先生、抱いて?
私、二海朋絵は、夏休みの前半を過ごすうちに自己嫌悪に陥っていた。
原因は、うん。分かってる。あの日のせいだ。
夏休みの初日。先生にキーボードを弾かせてもらって、お母さんを忘れて。その罪悪感の反動で体を火照らせて先生の部屋に突撃したあの日。
あの日から、毎日のようにするようになっちゃった。
エッチな子じゃなかったはずだけど、今の私は完全にエッチな子。先生といられるのが嬉しくて、でもしんどくて。その澱みが、私の体を毎晩火照らせる。
そうそう。何回か事件があった。事件と言うか、私がやらかしただけだけど。
事の発端は、先生が朝帰りした日だ。うん。さっき言ったあの日の、次の日。
私は、普通にしていたはずだった。ご飯を食べて、お風呂に入って。後は寝るだけと言う時間になって、それでも私はまだリビングに居た。
その時私が感じていたのは、不安だ。先生の顔を見てから寝よう。そう思ってずっと待ってたけど、先生は帰ってこなかった。
いつのまにか寝てて、頬に水気を感じて飛び起きたら先生がいた。先生が居ることに安心して、ちゃんと帰ってきたことに安心して。泊ってくるなんて言わなかったのに朝帰りしたことに怒って。私は先生に抱きついてわんわん泣いた。
そこから何かがおかしくなった。たとえば、お姉ちゃんがバイトで遅くなった日。
いつもより20分遅いくらいだった。でもその20分がどうしようもなく不安で、お姉ちゃんの姿を見て、一瞬お母さんを幻視して。でもお姉ちゃんひとりしかいなくて、私は泣いてしまった。
たとえば、先生が朝から出かけた日。ただおばさんに言われて買い物に行っただけだったけど、起きてリビングに降りて先生がいないことに気づいた私の心は荒んで帰って来た先生に当たった。
そういうことが何度もあって、私はお姉ちゃんと先生が予定の時間にいるはずの場所に居ない事や、二人が私を置いて行ってしまうことに不安を覚えることが分かった。
もちろん我慢した。だってそれは仕方のないことだから。でも我慢して、我慢して、我慢して、我慢し続けるとあるところで何も無いのに涙が止まらなくなることがあった。
私は変になっちゃった。でもどうしようもなくて、困っていたら先生やお姉ちゃんがもっと構ってくれるようになった。
なんでか分からないけど、先生は手を握ってくれるしお姉ちゃんは抱きしめてくれるからなんとなく満足していた。でも代わりに、たまに記憶が飛ぶようになった。
先生が手を握ってくれた後。いつの間にか景色が変わって、私は何故か先生に抱き着いている。
先生の体温や匂いが感じられるのは嬉しいけど、何が何だかわからなくていつも誤魔化す。
お盆の前になって、学校閉鎖日の前の最後の部活。自校での練習試合と言うこともあって、珍しく体育館に先生が来てくれた。
試合が始まる直前。なんとなく先生の気配がして振り返ると、本当に先生が居たからびっくりした。挨拶をして、チームメイトも先生を認識して声を上げる。
やっぱり先生は人気。ちょっと悔しくて、「見ててね」って心の中で言いながら私は拳を突き出してみる。すると驚くことに先生はノッてくれた。自分から私たちに触れたことは一度だって無いのに、わざわざ体育館の中に上がって私の拳に拳をぶつけてくれた。それを見たチームメイトが続いて、先生はそれに合わせる。
不満が無いわけじゃないけど、私だけにしたらヘンだもんね。
試合が始まって、ジャンプボールは私の役目。いいところを見せたかったけど、最初の小部では負けてしまった。でも仲間がスティールしたのを見て、私は自分の役割を果たすべく全力で前へ走った。
名前を呼ばれてボールが飛んできた。受け取って、ゴールを向く。シュートフェイクをかけて相手を飛ばせて、ジャンプシュート。
あう……。外した。
でも仲間がリバウンドを取ってくれて、セットプレーが始まる。スリーポイントライン上に分散して、ボールを回す。フォワードが私を見ながら手を上げて下がって来たのでスクリーンの合図。仲間にディフェンスを引っかけて、私はボールをもらう。
私じゃスリーポイントはギリギリ届かない。そもそもシュート率も悪いし、私はポイントゲッターじゃない。だから私の役目は、ゴール下でボールを絶対奪って、味方に繋げること。
ガードがディフェンスを置いて中に切れ込んできたのでパスを渡す。レイアップが決まり、私たちは急いで走った。
暫くパス回しがされて、ガードが抜いてきたのを見た私は咄嗟に体を滑り込ませた。すると私がついていた人にボールが渡って、そのままシュートを打たせてしまう。運よくボールはリングに弾かれて、丁度私の所目掛けて落ちてきた。
私が止めたガードの子と押し合って場所を取り合う。タイミングを合わせて、ジャンプ。「取った!」
ロングパスを出そうとしたけど、オールディフェンスで貼りつかれたので仕方なくドリブルでボールを運ぶ。抜ければいいけど、相手もそんなに甘くない。奪われないように注意しながら逃げていると、いきなりディフェンスが増えて進路をふさがれた。
マズイ。そう思ったけど、どうにもならない。既にドリブルは止めてしまったし、パスが出せる方向はバックコート。詰みだ。
いや、フィジカルがあればピポットを踏んでディフェンスに割り込みながらパスを出せるんだけど、覆いかぶさるようにプレッシャーをかけられて私はサイドラインを踏んでしまった。
そのあと何度も攻守交替して走り回って、息も絶え絶えになったところで第一クォーター終了のブザーが鳴った。ゼィゼィ言いながらベンチに戻って休憩。タオルで汗を拭い、水分を取る。私は何度も先生の方を振り返った。そのたびに目が合った。ずっと見てもらえていることに安堵して、私はその日の部活を頑張った。
途中で先生は居なくなっちゃったけど、お仕事だからしかたないもんね。
部活が終わって、家に帰る。そして私はすぐにお風呂に入る。べたべたして気持ち悪いし、先生に汗臭いって思われたら嫌だから。制汗剤も使ってるけど、やっぱり運動してると汗はかくし。
夜にもお風呂は入るから、シャワーだけ。最初に冷水を浴びると気持ちいい。前にそのことを先生に言うとどこから浴びているか聞かれた。ちょっと恥ずかしく思いながら頭から被ってるって教えてあげると怒られた。
心臓に負担がかかるから止めなさいって。手足から慣らしていくのが正しいらしい。あと冬場はお湯を混ぜる様に言われたけど、流石に冬場は寒いからやらない。
シャワーを浴びて、お風呂から上がる。
デニムのショートパンツにTシャツ。ラフだけど、人様に見せられる格好。本当はタンクトップを着たいんだけど、割とブラとか見えちゃうから封印。あと脇問題。先生に見られるのは恥ずかしいで済むけど、おじさんに見られるのは無理。
あ、嫌ってる訳じゃないよ。単純に先生には見せたい気持ちもあるけど、おじさんにはないってだけ。普通に恥ずかしすぎる。
冷凍庫にアイスキャンディーがあるらしいので有難く頂きます。
オレンジ味のアイスキャンディーを咥えつつ二階の部屋へ。部屋に入る前に猫が先生の部屋から出てきたので、屈んで指を突き出してご挨拶。ふくちゃん。妹の方。
部屋に入って、ベッドに身を投げ出す。部屋を改めて見ると、様子は違うけど元の家の自分の部屋の家具が我が物顔で鎮座している。
引っ越しは何とか終わった。あとは元のマンションを引き払うだけ。そういえば引っ越しでお姉ちゃんと大喧嘩した。だってお母さんの使ってる家具を処分しようとするんだもん。いつ帰ってきてもいいようにちゃんとおいておかなきゃ。置き場所が無いから、私とお姉ちゃんの部屋にとりあえずそれぞれ入れてるけど。
お母さん、本当にいつ帰ってくるんだろう。早く帰ってきてほしいけど、この家にお母さんまで住むと、その、失礼だけど狭いし、何よりちゃんと生活できるのにお世話になる理由も無いからまた引っ越ししなきゃいけないのが少し面倒。後先生と別れるのが寂しい。
新しい家に先生だけ連れていけないかな。……無理か。
先生が帰って来た。ただいまもそこそこに、屋根裏でごそごそしている。
気になった私は、先生に声をかけた。すると先生は、ベコベコになったボールを抱えて降りてきた。
うん。ボール。まぁ、埃も被ってるし、なんかばっちぃ。
先生の私物らしい。昔使ってたボール。うん。ばっちくない。きれい。埃をかぶってるだけ。
玄関で先生がボールに空気を入れる。手動だから結構きつそう。ボールに空気を入れ終えて、バテバテの先生の代わりに私がボールを拾い上げる。
なんだろう。部活で使ってるボールよりちょっと大きい気がする。あ、違う。これ、男子用のボールだ。
ボールを落として見るとよく跳ねる。押してみると硬い。多分、空気の入れすぎ。
それを先生に伝えると、先生は自分でも確認して空気をちょっと抜いた。
先生がボールを掴む。片手で。握力だけで掴んでる。凄い。
思わず先生の手を触らせてもらった。手のひらを合わせて、大きさを実感する。何度も触ったことはあるけど、自分の手と比べてみたのは初めて。自分の手とは全然違う。大きくて、かたくて、ごつごつした手。
この手で触ってもらったらもっと気持ちいいかな……。
そんなことを真顔で考えた時だ。
ぐっと、先生が指に力を込めた。指が反って、手のひらが突っ張る。先生がこんなことするなんて珍しい。そう思ったけど、なんとなくくすぐったくて、力を込めかえす。
指先が滑って、先生の手と私の手が絡まった。所謂、恋人繋ぎの状態。
さっきこの手でものすごい妄想をしていたのに、その事実だけで私は何も言えなくなってしまった。
名残惜しいけど、ずっと握っている訳にはいかないので手を離す。気まずい中、なんとか言葉をひねり出して、リビングに向かった。おばさんと先生の会話を聞いていると、先生は男子も見に行ったらしい。
練習試合を午前と午後で男女続きでやるのはよくやる。午前なら片づけをしなくていいし、午後なら準備をしなくていいから楽。
男子はどこと練習試合だったんだろう。ちょっと気になる。
先生に聞いてみたけど、相手は知らないらしい。男子の友達に聞こうと思ったら、先生がちょっと驚いたような顔をした。
私、友達少ないと思われてるのかな……。ほぼ学年みんなの連絡先持ってるんだけど。うん。クラスのグループとは別に。個人で。
具体的な名前を上げると、先生は今度は引き攣った笑みを浮かべた。
橘君と友達なの、そんなに変かなぁ……。まぁ変な雰囲気を感じてずっと友達でいようねって牽制をうったことあるけど、そんなの男子相手はしょっちゅうだし。
あ、はい。自分で言うのも何ですがモテます。男子は普段陰で絶壁とかまな板とか言ってるくせにね。
というかBカップは貧乳じゃないもん! 平均! ちゃんと揉めるふくらみくらいあるもん! ……揉みごたえは、あんまり無いかもしれないけど。
男子にはモテるけど、正直嬉しくない。私は先生一筋だから。女子もその辺分かってくれてるから、恋愛問題でぎくしゃくすることが無いのは有難い。多分他に先生が好きな子もいるけど、私ほど本気じゃない。それに先生は平等かつ公平だからやっぱり喧嘩は起きない。
女同士は恋愛で揉めると特に面倒なんです。よく味方してって言われるけど、どっちもどっちなことが多いから私は基本味方しない。肩入れするのはどっちかの勢力が大きくなってバランスが取れなくなってきたらかな。
いじめはダメ。それくらい当たり前のことなのに、ヒートアップすると目が見えなくなっちゃうからね。そんな子に冷や水をぶっかけるのが私の役目。やり方はいろいろあるけど、とりあえず各勢力のリーダー格の子を誘って一緒に遊びに行くのが多い。一緒に遊んで、愚痴を聞いて、本音を言わせて、それを相手に直接聞かせて、仲直りさせる。仲直りできないことも多いけど、私の味方になってくれる子はだいたいどっちにもいっぱいいるから、あとは一人で勝手にしてくださいっていうスタンス。
一人なら喧嘩だけどみんなでやったらいじめ。道徳の授業で先生が言ってた。それで、喧嘩はいっぱいしなさいっていってた。
あ、殴り合いの方じゃないよ。言いたいことをぶつけ合うのがいいんだって。うん。ぶつけ合う。言いたいことを言うだけ言って耳をふさぐのはだめ。一方的じゃ意味がないらしい。でも、一人でも相手が怖がって言い返せなかったらいじめなんだって。難しい。
まぁでもいじめにさえならなければ、いつの間にか仲良くなってることも多い。いじめられたら、仲良くなれない。小学校で、いじめられていた本人からそう聞いた。
いじめが終わっても、ずっと怖いんだって。
まぁ、そんな感じだけど、私の顔色をうかがう子がいるのがちょっと残念。仲良くしたいのに、ちょぴり怖がられてる。だからそういう子はあまり無理して誘わない。調子が悪そうだったら連絡するくらい?
あ、男子には滅多なことじゃない限り連絡しませんよ? あとしても夜限定。会話を切りたいのにだらだらと面倒な子が多いから。おやすみなさいでぶった切らないと延々メッセージとかスタンプ送ってくる。
向こうから勝手に送ってきたら、通知で内容を確認して未読無視。朝に既読にして、学校で会ったときに直接話す。まぁ、「おはよう。昨日はゴメンね」以外の会話を引き出せる文章を書ける男子は今のところいないんだけど。
とりあえず、男バスの誰に聞こうかなと頭の中であんまり食い下がってこない子をリストアップしながらご飯を食べていると、さっさと食事を終えた先生がなんだかウキウキしながらスマホを触っていた。
チラッと見えた画面は、だいたいみんな使ってる無料の連絡アプリ。それを開くのは別に変じゃないけど、先生の様子がものすごく気になった。
女?
いや、先生に好きな人がいても不思議じゃないんだけどね。なんかこう、もやっとする。
落ち着け。まだ確定じゃない。だから軋むな、私の心。
表情を隠して食事を終えた私は、じぃっと先生を監視し始めた。
何日か経ってお盆が開けて。先生に動きは無かった。変わったところと言えば自分の部屋やリビングでハンドリングをしていることくらい。
そう。ハンドリング。めっちゃうまい。私が部活でやってるメニューのような動きの他に腕の中でボールをぐるぐる転がして首の後ろを通してみたり、指の上でボールを回して見たり。
うん。あれはもう私の知ってるバスケじゃない。フリースタイルバスケ。でもぱっと見で分かるかっこよさ。男子の先輩や同級生とかがやろうとしてめちゃくちゃ練習してたけど、先生はよどみなく普通にやるからとてもかっこいい。
腕でボールを転がすのとボールを指先で回すのは出来る子もいるんだけどね。首の後ろを転がすのは初めて見た。
そんな調子の先生を監視しながら迎えたある日。先生は荷物を持って普通に出かけて行った。急いで着替えて後を追う。
ボールを持っていったからデートじゃないと思うけど……。いや、わかんない。自分で考えたらバスケデートもアリ。プレイしてると割と密着するし。
イチャイチャするなら申し分ない気がしてきた!
先生が向かった方向にあたりをつけて追う。多分駅に行ったんだろうという予想は当たっており、先生の姿を遠くに見ながら後をつける。
歩いて、電車に乗って、また歩いて。やって来たのは、スタジアム。野外に練習用のコートがあるところだ。先生は三人の男の人と合流してスタジアムの中に入っていく。
プレイヤーとして借りると中学生の金銭感覚だと少し高いけど、見物だけなら500円で入れる。
とりあえず合流した人が男の人だったことに安心して、先生がどんなプレイをするのか気になって。私は財布の中を確認しながら施設の中に入っていた。
お金を払って、通路を進んで。途中化粧室に寄って、簡単に終わらせていたメイクをばっちり決める。
気合を入れて、いざ出陣。別に何をするわけでもないけど。
今日は人がいない日みたいだ。
私はかぶりつきの席で先生を眺める。
しばらくパス回しを眺めていると、先生の顔面にボールが当たった。
パスミスしたやつコロス。
……。いけない。暴力は何も解決しない。先生もそう言ってた。
先生たちの視線が別の方を向く。視線の先には、入り口近くのコートで準備をしている同年代くらいの男の子が、三人。
視線を先生に戻すと、振り返った先生としっかり目が合った。
ばれちゃった。
軽く注意されて、先生の口調にちょっともやっとする。
いつも通りなんだけど、さっきまでの乱暴な喋り方じゃない。それに距離を感じて、もやもやして、先生の友達に先生との関係を聞かれた私はいじわるしたくなった。
「彼女です」
そう言ったらものすごく怒られた。当たり前だけど。
怒られたけど、帰れとは言われなかった。でも他の人を見に行ってもいいって言われたのは、ちょっとフクザツ。
というか、あれ? あそこにいるのって……。
互いに気づいた。いや、私の方は視線を感じてはいたんだけど。呼びたくは無かったけど、顔を見て気づいて無視するのは私のキャラじゃないから声をかけた。すると、三人は手を止めてこっちに来た。
分かってた。分かってたけど。来ないでほしかった。
来たのは橘君に高瀬君に長町君。同じ二年生の男バスの子。
適当に会話を聞き流してあしらいつつ、先生を見る。
え、まって。四人ともめっちゃうまい。何アレ。あ、先生がボール奪った。跳んだ。え、ちょ、高っ⁉ ダンク⁉
思わず会話を止めて見てしまった……。びっくり。
当たり前だけど、同級生三人も先生に食いつく。
……。何だろうこの気持ち。別に男子に見られたい訳じゃないけど、眼中になくなると……、その……なんか落ち込む。
もしかして私、男子に意識されるの気持ちよく感じてたのかな……。反省しよう。
時間が来て、お開きになった。
お邪魔虫はいるけど、そのお邪魔虫のおかげで先生とおおっぴらに街を歩けるのが嬉しい。しばらく歩いて、中心街。
「じゃあ俺は買い物があるのでここで別れます。皆さん、気をつけて帰るように」
先生がそう言った。じゃあ私も。
私が追従すると、男子三人もついてこようとした。でもこれ以上はだめ。ここでしっかり断っておかないと、家までついて来られかねない。
前の家なら別にいいんだけどね。今住んでるところは先生の家だから。一緒に住んでるってバレると良くないらしいし。
一人で行くって言っても食い下がられるのは目に見えているので先手を打つ。
「あれ、三人とも付いてくる気? 恥かくよ?」
「二海さん、何を買う気なんですか……」
「え、下着ですけど。オトナなヤツ」
お姉ちゃん直伝、男子を巻くための伝家の宝刀。下着を買いに行く。中学生までなら効果抜群。高校に上がるとついてくる猛者がいるらしい。
男子を追い返すと、先生に呆れられながら心配された。
先生についていくと、お店の方へは向かわず真っすぐ駅の方へ。
あれ……? 買い物は……?
もしかして先生は、私を、追い払おうとした……?
あ、だめ。だめ、だめ、だめ。
寒い。
私の意識は、そこで一旦途切れた。
しばらくして、暖かい温もりを感じて意識を取り戻す。
また景色が変わってる。ここは、どこだろう。カラオケ……?
とりあえずガチガチに強張った腕の力を抜く。
先生は、私の求める言葉を、求めるだけくれた。嘘の匂いはしないけど、その言葉が嘘だって言うのは分かってる。
私と先生は、一緒には居られない。先生は私を、生徒としてしか見てくれない。
だから私は、その悲しみを断ち切るように、いつも通りふざけた。そうしたら呆れられた。
私と距離を取って先生が座る。その距離が示す心の壁を越えたくて、私は物理的に距離を縮めた。
先生の横で、先生の体温を感じながら、先生を見る。先生は私を好きにさせながら、スマホの画面に目を落としている。
私がやらかした後の先生は、私に甘い。基本何しても怒らない。
だから私は、レシートに印刷されたフリータイムの文字を見て曲を入れた。
先生は驚いてたけど、やっぱり怒らない。
入れた曲は、ちょっと古い曲。激しいロックだけど、疾走感があって気に入ってる。歌詞は全部英語で意味は分からないけど、フィーリングで気に入っている曲だ。
その曲を、私は八つ当たりするように歌い上げる。
こんな自分がどうしようもなく嫌で、ストレスを発散するように。
歌い終えて、私は椅子に身を投げ出した。
話をしながら端末を操作する。その横で、先生が動いた。
私は、臆病だ。肝心な時に、必要な時に、いつも声を上げることが出来ない。自分でなんとかしてきたから。どうにかなったから。でもお母さんが居なくなってから、どうにもならないことが増えた。
笑っていたいのに、泣き叫ぶことが多くなった。
みんなに迷惑をかけて、先生に迷惑をかけて、お姉ちゃんに迷惑をかけて。
限界まで助けを求められない私。
私の手が、先生のベルトを掴んでいた。
自分の行動の意味が理解できなかった。先生は飲み物を取りにいこうとしただけ。どこかに行ってしまう訳じゃない。絶対に戻ってくる。そう、分かっていたのに。
ああ、そうか。私はもう、ずっと限界を超えてたんだ。
先生が、命綱なんだ。
お姉ちゃんじゃだめ。一緒に落ちて、ぐちゃっとなるだけ。
宙ぶらりんの私を落とさないように留めてくれるのは、先生だけ。
私の視野は、いつの間にかだいぶ狭くなっていた。
細い。
いつ切れてもおかしくない、時限性の繋がり。
切れない繋がりが欲しくて、もっと強いつながりが欲しくて、欲が私を支配していく。
家に帰って、自分の部屋に入って、立ち尽くす。
また自分を慰めるつもりだった。でも今の私は繋がりに飢えていて。
ドアの外に、足を向けた。
足音を消して、先生の部屋に入る。先生は珍しくヘッドホンで音楽を聴いていて、側に寄ると盛大に音漏れしていた。
先生の手を握る。
先生が目を開ける。
先生のベッドに腰かける。
先生はじっと私のことを見ている。
体を倒して先生と添い寝する。
先生は何も言わない。
先生の腕に触れる。
先生は嫌がらない。
先生と脚を絡める。
先生は逃げない。
先生と体を密着させる。
ベッドでここまでしても、先生は何も言ってくれなかった。
起き上がり、先生の腰に馬乗りになる。ちょっと期待した感覚が無いことを残念に思いながら、私は先生の体に自分の体重を預ける。胸をこすり合わせる様に体をずらし、先生の顔を見る。
顔を寄せる。
目は閉じたくなかった。一瞬でも瞬きしたら、居なくなってしまうような気がしたから。
私の唇が触れる。先生の手に。差し込まれた手は、確かな拒絶。
どうして。どうして受け入れてくれないんですか。私には先生しかいないんです。
焦った私はシャツに手をかける。でも先生は、その手を掴んでとめた。
また拒絶されたのが悔しくて、でもその目や手の暖かさがとっても優しくて。
先生。好きです。
私は懇願する。
抱いてほしい。教師と生徒じゃない、確かなつながりが欲しい。壊れそうな私がばらばらにならないように、めちゃくちゃにして先生の体に繋ぎとめてほしい。
そうじゃないなら。そうしてくれないなら。もうこれ以上優しくしないで。
「この部屋の外では、普段通りにできると約束できますか?」
先生の態度と雰囲気が変わった。
「約束できるなら、夜、寝る前に部屋を訪ねて下さい」
え?
嘘。
嘘だよね?
……本当?
いいの?
信じて、いいんですか? 先生。
期待して、いいんですか?
私を残して、先生は部屋を去っていく。しばらく呆然としていた私は、夕飯に呼ばれて我に返った。
夕食を食べ終えて。順番にお風呂に入る。
ガチガチに緊張したままシャワーを浴びる。いろんなところを念入りに洗って。
そういえば、昼に先生の友達が先生は髪フェチだって言ってた。
私の髪、綺麗かなぁ……。普段からケアはしてるけど。
悩んでも仕方ないからゆっくり浸かってお風呂を上がる。水を一杯貰って部屋に戻り、時間を待つ。
時計のカチカチという音がやけに大きく聞こえる。先生が部屋に戻ってきたのも、音で分かった。
私は立って、ドアのノブに手をかけた。でも、足が竦んで手が震えて、動けなかった。
しばらく深呼吸して、手が動くようになった。でも同時に考えられるようになって、自分の格好が目に留まる。
この格好で抱いてもらうの? こんなヨレヨレの寝間着姿で?
駄目駄目駄目!
私は慌ててクローゼットを開け放った。
可愛い服可愛い服! その前に下着!
クローゼットから服を散らかし、私はあるアイテムを取り出した。
それは友達といっしょにふざけて通販で買ったスケスケのベビードール。恋する相手に見せようときゃあきゃあ言いながら買ったやつ。
まさしく今、その時望んだ状況では?
服を脱ぎ去り、ベビードールを身につける。
上も下も全部セットだから統一感があって可愛い、ん、だ、け、ど……。
やっぱ透けてるぅ! え、こんなの見せるの⁉ ギリギリでしか隠れてないんだけど⁉
パンツは薄く生えている毛が見えるほどの超ローライズ。ブラは無くて、胸も薄いガーゼみたいな布がちょっと多く重なってるだけでぽちっと先端が膨らんでるのが分かるし、その部分の肌の色の変化も分っちゃう。
いや、でも……。いや! これで行く! 行くったら行く!
再びドアの前に。ノブに手をかけて、また固まる。
いや、無理でしょ。無理だって。無理無理無理。
でも。
ここで逃げたら、きっと私に未来は無い。
ぐっと唇をかみしめて。私は布団をひっつかみ、それを纏って部屋を出た。
先生の部屋に入ると、先生は寝ていた。
当たり前だ。先生の部屋の時計の短針は、文字盤の4を指していたから。
そのまま帰れば良かったのかもしれない。でももう覚悟完了しすぎて後には引けなくなっていた私は、先生の肩に手を置いて揺さぶった。
先生が、起きちゃった。
先生がベッドに誘ってくれる。私は目をぎゅっと瞑って、纏っていた布団を落とした。
目を開けられない。脚も竦んで動かない。代わりに、先生が動いてくれた。
そっと、抱きしめられる。
緊張して、それでも頑張って身を委ねようとして、先生が発した言葉の意味が解らなかった。
体を離して、問う。
先生は、私を抱く気が無い。
すとんと、視界が下がった。
ああ。怖かった。本当に、怖かった。抱いてほしいのは本心だったけど、女として抱かれるにはまだまだ私は子供で、怖がりで、度胸と覚悟が足りなかった。
話の前に着替えて来いと先生に言われて部屋に戻って、急いでいたこともあって散乱した服からコーデを選ぶことが出来ずにいつものヨレヨレの寝間着を着て先生の所に戻る。
膝の上でもどこでも好きな所に座っていいと言われたので、憂さ晴らしも兼ねて先生の膝に座ってやった。
さっきは緊張で気づけなかったけど、先生の雰囲気が変。いつも感じていた壁を感じない。踏み込めば、どこまでも近づけそうな恐怖。それを消そうとして、私は先生の腕を自分に巻きつけた。
先生は、この部屋限りで先生をやめると言い出した。
意味が分からない。でも先生の言葉を聞いて、雰囲気の変化の理由がよくわかった。
壁が無いわけだ。私は今、先生の生徒じゃないから。私は今、先生の目に、生徒じゃなく一人の気遣うべき未成年の女性として映っている。
それは、先生が受け入れてくれたということ。教師と生徒と言う肩書を、忘れさせてくれると言うこと。だから、成人さえすれば。
「期待して、いいんですね?」
私の言葉を、先生は否定しなかった。キス未満の事ならしてくれるとも言った。その代わり、先生と呼ぶことを禁止された。
この場所で、私が先生とのつながりを感じるための、ルール。
「紀行さん……?」
なんか違う。しっくりこない。
じゃああだ名をつける? それも違う。
先生の雰囲気を見て、兄のようだと思って、それがカチリと嵌った。
「紀行兄さん。違う。……ユキ兄。これだ。ユキ兄」
そう言って私はユキ兄の胸に顔を埋めた。
先生じゃないユキ兄は、頼めば私に気軽に触れてくれる。抱きしめてくれる。
嬉しい。
こうして私は、ユキ兄のいもうととしての繋がりを手に入れた。欲しかったものとはちょっと違うけど、それは私を安定させるのに十分だった。




