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時野紀行を形作る者

 ははは。珍しいこともあるもんだ。幽霊が出やがった。

「幽霊とは失礼ね。まぁ似たようなもんだけど。久しぶり、ノリ君」

「あ、久しぶり。時野くん」

 二人とも、俺が最後に会った時の姿かよ。

「だってこれで固定されちゃってるんだからしょうがないじゃん」

「私は、デートの時の服だから。大丈夫」

「アンタそれズルくない?」

「一応、私年上なんだけど……」

「生まれは同い年でしょ?」

 まぁまぁ。そんなことより、二人そろって何の用だよ。

「はぁ? あんたが私たちの事忘れてるからこうやって出てきてあげたんでしょうが」

「そうだよ。酷いよ時野くん」

 恨み言か? よし。聞いてやる。

「私は別にないわよ? あいつに中に出されて、嫌すぎてノリ君に頼ったのが最後だから」

 お前を助けられなかったのに?

「あれはもうしょうがないでしょ。その後変わって、女の子に優しくなったから許してあげるわ。私は」

 まぁ。そうなるよな。

「時野くん」

 ああ。

「私。あなたのことが好きだった」

 そうだな。知ってた。

「告白しようと思ってた」

 そうか。ありがとう。

「でも、時野くんの友達が私を止めたの」

 いつもの流れだったんだよ。俺が好きじゃない子や、明らかにヤバい子は止めてくれるようにって。

「でも、私は好きだった」

 ごめん。

「許さない」

 ああ。それでいいよ。このまま俺も連れてくか? 今なら一緒になってやれるぞ? ちゃんと責任取って愛してやるよ。

「そんな老けた時野くんやだ」

 おいおい。これでも気を遣って、少しはモテてるんだぞ?

「ノリ君さぁ。待ってる子がいるでしょ? 三人も」

 そうだな。忘れてねぇって。

「私は許さない。許さないけど、思い出してくれたから簡単に連れて行ってはあげない。楽じゃないところで、十分に反省するといいよ」

 そっか。じゃあ、一生かけて謝るわ。

「自分の恋を犠牲に?」

 ああ。俺はそれだけのことをした最低野郎だからな。

「胸張って言わないでよ。ほら。もう準備は出来たでしょ?」

 ……行って、いいのか?

「ここはそもそもノリ君の居場所じゃないし、来ていい場所じゃないんだよ。私たちはここで見張ってるから。下手打ったらまた引きずり込むからね?」

 ははは。こえぇなぁ。じゃあ、そろそろ帰るわ。

「ばいばい」

「さようなら」

 ああ。おれはまたなって言っとくわ。


 暗い。瞼が閉じているからだ。

 開かない。というか思うように体が動かない。

 なんとかしようと、個人的にはじたばた、多分端から見たらぴくぴくと頑張っていると、人がやってきた。

 なんかいっぱいやってきた。

 とりあえず目だけはあいて、医者っぽい人に意識の確認か上を向けだの下を向けだの言われた。指を出されて何本か答えさせられたが声が掠れてうまく言えなかった。

 結論から言うとその人は医者だった。俺は入院しているらしい。

 あれ、なんで病院なんかに……?

 病室に家族全員が来て、たぶん二人との関係があるから個室にされていたのだろう。朋絵ちゃんと香苗に順番に頬をすりすりされてくすぐったかった。

 でもなんでそんな大泣きしてんの?

 特に朋絵ちゃん。

 あと母さんに親父も。なんか顔が変だそ?

 俺、二ヶ月昏睡してたらしい。そりゃあんな顔になるわ。

 リハビリ含めて一年だそうだ。

まぁ、うん。

 あと問診で、俺が倒れた理由が特定した。

 というか自分ではちゃんと理解している。

 いきなり心の闇を封じ込めていた箱の鍵が開いて封じていた記憶が流れ込んだからだ。

 整理するまで二ヶ月かかったってことらしい。

 とりあえずリハビリを頑張るしかないが、不安がいくつか。

 俺は病院の先生に仕事上の話で上司と話がしたいと願い、OKが出てから学校長と面会した。

「時野君。無事でよかった」

 いつものゆっくりした言い方がまくしたてるようになっている学校長に苦笑しつつ俺は話を切り出す。

 気になるのは大学院の事だ。

 卒業まで二年。一年治療で潰れるので、職場を三年開けることになる。

「すみません。あの制度は二年という時間制限があって、もう一年分は働きながら通ってもらうことになります」

「きついですよね?」

「現場に居られるからこそやりやすいこともあるでしょうが、まぁ基本的には」

「やめてもいいですか?」

「かまいませんよ。今君は病気休職になっていますので、治療が終わり次第……というか、お医者様と相談して戻るタイミングを判断してもらって構いません。あまり長いと困りますが」

 あ、そういえば。

「俺のこのことって学校のどれくらいが知ってるんですか?」

「君のことを聞いた過程がちょっと特殊で。管理職を除けば処辺さん、加藤さん、内藤君、佐藤君が知っています」

「何でその四人?」

「まず、二海さんが君のことを処辺先生に伝えました。それをあの三人に相談して、彼らがまず私に言えと言いながら校長室に駆け込んできた次第で。聞き耳を立てていた人がいればその人も知っていると思います。申し訳ない」

「いや、別に誰が知っていようが別にいいんですけどね」

 でもそうか。処辺先生も知っているのか。

「あの……どんな様子ですか。彼女は」

「彼女自身から話は聞いています。君が倒れたことを自分のせいだと思っています」

 あー、まぁ、そうなるよね。

 原因は俺の中にあるけど、きっかけはあの子の言葉だから。

 というか誰も思わんよ。告白に、好きでい続けると言う宣言。その直後の突き放すような別れの言葉の三連コンボじゃないと鍵が開かないなんて。

 とりあえずしばらく内蔵機能を取り戻して、その後リハビリ病棟に移った。

 立ったり座ったり、歩いたり。結構頑張って、俺はなんとか十一月の暮に退院することが出来た。

 十二月の初旬。ある日。親父は仕事。香苗と朋絵ちゃんは学校で、家には俺と母さんだけ。

「母さん」

「なに?」

「俺に欠けていた記憶の答えあわせをしようか」

 俺の言葉に、洗濯物を畳んでいた母さんの手が止まる。

「一人目は長月美琴。俺が好きだった、不登校の女の子。父親に乱暴されて、頼られた俺は助けられなかった。二人目は神無月美紀。俺のことが好きだった、というか、俺がその気も無いのに惚れさせてしまった子。いつもみたいに友達に好きになりすぎるようならとめてって言って、そうして、その結果想いを捨てきれずに抱えて逝った子」

「思い出して、受け入れてあげられそう?」

「それは無理だ」

 その言葉に、手に持ったままだった洗濯物を母さんは下ろす。

「みこっちゃんはいい。でも神無月さんはだめだ。彼女は俺を許さない」

「そんなことないわよ。あの子は」

「母さん」

「紀行……」

「俺も俺を許せないんだよ。そんなに思いつめるまで俺を想ってくれた子を、みこっちゃんみたいな自死に追い込んだことが。それを見たくなくて、俺は姉貴に頼んで変わったのに」

「あんたのせいじゃないでしょうが」

「そうだな。ああそうだ。でも俺は、彼女という十字架を背負うと決めた。時野の血は姉貴がいるからすぐに絶えるってこともないだろ」

 そう言って、俺はリビングを後にした。

 ベッドに寝そべりボーっとする。

 医者からは、再来年度からの復帰を勧められている。

 そう。来年度じゃなくて再来年度。

 主治医曰く、昏睡するほどのストレスを与える心の傷がそう簡単に癒えるわけねーだろ、と言うことらしい。そういうことをもっと丁寧に説明された。

 俺はもう立ち直っていて神無月さんの想いや恨みを一生抱えて逝くつもりでもあると伝えたら、診断書に無期限で治療が必要と書くとやんわり脅された。

 そんなことされたら精神科病棟に一生入院である。

 俺ってそんなに世に出ちゃいけない精神状態なの?

 そんなことよりも残念なことが一つ。

 大学院行きたかった。

 いや、本当に面白そうだったんだよ。

 研究とか、キャンパスライフ。

 俺、どっちかって言うと研究畑なところがあるから……。

 とりあえずまた半外出禁止なので家の中でごろごろする。

 すると。

「ん?」

 スマホが鳴った。

 知らない番号だ。だが、鳴り続けていると言うことは詐欺の可能性は一つ減る。

 電話口の向こうは、俺が所属している市の教育委員会を名乗った。


 俺は、教育委員会からの呼び出しという教師として一番迎えたくないイベントを迎えていた。

 部屋に通されて、偉い人と話をする。

 何で呼びされちゃったかって?

 朋絵ちゃんとのことがね。隠していたことも含めて全部バレた。

 朋絵ちゃんがね。喋っちゃったの。全部。教育委員会に電話して。

 支えたいから俺と結婚したいって。

 朋絵ちゃんらしく丁寧に迷惑かけてる人間ですと名乗った上で話を始めたため門前払いされることもなく、また朋絵ちゃんの事情は伝わっているから、教育委員会としても普段通りの対応が出来なかったらしい。

「では、全て事実と言うことでいいんですね?」

「ハイ。申し開きもございません」

「そうですか……」

 俺の意思を聞かれる。

 それはそうだ。俺は、教師と言う立場を利用して朋絵ちゃんを囲い込んでいる、というかマインドコントロールしているという疑いを持たれているのだから。

 でも。俺に朋絵ちゃんは受け入れられない。

 受け入れる気があっても、俺には誰かを愛せない。

 教育委員会としても職員を助けたい気持ちはあるようだが、こればっかりはどうしようもない問題である。

 ただ、朋絵ちゃんと俺との関係がややこしいのだ。

 普通なら引き離すか、俺がクビという流れ。でも朋絵ちゃんは俺に依存している上に俺が自分の先生でなくなったと言う事実に対して自殺未遂まで起こした前科付き。

「黙認ですか?」

 俺は耳を疑った。

 直接そう言われたわけではないが、告げられたのは絶対に表に出すなと言う念押し。あと、結婚を前提にするにしても大学を卒業して就職するのが前提。

 俺がマインドコントロールした事実は……まぁ、多少依存させる方向にもっていったのは事実だが、あれは全部報告しているし、治療行為として容認されている。

 そもそも朋絵ちゃんが俺のことを好きなのは元からだし、クリスマスの罰ゲームキスはお小言を言われたがそれ以外は俺はむしろ拒んで諭しているというのを朋絵ちゃんからも聞いているらしいので俺への疑いはほぼ無いに等しいのだ。

 いやっ、でもそれにしたって。

「冗談ですよね?」

 マジらしい。

 固い上がそんな柔軟な決定をするとは思えなかった。

「あと、表立って二人と関係を持つなら完璧でありつづけてください」

 ん? 何のことですか?

 あー……。香苗のことも喋ったのか朋絵ちゃん。

 え、というかいいの?

 いいらしい。

 いや、ホントに嘘でしょ?

 様々なものが多様化している今、愛の形一つとやかくいうつもりはないらしい。

 正直組織は面子と世間体が大事なので、やましいなら隠し通せ、それが出来ないなら他人を納得させられるほど完璧で居ろ、とのことらしい。

 まぁ、まだ隠せよりらしいが。

 普通に嫁さん以外の女の人を囲ってる先生も、教え子と仲良く夫婦している先生もいるらしい。

 いや、噂には聞いていたけど、本当にいたとは……。

「絶対問答無用で懲戒免職だと思ってました……」

「組織も昔とは変わってきてるんですよ。もう、昔のまま型にはまれる人の方が少なくなってきてますから」

 そうは言っても教え子と結ばれた上にもう一人囲うというダブルパンチは前例がないらしいが。でも合わせ技ではあるので理解の範疇。

 だから、今は隠し通せ。

 ただ一つ懸念点。

「医者から旅行にでも出て心の傷を癒すように言われてるんですけど……」

 いやまぁ多少外出しやすいようにしてくれただけなのだが。

 そして、今年の三月末。つまり朋絵ちゃんの卒業と同時に、家族旅行に行く予定を立てている。

 もちろん学校長には相談済みで、許可も貰っていた。

 どうしよう?

 回答は、後日貰えることになった。


 季節は流れて三月の暮。

朋絵ちゃんの高校入学に際してのすべての手続きを終えて、俺たち一家は三泊二日の旅行に来ていた。

そう言えば日常で変化が一つ。

処辺先生とずーっとメッセージのやり取りをしている。

本来は良くない行為なのだが、処辺先生に諦めてもらうと言う、俺が恋愛としての繋がりを断ち切って独り前に進んで行くために必要なことなので学校長に許可を貰っている。

粘りづよく諦めて次の恋を探してくれと言っているのだが、好きでい続けるのは誰にもとめられませんと謎の意固地さを発揮して堂々巡り。

最近文面が“好きでい続ける”から“愛し続ける”に変わってきたのでどうしようか悩んでいる所である。

俺が倒れたことに誰が一番傷ついたかと言えば、俺の中では処辺先生が挙がる。

だって自責の念がプラスされるから。

あれね。重いよ? 思う以上に。

俺も雁字搦めだったから。

まぁ俺の場合は解くんじゃなくて、それをそのまま飲み込んで大事に抱え始めただけなんだけど。

とりあえず温泉でゆっくりする。

うちは免許を持っている人はいるがみんなペーパーでレンタカーもしんどいから電車を乗り継いでこの地まで来た。

鼻につくのは硫黄の匂い。

まぁ、つまり温泉街である。

旅館にチェックインしてそれぞれ男女で部屋に入る。

この歳になると観光する気も起きない。

もう夜なので夕食を頂いて温泉に浸かり、その日は寝る。

そして次の日の朝。

「ユキ兄外いくよ!」

 スパンと障子が開かれる。

 いやまぁ起きてから扉の鍵は開けてたけどさぁ。

「男の部屋に気軽に入ってくるんじゃありません。あとここ家じゃないから。障子はそっと動かす」

 あとおしとやかじゃない。

 こういうところはまだまだ子供っぽい朋絵ちゃんである。

 朋絵ちゃんの後ろには香苗の姿。二人とも浴衣に羽織を着て、その上に半纏を着ている。

 思いっきり外出用装備。

 やだ。俺は畳で親父と一緒にごろごろする。

 え、親父は母さんとデート? 体力アルネ。

無いとは思うけど弟か妹を作ることしないでね。え、母さんもう閉じてる? ソウデスカァ。

そのせいか? ここ数年夜たまにデートしてんの。いやまあ夫婦が何しようがいいんだけどさぁ。流石にこの歳でヤってるとは思わんかったわ。

 無理矢理浴衣を整えようとしてきた二人を追い出して仕方なく乱れた浴衣を直す。

 腰骨のあたりで帯を結び、結び方は貝の口で少しずらす。ちょっと浴衣の帯の上あたりを引っ張ったわませて、胸元を少し開く。全体を整えて調整。

 こういうのが粋らしい。

 懐に財布を突っ込み外に出る。

「おぉ~」という声が二つ。

「なにさ」

「ユキ兄似合う」

「紀行さん、細いけど結構渋めの顔だから和服の方が合う」

 おう。そりゃあ生粋の日本人だからな。どっかで血は混じってるかもしれないけど。

 いつもなら二人を褒めるところだ。

 二人の少し編んでまとめられた黒髪は綺麗で、普段から姿勢の良い二人の佇まいは大和撫子を体現したかのよう。

 だからこそ、先の朋絵ちゃんの元気すぎる行動がいただけないわけだが。

 俺は、黙って二人の横をすり抜ける。

「あ、まって」

 二人が続く。

 俺は、目覚めて以降二人にできる範囲で冷たく当たっていた。

 俺の女性へのやさしさの根底にあるのはみこっちゃんだ。

 長月美琴。自殺した、俺が好きだった女の子。

 彼女を受け入れて助けてあげられなかった後悔が、俺を女性に甘くさせた。

 そして俺は、その結果として思いつめて命を絶った神無月美紀の想いを受け入れて一生抱える気でいる。

 操を立てた、と言ってもいいかもしれない。

 彼女が許してくれないなら、俺も自分を許さない。

 彼女はもう死んでるから、許されることは無い。

 だから俺は、誰かを受け入れない。

 神無月美紀に、死者に全ての愛を捧ぐ。

 それが俺の出来る償いだと信じて。

 だから俺はもう女性に優しくしない。受け入れられないから、期待を持たせない。

 だから朋絵ちゃんの想いも、香苗の想いも。断ったのだ。

 俺は誰も愛さない。責任をとるような事態に発展する行為をしない。

 キスも、ハグも、させない。

 徐々に、強い意志でやめさせた。

 今までの俺が甘すぎた。

怖がって、思い通りにされていただけだった。

二人はショックを受けたようだったが、生活は当たり前のように続いている。

二人が悪いんじゃないとは伝えてある。

これが俺のケジメであるとも。

二人は納得してくれて、同居している仲のいい他人と言うところまで落ち着いた。

でも。

俺の手は、以前よりも強固に握られている。

放さない。

絶対に救って見せる。

俺を、何があっても愛し続ける。

俺には、この歳になって好きな人が三人出来た。

二海朋絵。

二海香苗。

そして、処辺琴葉。

朋絵ちゃんは真っすぐにド直球なストレートで、単純に俺にとめる術が見つからずに突破された。躱す暇もなく、受け止めるしか方法が無かった。

香苗は、見ていられなかった。傷ついている教え子をずっと支えようとしてくれて、自分が壊れるのを我慢して。そんな彼女を愛おしく思った。

処辺先生は、正直言ってよくわからない。朋絵ちゃんより押しが弱いから断ろうと思えば断れるはずだ。でも蓋を開けてみれば俺も彼女を見るようになっていて。もしかしたら、ひたむきな一生懸命な若さをまぶしく思ったのかもしれない。

三人とも、俺の大事な、俺の好きな人。

だからこそ、俺の手を放してほしい。

それぞれの道を見つけて、巣立って行くべきだ。

でも、その手は振りほどけば振りほどこうとするほど強固に握られる。

彼女たちは俺だけを見るようになる。

俺には選ぶことさえ許されないのに。

俺の心は、神無月美紀のものなのに。

こんなに好きで愛しているに。

どうして分かってくれないのか。

そんなことを考えながら、俺たちは三人で温泉街を歩く。

二人の背中を追いかけて。

そんなに何度も振り返って確認しなくても勝手にどっか行きやしないよ。

あ、足湯入るのね。俺も?

まあいいかと二人の位置を見てから腰を落ち着けるつもりが、二人は俺の脇をガッと捕まえて足湯に突っ込ませる。

両隣に、ピッタリと言う感じではないものの他人と言い切るには少し近い位置で腰を下ろす。

俺は考えることをやめて、ぼーっと温泉で湿気た涼しい風と足湯の暖かさに身を委ねた。

しばらくして上がって三人でお昼を食べて。またしばらくぶらぶらして、二人が帰ると言い出した。

少し早足で、しきりに時計を気にしている。

道すがら、このまま風呂に行くのだと言うのが聞けた。

なんかイベントでもあるんか?

とりあえず冷えたと言えないこともない体を温めるのに温泉に入るのは俺も賛成なので大人しく準備をして二人に連れられて浴場に向かう。

男湯の脱衣所に向かおうとしたら、また脇を二人でガッと掴まれた。

そのまま引きずられる先にあるのは家族風呂。

「ちょいちょいちょいちょい!」

「問答無用」

 騒ぐ間も無く二人がかりで押し込まれる。

 昏睡で体力と筋力が落ちていることが影響した。

 香苗がガチャッと鍵をかけて密室にしてしまう。

「俺は出る」

「ユキ兄。ちゃんと湯浴み着着るから」

「そういう問題じゃないでしょ」

「そういう問題だよ。裸で入ったら問題かもしれないけど、ちゃんとコレ着るなら問題ないでしょ?」

「教え子と風呂に入る教師はいない」

「もう卒業したし、私たちは家族だよ?」

「保身に走ってるって思われるかもしれないけど、こういうのは良くないの」

「ほっぺやおでことはいえちゅっちゅしてた時の方がまずいでしょ? それはもう知られた上で黙認されてるし、私たちの関係を絶とうとユキ兄がしてるのも言ってないってないからむこうはまだちゅっちゅしてると思ってるよね? それに比べたら湯浴み着着ていっしょにお風呂とか健全健全」

 それも……そうか。

 いや、そうじゃない。

 重犯罪が情状酌量の余地で無罪でもその後おこした軽犯罪が前のよりマシだから無罪とはならない。

「俺は出る」

「ユキ兄は、今は何もしてくれないってわかってる」

「……」

「だから、思い出が欲しい」

「パーティーなんかはするようになったじゃないか」

「私たち、三人だけの、秘密の思い出」

「紀行さん。断ったら夜中に子種を貰うから。二人分」

 あ、香苗がマジの目をしてる。

 ついに脅迫まで使い始めたか……。

「なんでそんな覚悟決まってんの?」

「私たちの手を振りほどいて繋がりを薄くして、後が無いんだなって追い詰めて覚悟を決めさせたのは紀行さんだよ」

「私たちは、ユキ兄を死ぬまで愛し続けるから」

 俺さえ居なくなれば何か変わってくれるだろうか。

「ユキ兄が居なくなっても意味ないから。ユキ兄と同じことするだけだから」

 俺と同じこと。つまり、死者に操を立てるということ。

 そんなことを社会にも出ていない若いやつにさせてたまるか。

 実は学校長から、命にかかわること以外自分が不利な方に状況が悪化しても口を開くなと言われている。それはもっと上からの命令だとも。

 ついでに言うと、肉体関係を持ってしまえば庇いきれないとも言われている。その時は俺が切り捨てられる予定だ。

 この辺の隠蔽体質は昔からある組織の悪習だな。

 俺も片棒を担いでいるわけだが。というか、今籠に乗っているのは俺たちだ。

 俺は諦めて、湯浴み着を手に取った。

 服を着たまま湯に浸かると言うのは新鮮な感覚だった。

 というか、肌に張り付いてキモチワルイ。

 水着よりはふわっとしてるからな。

 分厚いから透けることもない。

 目の前の朋絵ちゃんも、香苗も、ちゃんと距離を取って湯に浸かっている。

「楽しい?」

「みんなでコレ脱いでユキ兄が触ってくれるならもっと楽しいんだけど?」

 無茶を仰る。

 後にじり寄ってくんな。

 でも二対一だから簡単に追い込まれて、両脇を固められる。

 二人で俺の肩に頭を乗せて、三人で煙る水面が揺れるのを眺める。

「ユキ兄。なんでそうなっちゃったの?」

 俺は答えない。答えは分かっているが、俺を残して逝った二人のせいだと言うのは俺が許せなかった。

「みんなで幸せになるんじゃだめだったの?」

「俺は幸せになっちゃいけない」

「そんなこと、誰が決めたの?」

「俺自身だよ」

 俺の言葉に、既に涙声だった二人のさめざめと泣く嗚咽が広い風呂に吸い込まれていく。

 俺は何もせず、ただ傍観するに務める。

 その姿は、まるで長月美琴を失う前の俺に戻ったようだった。


 風呂から上がって料理をつまむ。

 美味いが、まぁ旅館の料理ってこんなもんだよな。

 なんだかんだとどんな料理もおふくろの味には勝てないと思っている俺がいる。

 最終的に残り物で作ったチャーハンとかが一番うまいのよ。

 ただ旅館の料理がまずいわけではないので美味しく頂いて満足感を得る。

 だが、空気は若干凍っている。

 親父と母さんはいつものことだと割り切って気にした様子もない。

 うちの名物になりつつある、俺が二人を再度拒んだと言う空気。

 だって仕方がないじゃないか。再三受け入れないって言ってるのに迫ってくるんだから。

 こうなると以前はむくれていた朋絵ちゃんがつーんとしている。香苗も同様。

 機嫌を直してくれとは言わない。

 俺は放置する構えだから。

 自分の部屋の畳に寝転ぶ。

 畳の暖かさを感じて、少し瞼が微睡む。

「布団敷いてもらうまで寝るんじゃないぞ」

「わかってるよ」

 親父にそう言われて体を起こす。なんとなくスマホを見ると、メッセージが入っていた。

 誰、と問うまでも無く処辺琴葉その人である。

 正直鬱陶しい。

 毎日毎日毎日毎日。

 でも。

 それを誰かに相談してやめさせようと思うことは無かった。

 俺は、優柔不断だ。

 関りを絶てばいいのだ。処辺先生は特に。

 ブロック一つしてしまうだけで、もう彼女は俺に何もできない。

 でも。

 俺には、それが出来ないでいる。

 朋絵ちゃんと香苗にしたってそうだ。今の状態なら俺が家を出ることも可能なはず。

 でも、俺の頭の中にそれは無い。

 手を放したいと言っておきながら三人の握ってくれたこの手を強く握りしめているのは、むしろ俺の方かもしれなかった。

 なんども画面上で言葉のキャッチボールをして、時間を過ごす。

 彼女の送ってくるメッセージの内容はだいたいが今日はどうですか、という内容である。

 俺のしたことを聞き、自分のしたことを語る。授業で困ったことがあれば俺に泣きつき、俺は先輩としてアドバイスを贈る。

 着地点はいろいろだ。素直に今日はおやすみなさいのときもあれば、もういいですで切れるときもある。

 そして俺は、彼女の気持ちが話題に上がるたびにその想いを拒否し続けている。

 処辺先生。俺は君のことが好きだよ?

 でも、君がこうまでして俺を想い続ける理由は何だ?

 何が君を俺に縛り付けているんだい?

 朋絵ちゃんと香苗はまだ分かるんだ。朋絵ちゃんは俺への依存。香苗は、朋絵ちゃんへの依存の中で俺への想いを歪ませながら育んだ。

 ピッタリと俺に会わせて歪んだその想いが俺にしか向かないのは分かる。

 俺の想いの正体はなんとなく分かっているんだ。

 君には、第二の神無月美紀にしたくないという想い。影を重ねてしまった上に、君は女性として魅力に過ぎた。

 でも、想われる理由が見当たらない。

 どうしても、視野が狭くなっているだけだと思う。

 それを言っても、好きになっちゃったんだから仕方ないしぜったい私があなたを何とかしてみせるという強い答えを貰うだけだった。

 会話を切り上げて、仲居さんに敷いてもらった布団に入る。

 明日は帰るだけ。

 医者は渋っていたが、俺が復帰したいとごねたから俺も来年度から復帰する。

 一応、元の学校のままだ。

 どうにも俺の復帰を望む声が多数上がった手前、移動させずにちゃんと教師として戻りましたというポーズが必要らしい。

 戻る準備も終わっている。

 まだ見ぬ子どもたちの顔を想像して、俺は眠りについた。


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