私の先生を取らないで
私は二海朋絵。市立中学校に通う二年生。部活はバスケ部で、趣味は音楽鑑賞。
ちょっと前、お母さんが居なくなった。そしたら好きな先生と一緒に住むことになった。よくわかんないけど、親戚だったらしい。
なんか今お世話になってるおばさんがパパのはとこだったんだって。
はとこはいとこ同士の子供。だからひいひいおじいちゃんかひいひいおばあちゃんが一緒ってことらしい。嫌いな授業の時に授業で使う端末で調べた。
家でも先生と一緒に暮らせるのは嬉しい。でも、素直に喜べない。その原因は、先生よりも好きなお母さんが居なくなったから。
そう。いなくなった。お姉ちゃんは……あれ、何て言ったんだっけ? 思い出そうとすると頭がいたい。
私はずっと探してる。最後にお母さんに会ったのは、居なくなる日の朝。……あれ、その後にも会ったような気がする。冷たい部屋で、お母さんは寝てて……。
お母さん、いつ帰ってくるんだろう……。
そんなことを思いながら、行動には移せないからネットでニュースなんかを見ながらお母さんの情報を探してる。
でも、関係ありそうな記事を読んでるとすぐ疲れて眠くなっちゃうから最後まで記事を読んだことはない。
みんなには……うん。また心配させちゃうだろうから黙ってよう。特にお姉ちゃんにはナイショ。
そういえばお姉ちゃんの話。
こっちに来てから、ううん。先生の家に初めて来た時から、ちょっと変。部屋でぼーっとしてることが増えたように思う。私みたいに先生が好きになっちゃったのかなって思ったけど、ちょっと違う気がする。言葉では言い表せないけど、まだちがう。
……まだ? お姉ちゃんもこれから私と同じになるのかな?
そうなったら、先生はお姉ちゃんのことも見る様になっちゃうのかな。それは……、なんかやだ。
先生がお姉ちゃんの方を見ちゃったら取られちゃう気がする。
お姉ちゃん、スタイル良いし、背も先生よりほんのちょっと小さいくらいで並ぶとちょうどいいなって思っちゃう。あと何故か私と違っておっぱいが大きい。こっそりブラを確認したらタグにFって書いてあった。私は寄せて上げてもBなのに。あのフカフカは反則。まあ学校の一年のいっつもスーツ着てる先生は噂だともっと大きいみたいだけど。なんでもGらしい。ぐぬぬ……。
お姉ちゃんは好きでもない男にじろじろ見られるだけだからほどほどが良いって言ってたけど、あるのとないのではある方が絶対にいいと思う。今のままでも割とじろじろ見られるし。特に学校では。同学年の男子とかよく私の噂してるのを知ってる。そこでいつも言われるのは、胸以外は完璧。だからやっぱり胸はあった方がいい。
話が逸れた。先生をお姉ちゃんに取られるのがいやって話。
夏休みに入って、その嫌なことが起きた。
先生がケーキとコーヒーを買ってきてくれた。
そういえばまた脱線するけど、おばさんが先生は今は脇が好きだって言ってた。見せてあげたら喜ぶかな?
……。
やっぱなし。想像したらなんでかめちゃくちゃ恥ずかしかった。そういやバスケのユニフォームでも見えないようにインナーとか着るもんね。それでもうちのユニフォームは脇が少し出ちゃうけど。
うー。試合の時は気にしてなかったけど、なんかいますごく気になる。
まだつるつるだけど、もし一本でも生えた時にはすぐ抜けるように毎日チェックしよう。
脱線おわり。改めていやだった話。
先生が買って来たケーキにテンションがちょっと上がった。コーヒーは苦手だけど、先生のお気に入りみたいだったから飲んでみたいって言った。お姉ちゃんは迷っていたけど、先生が一瞬優しい顔をしたのを私は見逃してない。
それでピンときた。
帰って来た時お姉ちゃんは不機嫌だった。先生がケーキを買って来たお店の名前を聞いて驚いていた。だから分かった。先生はお姉ちゃんのためにケーキとコーヒーを買って来たんだって。私のためじゃなく、みんなのためでもなく、お姉ちゃんだけのために。
あの日。初めてこの家に連れてきてもらった日に向けてもらった優しい目が、お姉ちゃんに向いていた。
私はあの陽だまりが欲しい。パパと同じふわふわ。お日様の匂い。実際は違うけど、イメージはそんな感じなんだよ。パパなんかタバコの匂いしかしなかったけど、タバコをぷかぷかさせながら笑うその声はお日様の匂いがした。私はパパが……。……? 居なくなって、うん。居なくなってからずっとそれを追い求めていて、やっとそれを見つけたの。初めての中学校生活の、理科の先生。去年の事。
目はとっても冷たかった。いっつも作り笑いを浮かべてる変な人。言葉もどこか嘘くさい時がある。でも時々、とってもお日様の匂いがすることがわかったんだ。冷たい目で、口元に微笑を張り付けて、精いっぱい私たちのことを想って騙して隠してくれる盾のような、もしくは嫌なところを抉りだそうとする鋭利なナイフのような言葉を言う時、お日様の匂いがした。
好きになったら、とっても優しい先生だってわかった。あの表情も、先生として私たち生徒のために真摯に向き合うための姿なんだってわかったらお日様の匂いが強くなった。パパよりも、もっと。
先生は、困ったときに助けてくれる。そんな優しい顔を皆に向けないでほしい。けど、学校のみんなは私と条件が一緒だから私が一番になれる自信がある。
でもお姉ちゃんは?
私と先生は、生徒と教師。お姉ちゃんと先生は?
肩書が無い二人が私と同じ気持ちになったら、きっと私は太刀打ちできない。
ああ。だから私は、先生をお姉ちゃんに取られたくないんだ。
越えられたら、どうあがいても取り返せないから。
私の背筋を寒気が襲う。それを誤魔化そうと思ってカップに口をつけた。
苦い。
そうだった。これコーヒーだった。それもブラック。慌てて黒を茶色に変える。砂糖たっぷり。ミルクもたっぷり。……。ま、まだ大丈夫。これなら飲める。ケーキで口直し……。いや、先に飲み干した方がいいかな?
そんなことを考えていた時だった。
「……ぷっ」
「……ふふっ」
私の両隣から、笑い声が同時に上がった。一体何が起こったのか分からなかった。
でも次の瞬間分った。先生とお姉ちゃんが同じ動きをして、同じ声を出していた。
視線も交わさず、言葉も交わさず。ただ私の両隣の動きだけがシンクロしていく。
ケーキに手を伸ばすタイミングも、コーヒーを飲むタイミングも、思わず漏らした笑い声も。私の上で全部ユニゾンしていくのが分かった。
流石に偶然だと思う。いや、そう思わずにはいられなかった。
アレを先生は私には絶対にしてくれない。
同調。壁越しの私は匂いしかもらえない。でもお姉ちゃんは、きっとその熱も貰ってる。その熱で温め返して、また熱が返ってくる無限ループ。
羨ましかった。
それは私が欲しかったものだ。
パパの熱は優しく包み込むような熱。でもきっと。三親等を越えている先生がくれる熱は、きっと狂おしいほどに甘く、きっと体が燃え尽きるほど熱い。
でも私たちには壁がある。それを破る力は、私にはない。
だから私の心は否応なしに叫ぶ。私の超えられない壁を簡単に超えないでよって。
そんな怒りを食欲に向けた。好きでもないコーヒーを一気に飲み干し、ケーキを豪快にパクつく。
ちょっとお行儀が悪くなって音を立てちゃったけど、二人はそんな私に気づいてはくれない。
それがとても……、悔し……。
……たぶん違う。きっとこっちが正しい。
私は、寂しかった。
陽だまりの匂いはいっぱい。熱をくれる人もいっぱい。……。これも違う。
ちゃんと熱をくれる人は、もうお姉ちゃんだけ。だから。
先生とお姉ちゃんが向き合うのは。
先生が優しい顔を見せてくれなくなる以上に。
お姉ちゃんが私に熱をくれなくなって。
寂しかったんだ。
守ってくれる人が、居なくなるから。
私の代わりに、傷ついてくれる優しい誰かが居なくなるから。
だから二人が同時にカップを置くまで、私は体が震えるのを我慢していた。
先生が席を立って、お姉ちゃんが余韻に浸っている。二人のつながりが切れたことを知って、安堵するのと同時にまたつながる土壌が出来たことに恐怖する。
怖い。見てもらえなくなることが。
お姉ちゃんにも。先生にも。
二人とも、私の前から居なくならないで。
もうこれ以上、私を孤独にしないで。
二人の世界で、完結しないで。
そんな思いを抱いた私は拗ねて、でも拗ねきれなくて、誘蛾灯に群がる蛾のように先生のいるソファに向かった。
でも甘えきれなくて。きっと張られている壁に怯えて、先生の反対側で膝を抱えていることしかできなかった。
そんな私に先生は声をかけてくれた。
違う。多分独り言だったんだと思う。でも、私にそれを届けてくれた。
だから私は、縋るように食いついて会話にした。
先生はあんまりテレビが好きじゃないらしい。私も見る方じゃないけど、音楽番組は結構見る。録画するほどじゃないけど。
クラシック出身だと言うと、先生はピアノの事を言ってくれた。
ピアノに触れていたことを知ってもらっていたことが嬉しかった。
そうすると先生はどこかに行ってしまった。
待っててって言ってたから嫌われた訳じゃないと思う。でもこの一人の時間がどうしても不安になる。
先生が消えた廊下をじっと見続けていると、しばらくして先生が戻って来た。何かを持って。
先生は、それを私の膝に置いてくれた。
重い。でも我慢する。これは先生が今は私を見てくれたって言う証拠だから。
鍵盤なんてもう何年触って無い。ピアノのレッスンは十歳で辞めたから。ピアノは楽しかった。でも、一向に巧くならないし、苦しんでまで練習するのは違うと思ったから。そのころには小学校で入ったミニバスが楽しかったし。
だから私は音楽を諦めた。でも好きなのには変わりないから、聞くことはつづけた。最初はコンサートとかで弾かれるクラシック。そこからピアノを使った色んな曲を聞いて、気づけばいろんなジャンルを無頓着に聴くようになっていた。
今好きなのは……何だろう。お姉ちゃんの趣味で聞くようになったインディーズのロックバンドかな。どこのバンドが好きって言うのは無いけど、激しめの爽快感のある曲が好き。インディーズが好きなのは多分挑戦的で粗削りなのが多いから。私は洗練されてない曲の方が好きみたい。
先生が貸してくれたイヤホンを耳に刺し、もう片方を先生に渡す。聞かれるのは恥ずかしいけど、それでも聞いてほしかった。
こっちを向いてほしかった。
鍵盤の真ん中、ドの音を鳴らす。
変な音だ。ピアノとは全然違う。けど、同じ音階。
指を動かす。テンポは遅いけど、ちゃんと間違えないで弾けた。
下手な演奏を、先生はじっと聞いてくれる。
イヤホンは有線だから先生との距離が近い。もっと顔を近づけたこともあるけど、その時はなかった変な感じがする。
それをもっと感じたくて、私は先生の方に首を傾けた。
ぜんぜん巧く弾けなかった。でも、楽しいと思えた。
……楽しい?
そうだ。これは楽しいっていう感情だ。
ここ最近忘れてたその感情は私の心を今よりもっと高揚させていく。
なんで?
ここにきてあった感情は嬉しいだから。それに楽しいが混ざって、私の心を軽くさせていく。
でも跳ねそうな心は、錘がついたように浮き上がってはくれない。
そして私は思い出す。私がこの家に来た理由を。
私が楽しさを忘れた理由を。
私の指が、止まった。
終わらせたくなかった。でも、終わってしまった。
続けたくても、続ける気力が無かった。
ごめんなさい。一瞬でもお母さんを忘れたことを許してください。
誰に乞うた許しかもわからず、私は重いキーボードを脇にどける。
先生は何も言わずにキーボードを受け取り、部屋の隅に立てかけた。
重石が取れた両膝が、少し痺れて痛かった。
お姉ちゃんがお風呂から上がり、私が入る番になった。とぼとぼと自分の部屋に戻って着替えを用意し、またとぼとぼとお風呂に向かう。
服を脱いで浴室に入り、シャワーを頭から被る。
髪を洗い、体を洗い、普段している全てのケアを忘れて湯船に浸かる。
熱い。
でも冷えた心はちっとも温かくはならない。
広い湯船に膝を抱え、縮こまるように水面から突き出た膝に額をつける。
寒い。寒い。寒い。
私は熱い湯船の中で凍える。
「っ……、ぁ…………。ぅ……」
浴室に私の嗚咽が木霊する。
涙が出て、その雫と吐息と、震える身体が水面を揺らす。
たすけて。
私の脳裏に二人の顔が浮かんだ。
でもお姉ちゃんにはこの寒さはどうにもできない。今は同じところに居るはずだから、きっと二人で凍えるだけ。
一人よりはマシだけど、私を癒せるのは、きっと夏の刺すような日差しだけ。
私は湯船から上がり、着替えてリビングに向かった。
「お風呂、上がりました」
「お水、飲む?」
「ありがとうございます」
おばさんがコップに水を入れて渡してくれる。それをゆっくりと飲み、おやすみなさいを言って自分に割り振られた部屋に戻る。
ベッドに転がり、固く目を瞑った。
でも寒さと火照りが私の中でない交ぜになって、どうしようもない不安となって私を襲う。
その不安をかき消すように、私は布団を被って寝間着の下を脱いだ。
その日の夢は、いつもとちょっと違った。
いつも通りの夢。この家に来る前までの、日常。学校で、放課後の教室で、先生と二人きり。でもいつもとちょっと違うのは、教室に廊下を貫通して西日が入っていること。
こんなに遅くまで先生と一緒に居たことは無い。そしてこの夢の舞台は、お母さんが居なくなった日の再現。だからこれは、あの日あったかもしれないって思いたいだけの妄想。
先生と二人だけ。人の気配は無くて、静寂が辺りを支配している。
先生の手が伸びてきて、私の頭を撫でた。その手はするりと流れて、今度は私の頬を撫でる。
ああ、完全に妄想だ。先生は絶対にこんなことしない。こんな感情のこもった熱っぽい目はしない。
でもそれは今の私に必要なもので、ありえない、むしろ解釈違いだと思いつつも流れに身を委ねた。
先生の指が動き、親指が私の唇をなぞる。
そして先生の顔が近づいてきて、私の唇と重なった。
お腹の下が熱い。それがもどかしくて、私は身を寄せる。頬を撫でる手はそのままに、もう一方の手が私の肩に触れる。その手は肩から腕、手首、指と流れて行って、私の手と一緒に制服のスカートの裾を握り込んだ。
腿に触れながら、今度はその手が上がっていく。そして先生の指が下着に引っかかったのを感じたところで目が覚めた。
「……」
はっず!
絶対気怠い余韻に浸ったまんま寝たからだ。反省しよう。
触って確認してみたら内腿がちょっとぬるっとしてる。というか下着は?
布団をめくってみると丸まったのが見つかった。あんまり汚れてないのを見ると汚れだす前に自分で脱いだらしい。
不用意に洗濯に出すとバレて気まずいからまだ履けるのはいいんだけど。
私は下着をつまみ上げる。もう一度履こうとして、内腿のぬめりを思い出す。
お腹の下がまだ熱い。あんな夢見たからだ。
そして何を思ったのか、私は汚れた内股を拭くこともせずに立ち上がった。
時刻は深夜の二時。誰も起きていないけど、そんなことを考える余裕もなかった。
体の熱と甘い疼きだけに突き動かされて、私は下半身を丸出しにしたまま隣の部屋に向かった。
開きっぱなしの部屋に入って、奥のベッドの横まで行く。
クーラーの利いた部屋で、先生は抱き枕にした布団を抱きしめながら、その布団に頭を乗せる様に寝息を立てていた。
寝相は悪いらしい。寝顔は結構かわいい。そう思うと下腹部の疼きが強くなった。
脚を肩幅に開き、丸出しになった見せちゃダメなところに手が伸びていく。
今目を開けられたら死んじゃう。でも、濡れそぼった割れ目に近づいていく手は止まってくれなかった。
「ニャー」
その何してるんだと言わんばかりの声に、私は思わず飛び跳ねた。
先生のベッドに跳び乗って来たのは飼い猫のらくちゃん。二匹いるうちのお姉さんの方。その子が私から先生を守るように間に入る。
冷や水をかけられたように冷静になった私は、慌てて静かなジャズが流れている部屋を後にした。
部屋に戻って、しっかりドアを閉めて、ベッドに戻って涙で枕を濡らす。
自分が情けなかった。
でも凍えた心はどうしようもなくて。熱を求めて壁の向こうに手を伸ばす。でもその手は、すぐに熱を持ったところを慰めるように動き出す。
視線は壁の向こうを射貫いたまま。
私は体の熱が冷めるまで、ずっと孤独に自分を慰め続けた。




