藤と鈴と杉三郎の物語り【壱】
男と女の出会いというのはいつも突然である。
それが遊郭の、しかも常日頃から通っている白く透き通るような肌を持ち、切れ長の目で色気がある目当ての女性ではなく、その女性についているまだ見習いの禿の少女を一目見て恋に落ち、また少女の方も青年、杉三郎に一目惚れをしたとしても何ら不思議はなかった。
それから半年、青年はさらに遊郭に足繁く通った。もちろん目的は少女だが、少女は見習いの為に一人では会う事が出来ない。必ず女性のお供であり、そして床を一緒にすることはおろか、触れることが出来るのも手ぐらいのものだった。
しかし、杉三郎はそれだけで十分満たされた。少女もまた杉三郎が会いに来てくれ、話すことが出来るだけで幸せだった。
そして、とうとう少女が床に着けるようになった初日、杉三郎は朝の遊女が見世先に並ぶよりもずっと早くに少女が出てくるのを待った。心躍らせいつもより多く入った銭袋を握り、そして遂に少女を買ったのだ。
待ちに待った初めての二人だけの時間。見習いの時には抱きしめる事も出来なかったが、夜になってから床でお互いを感じていた。
床は暗く、顔の判別もままならない状態だ。しかしそれでも優しい肌に触れる感覚だけで十分だった。
「偉く静かだな、藤。さっきまであんなに話をしていたのに、緊張しているのか?」
「…………」
少女は何も言わず杉三郎の胸の中でコクリと頷く。
「俺に任せておけば何も怖い事なんてないからな」
「…………」
少女はまた何も言わずコクコクと頷くだけだった。
「俺は本当に今幸せだ。お前とこうやって一緒にいることが出来て」
しみじみという杉三郎だったが、不意に、
「――だが」
と硬い声に変わり、
「俺達はもっと幸せになるんだ。自由にお互いだけを見て、支えて生きていこう」
杉三郎は少女をさらに抱きしめ、少女の耳元で小さく決意が籠もった声で言う。
「ここから逃げ出して、そして二人幸せに暮らそう」
それを聞いて少女はギュッと抱きしめ、鼻を啜りながら何度も何度もコクリコクリと頷く。
そう、今晩、以前から兼ねて計画していた遊郭の脱走計画を実行するのであった。それは至難の業であり、捕まれば確実に少女の方は分からないが、杉三郎の方は拷問ののち殺される事になる。それだけの覚悟がなければならなかった。
しかし、そんな覚悟はとうに、出会ったその時に出来ていた。そう想えるほどにお互い引かれあっていた。
「それから藤、一つ最後に計画の変更だ。最近二つ横の路地は見張りが立つことが多い。逆側の一つ横にある水溜桶の裏で落ち合おう」
それを少女が聞いた時、一瞬ビクリと慌てるような感覚が杉三郎には伝わって来た。
「藤……? 大丈夫か?」
心配そうに聞く杉三郎だったが、少女は首を縦にふるのみだった。
「それならいいが……。さっき言った場所は間違わない様にしてくれよ」
少女は最後大きくコクリと頷き、不安の現れか杉三郎を抱きしめ、杉三郎もそれに答えるかのように抱きしめた。
※
ウチはズルズルと連れられて街の中を歩いていた。今は東次郎さんに別れを告げ、一日歩いて次の村を越えてさらに二日経った夜だ。
ウチが探している侍というのはどうやら菊永漣という人で江戸にいるらしい。まあこれはあのタヌキみたいな雷様に撃たれたおっちゃん曰くなのではっきりとは分からないが、それでも貴重な情報だ。
他のところでもそれがちゃんとした情報なのか知りたかったけど、さすがに同じような目に遭うのはコリゴリなので聞かなく、とりあえず江戸を目指している。まあ、違っても江戸に行けば何か分かるだろうしね。だって、江戸は物凄い大きな街だって言うし。
そして一昨日は立ち寄った村でいいおじいちゃんおばちゃんに出会い、旅をしていると言うと快く泊めてくれた。さらにおにぎりまで持たせてくれ、昼過ぎに小腹も空いてきたのでおにぎりを1個川辺で食べようとしたのだ。すると手に取ったおにぎりがつるんと滑り坂になっていた川辺をコロコロと転がり、ウチはそれを追いかけたが間に合わず、川にぽちゃんと落ちてしまった。
「…………」
バラバラになって魚がそれを食べている姿を見て少しの間泣いた。だが、それでもおにぎりはまだあと2個ある。魚の命を助けたと思って涙を飲みながら残りのおにぎりを置いていた場所へと戻ると、今度は何処からやって来たのか野良犬と野良猫が置いてあったおにぎりを食い漁っていたのだ。
「こらーーっ!!」
慌てて追い払おうとしたら、
「ギャアーーーーーッ!!」
逆襲にあった。
結局おにぎりは1個も取り戻せず、しかも犬や猫と戯れたおかげで身体中は獣臭い。
あんなところを人に見られていたら臭いだけじゃ済まなかっただろうけど。現在、生類憐みの令という御触れが出ているので、それこそ縛り首になってもおかしくない。将軍の命令はゼッターイ。……はあ、やっていられない世の中だね。それにしても、あ~折角椿さんの代わりに東次郎さんから貰った綺麗な着物なのに……。
色々あってそのまま貰ってきてしまった着物ではあるが、これは椿さんの形見でもあり東次郎さんが椿さんを想い贈った物だ。これには二人の想いが詰まっている。それを仕向けたのはウチだけど、だからこそその重みを背負わなければならない。二人の想いを背負い、そして一生を暮らしていかなければならないのだ。
一人の人生だけではなく、さらに二人の想いを抱えているからこそ人は少し優しくなれると言うものだ。
だから、今現在、
「ウチはこれからどこに連れて行かれるのでしょうか?」
ウチは両腕をガッシリと抱えられ、引き摺られてどこかに連れて行かれている最中でもにこやかに聞いてみる。
先程もう倒れそうな状態で蕎麦屋を見つけ入ろうとしたのだが、その際入れ違いに出てくる三人の綺麗な、けど歳はギリギリで着物が物凄く地味なお姉さんと顔を合わせ、いきなり逃げられない様にはがいじめにされたのだ。
多分、目があった瞬間に「藤じゃないか!?」と言われたので人違いかと思うんだけど……。ああ~角を曲がってウチの蕎麦が見えなくなるぅぅぅ。
「どこ? 分かり切ってることを聞くんじゃないよ。藤」
やっぱり人違いみたいだ。
ウチは泣きながら、
「ウチはその藤さんとは違うんです。華って言いまして――」
渋々事細かく説明をした。そして、それを聞いたお姉さんは、
「はいはい、逃げ出した娘はみんなそう言うんだよ」
全く信じてくれない。ああ本当の事なのにぃ。もう泣くしかないよ。すでに泣いてるけど……しくしく。
どこに連れていかれるのかは分からないが、この街は街と言う事だけあってかなり大きいみたいだ。中央に行けば行くほどどんどんと明るく賑やかになっていく。食べ物屋さんもまだ開いているところが多くいい匂いがプンプンしてくる。
「天丼にお寿司にうな重。あ~お金全部叩いていいから食べたいよぉ……」
目映りしながら涎を垂らして言うと、
「あんたが自由に使えるお金なんて一文もないよ。今持っているお金も全部貰うからね」
「そ、そんなっ!」
あまりにもひどい仕打ちだ。
「当たり前だろう」
「当たり前って……本当の本当に何処にウチは連れて行かれるんですか?」
未だに人通りの多い明るい場所を連れ歩かされている。っていうか引き摺られているんだけど。
薄暗い明らかに危ないところに行くにはまだ時間はありそうだ。それまでにどうにか誤解を解かなければ。
と思ったら、
「着いたよ」
ウチは驚いて見ると、
「え……?」
唖然とした声を上げた。
周りは先程までの通りよりも煌びやかで色鮮やかな建物が立ち並び、その建物の前には男性しかおらず、いや女性も見えるのだが明らかにおかしい。
何がおかしいと言われると女性は建物の中、建物も一階部分の一部が檻のようになっていて、その中にいているのだ。男性はそこにいる女性を品定めでもするように見て喋っている。
「え、え~っと、ここって一体……?」
聞くとお姉さんにギロリと睨みつけられ、
「遊郭に決まっているだろう」
「ゆ、遊郭!?」
大声を上げて、
「遊郭ってあの遊郭??」
三人のお姉さんを見渡す。
「あの遊郭以外にあたしゃ遊郭を聞いた事がないよ」
「で、で、でもウチそんな経験なんてなくて」
「みんなそんなものそんなもの」
明らかに相手にされていない。そして、そのまま引き摺られて行く。
「いーーやーーだあぁぁーーーーーっ!!」
叫び足をバタバタさせるウチを三人は裏手の、煌びやかな建物とは別の小汚い建物の中へと連れて行かれた。




