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藤と鈴と杉三郎の物語り【五】

 険しい山の道なき道を体力が尽きるまで走りに走った。

「ここまでくれば……はあはあ」

 息を切らせながら木に手をついて、追手が来ないか後ろを見る。

 今は遊郭で着せられていた着物ではなく、東次郎さんに貰った着物を着ている。逃げる時に中に着こんでいて、着せられていた着物は適当なところに捨てたのだ。あんなゴツい前帯があっては走れない。

「そうだな。一旦休憩にしよう」

 鈴を支えている男性も息を切らせ、鈴を大きな石の上に腰掛けさせる。鈴は他に着るものが無かったので遊女着そのままだ。

「鈴、大丈夫……?」

「うん……大丈夫」

 微笑んではいるが、斬りつけられた腕に巻かれている桃色の布はほとんど朱に変わっている。それに眉間にシワがより、眉はハの字というよりノを左右対象に書いたような痛々しい顔つきだった。

 遊郭は何件も軒を連ねる場所で、その周りをぐるりと木の板で囲まれており一つの集落になっている。出入りができるのは一ヶ所だけだったが、そこには監視といざこざが起こった時の為に警備が何人もいる。

 そうなるとそこからは逃げ出すことが出来ないので、あらかじめ壊していたのだろう塀から抜け出した。

 だが、その際見回りをしていた警備に見つかり鈴が斬りつけられてしまったのだ。

 それからどうにかこうにか追手を振り払い、街の裏手にある山に入り込んで逃げている最中だった。

 ウチも斬りつけられたように思えたが着物だけで済んだようで無傷だった。

「ここから一番近い村とかってどこにあるんですか?」

 ウチは鈴を心配そうに見つめ手を握る侍に聞いた。

 この侍は杉三郎(すぎさぶろう)といい、鈴と駆け落ちするために二人で計画を立てていたらしい。そしてウチが昨日鈴がお客を取って行ってしまった後に目があった侍でもあった。

「ここからなら一日足らずでいける村があるが、そこはダメだ」

「ダメって。鈴がこのままだったら危ないんですよ!」

 声が自然と荒げてしまい、怒鳴る様に言う。

「そんなことはわかってる。だが、近場に行くとなると追手が待ち伏せしている可能性も高い。そうなれば俺達だって危ないんだぞ!」

「……」

 確かにそうだ。闇雲に追うより、行きそうな場所へ先回りした方がよっぽど捕まえれる確率は高くなる。それを考えないほど向こうも馬鹿ではないだろう。

「華、大丈夫だから……。別に喉を斬られたわけじゃないんだし……」

 鈴はそう言うが、それでも痛々しい顔をされては素直に「そう」と頷けない。だが、杉三郎さんは、

「それじゃあ予定通りここから三日ほど行ったところにある町に立ち寄ろう」

 と言った。

「…………」

 鈴が斬られてたのはウチのせいでもあった。逃げる際にウチを先に鈴が行かせてくれて鈴は逃げ遅れたのである。

 だからそんな事もありウチはこれ以上、鈴にも杉三郎さんにも迷惑を掛けられなかったので黙る事にした。

「それじゃあ、そろそろもう少し行こう」

 杉三郎さんの言葉に鈴は「はい」と言い、ウチも頷き返した。

 それからどれくらい歩いたのか分からない。

 その間、杉三郎さんは鈴の手を取り、たまにチラリと後ろを歩くウチの方を何か伺うように目を向けられた。まあそれはちゃんと着いて来ているかの確認してくれているのだろう。

 そして遂に鈴の体力が限界に来て、歩けなくなったところでまた休憩をする事になった。

 火はさすがにおこせないので暗闇の、月明かりだけが射すだけの中、茂みに座って休憩をした。

 鈴は一旦横になると疲れのせいで寝てしまった。ウチは今まで野山を駆け回っていたので、疲れたが倒れるほどというわけではない。けど、鈴はずっと遊郭にいていたので体力はやはり少ない。それに怪我もしているので尚更だ。

 落ち着き、耳を澄ませるとどこからか水の流れる音が聞こえた。どうやら近くに川があるようだ。静かな静かな夜で、逆にちょっと静か過ぎて怖いほどだった。

 そんな時、杉三郎さんと目が合った。こっちを訝しげに見ていたところをウチが目を向けたのだ。

「……何か?」

 ウチが聞くが、「いや……」と目を離し鈴の方を向いてしまった。

 何だかよく分からない奇妙な人だ。何を考えているのかわからない、というか全てにおいて投げやりな感じのする人だ。

 そして、今気が付いたが杉三郎さんの顔はやたら憔悴している。この逃亡で神経を削ってというわけではなく、もうずっと疲れていているという感じだ。何かあったのだろうか。そして何かあったから鈴と駆け落ちをすることになったのだろうか。

 そんなことを考えるが、全くこの二人の慣れ染めを知らないので何にも浮かんで来ない。

 ウチは視線を落とし深く一息吐くと鈴を見た。眠っているようだけど苦しそうにうなされている。

 そしてまた杉三郎さんを見た。

「っ!!」

 すると今度は睨みつけるようにウチを見ていた。

「ち、ちょっと近くに川があるみたいなのでくんでこれるかどうか見て来ますね」

 ウチはちょっと怖くなり慌ててその場から離れた。鈴には悪いけどちょっと苦手かも、杉三郎さん。

 二人から離れて川を探しに行くと近くに川があったのはあった。だが、その川は十メートルほど崖になっている谷を流れていて、到底掬いようがない状態だった。

 しかも来たのはいいけど、持って帰れるようなモノがないのでどうせ意味がなかった。まあ掬える状態ならウチはともかく、苦しそうだった鈴には飲ましてあげたかったんだけど。

「仕方ないか……」

 ウチは諦めて二人のところに戻ろうと反転し、自分の後ろに目を向けた時、その先に杉三郎さんが立っていた。

「あ……ああ、川から水を掬うのは無理みたいです」

 ウチは音も無く忍び寄っていた杉三郎さんに出来るだけ愛想笑いをして、川を指さして言った。

 その間にもゆっくりと近づいてくる杉三郎さん。本当に怖いんだけど。でも助け出してくれたわけだし、あんまり変な顔も出来ない。

 そう思っていると、

「何でだ、藤……」

 そう言われた。

「……藤、何であの時お前は来てくれなかったんだ。一緒に逃げようって言ってくれたのに……なのに、遊郭からも俺からも逃げ出して。俺から抜け道を聞くのが目的だったのか? なあ、藤……」

「いえ、ウチは藤じゃなくて――」

「何でそんな嘘を吐くんだ! そんなに俺が嫌いなのか!? 髪まで切って別人と装って!! 俺は知っているんだぞ。お前は俺以外出来るだけ男に見惚れられたくないと言って、大きな胸にサラシを巻いて小さく見せている事を」

「…………」

 凄い勘違いをされて、やっぱりそこまでウチと藤は似ているのか……あれ?

 ウチは頭に疑問が浮かぶ。勘違い以前の物事のちぐはぐな事を今言われた気がする。いや、言われたのだ。そう『一緒に逃げようって言ってくれた』と。

「…………」

「まだお前が見習いの禿(かむろ)だった時から俺達は引かれあって、初めてお前が座敷に上がった時に俺はお前を買った。それで俺達は結ばれただろう。それからその日に逃げだそうと言って――」

「ち、ちょっと待って! もし、例えばウチがもう藤でもいいんだけど、っていうか違うけど、今はこの際どうでも良くて」

 ウチは混乱して上手く話せない。今は相手の話を聞いてもらわなくちゃいけないから色々言うけど、結局聞きたい事というのは、

「杉三郎さんは鈴が好きで今回駆け落ちしたんじゃないの? 藤は別の人と駆け落ちして」

 一瞬ポカンとした顔になる杉三郎さんだったが、口があうあうと戦慄き泣き崩れてしまいそうな顔になる。

「……お前、違うヤツと駆け落ちするために俺を使ったのか? 俺に計画を立てさせて準備させて、それで俺以外のヤツと一緒に逃げたのか……? だから俺がやった藤の花の飾りが付いた簪も捨てたのか!?」

「いや、だからウチは藤じゃないので分からないんですけどね」

 杉三郎が前に一歩前に足を出して、ウチは一歩後ろに足を下げる。

「あのお前と結ばれた床で、見世を抜け出せたら水溜桶の裏で落ち会おうと言ったのに、それなのに……それなのにお前は……」

 ゆらゆらと近づいてくる杉三郎さんから逃げようとするが、もう後ろは谷で逃げ場がない。

 ウチはひとまず落ち着いてもらうために必死に説得をする。

「は、話し合えば分かりあえますよ。一度話し合いましょう。ゆっくりと話し会いましょうよ」

「五月蠅いっ!」

 杉三郎さんの顔が引き攣ってもう何も耳に入ってなさそうな状態だった。

 そして腰に差している刀の柄に手を掛け、間合いを測って一気に抜き放つ。躊躇なく、横一線に。


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