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朋絵の覚悟と紀行の行動

 お盆の学校閉鎖日を目前にした日。今日も今日とて出勤していた俺は、体育館に居た。

 茹だる様な暑さだが、大型扇風機が稼働しているのでまだマシというものである。

 今日はいつもと違い、他校の生徒もいる。夏季大会で一回戦負けしたうちの学校と、同じように負けて手の空いている他校との練習試合が組まれていた。

 練習着に身を包んだ女子バスケ部員がボールを手に飛んだり跳ねたり試合前のアップをしている。呼ばれているのは三校。うちを合わせて計四校が体育館内に揃っていた。

 揃いのユニフォームのところもあれば、バラバラの所もある。うちの子たちのユニフォームはバラバラ。人数はどこも12、3人。三年生が引退して、新体制になったばかりのチームだ。

 何とはなしに俺はコート内に視線を向けている。意識しないと吸い寄せられるのは、教え子で、俺のことが大好きな、血のつながらない家族。

「パス!」

 ハーフラインの端から彼女が駆けだす。紺のシャツを翻し、白いバスパンとシューズを輝かせて。トレードマークのポニーテールを靡かせながら。

 ゴールに向かって風のように駆け、少し早いタイミングで出されたバウンドパスを受け取る。一回ドリブルを挟んで調整し、体を捻ってレイアップ。綺麗なフォームでリングに置かれたボールは、縁をくるりと回って外側に落ちた。

 うちのバスケ部は、下手ではないが上澄みではない。小学校にミニバスがあるおかげでそこそこの土台はあるのだが、市立の環境ではガイドラインが厳しくてガッツリやることは叶わず、だいたいどこもほどほどの実力になる。言い訳にはなるが、今年一回戦で負けたのは相手が私学の強豪校だったからだそうだ。

 うん。全国常連のとこ。相手が悪かったとしか言いようがない。余裕でダブルスコアだったらしいし。しかも相手は二軍。もしかしたら三軍。どうしようもない差というものが世界にはあるのだ。

 ボール、しばらく触って無いなぁ。中学の時はガッツリやってたけど、部活の雰囲気が嫌で、貸しコートで身内でストバスやってただけだからなぁ……。

 久々にボール触りたくなってきた。探すのは面倒だけど。

 意識をコートに戻すと、練習メニューが終わったのかフリーシュートをしていた。あちこちからボールが一点に投げ込まれ、入ったりはずれたり弾かれたり。あらぬ方向に飛んで行ったボールを他校の生徒に取ってもらったりもする。

 審判役の他校の先生が笛を慣らし、子供たちがコートからはけた。

 普通の試合だとベンチがTOの横にあるのだが、今回は四校合同なので無人のタイマーの横にもベンチがある。

 俺は外から自校のベンチに近づくと、開け放たれた鉄扉の外から体育館の中を覗き込んだ。

 すぐに気づいたのは朋絵ちゃん。後に目があるのかと思うくらいの速さで俺が居ることに気づくと、ベンチに座ったまま手を振って来た。

「せんせー!」

 その言葉にチームメイトたちも後ろを向く。反応はまちまち。興味なさそうな子もいれば、朋絵ちゃんのように手を振ってくれる子もいる。だが有難いことに嫌そうな顔をする子はいない。

「時野先生、どうしたんですかー?」

「みんなの応援にね。差し入れとかは無いですけど、気持ちだけ」

「公式戦の時に来てほしかったー」

「練習の時も見に来てくださーい」

「あはは。公式戦は見に行けなくてごめんなさい。いつも応援してますから、それで勘弁してください」

 なんとなく朋絵ちゃんに視線を向けると、「んっ」と胸を張って拳を突き出して来た。俺は靴を脱いで体育館の中に入ると、朋絵ちゃんの拳に自分の拳をこつんとぶつける。

 朋絵ちゃんと気まずかったのは解消している。原因が解決したのかどうかは分からないが、とりあえずいつも通りに戻った。

「あ、私もー」

「先生私もー」

 二年生全員が拳を突き出してくる。俺は接触を要求してきた全員と拳を合わせ、苦笑いを浮かべた。

「時野先生、相変わらず人気ですね」

「お疲れ様です、早乙女先生」

 早乙女先生は女子バスケ部の顧問で、俺が副担をしている二年二組の担任の先生だ。教科は英語で、部活も授業も微妙なラインで厳しい女の先生。

「見ていかれますか?」

「ええ。でもすぐ退散できるように外で」

「……中の方が生徒も喜ぶんじゃないですか?」

「いや、上靴履くのは面倒ですし、靴下だとワックス剥げるし……」

「コートに入らないなら問題ないと思いますけどね」

 そう言って早乙女先生は俺から視線を外す。その背中はお好きにしてくださいと言っていた。

 ピッと笛が鳴る。

「集合」

 大きな声を上げてベンチの生徒が早乙女先生の前で扇を作る。

「様子は見るけど、インターバル以外の交代は無し。オフェンスは基本速攻だけ。全員エンドラインを触るつもりで走ること。ディフェンスはハーフディフェンス。点は取られてもいいから、とりあえずこれもエンドラインを触るつもりで戻ってくること。いい?」

 うわぁ、とことん走らせる気だ。

「スタメンは長塚、郡谷、奥野、二海、あと……所田。順番にガード、フォワード、センターね。左右は自分たちで決めていいよ。郡谷は左利きだから、得意な左で楽しても苦手な右で追い込んでもいい」

「右がいいです」

 早乙女先生の挑発に郡谷さんがすぐさまかぶせた。

 こういう追い込むのが嫌でストバスに逃げたんだよなぁ、俺。

 ポジションが決まり、各々好きな番号の白いビブスを来た五人がコートに散っていく。朋絵ちゃんは、28番。

 時間が惜しいらしく挨拶も無しだ。

 ジャンプボールは朋絵ちゃん。トスが上がり、朋絵ちゃんと相手の選手が飛ぶ。高くジャンプし、ボールに手を伸ばし。朋絵ちゃんの手はボールに触れたが、少し届かなかった。

 相手校のオフェンスで試合が始まる。すぐさまパスが出され、それが白いビブスにカットされる。カットした子がボールを振り被る。嘘だろと思ってゴールの方を見ると、既にセンターの二人が走っていた。

「朋絵! 篠!」

 その声に前だけを見て全力ダッシュしていた二人が振り返り、ボールを目に捕らえた。ボールを受け取ったのは朋絵ちゃん。だが相手がすぐに追いついてくる。朋絵ちゃんはその場で体制を立て直して、シュートフォームを取る。

 相手の子は走り込んだ勢いのままジャンプした。だが朋絵ちゃんは屈伸しただけ。完全なフェイク。行き過ぎはしなかったが落ちる相手を確認し、朋絵ちゃんはジャンプシュートを放った。

結果は、不発。だがすぐに味方がリバウンドを取り、セットプレーが始まる。ボールをゴール下からガードに戻し、すぐさまフォワードの子が朋絵ちゃんの方に駆ける。それを見た朋絵ちゃんはスクリーンにデイフェンスを引っかけ、ほぼフリーの状態でスリーポイントラインをなぞるように上がる。パスが通り、ガードの子が走る。ボールを戻して、ガードの子がゴール下へ。

 レイアップ。ゴールリングに置かれたボールは一瞬止まって、リングの中に吸い込まれていった。

 五人が走って戻る。相手方はゆっくり攻めるらしい。

 ガードがボールをセンターラインに運び、踏み越えるぎりぎりでフォワードにパスを出す。何度かパス回しをして、ガードの子がドリブルで切れ込む。察知していた朋絵ちゃんがカバーに入って防ぐが、そのせいで開いた、スリーポイントラインまで下がったセンターの子にパスが通る。そのままシュート。ボールはリングに弾かれ、リバウンド勝負。

 ボールはゆっくり朋絵ちゃんのほうへ。相手の子と体で押し合い、ボールを狙う。

 相手の子のジャンプは、少し早かった。

「取った!」

 その声で四人が走り出す。相手はオールコートディフェンスのようだ。パスは通らず、仕方なく朋絵ちゃんがボールを運ぶ。

 ドリブル。時折股を通してフェイントを淹れつつ、大外に逃げながらハーフラインを越える。その時にはもう遅かった。上がって来たディフェンスの子がダブルチームで朋絵ちゃんをセンターラインとサイドラインの角で閉じ込める。

粘っては見るが、プレッシャーに負けてサイドラインを踏む。ピッと笛が鳴った。

 攻守交替を何度も繰り返して、点を取る。時にはショットクロックに引っかかったりもしながら試合が進み、インターバルへ。

 五人は肩で息をし、荒い息をついていた。

「お疲れ様。じゃあ五人は交代。次に出るのは尾代と華口は確定として……近藤と……徳野と森田。行ける?」

 その言葉に一年生三人が元気に返事をした。

「華口がガードね。尾代は右フォワード。あ、ごめん。やっぱなし。徳野がガードやってみよう。二年生はセンター。分かった?」

 インターバルが終わり、交代の五人がコートに出ていく。

 頬を上気させ、タオルを首に引っかけたままスクイズボトルを咥える朋絵ちゃんと目が合った。その後第二クォーターを見届けて、俺は職員室に戻った。


 家に帰る。その脚で屋根裏に向かい、目的のものを探す。

「あるぇ? 捨てたんかな……」

 がさごそやっていると、それに気づいた誰かが近づいてくるのが足音で分かった。

「先生ぇー、何やってるんですかぁー?」

「うーん。ちょっと探し物……ぁあ! あったあった!」

 やっと見つけた人工皮革の屋内外両対応の古い七号球。空気が抜けてベコベコなそれを持って屋根裏から降りる。

「ボール?」

「そ。俺の私物」

 ボールを持って玄関へ。立てかけてある自転車用の空気入れのチューブの先をボールの空気穴に刺し、ハンドルを握って上下。

 しばらくシュコシュコして、ボールに空気が入ったのと確かな疲労を感じたのは同時だった。

 バテている俺を余所に、朋絵ちゃんはフローリングにボールを落として空気の具合を確かめる。

「入れすぎかもです」

「マジ?」

 自分で確認して見ると、確かによく跳ねる。チューブの先を差し込んで空気を抜いて、調整。

 うん丁度いい。

 俺はボールを右手でつかみ、腕を伸ばしたままボールを上下させる。左手でも同様に。

「おお~」と朋絵ちゃんが感嘆の声を上げた。

「先生、手、見せて下さい」

「ん? どうぞ?」

 ボールを脇に抱えて手のひらを上に向けて差しだす。両手でつかまれた腕はねじられて、張り手のようにさせられる。その手に、朋絵ちゃんの手が合わせられた。

「わ、やっぱりおっきい……」

 俺はちょっと指に力を入れてみる。間違っても大事な指を傷つけないように、ちょっと遊び心を込めて。

 朋絵ちゃんの指がくっと力を込めかえす。

 なんだろう。ちょっと楽しい。娘とのコミュニケーションってこんな感じなのだろうか。

 二人でぐ~っと力を込めて、指が滑って互いに互いの手を握る。

「……」

「……」

 沈黙の後、俺たちはそっと手を離した。

「……もうすぐご飯、できるみたいです」

「分かりました」

 俺たちは並んでリビングへ向かった。

 リビングに入って、ソファに拭いたボールを置く。

「あら、あんた、また懐かしいもの持ち出して来たわね」

「うん、ちょっと。今日朋絵ちゃんの練習試合見てたんだけど、その後男子のも見たら余計にボール触りたくなっちゃって」

「あー、まぁ、あんた影響されやすいもんねぇ」

「男子のも見たんですか?」

「え? ああ、うん」

「相手どこですか?」

「いやぁ、相手さんがどこかまではちょっとわかりませんね」

「あ、了解です。友達に聞きます」

「あ、当てがあるんだ……」

「え? そりゃ私だって男の子の友達くらい居ますよ。友崎君とか橘君とか足立君とか」

 三人ともバスケ部の子だ。

あれ、確か橘君、年度初めに朋絵ちゃんに告白して玉砕したって噂が流れてなかったっけ?

「橘君とも仲いいんですか?」

「え? はい。友達ですよ?」

 本当に、本当に不思議そうに、どうしてそんな質問をするんだろうという顔をする朋絵ちゃん。

 深くは訊くまい。頑張れ青少年。

「どうしたんですか、先生。そんな美術の授業で見た仏像みたいな顔して」

「え、あー、いや……、何でもないです。気にしないでください」

 香苗さんを除く四人で夕食を取る。香苗さんは今日は珍しく夜シフトのバイトだ。バイトの場所は中心街にあるファミレス。学生時代にはお世話になりました。あの時から会社は変わったが、ファミレスという機能も店内もそのままにまだ存在している思い出の場所だ。

まぁ、雰囲気は変わったが。

みんなで遅くまで勉強して。そのあと何故か増える面子でカラオケに移動してオールして。

楽しかったなぁ、あの頃は。体力もあったし。

よし決めた。今度遊びにいこう。あ、でも忌中の二人を差し置いて遊ぶのは気が引けるか。うーむ……。

二人の忌中はちょうど盆に終わる。なのでうちの法事といっしょにしてもらう予定だ。

遊びに行くとしたら、盆休みの後半。そこなら問題ない。

そう思って俺は懐かしい面々に連絡を飛ばし、貸しコートの予約をした。


盆が過ぎて、一番早い土曜の午前。俺は昔よく来ていた貸しコートに居た。人を誘っては見たが期待はしておらず、正直独りで遊ぶ予定だった。だが。

「よう」

「お久~」

「もっとマメに連絡寄こしやがれコノヤロー」

 俺を含めて四人集まった。中学校からを含む、昔の面子は十人。面子を入れ替えながらここの野外に並んだ3x3のコートでよく遊んだものだ。

 来てくれたのは声をかけてくれた順に順平、桐吾、貞宗。

 貞宗の右ストレートを左手で受け止めながら右フックを返す。が、止められる。それが、俺たちのコミュニケーション。

「わりぃ。余裕なくて」

「教師って忙しいのか?」

「んー、ぼちぼち?」

「それなら適当に連絡くらいくれよ。ストバスグループ今でも動いてんの知ってんだろ?」

「気力がなぁ……。というかよく来てくれたな」

「おう。俺は盆の間働いてたからな。今が休みだ」

「僕は休業中~。あ、病気じゃないよ。半フリーランスだから」

「俺は店を臨時休業にしてきた」

「おいおい」

 和気藹々と話しながら施設に入り、着替えてコートに出て体をほぐす。適当にあったまったら、自前のボールでパスを回す。そうしていると、離れた別のコートに見知った顔が現れた。

「ぶべっ⁉」

 パスを受け損ねて顔面で受ける。

「あ、スマン。ミスった」

「いや、俺が受け損ねただけだから……」

 そう言いながら視線は他の利用者の方へ。

 いやまぁこの辺の地域だとここが最安値だから居てもおかしくないんだけども! 自転車で来れる距離だし!

「紀行、どした? ……あっちの子供、知り合い?」

「あー、うん。多分教え子」

 男子バスケ部の子たちだ。先日朋絵ちゃんから名前の挙がった橘君も居る。

 まぁ離れているしバレることも無いかと気を取り直してボールを構える。だがみんなの視線は俺の後ろに向いたまま。

「どったの?」

「いや、間違ってたらスマン。普通に見学客だとは思うんだけど、もしかしたらと思って。その、後ろ」

「え?」と言いながら俺は後ろを振り返る。俺はゴールを向いていた。俺の背中には、施設の壁。壁の前にはネット越しに見学席があり、そこに座っているのは、パンクファッションに身を包んだポニーテールの女の子。

「やほー、せんせ?」

「ぎゃあ⁉」

 ボール避けのネットに張り付くように、朋絵ちゃんが手を振っていた。

 ここのコートは一団体六人以下のカウントで一コートを割り当てられる。その他に見学用のチケットがあるのだ。見学は利用者がいれば料金はかかるがワンコインで見物することができる。プロが拠点にしているスタジアムに併設されているので、タイミングが合えばプロの練習を気軽に見られると割と人気。朋絵ちゃんは、そのチケットを使って入っていた。

「何で居るんですか……」

 俺の丁寧口調に三人が噴き出す。

この野郎ども、後でシメる。

「来ちゃいました」

「来ちゃいましたって……」

「先生を見かけたので」

 うん。ちゃんと外での約束は守ってくれてる。

 教え子と一緒に住んでるとか事案だからね!

 その上でさっきの言葉を意訳しるとこうなる。

 家から出ていく先生を見かけたので気になってついてきちゃいました。

「ストーカーみたいなことはやめましょうね?」

「はーい。で、大人しくしてるんで、見てていいですか?」

「ぇえぇ……」

 俺は三人の方を見る。

「お前次第じゃね?」

「うん。何かあるのは紀行だけだしね~」

「……」

 たしかに問題があるのは俺だけだ。だが朋絵ちゃんは正規の手段で入ってきているし、俺の方にしても咎められることは何もないのである。本来ならば。

 一緒に住んでいることで学校以外で公に接触しているとどうにもマズイ気がしてならない。

「紀行」

 さっきから黙って腕を組んでいた貞宗が口を開く。

「何だよ」

「お前、教え子に手ぇ出したの?」

「出しとらんわ。冗談でもそう言うこと言うなホントにマジ勘弁してくださいまだ警察のご厄介にはなりたくないです」

「あ、スマン。いや、でも……なぁ?」

 貞宗は順平と桐吾に同意を求めた。二人が頷き、三人が俺と朋絵ちゃんを見る。そして揃って「距離が近い」と言った。

 ぎくりとしながら俺は笑みを張りつける。

「普通だろ」

「あ、久しぶりに見たよ紀行の嘘ついてる顔~」

「そこなお嬢さん、紀行とのご関係は?」

 聞かれた朋絵ちゃんは揃えた膝に置いていた手を持ち上げて指で顎を押し、視線を斜め上に向けた後、輝くような笑顔で言った。

「彼女です」

「おいぃぃ⁉」

「え、ガチ? 紀行、ガチ?」

「お前、ロリコンだったのか。ようこそ同志。歓迎しよう。盛大にな」

「いつかやると思ってましたぁ~」

 あ、これはふざけ倒してるわ。信じちゃいないのは有難いが、何かすっごい腹立つ。

 旧友の馬鹿笑いをBGMに、俺は朋絵ちゃんを凄む。

「二海さん」

「あ、あはははは。ごめんなさい」

「世の中言っていいことと悪いことがあります」

「はい」

「あのね、別に俺の評判はどうでもいいんです。でも俺の彼女ですとか言うとパパ活してるとか体を売ってるとか、根も葉もないはずの噂に水を与えて芽吹かせることになるんです」

「……はい」

「すると君がそう言う目で見られて、厄介なことを引き込むことになります」

「……ごめんなさい」

「反省しましたか?」

「はい……」

 朋絵ちゃんの様子を見て、俺は一つ息を吐きだした。

「飽きるまでは、見てて構いません」

「はぇ? 帰らなくていいんですか?」

「お金、払ったんでしょう? なら君はもうギャラリーです。あっちの子たちの方がいいなら、席を移動しても構いませんよ?」

 まぁこっちに居ても退屈はさせないけどと言いながら、そうして俺はさっきからちらちらとこっちを見ている男子たちの方を指さしてやる。

「……。橘君に高瀬君に長町君! やほー」

 声をかけはするが移動する気はない様だ。俺としては行ってくれた方が健全なのだが。

 すると朋絵ちゃんの言葉で完全に認識した三人がやってくる。

「やっぱり二海で合ってた」

「久しぶり。元気にしてた?」

「……よう」

 おーおー。露骨だねぇ。俺もこんな時期が……あったっけ?

 何はともあれ朋絵ちゃんに意識が行って俺には気づかれていないようなのでコートに戻る。

「続けるぞー」

「いいけど、いいのか?」

「いや、同級生といた方が健全だろ」

「後で恨まれても知らないよ~?」

「コイツこうやって飴と鞭使い分けてガチ恋女量産してたよな。」

「ダウト。ガチ恋女が量産されてるなら俺には彼女が居たはずだ」

「バーカ。告白する勇気もない陰キャばっか仕留めてたからだろ。お前が告ってくれればってやつ多かったぞ? ほら―――とか」

 ん? 今名前が聞き取れなかったな。

「貞宗」

「あっ」

「何故俺を見る?」

「何でもない。気にするな」

「そう……か? なら気にしないけど。けどそうか……。よく相手を見て選んでれば彼女がいたのか……」

「しょうがないよ~。だって紀行、派手な子好きだったじゃん」

「そうだな。確かにそうだ。というかあの子のカッコとか性格ドンピシャだろ」

「言えてる~。そのくせ茶髪の子とか嫌いだったよねぇ~。髪が痛むとかなんとか」

「ああ、そうそう。コイツ重度の髪フェチだった。顔じゃなくて髪で選んでたよな」

「お前らちょっと黙れ」

 コートの中で2on2をしながらそんな会話をする。

 怒りに任せて奪ったボールを、乱暴にリングの上から叩きつける。

 あ、やべ。貸しコートって基本ダンク禁止だった。

「おぉ~」と言う歓声が外野から四つ飛んでくる。

 と言うか、君らまだそこに居たのか。そこそこ高い金払ってんだからプレイしろよ。時間無くなるぞ?

「お前、まだ、そんな飛べんの?」

「いけるいける」

「歳考えろ。身体いわすぞ」

「ちょっと休憩~」

 桐吾が座り込んだので俺たちも腰を下ろす。

「せんせ~! カッコイ~!」

 黄色い声を上げながら手を振る朋絵ちゃんに苦笑いを浮かべながら手を振り返す。

「先生?」

「え、学校の?」

「誰?」

 男子三人がじぃっと俺の顔を見る。

「時野先生じゃん!」

 最初に気づいたのは橘君だ。

「俺、そんなに印象薄いですか?」

「いや、Tシャツ短パンにヘッドバンド姿の先生がイメージとかけ離れていただけっす。というかダンクできるんすね!」

 三人がキラキラとした目で見てきて少々こそばゆい。

「先生身長いくつっすか?」

「178」

「そんだけあったらダンクできるんですか?」

「あー少年たち。夢は見ないほうがいい。コイツ、昔からジャンプ力だけは異常だったから」

「そうそう。梯子まで行くのが面倒だからって、二階の吊革みたいな金具掴んで登ってたよな」

「あー、古い体育館は行けるけど、この子たちが使ってるような新築の体育館は無理だぞ。昔より高くなってるし。あとあそこ、今生徒は立ち入り禁止」

「え、あそこ登れないの? じゃあゴール係は?」

「ゴールは電動」

「はぇ~」

 息が整ってきたのでプレイを再開する。

 ボールは貞宗が持っている。まだ遠いが、一歩引いてシュートフォームに入る。

「させるか」

「甘い」

 フェイントに引っかかって抜かれる。だが。

「スティ~ル」

 桐吾がドリブル中のボールに手を差し込んで奪う。

 気の抜けた奴だがプレイは巧い。

「桐吾ナイス」

「No problem」

 学生の頃から英会話は上手かったが、昔より流暢になっている。仕事はほとんど英語でやっているそうなのだが、コイツの仕事を俺は知らない。別に知らなくてもいい。だって友達だから。気にならないわけではないが、気にするほどでもないのだ。

 今度はボールを手に持った桐吾からそのままスタート。順平がディフェンスにつく。プレイを始めようとして、誰かの携帯が鳴った。

「この着信音、俺のオカンだわ」

 そう言って貞宗が電話に出る。

「もしもし? …………。は? マジ? すぐ行くわ。…………。ああ、大丈夫。今日店閉めてるから。……。何でって、紀行に誘われたから……。…………。あーはいはい説教は後で聞くから。とりあえず行くわ」

 げんなりした様子の貞宗が荷物をまとめる。

 一体全体どうしたと言うのか。

「オカンが腰やったらしい。ちょっと行ってくる」

「お、おう。気をつけてな」

 俺はそう返すのが精いっぱいだった。

 一人欠け、三人でやるかどうか相談する。俺は元々一人で遊ぶ予定だったので残るつもりだ。そう伝えると、順平と桐吾も残ると言った。

 三人でどうしようか。

「のんびりフリースローにしよ~?」

「採用」

 交代でフリースローをしながら、のんびりと会話をする。

「なぁ紀行よ」

「なんだよ」

「あの子、割と優良物件じゃね? この短い時間でなんとなく人の良さが分かる子だし」

「それは否定しないけど生徒を女として見たら人生終わるんよ。あと年齢考えろ。まだ十四歳だぞ。あと四年たったら俺たちは三十七だ。四十が見えてるおっさんが手ぇ出したら完全に犯罪だろうが」

「十九歳差は、デカいか」

「当たり前だ」

 俺の番が来てボールを構え、右手を押し出す。

 パスッと音を立ててボールがゴールに吸い込まれる。

「でもあの子、お前の事好きだろ?」

「まあ、なっ」

 二投目も、リングの中へ。

 十年近く触っていなかったが、案外体が覚えてるもんだ。

「で、お前も好きだろ、あの子の事」

 バシンと、ボールがリングに弾かれた。

「大丈夫。子供らはおしゃべりに夢中で聞かれちゃいない。お前、気づいてないかもしれないかもしれないけど一生徒に向ける目じゃなかったぞ。なんていうか……妹? を見る目に近い気がする」

 順平はいつも核心を掴むのが上手い。コイツに隠し事は無意味だ。

 だから順平の言うことは正しいのだろう。

 生活を続ける中で、朋絵ちゃんはきっと、俺の中の生徒の枠から外れてきている。

「そろそろ所帯持つこと考えた方がいいぞ。待ってるのは孤独だ」

「へいへい。わかってるよ。結婚願望が無いわけじゃないんだ。出会いがないだけで」

「あぁ、まぁ教師は出会いが少ないって聞くな。というか、気になってる人いないのか?」

 そう言われて考えてみる。昔みたいに「惚れた!」みたいなのは無い。でも関係が近いとなると……誰になるんだろうか。

 俺の脳裏には何故か三人もの顔が浮かんだ。

 一人は分かる。処辺先生だ。懐いてくれる同僚で、服の趣味を除けば好みの範疇。職場恋愛として考えるなら一番近い位置にいると思う。向こうがどう考えているか分からないが。

もう一人は香苗さん。血も繋がっていない、肩書が触れ合わない、本来は赤の他人。そんな人が同じ屋根の下で暮らしていて、ちっとも意識しないということも無いだろう。こちらも処辺先生同様、どう思っているかは分からない。

でも、三人目は思い浮かべてはいけない人物だった。

朋絵ちゃん。教え子で、素直に好意をぶつけてくれる子。直接好きだと言われたことは無いけれど、それくらいはわかる。それだけ純粋で、強い想い。気づかない訳が無い。

だが駄目だ。彼女だけは駄目。教師と生徒。年齢も離れすぎている。

でも。

年齢を考えないなら。倫理観を無視するなら。朋絵ちゃんが、多分俺の心に一番近い。

俺は頭を振った。

「いないな」

 張り付けた仮面はきっと順平には見抜かれていたけど、俺は、そう答えるしかなかった。


 利用時間の終わりが来て、旧友と別れて。俺は引率のように四人の生徒と帰り道を歩いていた。後に手を組んでその手で鞄を揺らしながら俺の前を歩く朋絵ちゃんは上機嫌で、男子三人はその姿に見惚れている。

 結局この子たちは時間いっぱいになるまで朋絵ちゃんの気を引こうとくっちゃべっていた。多分黙ってプレイしている姿を見せた方が効果的だとは思うが、それは言わぬが花だしもしそうだとしても朋絵ちゃんは俺の側を離れなかっただろう。

 俺は黙って、四人を視界に入れながら道を歩く。

 うーむ。男子三人は俺の事邪魔に思ってそうだよなぁ。適当にフケるか?

 そろそろ中心街に差し掛かる。

「じゃあ俺は買い物があるのでここで別れます。皆さん、気をつけて帰るように」

「あ、私も買い物ー」

 俺がせっかく別れようとしたのに、付いてくる気満々の朋絵ちゃん。それに伴って男子が「俺も」とか「荷物持つよ」とか言うが。

「あれ、三人とも付いてくる気? 恥かくよ?」

「二海さん、何を買う気なんですか……」

「え、下着ですけど。オトナなヤツ」

 その爆弾発言についていくと言える猛者は流石におらず。三人はすごすごと、想像したのか若干前かがみになりながら自転車を押して去っていった。

 下着姿の妄想で前かがみになるとはまだまだ青い。もしかしたらその脱がせた中身を想像したのかもしれないけど。

 三人を見送り、誰も知り合いがいないことを確認して触れ合うほど寄り添ってきた朋絵ちゃんに声をかける。

「またお説教が必要ですか?」

「先生たんまたんま。家について来させるわけにはいかないじゃないですか。先生ん家、ここからだと校区までの通り道だし」

「まぁ、そうなんですよね……。恥じらいを持つように叱るべきか、捨て身で機転を利かせたと褒めるべきか……」

「ほめて下さい。伸びます」

「確かに朋絵ちゃんはほめると伸びるタイプですけど……、それとこれとは話が違います」

 あとここでほめて伸ばすと小悪魔が生まれる。

 俺は普通に帰るつもりで、駅の方に足を向けた。

「あれ、帰るんですか?」

「ええ。特に用事もありませんし」

「嘘?」

「まぁ、はい」

「ということは、私に男子三人つけて追い払おうと、した……?」

 朋絵ちゃんの目が曇る。光を失って、表情がすとんと抜け落ちる。

 あ、マズイ。

 今の朋絵ちゃんは身近な人に置いていかれたり無視されたり、意識から外されたと感じることに過敏に反応してしまう。泣き叫ぶことは滅多に無くなったが、それでも爆発するときはする。

 俺は慌てて朋絵ちゃんの手を取った。

 事案だが、緊急措置だ。今は親しい家族として振舞う。

「朋絵ちゃん。ちゃんといるから。大丈夫」

 朋絵ちゃんが無言で正面からぎゅっと抱きついてくる。取っていた手は後ろに回されたので、代わりに背中をさする。

 こういうことはちょくちょくあるのだが、通報されたことはまだない。

朋絵ちゃんは同年代の中では香苗さんの影響で大人っぽく、高校生に見られることが多い。また、自分で言うのも何だが俺の外見が年齢に比べて若いこともあって、ぱっと見は大学生と高校生の関係に見えるのも不信感を抱かれない理由の一つだろう。

それでも往来の真ん中で抱き合っていれば視線は少なからず集めてしまうのだが。なのでバレた時の危険度は上がるが人気のない所に行った方が安牌。

人目を気にしつつ朋絵ちゃんを抱き着かせたまま近くのカラオケ店へ。

無人の端末で入れるかどうか確認するとなんとフリータイムで行ける。キャンセルがあったのかもと思ったが、そんなことを気にする余裕もなくエレベーターに乗って取った部屋のあるフロアに向かう。フロアに着き、ドリンクバーを無視して部屋へ。電気をつけて、エアコンも付けて。座席にゆっくりと腰をおろす。

にしてもこうなったら意地でも放さないなー、この子。というか指がキリキリと背中に食い込んで痛い。

やっぱバスケ部だけあって握力が中々……。

「朋絵ちゃん」

「呼び捨て」

 胸元からくぐもった声が聞こえる。

「……朋絵」

「頭撫でて。ぎゅってして」

 抵抗があるが、注文通りにしておかないと後が大変なので従う。

「離さないで」

俺は、締め上げるほど力を込めた。そんなに簡単に折れはしないが、やはり女の子で華奢なので不安を覚えつつ力の限り朋絵ちゃんの体を抱え込む。緩めると長引くので、軋むほどに。強く。

「パパぁ……」

 その悲痛な呟きは、俺の耳に入って特に削れてもいない理性を強固にさせる。

 今の彼女にいつもの甘い感情は一切ない。それはただ親を求める幼子の姿であり、有体に言えば一時的な幼児退行を起こしている。

 ちなみに対象は俺と香苗さん。俺には父を、香苗さんには母を求める。姉を求めることもあるが、それは本人が居るのですぐに症状が治まる。

 やはり血なのだろうか。母さんではなく香苗さんを母として求めるのは、彼女が最も母の血が濃い女性だから。親父ではなく俺に父を求めるのは、義父である省吾さんともっとも近い血を持つ男性がこの世にはもう俺だけだから。

 というか、改めて、思う。

 この天真爛漫っ子をメンヘラにした事故の罪は重い。

 なんというか、つらい。こう、いろいろ全部すっ飛ばして、ただただ、つらい。

 その感情しか、彼女の中にはない。

 頬を朋絵ちゃんのこめかみに擂り合わせ、彼女が正気に戻るのをじっと待つ。

 三十分ほどした後だろうか。俺の背中を穿っていた力が、ゆっくりと抜けていった。

「落ち着いた?」

「…………はい。取り乱してごめんなさい」

「謝らなくていい。つらいのは分かってるから。吐き出せるうちに吐き出した方がいい。俺はここにちゃんといるから。強がらなくちゃいけない人はここにはいないから」

 そう言って俺は朋絵ちゃんの頭に自分の頭の重みを乗せた。

 ぐずぐずと、朋絵ちゃんが鼻をすする音がする。先ほどとは違い、ふんわりと、包み込むように抱きしめる。

 実はこういうのは慣れている。彼女も居ない癖にとは思うが、広く浅くの付き合いで、愚痴を聞いたりなんだりで感情が高ぶった女性を相手にすることが多かった。好みの子なら後日勇気を出してみたりもしたが、帰ってくる言葉はいつも「そんなつもりじゃなかった」。

まぁ一回泣かせてすっきりさせたらだいたい問題は解決していることが多かったので仕方が無いと言えば仕方が無いのだが。

 大学時代は都合のいい男としてちょっと有名でした。

 そんな思い出を思い返しながら朋絵ちゃんを宥め、彼女の揺れる精神を軌道修正していく。だがこれは悪手なのだ。生徒相手には絶対に取らない方法。

朋絵ちゃんがただの一生徒なら。一緒に住んでいなければ。俺はきっと自分の領分を決めて手を引き、見捨てていた。でも今は曲がりなりにも家族だから。

放っては置けないじゃないか。

この方法は自分に自己暗示をかける。相手を好きだと思い込み、その上で性欲を捨てて心の内に潜り込むこことで成り立つ方法。だから今この時、俺は恋をしている。静かな水面に落ちた花弁が小さな波紋を作るような、静かな静かな恋心を抱いて。

だからこそなのだろう。朋絵ちゃんが、生徒の枠から外れてきているのは。

意識して、女として、一人の女性として、朋絵ちゃんを扱うから。

感情をリセットしても、きっと俺の心には朋絵ちゃんという欠片が溜まってきている。

でも俺は背を抱き寄せ、前髪を梳くように撫でる手を止めることは無い。性欲を消しているから理性を飛ばすことは無いが。その分心をそぎ落として楔にしていく。もうずっと、やせ細ったままの心で。

針のように尖った楔を、打ち込む。

言葉はいらない。俺は語るべきではない。ただじっと、冷えた心で温もりを伝えるだけ。

「せんせ」

「うん」

「あたたかい」

「俺もだ」

「ずっといっしょにいてくれる?」

 初めて聞いたその言葉に、俺は言葉を詰まらせた。

「せんせ……?」

 そんな不安そうな声を出すなよ。あーもう。

 俺の仮初めの恋心が、身勝手に、彼女に一番必要な言葉を引き出した。

「朋絵がそれを望むなら」

 嘘。

でまかせではない。冗談でもない。心が本気で言った嘘。

 きっと一緒には居られなくなる。朋絵ちゃんが俺を想い続け、俺が朋絵ちゃんを選ばなければ成し得ない未来だ。

でも不可能じゃない。伴侶ではなく、家族として側に居ることを選べば実現可能な範囲内。

でも、それは表面に浮かび上がるほどの想いじゃない。心の片隅にある、普段は気づくこともない、澱のような、一番大きくて重くて大切なもの。

欠けた心を俺や香苗さんで無理やり補っている朋絵ちゃんが、それに耐えられるかが不明だった。

今のままなら、きっと耐えられない。縁の下の力持ちは見えないから、目に見えやすいものを求めてしまう。

だから彼女の傷にかさぶたが出来るまで。自分で俺たちから視線を外せるようになるまで。

決して自分を犠牲にするつもりはないけれど。できる限り手を引いて、支えて、送り出せるように。

……駄目だ。今日は深く入りすぎている。

 俺は朋絵ちゃんの肩に手を置き、その体を引きはがした。

「もうちょっと……」

「これ以上は駄目です」

「襲いたくなるから?」

 朋絵ちゃんは、泣きはらしたくしゃくしゃの顔でニヤニヤとした笑みを浮かべている。一応回復したようだ。

「冗談を言わない。世の中本当に中学生を襲う人もいるんですから」

 襲うまでは行かないにしても盗撮とか多いからねー、教員界隈。残念なことに。

 朋絵ちゃんを座らせて、俺も改めて離れて隣に座る。だが朋絵ちゃんは跳ねるようにしてお尻をつけてきた。

 たまに、本当にたまに居るんだよね。こうやって自分から接触してくる子。

朋絵ちゃんはそのタイプ。俺からは触れないが、朋絵ちゃんからは良く触れてくる。と言っても休み前までは手を触ってきたりする程度だったのだが、最近は体を寄せてくるようになった。

 向こうがすり寄ってくる分には特に問題ないので静観しているのだが……。

「近くないですか?」

「えへへ~。かたいことは言いっこ無しで」

 様子を見ているのかタガが外れかかっているのか。判断が難しい所だ。

 一応解説すると、今までの教員人生で一番接触されたのは確か七年前。一日一回後ろから抱き着いてくる変な子がいた。

 うん。学校で。授業終わりとか人の目を気にせず。

 完全に陰の子だった。根暗で大人しい子。今思えばちょっと発達もあったかもしれない。学年の先生に相談してみたが、何をしても卒業まで彼女がそれを止めることは無かった。

 下手に止めて不登校になっても困ると言う判断だ。

 それを考えると朋絵ちゃんはまだマシな方なのである。いや、正面で抱き合っていた時点でアウトなのだが、アレは俺の中では家族に対する治療なのでノーカンとしている。

 やましい気持ちは一切ない。というかあの悲痛な泣き方をされるとそんな気は起こらない。

 だから泣き叫ぶのがいいと言う趣味は俺には高尚過ぎて理解できない。

 無理矢理系とか見ると後味悪いんだよなぁ。まぁその絶妙な心地悪さを求めることがよくあるんだけど。でも最近は現実が供給過多なのでおなかいっぱい。甘いのが欲しい。

 とりあえず、これからどうしようか。

 朋絵ちゃんに手を握られながらスマホを適当に眺めて時間を見つつそう考えていると、急に音楽が鳴り始めた。

「何してるんですか」

 立ち上がってマイクを取った朋絵ちゃんに問いかける。

「え? フリータイムですよね? 今帰ったら勿体ないじゃないですか」

 いや、確かにそうだけども。

何かを言う前に朋絵ちゃんが歌い出す。軽快なロックだ。歌声は……まぁ、普通。でも心の内をさらけ出すように、彼女はシャウトする。

多分、怒り。荒々しく歌い上げ、彼女は勢いよく体を席に投げ出した。

「あと今の顔で外に出たくありません。メイクも直したいし」

 ああ、まぁ、うん。女の子は気にするよね、顔。今の泣きはらしたままの顔で外には出たくないか……。

 とりあえず飲み物でも取ってこようと席を立つが、ズボンのベルトを朋絵ちゃんにむんずと掴まれた。

「ただ飲み物を取りに……」

 俺の言葉は途絶えた。その自分の行動に驚いたような顔に、隠すように不安の色が見えて。

 仕方なく、俺は席に着いた。

「ぁ、……ぅ」

 結局朋絵ちゃんがその後歌うことは無く、元が取れる時間になる前に店から出た。

 とぼとぼとした朋絵ちゃんの歩幅に合わせてゆっくり歩く。向かうのは駅。電車に乗って、短い距離を揺られる。

 並んで席に座り、視線は合わせず、車内の揺れに合わせて肩がぶつかる。

 無言で、家に帰った。

 帰って、洗濯物を洗濯籠に放り込んで。俺は部屋着に着替えて部屋のミニコンポをつけようとしてやめた。

 パソコンを操作し、延長ケーブルを繋いだ値段の高いヘッドホンで耳を塞ぎ、ハードロックを爆音でかけながらベッドに身を投げ出して思考の闇に沈む。

 朋絵ちゃんへの対応の、正解がわからない。

 一線から踏み込んでは駄目。でも離れるのも駄目。ギリギリから手を伸ばしても、届かない。

 これ以上を与えるなら、俺の立場を考えてはいけない。

 立場を考えるなら、朋絵ちゃんが踏み込んで求めてきた時に拒絶しなければならない。

 ずるずるとした今の関係は、きっと互いをおかしく歪にさせる。

 どっちかに振らなければならない。でも保身に走れば彼女は壊れる。彼女を選べば俺は後戻りが出来なくなる。

 助けてはあげたい。が、きっと俺の中の何かが歪む。

人助けのために自分を犠牲につもりはない。それはたとえ肉親であってもだ。

自分が無事でいなければ誰かを助けることはできないから。

親父が口を酸っぱくしていう言葉だ。

教師として身を挺して子供を守るのはいい。でもそれで大怪我するのは話が違う。人を助けたいならまず自分が無事であること。盾になるのはいいが所詮は肉盾。矢も槍も背中に刺さったまま、倒れるまで助けて、倒れた後は誰が助けるのか。

例外は、子を守る親だけ。

親父の言葉に従うならば、俺に朋絵ちゃんを救う資格は無かった。

だからいつも仮面を張り付けて背中を押すだけ。送り出すだけなら、誰でもできる。あっちは崖だからと、引き留めることも。

そんなことを考えていると、投げ出していた手に何か温かいものが触れた。

目を開けると、ベッドの脇に朋絵ちゃんがいた。

今まで部屋に入ってきたことは無かったはずだ。そんな彼女が、ベッドの側で膝立ちになって俺の手をにぎにぎしている。そしてその手を、自分の頬に当てた。

 とりあえず、俺は好きにさせる。

 朋絵ちゃんは俺をじっと見たまま動かない。多分、何かを探っている。

 ベッドに腰かける。体を倒す。腕に触れる。脚を絡める。体を密着させる。起き上がり、俺の体に覆い被さる。

 朋絵ちゃんが体をずらし、間近で見つめ合う。その目に宿した濁った光に確かな覚悟を感じて。俺は、彼女を、拒絶した。

「……」

 どうしてと言わんばかりの目。俺にまたがったまま急いでシャツをまくり上げようとする手を「そうじゃない」と押しとどめる。

 朋絵ちゃんは涙を零して、声を噛み殺して泣き始める。だが俺は、それを見るだけで放置した。

 俺は確かに朋絵ちゃんを拒絶した。だがそれは、行為を受け入れることが彼女のためにならないからだ。

 泣きじゃくりながら、震えて裏返った声で、彼女は言葉を紡ぐ。

「せん、せっ……わだじ、……づながりがほじぃっ……っ。ぜんぶっ、わずれられるくらい……あいじでほじぃっ」

 そんなことだろうと思った。

 彼女は愛情を目に見える性欲で感じようとしている。どうしようもない不安を体の関係と快楽で埋めようとしている。それを否定はしないが、子供がそれをしようとしているのを分別ある大人として許すわけにはいかない。

「俺は今の君を到底受け入れられない」

 だから一度突き放す。そして、これが最大限の譲歩。

「この部屋の外では、普段通りにできると約束できますか?」

「ふぇ……?」

「約束できるなら、夜、寝る前に部屋を訪ねて下さい」

 同居の折に決めたルール。母さんを除いて血縁関係に無い互いの私室に入らない。この禁を自ら破る。

 朋絵ちゃんを部屋に残して、俺はリビングに降りた。

 皆で晩御飯を食べて、お風呂に入って。寝間着に着替えてベッドに転がる。

 朋絵ちゃんが来るかどうかは分からない。なので、待つこともしない。来ても俺が寝ていればタイムオーバー。それだけの話と割り切って。

 そして。

 俺が寝るまでに、朋絵ちゃんは来なかった。


 寝ていた意識が覚醒する。どうやら俺は揺さぶられて起こされたらしい。

 寝ぼけ眼を擦って起きると、電気をつけっぱなしの部屋に髪を下ろした朋絵ちゃんがいた。掛布団でてるてる坊主みたいになりながら。

 時計を見ると午前四時。随分早起き……いや。

 昨日の約束を思い出す。

 諦めずに起こしたのか。まぁ、ギリギリ滑り込みセーフということにしておこう。

 彼女の後ろを見れば常に開けっぱなしのドアが閉められている。

猫が通るから開けとかなければいけないのだが……まぁいいか。

「すいません。もう来ないと思ってました」

「い、いえ、私の覚悟が……遅かった、だけ、なの、で」

 えらく緊張してるな。喋り方が処辺先生みたいになっている。

 とりあえず俺は体をずらし、朋絵ちゃんが寝られるスペースを確保する。

「とりあえず……、なんでてるてる坊主? クーラー入っているとはいえ暑いでしょうに」

「え、いや、あの、改めてみると、恥ずかしくて……」

「? まぁいいや。とりあえず、こっちおいで」

 そう言って俺は横になったまま手招きする。

 その言葉に朋絵ちゃんはピキッと固まり、顔を真っ赤にして意を決したように掛布団を脱ぎ去った。

「~~~~~~~~ッ」

 人間、本気で驚くと冷静になるらしい。

 うっすらと日焼けした健康的な肌色。それを包む、透けた布。肩で吊られたベビードールの白が肌色と混ざっている。開いたお腹には可愛いおへそ。そのさらに下には超ローライズな下着がある。

 あ、股の所って本当に逆三角形に隙間が空くんだ……。

「どこで買ったんですか、その服」

 違うそうじゃない。

「え、あ、の、つう、は、ん、で」

 お年頃かなぁ。いやだからそうじゃない。

 その恰好で何しに来たんですか、とは聞けなかった。そんなもの、聞かなくても分かる。

 多分俺の伝え方が悪かったに違いない。大学時代の「不安があったら夜寝る前にでも電話かけて」ぐらいの気持ちだったのだ。だがそれを言っても何も事態は好転しない。

 一旦冷静になる時間を与えた。ちゃんと理性も保っている。だから、きっと、勇気を振り絞ったはずだ。

 若干十四歳の女子が、男に素肌を晒すなど。

 俺は立ちあがる。震える朋絵ちゃんを、その覚悟ごと包み込んだ。

 朋絵ちゃんの体が跳ねあがって、そのまま固まった。だがその緊張を解きほぐすことはしない。抱くつもりはないから。

「勘違いをさせたようで、ごめん」

「ぇ……」

「朋絵ちゃんを抱くつもりは無いんだ。ただ一緒に居ようと思っただけで。ごめん」

 朋絵ちゃんの体が弛緩する。体の間に手を入れて、腕の分だけ距離を離して俺を見る。

「一緒に、いるだけ?」

「うん」

「ずっと?」

「まぁ、できる限り」

「セックスは?」

「朋絵ちゃんとしたら犯罪だからね。俺捕まっちゃう。本当はこうやって触れるだけでも不味いんだから」

 そう言って俺は彼女の頬を撫でる。

 朋絵ちゃんは視線を落としてしばらく考え込み、力が抜けてその場にへたり込む。俺は、そんな彼女に目線を合わせるようにフローリングに腰を下ろした。

「せんせ、私、ホントは、怖くて」

「うん。分かってる。今なら俺が昼に止めた理由も分るよね」

 勢いで行為に及んでいたらきっと後悔したはずだ。そしてその後悔で押しつぶされそうになって、それをかき消すように体を求めて。そんな悪循環が快楽で加速して、ずるずると潰れていく。

 そんな所に、彼女を堕としたくは無かった。

 カタカタと奥歯を鳴らす朋絵ちゃんの頭に手を置く。彷徨った両手が行き場を亡くして俺の寝間着のシャツを強く握る。額を胸板にコツンとつけて、浅い呼吸を落ち着かせるように深呼吸を繰り返す。

 しばらくして、呼吸が落ち着いた朋絵ちゃんに声をかけた。

「落ち着いた?」

「はい」

 顔を上げた朋絵ちゃんを見て、斜め上から胸の小ぶりな膨らみが見えて、俺は言葉に詰まった。

 よくこんなスケスケのやつ買う度胸あったなこの子。

「とりあえず、もうちょっと目のやり場に困らない服に着替えてこようか。話はそれから、改めて」

 自分の格好を思い出して再び真っ赤になった朋絵ちゃんを彼女の部屋に送り届け、待つこと数分。開けっ放しにしておいた扉の向こうに朋絵ちゃんの姿が見えた。

 さっきより露出は確かに少ないんだけど……。

 格好はグレーの丈の短いキャミソールにショートパンツ。それにだぼだぼの薄手のパーカー。

 ちょっとヨレていて、生活感があって正直こっちの方がぐっとくる。

 まて。ここで雄を出してはイカン。

 まぁこの程度で反応はしないんだけどね。

「あの、入っていいですか?」

「いいよ。おいで」

 朋絵ちゃんがベッドの上で胡坐をかいた俺の前に立ち、視線を彷徨わせてそわそわする。

「まずもう一回明言しとくね。俺は朋絵ちゃんを抱かない」

「はい」

「その上で、今後の関係について相談」

「今後、ですか?」

「そう。まぁ、座って。好きな所に。そっちの椅子でも、ベッドでも、俺の膝の上でも」

 冗談めかしてそういうと、視線を彷徨わせた朋絵ちゃんはおずおずと登って来た。俺の膝の上に。

 マジか。冗談だったんだけど……、言い出せる雰囲気じゃない。

ただ直接足の上に乗られると痛いので、胡坐をかいた足の間にお尻を落としてもらい、俺の胸に背中を預けてもらう。

 女の子は軽い、って言ってあげたいところだけど、朋絵ちゃんくらいの身長だと平気で5、60キロあるからね。それが一点集中すると互いに痛い。

 朋絵ちゃんの横から腕を投げ出していると、朋絵ちゃんは自分で俺の腕をいそいそと自分に巻きつけた。

「で、今後どうするんですか?」

「まず一つ約束してほしい。この部屋の外ではいつも通りにすること。過度なスキンシップを求めない。それが出来ないなら、この話は終わり。こんなことは今日限り」

「約束します。絶対」

「わかった。じゃあ本題。この部屋に二人でいるときは、俺は朋絵ちゃんの先生をやめる」

「え、それって、どういう……」

「言葉の通りだよ。この部屋に二人でいるときは、俺の生徒の二海さんじゃなくて親戚の二海朋絵として君を扱う。現に今、そうしてる」

「親戚って、こんなふうにしますっけ?」

 暗に恋人の距離間では? と朋絵ちゃんは問うた。それは期待。将来、昨日覚悟した行為が出来るのかという、確認。

「さぁ。でも三親等からは結婚できるから。朋絵ちゃんが望むなら、この状況は別に変じゃない。俺が望むと犯罪だけど」

 実際に俺の膝の上を望んだのは朋絵ちゃんで、俺の腕の中を選んだのも朋絵ちゃんだ。

 俺がそう言うと、朋絵ちゃんはくすりと笑って俺の腕を撫でた。

「期待して、いいんですね?」

「……思うところはあるけど、ダメとは言わない。でも分厚い壁があるのを理解してほしい。年齢差とか、今は放り出してる関係性とか。朋絵ちゃんの気持ちを疑うつもりはないけど、君らの年齢は心変わりもしやすいから」

「だから、恋人じゃなくて親戚ですか?」

「ああ。さすがに恋人はダメ。そしたら俺は、責任だけで朋絵ちゃんを手放せなくなる」

「私にとっては、いいことじゃないんですか?」

 まだ分かんないか。この歪さ。

「良くないの。もしそうなったとして、俺の中に俺が受け入れて朋絵ちゃんを狂わせたからって後悔が一生ついて回るから。それは態度にも表れるだろうし、きっとお互いが辛くなる」

「ふーん……」

 分かったような、分かってないような。あいまいな返事を聞いて、俺は苦笑する。

「だからキス以上のことはダメ。こうやってるのを見られるのもあんまりよくないから、この部屋だけ。ほら、みんな二階には上がってこないから」

 元々二階は俺と姉貴の部屋、天井裏の倉庫しかない。倉庫は年末の大掃除の時くらいにしか用事は無いし、俺も朋絵ちゃんも部屋の掃除はちゃんと自分でして洗濯物も自分で部屋に片づけるので母さんですらあまり二階には上がってこない。

だから夜になると、今みたいに扉を開け放していても見られる心配はないのだ。

 目撃者は、本人同士と猫たちだけ。

「わかりました」

「あと、一つお願い」

「なんですか?」

「先生って呼ばれると教師と生徒の関係になっちゃうから、こうしてほしい時は呼び方を変えること」

「先生、って呼んじゃダメですか?」

「この部屋の外ではそうして。この部屋の中でも、距離を保ちたいなら。でも今みたいにしてほしいなら、ダメ」

 そうしないと、多分引っ張られる。

「わかりました」

 落ち着いた様子の朋絵ちゃんは、ゆっくりと時間をかけて俺の呼び方を考えた。その様子を、俺は黙って見守っていた。


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