藤と鈴と杉三郎の物語り【六】
「っ!!」
その時ウチは驚いた。それは斬りつけられたからでも斬られたからでもない。ウチと杉三郎さんの間に影が跳び込んできたからだ。
その影が跳び込んで来てくれたおかげでウチは斬られなかった。ウチは斬られなかったが、倒れる影を杉三郎さんが見て、
「す、鈴!」
刀を捨て、駆け寄って鈴を抱き上げた。
ウチと杉三郎さんとの間に入ってきたのは鈴だったのだ。
「…………」
「な、なんでこんなことを……」
嗚咽を吐きながら鈴に言う杉三郎さん。
「……私はあなたの事が好きです。藤がいなくなってから私を見てくれる事が嬉しかった。藤には悪いと思う気持ちはありますし、藤のとこをあなたは今でも好きなのは分かっていますが、それでも私は、あなたが好きなのです……」
顔を苦痛に歪め、血を吐きながら鈴は話す。
「その子は藤じゃありません。胸が小さいでしょ、杉三郎さん……」
無理に微笑む鈴だったが、杉三郎さんは、
「鈴、何でだ、何でなんだ。今度はお前が俺を置いて行くのか……」
あまりにも酷い現実にそれを受け入れられない様子だった。かくいうウチもそうだ。目の前で衰弱していく鈴を見るとそれを受け入れられない。受け入れたくなかった。
でもウチには一つ確認しておかなければならない事があった。生まれた。これだけは聞かなければならない事というのが。
遊郭を逃げ出す時に生まれた引っ掛かり。それは、
「……ねえ、鈴。もしかして藤が初めて座敷に上がって杉三郎さんと床に入った時にいたのって、鈴じゃないの?」
そうだとしたら全てが納得がいくのだ。
鈴さんは少しウチから視線を外したが、そのまま、
「…………そうよ」
と答えた。
「……」
杉三郎さんは唖然とした顔をしている。
「私が藤に変わって……杉三郎さんの床に入った」
「な、何言ってるんだ、鈴? だってあの時、床に着く前は藤だった」
困惑する杉三郎さんにウチが、
「今日初めてお客を取って部屋に入りました。部屋って横つながりで二つあるんですね。遊んだり食事をしたりするところと、寝るところと。それで、寝るところは襖を閉めれば真っ暗でほとんど何も見えない状態になるんじゃないですか?」
ウチはお客と床に入ったわけではない。けど、珍しくてついつい色々見てしまっただけだ。
「そして、床に入った時に杉三郎さんは言った。『逃げ出した後に水溜桶の裏で落ち合おう』と、藤に装った鈴に向かって」
「で、でも、何故そんなことを……」
「それはたぶんですけど、藤は鈴も杉三郎さんのことが好きだったのをもう知っていたんだと思います。それで、逃げ出す前に一度、鈴に杉三郎さんと床に入ってもらいたかった。自分が杉三郎さんを奪い去る前に、一度でも鈴に幸福を与えて上げたかった」
これはウチの考えなので間違っているかもしれない。でも、どこまでウチは藤に似ているかはわからないけど、それでも自分が幸せになるならそれを他の人にも分けて上げたいとウチは思う。それが先に幸福なんてモノが見えない人生なら尚更一瞬の幸せでも与えて上げたくなるはずだ。
そして、それに対して、
「……合っているわ」
と鈴が言った。
「でも何で分かったの?」
「それは今さっき杉三郎さんにウチの胸は『小さい』って言ったじゃない。それに『本当は胸が大きい』っていうのも杉三郎さんが言って、これだけ聞くと藤の胸は大きいと思うけど、でも鈴と会った時に鈴は『胸は藤よりちょっと小ぶり』と言ったじゃない。それってウチの胸とあんまり変わらないってことだよね」
たとえサラシなど巻いて隠していたとしても、着替える際に鈴には藤の胸が見えるわけだからちゃんとした大きさもわかっている。
「それで床から出た鈴は杉三郎さんに言われた事を藤に伝えきれなかったのか、伝えなかったのかわからないけど逃亡した藤は杉三郎さんに会えなく、そのまま一人で遊郭を抜け出した」
「……伝えきれなかったのよ。藤は台所の外からやって来る女性に変装していて、最後の……別れの時間にはすでに外に出されてしまって……いたの。だから――だから伝えられなかった……」
鈴は涙を流し、そして、
「ゴメン、ゴメンなさい藤……本当にゴメンなさい……」
弱々しく謝罪を繰り返し繰り返し口にした。
「……あの時、俺が待ち合わせ場所を急に変えたから、あんなことに……」
黙って聞いていた杉三郎さんはうな垂れる。
この二人と藤は誰が悪いというわけではない。ちょっと、ほんのちょっと歯車がズレただけだ。
そしてそれを鈴は自分のせいと思い、藤に似ているウチに藤を重ねて事あるごとに謝っていたのだ。申し訳なくて申し訳なくて、居た堪れない気持ちでいっぱいになりながら。
だからこの脱走計画も、一人多くなることで危険が増すにも関わらす、際になってウチを連れて逃げ出そうと思ったのだろう。
藤への償いと称して。
それならば、それだからこそウチは鈴に言わなければならない。
「ウチは藤じゃない。だから、藤に直接会って自分のその口で、自分の言葉で謝らなくちゃだめ」
強い、強い口調で叱咤しなければならなかった。自分がやっていることは無意味だと分からせて上げなければならなかった。
「どれだけウチに謝ろうとも心の中で想おうとも本人に言わないとその気持ちは絶対に伝わらない。だから、何年、何十年と掛っても絶対に藤を見つけて謝らないとダメだよ」
ウチは出来るだけ強い口調で言っているつもりだったが、鈴には全くそんな風には聞こえなかっただろう。なんせウチはもう堪え切れずに泣いていたからだ。目の前が涙で滲み声は喉の奥が引き攣って上手く話せない。
だんだんともう顔の表情さえもちゃんと作れなくなっている鈴を見て悲しく、たとえ二日間しか一緒にいていなかったが、それでも優しかった鈴を想うと胸が苦しくなる。
「……藤にも同じように怒られた事があるわ。その時は……藤と杉三郎さんの気持ちを知っていたから……自分の気持ちを抑え込んでいた。でも……駆け落ちすると聞いた時、一度でいいから杉三郎さんと一緒になりたいって……藤に言ったけどそんなこと無理だと思ってすぐに謝ったの……。その時に『あたしじゃなく本当の自分の気持ちに謝れ』って言われた。『謝る相手が違う』って……。藤はあけっぴろげな子だったから……本心を隠して偽ったことの方が……許せなかったみたい。本当に藤らしい…………」
そう言って「ふふふ」と力無く笑う。
もうすでに目の焦点は合っていなく、どこを見ているのかわからない。自分でも何を見ているのかわからないだろう。
「……華、……頑張って……藤を…………さが……す…………から……」
上を向いていた鈴の顔が少し横に傾き、そして動かなくなった。口からは血が滴れているがそれでも綺麗な顔つきで、虚ろな瞳の満足そうな、意気込みを感じさせる表情をして――死んでしまった。
胸が苦しくて苦しくて締めつけられるようで息が出来なく、嗚咽が漏れそうなのをどうにか鼻を啜って耐えるのがやっとだった。そのまま鈴の顔にそっと手を伸ばして目を閉じさせる。
「…………」
杉三郎さんは鈴を地面に寝かせるとおもむろに立ち上がり、自分が捨てた刀を拾い上げた。
「……俺は、藤がいなくなってからヤケになった。仕事もロクにしねーで博打に明け暮れ、借金までして女と遊んだ。それを見るに見かねてか、何度か見習いのお付きで知っていて、座敷に上がった鈴に励まされた。藤を知っているってことでもあったから、愚痴も分かって貰えたしな。そして俺は鈴に引かれて行ったんだ。それでも俺は藤の事は一時も忘れた事はなかった。いや、藤の事を想い続けていたんだ。鈴の俺に対する想いにかこつけて、いなくならないと安心していたから俺は藤を想い続けていた。だが、そんな想いは鈴に引かれたその時に、すぐ消してしまわなきゃならなかったんだ。それが出来なかったから俺は藤の体の感触と鈴の体の感触すら分からなかった。俺はダメな人間だ……」
杉三郎さんは抜き身を手にしたまま鈴の横まで戻って来ると膝を着き、
「だが、今度こそは俺が想う、俺を想ってくれる奴とずっと一緒に居たいって」
そう言うと持っていた刀を自分の首に当て、
「杉三郎さんっ!!」
ウチが叫んだのとほぼ同時だった。杉三郎さんが自分の首を刀で斬りつけたのだ。
血がほとばしり、さながら水芸のように撒き散らされる。
「一緒にいよう、鈴……」
人間の首からこれ程の血が出るのかと思うぐらいに出ると、どんどんと勢いは落ち着き、そして杉三郎さんは鈴の上に、寄り掛る様に倒れて動かなくなった。
ウチは崩れ落ちた。人が誰かを好きになった時にはこんなことが出来るのかと驚きもしたし、怖くもあった。目の前に動かなくなった死体が二つも出来上がったのだ。死体は動かないものだけど、その現状に、雰囲気に恐怖が沸き起こってきていた。
健全なものが想いだけで自殺する様子は、もう異様としか思えなかった。
いくら好きと言えども、この世で結ばれなければあの世でという言葉が素敵なモノで、ウチも恋をするならそれぐらいの恋をしてみたいと今の今まで思っていたが、それは間違いだったと思った。
いや、当事者同士ならば素敵で綺麗なものなのだろうけど、それを他人が見ると気持ち悪く、ましてや今が夜で真っ暗な人気が無い山中ということも手伝い、自分も続いて死ななければならないという強迫観念が襲い掛ってくるのだ。
「……………………」
どれくらいそうしていたか分からないが、ウチは二人を震えながら見降ろしていた。
そして遠くから“ピーッ”という追手なのか役人かは分からないけれど、笛の音が聞こえて我に返った。
その瞬間に全部の内臓を掻き混ぜられたような気持ち悪さに襲われ、嘔吐した。
「おえっ……う、うぐ、……ぐえーっ……」
鈴と杉三郎さんには悪いがこの状況に耐えきれなかった。
胃の中の胃液だけになってもしばらく吐き続けた。
そして徐々に落ち着き始めると、「はあはあ……」と肩で息をし、怖くて怖くて堪らなくなって走り出した。
何処へかは分からないが、むやみやたらに来た方向とは逆の方へと逃げるように走った。逃げているのは追手からなのか、はたまた二人の死体からなのか分からないが、とりあえず逃げたのだ。
そして朝モヤが立ちこめ始めたころ、遂に疲れ果ててウチは倒れてそのまま気を失った。
目を覚ますと山中に倒れた状態だった。
「……ウチは……」
周りは明るく日は高く、もうお昼を回っているようだ。
そして朝露で足を滑らせて転んでしまい、起き上がれずに気を失ってしまったのを思い出す。
「そっか、ウチは鈴と杉三郎さんの死体から逃げ出して……」
罪悪感が生まれ出る。さようならも何も言わず、それ以上に逃げたことに対して申し訳ないような気持ちになってしまったのだ。
「……はあ」
ウチは近くにあった石に腰を降ろして上を見上げた。鷲だろうか、高くぐるぐると回って飛んでいるのが見えた。
鈴と杉三郎さんは死に、藤は藤でどこかで生きていて待ち合わせ場所に来なかった杉三郎さんのことを恨んでいるかもしれない。
全員が幸福になるはずだった作戦は少しの食い違いで全員が不幸になり、こうやって幕を閉じた。不幸な人間はどうあがいても幸福にはなれないのだろうか。
そんなことを言ったらウチも同じで、どうにか追手は来ていないようだけど、それでも幸福な人生かと言われればそうではない。いや、ウチはただの貧乏なだけで、忙しいだけなので不幸や幸福といったものではないな。現におじいと繭と一緒に暮らしてて、いつも楽しく思えていたのだから。そう言う意味では幸福なのかもしれない。
でもそうだな。繭はウチが思うに不幸から、不幸のどん底から幸福になった人間じゃないかと思う。けどそれはウチが思うだけであって、繭自身からすれば不幸と思った事もないし、逆に幸福と思った事もないかもしれない。
そんな事をボーっと考えていたが、いつまでもこんなところにいられないので、「よいしょ」と言って立ち上がり周りを見た。
「…………」
右を見ても左を見ても、前を向こうが後ろを向こうが木ばっかりで、どっちに何があるのかさっぱりだった。いわゆる遭難というやつだね。
ウチが倒れていた倒れ方から察すに、来ただろう方向は分かるのでとりあえず進むように歩き出してみる。鷲のようにぐるぐる回っていて、元来た方向に帰っているということも考えられるが、今はそれは考えないことにした。
そして少し歩くとウチは山にそぐわぬモノを見つけてしまった。いや、山なのでこういうモノもあるかもしれないが、昨夜の今、出来れば見つけたくなかったモノだ。
それは白骨化した死体。
ボロボロになっているが着物から察するに女性のようだった。
「……はあ」
頑張って歩き出した気力が一気に削がれていくのがわかる。
こんなところに死体があるということは、少なくとも近くに村などはないということだろう。それとも見つけられずに彷徨ってしまったのか。どのみち死んでもおかしくない場所というのにはかわらない。ウチ、この山から出られるのだろうか心配だ……。
「…………?」
そんな時にふとウチは気が付いた。白骨化した死体がもたれている木に何か彫られている事に。
「…………っ!」
よく見るとそれは歌で、しかもそれを見てウチは驚いた。
鈴に教えてもらったように意味を探って訳していけばこういう事になる。
『あの場所にあなたは来てくれなく、一人で逃げ出してしまったけれど、私はいつまでもあなたを想い続け、この木をあなたと想い、いつまでも寄り添っています』
そしてその寄り添っている木は杉の木。死体の傍には紫の藤の花の装飾が付いた簪が落ちていた。実際ウチは藤の顔を知らないけど、知っていても今の状態からじゃ全く判別は着かないけれど、それでもこれはどう考えても紛れもなく本物の藤だ。そうとしか考えられなかった。
今はどこにいるやも分からないと思っていた藤はもうとっくに、逃げてどれくらい経ってからなのか分からないけど、それでもすぐに死んでしまっていたのだった。
三人全員が死亡。なんて悲劇的な話しなのだろうか。いや、結果だけをみるとそうかもしれないが、しかし当事者達からみたら喜劇的な終わり方なのかもしれない。
なんせ藤は今でも杉三郎さんのことを恨まず、待ち焦がれながらあの世で待っていたのだから。やっと二人は会う事が出来たのだ。けどそこには鈴もいて杉三郎さんと恋仲同士。それを見た藤はどう思うのだろう、恨むかな? そんなことはないな。藤は悲観的にならず男を魅了する人間と鈴は言っていたので、杉三郎さんを堂々と鈴の前で口説き落とそうとするはずだ。それで鈴は鈴で負けじと頑張って、大変なのはきっと杉三郎さんだ。藤へふらりと鈴へふらふらと、チョウチョになっているかもしれない。そう考えるともう今までの出来事は笑劇でしかない。
ウチはそんな事を考えながら顔をニヤつかせて、どこにあるかも分からない村を目指して歩き始めたのであった。




