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藤と鈴と杉三郎の物語り【弐】


「へ、へ、へっくしゅんっ!! ……ああ~~」

 ウチは鼻を啜り上げながら朝の廊下を歩いていた。

「大丈夫?」

 その横では(すず)という源名の、ウチと同い年ぐらいのおっとりとし、髪がフワッと長く胸がたわわに実った女の子が心配そうに聞いてきた。

「……うん、どうにか大丈夫」

 げんなりと疲れて眠い顔を鈴さんに向けてウチは答えた。

 それもこれも昨日の夜のせいだ。

 ウチはあの後、連れて行かれた小屋で水攻めにされた。全然身に覚えが無い事だったが、どうやら藤という人はここで働いていたのだが、三ヶ月前に男と逃げ出したということだった。

 ウチは必死に弁解したがあまりにも良く似ているために信じてもらえず、さらには男との経験などない処女ということも告白してしまった。

 だけど、藤もまだ処女で、どうやら下済みが終わって初めての床入りのときに逃げ出したらしい。もう打つ手なしの状況だ。

 そして朝まで水攻め拷問を受けた。叩いたり殴ったりは痕が残り商品価値が下がるから水攻めらしいが、それでもあんな逆さ吊りにされて浸けられたら軽く死ねるよね。おにょれ~藤、覚えていろよぉ!!

 そして朝になり仕事の為に解放されて鈴さんと一緒に行動する事となったのだ。

 下っ端は二人一組で同じ部屋で寝起きし、上のお姉さま方の身の回りのお手伝いを行ったり掃除を行ったりするらしい。鈴さんは前に藤と同室で、連帯責任として今まで一人にされ、二人で行う業務を全て一人でしていたらしい。

「無茶はダメだよ」

 鈴さんは優しく言ってくれた。なんて良い人なんですか。本当に藤という人は最低な人間だ。

「ありがとう。まあ、迷惑にならないようにだけはするよ」

 ウチは笑顔を向けて言い、その顔にまた笑顔で返してくれる。

「それにしても」

 鈴さんはウチを下から上にジーッと見て、

「藤に本当にそっくりよね。って本当は藤だって事はないよね?」

「残念ながら藤じゃないんですよね」

 「あはは……」と苦笑いをした。本当の本当に残念この上ない。

 一応、鈴さんには事情を説明して理解はしてもらっている。あのお姉さん達もこれぐらい理解があればよかったんだけど。と言ってもまだまだ鈴さんも疑いは持っているみたいだけど。

「まあ藤はもっと気品に溢れた感じだったからね。それに簪も持ってないようだし」

「…………」

 何だか今ウチはガサツと言われた感じがしたのだが、気のせいだろうか。

 それを察したのか、

「あっ、違うのよ。あなたがガサツっていうわけじゃなくって、藤はなんて言うのかなあ、出来た女っていう感じだったの。私達と格が違うというか何と言うか。太夫になれる気質があった人なのよね」

「太夫?」

「太夫っていうのは遊郭で一番位が高い遊女のこと。容姿に気品に頭も良くなかったらなることが出来ない地位なのよ。お姫様ってところかしら」

 「でもどうあがいても囚われなんだけどね」と付け足す。

「…………」

 囚われはさて置き、藤という人はそれほどまでに出来た女性だったのか。そんなに性格的に違うならウチと藤を間違えるなんて事ないと思うのだけどね。

「……はあ」

 溜息が出る。

「さて、掃除はこの階段と廊下よ」

 鈴さんは目の前の階段と廊下を指さして言った。

 それを見てウチは思わず、

「お~広い」

 感嘆の声を上げてしまった。

 ウチのおじいと繭が住んでいる家には二階が無いので階段なんてモノは無いが、階段ぐらい知っている。この前の蕎麦屋のところにもあったし。

 けど、今目の前あるのは立派な階段だった。どう立派かと言うと、横は二人が並んで登り降りが出来るぐらい広くて、一段一段低いのだ。さすがに神社の石段みたいに平べったくはないけど、それでも今まで見て来た階段の半分は言い過ぎかもしれないが、それぐらい低い。お年寄りには嬉しい低さだ。村のゴンじいは「階段はもう辛いわい」といつも嘆いていたからね。

「そしたら階段は私がするから、藤は廊下をお願い」

 言って鈴さんは水と雑巾が入った桶をそっと降ろす。

「任せといて」

 ウチは親指を立てて満面の笑みを浮かべる。掃除は料理以上に大得意だ。しかも雑巾がけは「華の雑巾がけはネズミを追いかける猫みたいじゃの~」と褒められるほどだ。ついつい胸を張ってしまう。

「う~ん、胸は藤の方があったかな?」

「…………」

「だ、大丈夫! これからだよ、これから」

 ジト目のウチに鈴さんは胸の前で両手を握り締め『頑張れ』的な動作をし、まあそれは嬉しいのだが、その度にたわわに実った胸が軽く揺れるのだ。クソ~、もぎ取ってやりたい。

「じゃあ、ウチは廊下やるね」

「う、うん。お願い」

 お互に雑巾を絞って持ち場に着く。

 さてと、それじゃーやるぞぉ。

 気合を入れて床に置いた雑巾の上に両手を乗せて腰を高く上げ、一気に掛け声と共に駆けはじめる。

「おりゃーーーーーーーーーっ!」

 廊下も広く長いがこれくらいならすぐに終わる。

 “ダダダダッ”という音を床に響かせながら、ひとまず反対側まで辿り着こうというところで、

「っ!?」

 急に人が角を曲がって現れた。

 ウチはぶつからないように右に避け、そのまま体勢を崩して前転を二回程して壁に激突した。

「イッタタタ……。誰よ急に出て来たのは!」

 仰向けに倒れ、打った頭を押さえながら起き上がり、そして跳び出して来た人間を見るとそこには昨日ウチを一番最初に藤と勘違いしたお姉さんが眉間に皺を寄せ、頬ピクピク痙攣させながら立っていた。

「あんたねえ、何ドタドタやってんだよ」

 低い声でウチに訪ねて来る。

「何って、雑巾がけですけど」

 見て分かるだろう。これが料理を作っているように見えるのだろうか?

「あんた三ヶ月いなかっただけで全部忘れたって言うんじゃないだろうね? それともあたい達への仕返しのつもりなのかい?」

 上から睨みつけて来るお姉さん。メ、メチャクチャ怖ひぃ~。

 軽く悲鳴を上げそうになったウチの前に影が現れ、

「すみません、佳耶(かや)さん!」

 言って土下座をしたのは鈴さんだった。

「藤も戻って来たところで気が抜けているんです。しっかりさせますので許してやって下さい」

 そしてもう一度「すみません」と謝る鈴さん。

「…………」

 何をどう悪いのか分からないが、今は謝らなければならない時だという事だけは分かる。

「……すいませんでした」

 ウチも佳耶さんに立ったまま頭を下げる。

「以後、気を着けます……」

 罪の意識と言うよりも、鈴さんに早速迷惑を掛けてしまった事にしゅんとなったのだが、それを佳耶さんはたぶん勘違いしたのだろう。ウチの顔を見て、心底疲れ切った、深い深い溜息を「はあ」と吐き、

「鈴、ちゃんと教えておくんだよ!」

 佳耶さんはそう言い残して去って行った。

 それから佳耶さんが角を曲がって姿が無くなるのを見てから、

「鈴さん、ごめんなさい……」

 しょぼくれるウチに鈴さんは立ち上がり、

「ううん、ゴメンはこっちだよ。初めてなのに何も教えて無かったんだから」

 そしてもう一度「ゴメン」と謝った。だがそれは何故か後悔を悔やむ程のモノで、そこまで思ってもらう程の事ではない。

「そ、そんなのこっちが悪いんだし、気にしないで」

 ウチは慌てて取り繕う。

「そうだね。お互い様っていう事にしましょう」

 綾さんはこの話しは終わりとばかりにニコリと笑い“パン”と柏手を打った。おっとりとした少しのんびりとした外見とは裏腹に、切り換えは早い人のようだ。

「それから鈴さんじゃなくて鈴でいいよ。藤の恰好で『さん』付けされるとむず痒くなるから」

 そう言ってはにかむ鈴。でも好き好んで藤の恰好をしているわけじゃないんだけど、と思いつつ、

「それじゃあ鈴、色々教えてね」

 ニコリと笑い言うと、鈴も優しくニコリと微笑み、

「ええ。それじゃあまずは――」


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