椿と東次郎の物語【九】
※
それから五時間ほどし、もう夕暮れになろうかというところで一人の侍がその町にやって来た。
体付きと顔は女性のようにスラッとしていて綺麗だったが、それを台無しにするぐらい髪はボサボサで着ている着物もボロボロな侍だった。
そんな侍が町中にある川を越えようと、大きな橋が掛っていたところに差しかかって足が止まった。それは二日前にはあった橋がものの見事に無くなってしまっていたからだ。
「…………」
無い橋は渡れない。仕方がないので少し遠回りをして向こう側に渡る事にし、足の向きを変えたときに視線を感じた。それは冷たく身に刺さるような感覚で、いわゆる殺気というモノが含まれた視線であった。
侍は視線を感じた方に目をやるがすでに何も感じなく、町の大工や綺麗な着物を着た女性が行き交っており、そんな視線を感じさす人間はいなかった。
他の方にも目を向けるが、怪しい人間はいない。
その時だった。
“ドン”
と肩がぶつかったのだ。あまりにも道の真ん中に立ち過ぎ、そしてそこでキョロキョロとしたものだから通行人に肩がぶつかってしまったのだ。
侍はそんなことは気にしなかったが、
「おい、邪魔なんだよ。ボーっと突っ立ってるなよ!」
もう一人のぶつかったキツネ顔の青年が文句を言ってきた。
しかし侍は、
「……娘を探している」
とキツネ顔の青年の話しを全く持って無視しそう言って懐から何かを出して青年にそっと渡した。
青年も渡され慣れた様にスッとそれを受け取る。
「……十五歳ぐらいの髪の毛を後ろで簪を使ってまとめた娘だ」
「それならあんたを探してる。今朝方江戸に向かって行ったところだ」
二人はコソコソと睨み合い、いがみ合う風にそう言いい、
「けっ、侍だからって良い気になりやがって!」
少し大きい声を上げながら青年はその場から去っていった。
「…………」
侍は少し考えるようにその場にいたが、向こう側に渡る橋に向かってゆっくりと歩き出したのであった。
※
夜、男は侍の後を付けて町の外へと出て行った。夜と言っても、もう町の住人が寝静まった程の真夜中だ。こんな真夜中に町をわざわざ出て行くなど不自然極まりなかったが、後を付ける男も傘を被った侍で、そんなものが後を付けているのも不自然極まりなかった。
「…………」
男は侍と距離はある程度空けているものの、一切姿を隠そうともしていない。雲も出てたまに月明かりが射すぐらいなので距離的に注意して見ないと分からないのでそうしていたが、不意に前を歩く侍がクルリと反転して男の方に体を向けた。
「……!」
一瞬念のために身を屈めるか茂みに隠れようかと男は考えたが、その必要が無い事に男は気が付いた。
それは明らかにこちらを待っているという態度であったし、尚且つ視線が自分に向かっているものだったからだ。初めから気が付いていてわざわざココまで来てやったという感じだったのだ。
「…………」
男はそのまま侍に近づいて行った。
「初めから分かっていたというわけか」
男は低く渋い声で言うが、
「…………」
スッとした女性のような顔と体付きの、だが髪の毛と着物がボロボロでそれを台無しにしている侍はボーっと男を見るだけで全く何の反応も見せない。
「噂通りの変わりモノのようだな。――だが、そんなことはどうでもいいことだ」
男はおもむろに刀を抜いて構えた。その立ち姿は見事なモノで、素人でも分かる程に全く隙が無い。さらにゴツい体躯と腕のせいで刀が軽そうに見え、全く剣先がブレないことが一段と隙の無さを作り出していた。ごろつきやそんじょうそこらの武士と格が違っている事は明らかだ。
それもそのはずで、元は少し名の知れた道場の師範を務めていた榎本行生という男だった。しかし、榎本が掲げた方針と門下生の剣術としての在り方に摩擦が生じ次々と辞めていき、そして今ではもうその道場は無くなってしまっていた。
榎本が掲げた剣術とはすなわち「人を殺すことができる剣」だ。殺せる武器を振り回すのだから殺せないと意味がない。守りたいのであれば鉄の棒でも振り回していろというのが榎本の持論だった。
しかし、今はもう戦国時代でもなく、徐々に平和になって行く時代の中、殺す事を主軸に置く榎本の剣術は衰退していったのである。
だが、それでも榎本自信は剣とはそういうものだという気持ちは揺るがなかった。さながら榎本そのものに似た大木のように揺らぐ事はなかったのだ。
そして、道場を維持できなく、住むところも居場所も無くなり、今では自身で証明するように雇われ業の侍へとなったのであった。
殺しに殺した。雇われなので護衛をすることもあったが、それでも敵が現れれば榎本自身護衛などそっちのけで全力で殺した。攻撃は最大の防御なりと言うが、それが認められたのか榎本自信守っている感覚などこれっぽっちもないのだが、腕の立つ侍がいると裏の世界でも徐々に有名になってきていた。
榎本にとっては全てが踏み台なのだ。そして今回めっぽう腕が立つ侍、つまり目の前にいる菊永漣の殺しを依頼された。漣を殺せば知名度が上がり、持論は更に認められることになる。
「貴様には私怨も何も無いがこれも依頼だ。悪く思わず死んでくれ」
榎本は漣にジリジリと擦り足で間合いを詰める。
しかしその漣は全く興味がなさそうにボーっと突っ立っていたと思ったら急に、口の両端を吊り上げニヒリと笑い、
「……ふっひひ」
と奇妙な笑いを上げ始めた。
「…………」
しかし榎本はそんなことでは焦らず平然とした態度でさらに漣に寄る。そして漣は榎本をジロリと見るやいなや、
「ひっひっひ、フヒャッヒャアーッハッハッアアアア!」
笑いとも叫びとも付かない声を上げ、ふらりと揺れると一気に榎本に向かって駆けた。それはさながら狼のように体勢は低く、そして最後は跳び掛り横一線に刀を振るう。剣術の形も何もあったモノではない。榎本から見れば素人中の素人。ここが道場ならば基本からやり直せと怒鳴りたくなる程に偽物めいた剣術だった。
しかし、その中で本物なものが一つだけあった。
それは――殺気だ。
殺気だけは本物で、鋭く尖り、向けられるだけで並みの侍でも腰が引けてしまうくらいに殺気だっていた。
だが、榎本はそれでも平然と真っ向から受け止め迷いの無い、剣術としては三流だが、振り抜くその鋭さは一流に等しい一撃を簡単に受け止め弾く。
すぐに切り返し上からの斬撃が来るも、それも簡単に受け、押しやって距離を取る。
早い二撃だったが榎本からすれば真正面から真正直に切り掛ってきているのだ。受け止められないはずがなかった。
そして、この二撃を受けて榎本は気が付いた。
形は滅茶苦茶だが太刀筋は鋭く、初対面の人間に何故そこまで出せるのかという程の殺気。そして猪突猛進としか思えない策も探り合いもない攻撃。
(人を殺す事を楽しんでいるのか)
過去に何回か榎本は辻斬りと刀を交えたことがあるが、今の漣は正しくそれと同じモノを感じた。
殺気とは字の如く『殺そうとする気配』、すなわちそれには憎悪や敵意を持たなければ生まれることがない。そして、初対面の、確かに殺し合いを挑まれたとしても殺気などなかなか生むことなど出来ないものだ。榎本ほどの達人となれば少なくとも集中力で殺気を生むことは可能だが、それでも溢れ出さんばかりの殺気を出すことなど不可能だった。
もしそれが可能だとすれば、もう心の底から楽しむことを殺気へと変えることしかないのだ。そもそも奇声がそれを物語っている。
そして、それはつまり単調な攻撃しかして来ないという事だ。
ただただ楽しんでいるだけなのだ。駆け引きなんていう面倒臭いモノを取り入れればそれだけで苦痛が生まれる。余程の切れ者ならばそれも楽しむだろうが、そんな人間など千にも万にもいるかいないかだ。
(単調な、真正面からの攻撃しかして来ないはずだ)
ほとんど確信だった。しかし、それでも気を緩めはしない。全力で相手を殺すことが榎本にとって人を斬る意味なのだから。
「ギッヒヒャアーハッハッヒャッヒャーッ」
狂っている笑い声を上げながら漣がまた襲い掛って来る。そして案の定、みえみえの太刀筋で斬りつけてきた。
それを弾くと今度は榎本が斬り掛る。上段の顔面に向けての一撃。
「ふん!」
それは漣に防がれてしまう。しかし、体重を軸足に乗せ、腕力で斬るのではなく相手の刀を押すように交えることにより相手の刀を大きく弾くことが出来る。
そして、それにより胴がガラ空きになるのだ。一撃目は崩し、斬るのは二撃目だ。
一撃目よりも鋭く、早く胴を横一直線に薙ぐ。それは漣の腹部を深々と斬り裂き両断とまではならないモノの背骨辺りまでざっくりと斬れる、はずだった。
「っ!!」
漣は崩された刀をそのまま反転させ、そんな状態では腕の力で受けきれないため体に刀を付けて間一髪防いだのだ。
漣はたたらを踏むが、
「ヒァアアーーーーアッハッハッハッ」
体を回転させて横一線に刀を振る。それを榎本が受けると、
「はぁ!」
今度は心中よりやや左目掛けて突きを出す。そして、右に避けたところを突き出した刀そのままに横に薙ごうとしたが、漣は足を滑らせて倒れた。一瞬榎本の視界から漣が消えた。
予想外のことで榎本はどうすべきか考えた。このまま斬り降ろし仕留めるのがいいのか、はたまた相手を見て受けに入ってから攻撃を仕掛けた方がいいのか。
しかし、榎本はどちらも行わず迷った時には一旦引き、状況を把握する事にした。下手な事をしてこちらが傷を負うのも馬鹿らしく、いくら「人を殺すことが出来る剣」と言っても死んでしまっては元も子もない。生きているからこそ意味があるのだ。
だから距離を取るため後ろへと跳ぼうとしてしまった。がっしりと根の張ったような足を浮かし、地面と足を切り離そうとしてしまった。そうしてしまったが故に、
「っ!?」
足を払われてしまい空中で仰向けの体勢になってしまったのだ。
達人であるが故の冷静な判断が逆に、文字通り足を掬われてしまったのだ。
さっき漣が倒れたのは、実際には体勢を崩し自分から倒れたのだ。そしてそのまま足払いをした。
一瞬のことで榎本は自分が今どういう状態なのか分からなかった。倒れていっているというのは分かるが何故倒れていっているのか分からなかったし、どういう体勢になっているのかも瞬間的過ぎて理解できていなかった。
だから、もう自然に落下していくしかなく、そしてガツンとまるで大きめの金槌で思いっきり後頭部を殴られたような感覚と、めり込んでくる感覚が頭全体に走ったと同時に――意識が途切れた。
ピクピクと痙攣し、おびただしい血が頭から広がっていくのをただただボーっとした顔で見る一人の侍がいた。
目の前で死にかけている男の事は全く侍は知らないが、それでもかなりの腕前だったのはわかった。そんな男がたかが転倒で頭を打って死にかけているのだ。普通なんて呆気ない最後だったのかと思ってしまうのだが、この侍は全ての事に対してどうでもいいという顔で男を見降ろしていた。
その顔は今の今まで奇声を発していたとは思えないほど、ボーっとしてる。
そして倒れた侍がピクリとも動かなくなるまで見続けていた。それは死を楽しむというのではなく、死んでいくのを確認しているといったモノだ。
全く動かなくなるのを確認すると侍は刀を鞘に納め、町へと戻って行った。
これで第一幕が終了です。全四幕なのであと三幕続きます。
次は『花魁編』です。
まだまだ長いですが最後までお付き合い宜しくお願いします。




