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八千代と紗江と雅助と翔太の物語り【八】

「…………」

 人間あんなに怖い顔になれるモノなんだと初めて知った。

 憎しみ。

 それだけが雅助さんの心にあって、雅助さんを突き動かしている。そんな感じがする顔だった。

 本当は優しい人なんだと思う。昔から優しくて人が良くて、だから自分勝手で横暴な翔太さんを、それだけじゃない。翔太さん以外にもみんなに気を使ったり接したりしてきたのだろう。

 だから知らないうちに不満が、一番は翔太さんにだろうけど、溜まっていって、こんなことになったのではないだろうか。

 不満はずっとは溜めていられない。ウチは溜める甕がザルだからすぐに怒ったり愚痴ったりするけど、でもそうじゃない人は甕いっぱいに溜めて爆発する。

 誰かが自分の事を想って欲しいというささやかな望みすら手に入らず、あまつさえ一番想っていてくれていたはずの女性も奪われた。きっと周りには何ともない顔をしていたけど、孤独な人生を歩んできたのだろう。

 ……でも、雅助さんは紗江さんと結婚している。それってお互い想いやってということなんじゃないのかな? それともこの村は小さいから他に相手がいなくて残った者同士ということも考えられるけど。実際はどうなのかわからない。

 ウチは縛られたフリをしていた手を後ろから引っこ抜き、猿ぐつわを外して右手を甲を眉間に置いて、

「……ふうぅ…………」

 深い溜息を吐いた。

 全部が憶測の事でしかなく、いくら考えても答えなんてわかるはずもない。

 そもそも答えなんて今の状況で必要でも何でもないことだ。

 だって、分かったとしてもウチには何かして上げる事なんて出来ないだろうし。

 そりゃあウチが座敷童なら雅助さんのこれからの人生が幸福なぐらいの事をして上げてもいいけど、ウチは座敷童じゃない。どうしようもないのだ。

 綺麗なお皿は、別にお皿じゃなくてもいいんだけど、それにそういうのはウチはあんまり分からないんだけれど、でも見ているだけで癒され幸せになれるモノだ。

 けど、ウチを見ても誰も幸せと思ってくれないし、何かをして上げても幸せと感じてくれる事はないだろう。

 まあ、おじいや繭は幸せに思ってくるかもしれないけど。いや、思って欲しいところなんだけどね。でも皆を幸せに思わせるだけのモノをウチは持っていない。

 そう考えたらウチはあの割ってしまったお皿以下の人間だよね。凹んでしまうけど。でもそんな人間だ。

 雅助さんはウチを座敷童と思っている。けど実際は普通の人間なんだからいくら経っても何かが起きるはずはない。それを知って落胆するかもしれないけど、でもそれを分かって自分で納得してくれるのを待つことが、今のウチにできることなのかもしれない。

 何も出来ない人間。それを分かってもらえるのであれば一週間でも二週間でも一ヶ月だって待ってもいい。

 こんなことしか出来ないけど、それが今のウチが出来る雅助さんを想ってあげられる事だ。

 あとはきちんと現実を受け入れてくれることを願うだけ。

 ちょっとおじいと繭のところに帰るのは遅くなるけれど、これからどうするかと決意は固まった。

 ウチは立ち上がって思いっきり伸びをして、

「う、う~~ん」

 唸り声を上げてから大きく深呼吸をする。

 あとはこの事を他の人に、特に翔太さんには絶対に見つからないようにしないといけない。見つかったら今度こそあの地下牢から出られないだろうからね。

 それに今の雅助さんは何をしでかすかも分からない状態だし。

 そう思いながら今度は立ったまま膝を曲げずに腰を折って両手を地面にピタリと着ける。

 ウチはこう見えても体が柔らかいのだ。今は着物を着ているから無理だけど、足だって真横に開くし、そのまま前に倒れて床に体を着くことだってできるのだ。ん? 胸が無いから着くだって? うるさいっ。

 ウチは固まっている体をそうやってほぐしていると不意に錠が弄られる音がした。

「……っ!!」

 雅助さんが来たのかもしれない。ウチは焦ってしまう。だって、ウチの手足には今縛っているモノは無いし、口だって自由だ。こんな状況を見られたら変な誤解を招きかねない。

 もっとキツく締め上げられるかもしれないし、下手をすれば逃げ出そうとしていたと思われて殺されるかもしれない。

(どうしよう! どうしよう!)

 ウチがあたふたとしながら考えている間にも、錠は外されて戸に手が掛けられる。

 仕方ない。もうなるようになれで、後は言い訳でどうにかするしかない。

 出て行ってた状態の雅助さんに口でどうにかなるとは思えないけど、そこはもう神様に頼るしかない。どうかどうか、出来る限り冷静で優しい雅助さんでありますようにっ!

 そして戸が開き、手に汗握りながら祈りながら開いた戸の先を見ると、そこに立っていたのは何と、

「っ!!」

 紗江さんだった。

 ウチは予想外過ぎて、驚いて止まってしまった。

 まさかまさか紗江さんが入ってくるなんて思わなかった。てっきり雅助さんだと思ったし、もしかしたら翔太さんということも頭には浮かんだけど、でもまさか紗江さんが現れるなんて思いもよらなかった。

 だから頭の中では雅助さんにどう言い訳をするのか考えていたけど、それが紗江さんだった場合なんて考えてもいなかった。

 だから思い着いた事をそのまま口が勝手に喋ってしまう。

「……か、か、隠れんぼしてたんだ。見つかっちゃったね~、あははっ」

 声も上ずって裏返り、笑いもするがウチの顔は笑ってなんてない。必死そのものだ。傍から見たら笑える顔だと思うけど。というか隠れんぼってなんなのだ。言い訳にしても苦し過ぎる……。

「あははっ!」

 もう開き直って笑った。顔は笑えてないけど……。

 でも紗江さんになら、あれだけの天然の持ち主ならばこれでも通じるかもしれない。だからもうこれで吐き通そうと思った。もう当たって砕けたような音がしてるけどね。

 そしてそんな紗江さんの反応はというと、やっぱり意外なモノで、いや、意外過ぎて意外過ぎて、冷静になってしまう程の意外な反応だった。

 だって、

「ごめんなさいね」

 と諭すように謝られてしまったのだから。

「…………」

「雅助さんは悪気があってこんな事をしたんじゃないの。許して上げて、というのは虫の良い話しになってしまうけれど、恨まないで上げて」

 そう言いながら小屋の中に紗江さんは入って戸を閉めた。

「……知っていたんですか?」

「何となく分かっただけ。事情も半分ほどしか分からないしね」

 そう言って紗江さんは苦笑いをする。

「でも、それで十分よ。あなたにどれだけ迷惑を掛けたかもわかっているし、雅助がどれほど苦しんでいるかもわかっているわ」

 全てを受け入れたように目を瞑り、小さく頷き、そして紗江さんは雅助さんのことを語り始めた。

「雅助は今でも八千姉のことが好きなの。八千姉も優しい人だった。だから私もお似合いだと思っていたわ。本当のところはわからないけど、二人は付き合っていたんじゃないかと思うのよね」

「…………」

「でもある時、八千姉のお腹の中に子供がいることがわかったの。私は初め雅助との子供だと思ったから落胆したわ。だって、私は昔から、八千姉の横でずっと雅助の事を見て、雅助の事が好きだったんだから。だから、お腹の子が翔太の子供だと分かった時は八千姉の事を可哀想にも思ったけど、ホッとしたのも事実だったわ。八千姉と翔太の間に何があったのかは知らないけど、でも翔太が言い包めたんだと思う。それからすぐに二人は結婚したの。八千姉はそうじゃなかったけど、翔太は幸せ……ううん、満足そうだったわ。だって、八千姉は綺麗だったし、優しくて思いやりもあったから、手に入れた事に優越感があった。そんな感じだったのよね」

 紗江さんは間を置き、小さな溜息を「ふっ」と吐いてから、

「だから、そう、八千姉の子供が早産で死んじゃった時は苦笑いして、悲しそうというよりも困ったっていう顔をしていたわ。初めから愛情なんてなかったのね。そんな翔太に変わって雅助は凄く心配していたし、悲しそうでもあったわ。そんな二人を見ていて歯がゆかった。雅助にそこまで想われる八千姉が羨ましかったの。その時はまだ私と雅助は結婚していなかったから。だからこの期に八千姉は翔太と別れて雅助と一緒になるのかとも思ったけど、でも一度翔太の妻になったのだからけじめはきっちりしたいって、翔太と別れることはなかったわ。そしてこの村では若者はあと私と雅助ぐらいだったから、村長の勧めもあって私と雅助さんは結婚したのよ。それに対して雅助はすんなりと受け入れてくれたわ。もう八千姉と結ばれる事はないと諦めたんだと思う。けど、分かっていても気持ちは変わらないものよね。私に対しては優しく接してくれるし良い夫としていてくれるの。それは本当に嬉しいと思うわ。けど、やっぱりどこかヨソヨソしい、幼い頃から一緒だから気兼ねなんてないんだけど、でもやっぱり心の底から想われてはいないのよね」

 紗江さんは苦笑いをしながら、少し寂しそうに言った。

 そして、「それでも」と続ける。

「私は雅助の事を好きなの。雅助は両親が病気がちで私達よりも家の手伝いとかしていたし、それに翔太にもかなり苦労してきた。翔太からは逃げられないし、私じゃ今までに出来たたくさんの傷や穴はなかなか埋まらないと思う。けれど、でも私はそれを埋められるだけのことをして上げたい。少しずつでもいいから直して上げたいの。私には華がどういう目に遭ったのかは分からない。それが謝って許される事なのかも分からない。謝っても許せないなら私をどうにでもして良いから、だから、だから雅助を恨まないで上げて」

 そう言うと紗江さんは膝を折って地面に着け、両の手も地面に着ける。

「っ!」

 ウチは紗江さんが何をしようとしているのか分かったので慌てて駆け寄り、

「さ、紗江さん! そこまでのことはされてないから、何もされてないから」

 言ってウチは紗江さんの両肩を持って上半身を起こす。 

「雅助さんは悪くない、とは言えないけど、紗江さんは何も悪くない。そんな紗江さんに謝られてもウチは嬉しくないよ。それに、雅助さんのことも仕方ないとウチは思うし。だから、紗江さんは謝らなくていいから」

「ありがとう……」

 紗江さんは悲しいのか、それとも嬉しいのか分からないそんな顔をしながら涙を流した。

「それに、されたことといっても大したことじゃないから大丈夫ですよ」

 実際、最近自分の身の上に振り掛っている事を見返したら、ただ縛られて鎌で脅されたことなんて大したことない。

 ウチが悪いとは言え、翔太さんの方がよっぽど酷い扱いをされるところだったし。

「雅助はもうちょっとしたら帰ってくると思うわ。その前にここから出て小屋の裏に隠れていて。帰ってきたら私が家の中に入れるようにするから。それから翔太は川の方に行ったわ。二人に見つかるとややこしそうだから、見つからないように村から出てね」

「……ウチならもう少しここに居ても大丈夫ですよ。それに雅助さんが分かってくれて諦めて、前に進めるならウチとしてもその方がいいですし」

 紗江さんが何処までのことを知っているのか分からないけど、さっきウチが考えていたことを口にすると紗江さんは首を横に振り、

「ううん、大丈夫よ。これは雅助が越えなければならない問題であって、私がどうにかして上げなければならない問題でもあるの。誰かに迷惑を掛けてまで解決する事じゃないわ」

 そう言って紗江さんは優しく笑った。

 その顔には迷惑も面倒臭いという気持ちもない。ただ心が寄り添える事が嬉しそうな、そんな顔だった。

 紗江さんは雅助さんを想い続けている。雅助さんが八千代さんを想うように雅助さんのことを紗江さんは想っているのだ。

 雅助さんは自分をもっと想って欲しいと言っていた。けど、こんなにも近くに自分のことを想ってくれている人間がいるのにそれに気が付いていない。それは幼馴染ということや自分に一番近いところにいるからか、それとも八千代さんに未だに想いを寄せているかなのかは分からない。でも雅助さんが願っている事はもう叶っている。それに後は気が付かなければならないのだ。

「分かりました。そしたらウチは行かせて貰います。――けど、その前にちょっと待って貰えますか」

「?」

 ウチは紗江さんに背を向けて小屋の奥に入って行き、勝手にゴソゴソあさる。

 う~ん、やっぱりここじゃいいのがないか。仕方ないからこれとこれでっと。

 落ちていた木の札と釘を取ってさらにゴソゴソしてから、

「おまたせしました」

 と紗江さんの元に戻ると、

「この家には宝物なんてないよ?」

 不思議そうな顔をして言う紗江さん。

「……いや、ウチ泥棒じゃないですから」

 さっきまでまともだったのに、この天然は作りものなのだろうか?


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