藤と鈴と杉三郎の物語り【参】
ウチが間違っていたというか、怒られた原因は、あの“ダダダッ”と走る雑巾がけは女らしさの欠片も無かったからという事らしい。
遊郭では日頃からお客、男性に好かれる女性を演じる事が大事となる。男性が描く理想像。一般の女性ではなく、品があり清楚で高嶺の花と呼ばれる女性でいなければならないのだ。
何故か。そんなのは自分に圧し掛かっている借金を早く返上するためであり、店の評判を上げるためである。
だからあんな雑巾がけをして大きな音を立てると屋外まで丸聞こえで、そんな音を立てるガサツな女性がいる店には男性は来たく無くなる。一時の幻想という祝福を求めて来ているのに、何が悲しくて現実と変わらない時間を過ごさなければならないのか。ということになるらしい。
そんな話を鈴から聞いたのだが、ウチがその話を聞いて思った事はただ一つ、女性に幻想を抱くとは迷惑な話だ。
女性も人間だ。大きい声を上げれば大きい音も立てる。オナラもするし、ご飯を食べた後には寝っ転がってゲップも出る。それにたまに幼い子供を見たら、可愛くて遊んであげておやつをあげて連れて帰ろうとすることもある。
ん? 人間としてどうかというモノがあるって? いやいや、女性であるウチが言うのだからそれが女性というモノだ。男性諸君、分かっていないなぁ。ちゃんちゃらおかしいよ。
まあ実際にそんな幻想に付き合っていられない女性もたまにいるらしく、そうなるとココには居ていられなくなるらしい。
一瞬好都合と思ったが、ココでは無く、より一層酷い扱いを受ける遊郭に売り飛ばされる事になるらしい。どう酷いかというと……まあそれは御想像にお任せします。ウチの口からは言えたものではない。
ということで男性の求める女性らしさで掃除に洗濯、食事を行い、後は格上のお姉様達の準備の手伝いをした。
佳耶さんの支度の手伝いを行わなければならないのかと気が病んだが、佳耶さんはもう遊女では無く、借金を返し終わり、今では新人の遊女を育てる側になっているらしい。それを聞いてホッとした。
さすがに佳耶さんの支度の手伝いはしたくない。絶対に怒られるのが分かっているし。一日に百回も怒られればいくら楽天的なウチでも凹む。背が縮みそうだ。胸はもうこれ以上凹まないけど。ってほっとけ。
馬車馬のように仕事をしたあとに、自分達の準備は下っ端なので手伝ってくれる人などいなく、自分達でやらなければならない。その前にお風呂も入ってとなるともう時間がいくらあっても足らなかった。
さらに遊女には座敷遊びも必要で、じゃんけんに勝てば躍らせ、負ければ踊るや、複数の杯から一つだけ花柄が描かれた杯を捲って当てさせ、それまでに捲った分の酒を飲ますという嫌がらせのような遊びがある。
しかし、その中に歌の詠み合いというのもあるのだ。ここで言う歌とは当然、和歌のことで五七五だか七五七だとかで詠み合わなくてはならないのだ。そんな事一度もやったことがないウチには絶望的に無理である。けど、恰好だけはと一時間程度だけど教えてもらった。
教えてもらってなんとなく分かっただけなのだが、それでもなんだか優秀な遊女になった気分になるのは気のせいじゃないはず。いや、実際は気のせいなんだけどね……。
そして、ようやく遊女の品定め兼待機所である場所の隅っこに腰を降ろしてうな垂れていた。
「もっと遊女って男と床に入っているだけで、ってまあそれもいやなんだけど、でもそれぐらいが仕事と思ってた……」
「ふふっ。ココが自分の下宿先だからね。使用人のようなこともやらないといけないし、上の人には仕えなくちゃいけないんだよ」
うな垂れるウチの横でちょこんと何食わぬ澄まし顔で鈴は座っている。鈴は可愛い顔立ちだが、化粧をすると大人っぽさが増して品が出て、凄く魅力的な女性へと変身した。
女のウチでも惚れ惚れするぐらいに綺麗で思わず抱きしめてしまった程だ。
それに対してウチはというと……酷いモノだ。幼顔がさらに幼顔へと変わってしまった。これでは子どもの健気さはあるが女性としての麗しさがほぼ皆無に近い。ウチも化粧さえすればもっと綺麗になれるという幻想が見事に打ち砕かれた。トホホである。
そんな落ち込むウチを見て鈴は、
「明日、私が化粧して上げる。もうちょっとメリハリを付ければ大人の女性になれるわよ。だって、藤は物凄く綺麗だったから」
「本当に!?」
後半に食い付く。だってウチと同じ顔で大人の女性になっていたというのだ。喜び勇むに決まっている。こんな生活が明日も来るのかと思うとげんなりだったが、今の話を聞いて自然と顔がニヤつき、一気に明日が楽しみになる。
鼻歌を歌いたくなるほどで現に鼻歌を歌っている中、
「鈴、お呼びだよ」
といつの間にか待機所に入って来たのか佳耶さんが鈴に声を掛けた。
そして、鈴が「はい」と澄まし顔のまま立ち上がる。
「『お呼び』って?」
とウチが聞くと、
「お客が付いたってことだよ。これから一仕事してくるね」
と微笑みながら待機所を後にした。
「…………」
それを無言で見送るウチ。というか言葉が出ない。これから男と床に入るのだ。そんなときどうやって声を掛けて見送ったらいいのか分からなかった。しかも好きでも許嫁でもなんでもない見知らぬ男と床に入るのだ。そんな時に掛ける言葉など思い浮かばない。
そして、それを考えた途端にウチは身体がガタガタと震えはじめた。なんせいつ我が身に起こるか分からないのだ。呼ばれれば確実にせざるをえないだろう。そう考えれば身の毛がよだつ。
しかも周りには同じ女の子がたくさんいるが頼ることなどできない。
前言撤回。
「き、綺麗になるのは別にいいや……」
チラリと何故見たのか分からないが、端に立っている男性に目を向けてしまった。
そこには身なりが薄汚れた侍らしき人が立っていて、ウチが目を向けるより早くすでに男性はウチの方を見ていた。その顔は窘めるというよりは心を射抜かれたような、心ここにあらずという顔だった。
すぐにウチは壁の方を向き、顔埋めてガタガタと震えながら身を丸こめた。
お呼びなんて来ませんように。そう願いながら。
結果としてはお呼びは掛らなかった。
本当に良かった。と心底思えてホッとして、それだけでクタクタになってしまった。時間は相当遅く、もうとっくに日にちは変わっている。
昨日の夜もそうだったが、楽しい時間はあっという間なのに苦痛の時間は永遠にも感じてしまう。気分的にはもう一年ほど立っていてもいいぐらいじゃないかと思ってしまうほどだ。
ウチは自分の、鈴との相部屋に戻ると当然の事ながら鈴はいなかった。
「はあ……」
ウチはそれだけで溜息が出て、今鈴の身に起こっている事を想像すると嫌悪感が重くのしかかってきそうなので、もう何も考えない事にした。
干しておいた東次郎さんから貰った着物に触ると、まだ全然乾いていなかった。昨夜の拷問の後、濡れているので着物を脱がされてみすぼらしい着物を渡された。それが雑用着なのだが、それと引き換えに少しでも金になるのならと着ていた着物を取られそうになったのだ。
それをどうにかこうにか「寝巻に使う」やれ「その分も働く」やれと言って守りきったのだ。その際に2・3発殴られたっぽいが、まあ自分の中では守りきれたことの方が大きい。
ウチは着ていた、少し痛んだやたらと派手な着物を脱ぎ棄て、そして倒れるように布団に入ると一瞬で眠ってしまった。
この先どうなるのか物凄く不安だけど、そんなことを考えられない位に疲れ果てていた。




