なもの! いや、江戸は江戸なんだけど、もう三時間は歩いているのに一向に小さく見えているお城が未だに小さいままなのだ。抜けるどころか江戸の中心にすら辿り着ける気がしない……。
こんな状態で一人の人を見つけようなんて、不可能に近い気がするのはウチの気のせいだろうか。
「……はあ」
溜息が口から出、お腹からはグーという音が出た。
「お腹すいたなあ……」
懐からボロボロの布の袋を取り出し、その中に入った大事な大事なお金を掌に出して見る。
このお金は江戸に着く一つ前の町で、どうにかこうにか頼みこんで仕事をさせてもらって稼いだお金だ。遊郭のところで全財産取られてしまって一文なしでも、どうにかここまで来られた。でも江戸では野宿が禁止だし、冷たいとも聞いた。だからお金を稼ごうと思ったんだけど……。
掌にあるお金をしげしげ眺めても増えることがない、その金額二〇文。かけ蕎麦一杯なら食べられる金額だ。宿屋はさすがに無理だよね。……どうしよう。
と考えていると、またお腹がグーとなった。
ウチは大きく伸びをして、
「よしっ!」
と気合を入れる。
考えてもしかないことだし、お腹が減っていれば考えられるものも考えられない。どうせ泊るには全然足らないんだから使ってしまえ。ということで、美味しそうな匂いがする蕎麦屋さんに足を向けて暖簾を潜る。
すぐにお姉さんが注文を聞きにやって来て、ウチは当然の事ながら「かけ蕎麦一つ。あと蕎麦湯も」と注文する。
そしてお姉さんが持って来たかけ蕎麦と蕎麦湯を一気に平らげた。
「あ~美味しいー」
至福の時。その後少しゆっくりしていたかったけど、これからの事を考えるとそうもしていられない。
蕎麦湯のおかわりを貰い、それを飲み干すと一息吐いてウチは立ち上がり店を出た。
そして、店先で伸びをして気持ちを切り替えようとしていると、
「もし、お嬢さん」
と肩を叩かれた。
「ん?」
振り向くとそこには眼鏡を掛け長い髪を後ろにまとめた男の人が、優しく微笑みながら立っていた。顔はシュッと細くて目は細く整った顔つきは知的さがある。
そして、
「江戸は初めてですか?」
と聞かれた。
「は、はい……」
ウチは警戒しながらも聞かれた事に答える。見た目は良い人そうなのだけど、いきなりなので当然だ。
それを聞いて男の人は、
「そうですか。江戸はなかなか大変なところですが。もう泊るところはありますか?」
「……??」
何なのか分からずウチの眉は自然と寄って訝しげな顔になる。それを見て取ってか、男の人は慌て両の手を振り、
「いやいや、すみません、突然失礼な事を伺ってしまって。私は浮世絵師をやっております、斎藤という者です。それであなたがあまりにも今描きたい女性の理想そのものだったものですから、ついついお声を掛けてしまいました」
「はあ……」
「それで、変なことを聞いてしまったのはあなたに被写体になって貰えないかなと思いまして。もちろん、お代はそれなりにさせて頂きます」
そして「江戸の宿は高いですからね」と付け加える。
う、う~ん、魅力的なお話だ。でも突然のこと過ぎてやっぱりちょっと疑ってしまう。
それにちょっと気になるのが、と斎藤さんの後ろにいるお侍さんに目をやると、
「ああ、彼は私の護衛をして頂いておりましてね。江戸は物騒ですし、私もちょっとした有名人なものでして」
と苦笑いをして「参ったものです」と言う。
「…………」
お侍さんはこちらをあえて見ようとしていない感じに、少し余所余所しく横を向いたままだ。
「別に浮世絵と言っても着物は着たままで大丈夫ですし、描くのも今日だけです。それで、ひとまず――」
と斎藤さんは近づいてきて懐から何かを摘まみ出し、ウチの手を取って渡すのではなくあえて握らせ、スッと離れる。
ウチは握らされた手を広げて中身を見ると、そこにはお金が入っていて、
「!?」
そして驚いた。えーっと、これって、き、き、金貨ってやつですよね。
もちろん両ではなく、分でもなくて朱なんだけど、それでもこれ一枚でウチが持って出た全財産よりもちょっと多くある。
「それで一回分の宿と食事は大丈夫でしょう」
「…………」
……これで一日分だったのか。全財産持っていても一日しか泊れないとは、江戸は怖い。
「それは前金として、描き上がれば同じだけをお支払いするというのはどうでしょうか?」
ウチの現在の全財産は四文。一朱とまでもいかなくても今日中にそれぐらい稼がなくてはならないとなると……絶対ムリな話しだ。それこそ身売りをして一日どこかの家に泊めてもらってという方法しかない。それだけは何があっても嫌だ!
となると、
「……ただ立つか座るか、していればいいだけなんですよね?」
念を押すように聞くウチに、斎藤さんは優しく微笑んだまま、
「ええ、それで構いません」
「それじゃあ、宜しくお願いします!」
ウチは諦め、そして腹を括った。
まあ初めての事なのでちょっと警戒しているだけで、一度してしまえば要領も分かるしなんてことないのかもしれないしね。
「ありがとうございます。いやー本当に助かります」
斎藤さんは喜んで、
「それでは早速行きましょうか。さっ、こっちです」
ウチの横に来て手を指し示し、背中を軽く押して歩かせる。
そしてその時、少し鼻に着く鉄のような臭いがした。
「??」
それは斎藤さんからで、けど斎藤さんと歩き出すと臭いはしなくなったので、
(何だろうさっきの臭い……)
と思いながらも消えてしまったのですぐに気にしなくなった。
斎藤さんに促されるように歩き出し、江戸の街外れと言ってもいいようなところまで来ていた。
道は二人並んで歩ける程の幅しかなく、木も至る所に生えていてこれはもう森と呼べるのでは? と思えるところだった。
そんな場所で人に出くわすことは無く、逆に今にも猪と出くわしそうな雰囲気だ。
そんなことはお構いなしに斎藤さんはあれやこれやと話しをし、そしてようやく、
「見えてきました。あそこが私の研究所でして」
と指を指した先には家というよりも倉庫といった方が良さそうな、板張りの四角く大きな建物があった。
そして斎藤さんの言葉を一つ疑問に思い、ウチはそれを口にする。
「研究所……?」
「ええ、研究所ですよ」
そう言うと斎藤さんはおもむろにお侍さんに近づき、
「あそこで色々な研究を行っているんですよ」
言い切る手前でウチに勢いよく振り向き、
「でも浮世絵の――っ!?」
そして、ウチの声はそこまでしか出なかった。いや、正確には出せなかった。
それは振り向いた斎藤さんの手には一本の、よく手入れされた綺麗な刀が握られていて、多分お侍さんが差していた刀だろう。そしてそれを振り向きざまに横一線に振って、ウチの首に当たったような気がしたのだ。
それは一瞬のことだったので分からないけど、でも次の瞬間に視界がグルンと一周したように思えて、それでもってちょっと高い視点から斎藤さんと、青が基調の綺麗な着物が見え、そしてそして、ウチは何が何だか分からず、考えられないまま、そこで意識が――ブツンと切れた。




