心の奥底で
私は紀行さんの言葉に耳を疑った。
家ではクリスマスパーティーをしない? ウソでしょ?
愕然とした。二海家では、クリスマスは年で一番家族で楽しく騒ぐ日だったから。
そんな素敵な一日をただの一日にしてなるものか。
目配せすると、朋と目が合った。
考えも、想いも、一緒。
だいぶ親密になった紀行さんに甘えて、とりあえずクリスマスパーティーをするということになった。
「親父はともかく母さんが何ていうかなぁ……」
「禁止してるのおばさんなの?」
「いや、禁止って訳じゃないけど、パーティーとかやって片づけの仕事が増えるの嫌がるんだよ。だから誕生日もプレゼントとおめでとうだけ」
なんたることか。
この家は。時野家は。損をしている。
そう朋と結論付けて、私はこの家の頂点に立つ二人に直談判した。
おじさんはすぐ落ちた。「したいです」って言ったら「いいよ」って帰って来た。でもおばさんは手ごわかった。
「外でしてらっっしゃい」
「家でやるのに意味があると思うんです」
「はぁ。パーティーをすると、まぁ最低でも料理を作るか買うかするわよね」
おばさんが諭すように話し始める。とりあえず私たちは黙って聞いた。
「そうなるとたくさん洗い物が出るでしょ? 全部捨てられるようにしたところで次はゴミ問題が出るわ。料理が多いとこぼすことも多くなるし、机が汚れれば拭かなきゃいけない。床に落ちればそれもね。パーティーメニューは油モノが多いから掃除も面倒になる。服についたら面倒な油染みの洗濯ものが増える。パーティーが楽しいのは認めるし、あなたたちがやりたいって言うのも、二海家の慣例を守りたいって言うのも否定しない。でも、これだけははっきり言わせてもらうわ。家での行動は全て切り盛りしている主婦、この場合私ね。そこにしわ寄せが来るのよ。許してあげたいけど、正直私はしんどいし、家が汚れるのもいやなの。日常生活で汚れるのは仕方がない。その後始末は家を任された私のすべき仕事だから。でも、行事をやって盛大に散らかしたりするのは私からしたら話が違うわ。やりたいなら外でもできる。むしろ外の方が自由度は高いんじゃない? この上で、どうしても家でやらなきゃいけない理由はある?」
「……」
びっくりした。普段我慢して私たちを許してくれているおばさんがいやだと言ったから。
「家なら、食事の後そのまま家族団欒に入れます」
「旅館に行ってもできるわよね? 好きな、しかもある程度豪華な食事が出るし、そのまま家族でゆっくりできる。観光にも行ける。しかも、ある程度散らかしても向こうの人が有難いことにサービスで掃除してくれる」
「家じゃないと落ち着けないと思います」
「パーティーをする時点で落ち着く雰囲気じゃないわよね? どっちかって言うと騒ぐ方よね? 外でやれば帰ってきてすぐに落ち着けるわ。いつも通りの綺麗な家で」
「片付けも洗濯も自分でやります」
「それなら確かに私の負担が無くなるし、私が家を汚されるのがいやと言うのさえ我慢すればいいだけだけど、ゴミはゴミの日があるし、洗濯もその日の分だけでやってる訳じゃない。あなたたちの洗濯物、おしゃれ着があるからそういうのも別でやらなきゃいけないし。つまりね、後処理に数日かかるの。その日の分だけやるって言うのでもいいけど、そうなると今度は主婦として見逃せない家事にかかるお金の無駄遣いって言うのに引っかかるわ。公務員の給料って最底辺よりは保証されてるけど下の方だし」
言葉を紡げば、正論で返される。打つ手が無かった。
どうしようかと唇をかんだ私を救ったのは、ずっと黙っていた朋だった。
「おばさん」
「何、朋絵ちゃん」
「ユキ兄は、外でのクリスマスパーティーは経験してるんですよね?」
「まぁ、家族とじゃないけど盛大に遊びまわってたわね」
「私、ユキ兄に家族と家で楽しむクリスマスを知ってほしいんです。家で騒いで、みんなで遊んで、そのまま電池切れでみんなで寝るような。何も気にせず、楽しんだその場でそのまま眠ってもいいような。お姉ちゃんも。それがユキ兄がしてきた外でのクリスマスより楽しくないって言われるなら諦めます。一回だけでいいんです。させてくれませんか?」
朋が言ったのは、感情論だった。
言ってしまえば泣き落としに近いと思うようなそれを、大真面目におばさんにぶつける。
「私が我慢すれば、あの子があの歳で学生時代より楽しめるって言いたいの?」
「いいえ? みんなで楽しむんですよ? ユキ兄も、おじさんとおばさんも、私たちも。せっかく騒いでも怒られない日なのに、家族がばらばらなんて嫌なんです」
真っすぐ。ストレートに。
「本当はお母さんにも来てほしいけど、連絡取れないんですよね?」
その言葉に、空気が凍る。
「え、ええ。そうね。ちょっと難しいわ」
「パパが居なくなって、お母さんも今はいなくて、その上せっかくみんなでお祝いができる日にそれぞれ勝手になんて、寂しいと思います。それに、外でやったらおじさんもおばさんも来てくれませんよね?」
「う……」
「む……」
交渉を始めて初めて二人が唸った。
朋だけが使える裏技だ。子供が、ドストレートに、みんなで一緒にいたいという感情。それも、無自覚な心の傷によって相手に哀れみを抱かせながら。
正直卑怯な手だと思う。でも、それに乗っかるしか方法は無かった。
「お願いします。私も紀行さんと家で、二海家流で楽しみたいんです。知ってほしいんです」
そう言って私は再度頭を下げる。
頭を上げたとき、三人が何とも言えない顔で私を見ていた。
「朋までなんでそんな顔?」
「お姉ちゃん、今言った……あー、まぁいいや。今の絶対無自覚だし」
「何がよ」
「お姉ちゃんはそのままでいて。むしろそのままでいて。お願いだからそのままでいて。それが私にとって一番有難いから」
私たちの掛け合いを見て、おばさんは深く深くため息を吐いた。
「朋絵ちゃんの想いも、香苗ちゃんの想いも分った。いいわ。一回だけよ。後始末もしてあげる。ただし!」
おばさんは私たちに指を突きつける。
「散らかした部屋はクリスマス当日中。つまり、25日の寝るまでに復元すること! さっきの話の感じだと、イブの夜から騒ぐんでしょ?」
「……! はい! ありがとうございます!」
私と朋は、そろって頭を下げた。
クリスマスパーティーの準備が始まって、内装は朋に、食事と小道具は私が担当することになった。
朋はちまちま百均の折り紙でペーパーチェーンを作っているが、どうやらおばさんにも協力を求めているらしい。
「それ大丈夫なの、朋」
「じっと見られてたから、一緒にやりませんかって聞いたらやってくれたよ?」
「そう……」
強要したわけじゃなさそうだから大丈夫かな……。
そんな風に準備を進めて、やってきたクリスマス当日。
バイトを終えて、料理を予約しておいた店舗に取りに行く。
その前に、私は雑貨店に寄っていた。お店の中で悩むこと十数分。
結局私は、クラッカーの購入を決断した。しかも大量の紙吹雪やテープが出るやつ。
自分の首を絞めることになるのは分かってる。やり遂げられなかったらおばさんに怒られるのも分ってる。でも、紀行さんにめいっぱい楽しんでもらおうと思ったら、やらないという選択肢は無かった。
買った商品をカバンに入れ、料理を受け取りに行く。
流石に量が量なので重い。別に持てないこともないけど。いい匂いをさせながら電車に乗って飯テロをしつつ最寄り駅で降りて、家までの道を歩く。すると、どこからか私が持っているパーティーセットではないいい匂いが漂ってきた。
その匂いを追って、多分近くの公園だろうと当りをつけて向かう。その予想は当たっていて、公園の前の少し開けた道路の端でキッチンカーがお腹の空く匂いを垂れ流していた。
ピザの移動販売らしい。
パーティーにピザ。今回は頼まなかったが、あって損は無いしおあつらえ向きだと思った。
列が消化されていくのを並んで待つ。提供スピードは思ったより早いみたいだ。
「いらっしゃいませ。どれになさいますか?」
「あ、パーティーをしたいのでおススメのを二種類一枚ずつ下さい。一番大きいサイズで」
「では定番のマルゲリータと、……バンビーノなど如何でしょう?」
「じゃあ、それで」
一枚一分くらいで焼き上がるらしい。
待つ間に話を聞くと、普段は昼のみの営業で今日はクリスマスの特別営業日だったらしい。
「ご注文のマルゲリータとバンビーノです」
お金を支払い、箱を差し出した腕に乗っけてもらって帰路につく。
家について、流石に鍵は取り出せないのでインターホンを押した。
出てきたのは、紀行さんだった。
紀行さんは私の抱えている料理の量に目を丸くしつつ、すぐに私が一番重く感じていた両手のビニール袋を受け取ってくれた。
料理を並べて、冷蔵庫からドリンクを出して。鞄からクラッカーを取り出すと、おばさんが怖い顔をした。
ごめんなさい。でも絶対後悔させないから。
みんなでクラッカーを鳴らして盛大に散らかす。お父さんや省吾さんがやってたようにスパークリングワインを盛大に開けようとしたけど、自分でやるのは初めてでよく勝手がわからない。私が困っていると、おじさんが代わりに開けてくれることになった。
音を立ててコルクが飛び、スパークリングワインが飛び散るのを期待する。でも。
シュー……。
おじさんは、ゆっくりとコルクを抜いてしまった。
がっかりだよ。朋もそう思うよね。うん。分かる。そういう顔になるよね。
「何か失敗したらしいぞ?」
「……正しい開け方で開けたぞ? 我ながらうまくできたと思うが」
「えっ」
飛ばすのが正しいんじゃないの? え、パーティーとかでやってるよね? しかも振ってるよね?
どうやら間違っていたのは私たちの方らしい。
あれが正しい開け方なんだ。へー。
というかおじさん、お酒弱いのによく知って……いや、好きだからか。
ドリンクや料理に手をつけ、好きなように楽しむ。
朋は食べる。おじさんは飲む。私は食べるし飲む。おばさんは成り行きを見守ってる。紀行さんは……何で隅っこの方?
目を閉じて、あれは立って寝てるんじゃない。雑踏を楽しむ。紀行さんが一番好きなお酒の楽しみ方だって言ってた。でも、朋がそれをぶち壊した。
「ユキ兄」
名前を呼んで、手を引いて。静かに外から雑踏を楽しもうとしていた紀行さんをその雑踏の只中に突っ込む。
今一番騒がしいのは朋と紀行さんだ。紀行さんが涙目でポテトを口に突っ込まれている。ついでにおじさんも。
そんな紀行さんたちの様子を見て、おばさんは引き結んでいた口元をふっと緩めた。
みんな手が止まり、今日はもう終わりと言う雰囲気になった。
半分くらい料理が残っているけど、想定内。だってこれはお夜食で、朝ご飯で、お昼ご飯だから。
そう言うと、そもそもそう思っていてそうしてきた私と朋以外の三人が胃薬を飲みにいっった。
これはおばさんの想定外だったらしい。一食を越える買い込みは禁止と言われた。でも。
「だから次またやるときはちゃんと考えて買うこと。いいわね?」
次をしてもいい。そう言ってもらえた。
私は嬉しくなって、達成感に満ち溢れていた。なんとなくこれで終わり感が出たけど、まだ終わってない。
だってまだケーキ食べてないから。
それを朋と一緒に伝えると、苦笑いで返された。
宝石みたいなケーキを食べる。よくあるナパージュだけど、ケーキの味は別格。
多分、珈琲がおいしいようにされてるんだと思う。でも今日はスパークリングワインで食べちゃう。
美味しいのでどうしても無言になるのがいけない。
もきゅもきゅと食べ終えて、今度こそパーティーの食事は終わった。
手を洗って、まったりと遊戯タイム移行する。でもおじさんとおばさんは限界だと言って寝に行ってしまった。同じように寝に行こうとする紀行さんをとっつかまえて、片づけた座卓に朋と協力してご案内。
取り出したるは各種カードゲーム。でも二海家では基本的に花札しかしない。
お父さんと省吾さんの趣味だ。二人で延々とやっていた。
私は見ているだけだったけど、そのうちやるようになって、お父さんが死んでからは祥吾さんの相手をするようになって、朋を加えた三人でやるようになって、省吾さんが死んで朋と二人で延々とやるようになった。
お母さんはやらなかった。どうしても役が覚えられなかったらしい。
多分興味が無かったんだと思う。カードゲーム全般。
私と紀行さんの酔い覚ましのためにまず朋がお風呂に行って、私が札を切って山札から一枚引いて親を決めようとすると、紀行さんは不思議そうな顔をしていた。
花札、初見だったらしい。
仕方がないのでこいこいのルールを叩き込む。実戦で。ある程度接待しながら。
紀行さんはポーカーと麻雀を知っているので呑み込みが早かった。でも役を確認しながら、ルールを確認しながら、私に確認を取りながらなので朋が戻ってくるまでに一局しかできなかった。
でも一局は十二月まである。ルールはある程度覚えただろうし、私がお風呂に入ってる間に朋とやってもっと慣れるといいよ。紀行さんがお風呂あがってからが本番だから。
そんなことを考えながらお風呂に行く。
髪にしっかり櫛を通して、それからお風呂に入る。頭を洗って、髪を洗って、薄いどころか中学生の朋と同じレベルにしか生えていない毛の処理もしっかりして、全身をマッサージしながらゆっくりとお湯に浸かる。
そして水面から覗いているそこそこ大きなバストを持ち上げて軽く揉む。
そういえば最近胸が張っている気がする。生理周期から考えたら胸が張る時期は大きくずれてる気がするんだけど……。まぁ、肌や髪のツヤもすこぶるいいし生理がずれ込んでいる訳でもないから気にすることも無いかな?
いや。次の生理が変にずれてたら病院行こう。今までずれたことも今回みたいなことも無かったから普通に怖い。あと経過観察大事。管理してるアプリ上ではまだ変なことは起こってないしね。
でもなんだろう。マッサージで揉んでるといつもより気持ちいい気がする。
なんかこう、疼く。
性欲マシマシの時期に入ったんだろうか。いつもそんなに変化はないはずだけど。
気になって、先っぽを弄ってみた。
あ、だめ。
私も人並に性欲はある。子供じゃないから、自分で慰める方法も知ってる。
ちょっと浴室の外に耳を傾けてから、私は湯船から上がってシャワーの栓を全開にした。
お風呂を上がって、ヘアケアとスキンケアをばっちりして、部屋着を着る。お風呂上がりからはリラックスしたいからブラはつけない。まぁ、代わりにブラトップを着る訳だけど。夏と冬では生地の厚さと丈が変わるだけ。
まぁ上に何も着ないと普通に谷間とか脇とかモロなんだけどね。前まではパーカーのチャックをぴっちり閉じてたけど、最近は慣れて朋と同じように開けっ放しで生活している。
紀行さん、趣味が変わって無ければ今も谷間が好きなはずだけど、ほんっと全く見ない。あの人。ついてんのかって思うほど見ない。
おかげで無防備でいられるから有難いんだけどね。
でも、少しイラっとする。
どうしてもね。見られないと見られないで「私そんな魅力ない?」ってなる。
紀行さんがそんなこと言うはずも無いんだけど。
私や朋にダイエットさせたくないからってあっさりと本音で好きって言っちゃう人だから。
ちょっと贅肉の乗った自分のお腹をつまむ。見た目はくびれてるしスマートだ。でも、つまめる。朋と違って。比べると明らかに肉がある。
でも、それでいいって言ってくれた。それが好きだって。
「ふふっ」
スタイルに自信があり、だからこそ老いとともにくる腹の肉に怯えていたくせに、あれ以来少々上機嫌な私は、パーティーで上がったテンションのままリビングに戻った。
紀行さんと交代して、朋と対局。
私と朋で花札を前に今更語ることは無い。ピースは欠けているけど、これは前哨戦。肩慣らしとばかりに互いにちゃっちゃと進める。
買って負けてを繰り返して、しばらくしたら紀行さんが帰ってくる。
さて。役者は揃った。
朋と頷き、欠けていたピースを埋める。
取り出したるは百円玉が入った瓶。こういう時のために貯めている百円玉貯金箱。
「まてまてまてまて」
怒られた。まぁそれはそう。だって、紀行さんはこういうのを止めなきゃいけない立場の人だから。
ということで大人しく罰ゲームに移行。
紀行さんは不服そうだが、賭けずして何がゲームかというのが二海家流である。
大学生になって日本でやれる賭博は全部やった。合法の範囲で。でもやっぱりゲームは自分でするに限るしアプリなんかのオンライン対戦麻雀とかは臨場感が無くて面白くない。
やっぱりね。賭けるリスクを負いながら相手の表情を伺いつつ危ない橋を渡る。ここにゲームの面白さがあると思うわけよ。
そうなってくると外ではできないから、家庭内でってなるのは必然だった。
とりあえず脱衣は却下された。まぁ、私も朋も四回負けたら素っ裸だからね。
でも何だろう。あんまり抵抗がない。手で隠して「きゃっ」で済みそう。
私、こんなキャラだったっけ?
そんな疑問を隅に追いやりつつ罰ゲームを悩んでいると、朋が妙案を出して来た。
「あ、お姉ちゃん。負けたら相手にキスとかどう?」
採用。
なに紀行さん。私は素面だよ?
唇じゃなければキスは使いどころが多いから。家族の誕生日には頬にちゅってしてたし、友達と集まった時にナンパを巻くのにレズハーレムの真似したりするし。
お父さんと省吾さん以外の男の人にしたことは無いけど、紀行さんに抵抗が無いのは本当。
むしろしたいししてほしい。その時紀行さんがどんな顔になるのかとっても気になる。
だから私は、朋のことをダシにしてまで罰ゲームにキスを押し通した。
結果的に、キスは承諾された。でも紀行さんが素面じゃいられないみたいで、あのめちゃくちゃキツイ梅酒をロックで呷り始めた。
それを眺めながら、どんどん素面じゃなくしてもらうために私と朋で対局することに。
姉妹で頬やおでこにキスなんてジャブもジャブ。そう思って適当に勝負をしたら、なんと引き分けとか言うあんまり見ない結果になった。
この場合どうするか決めていなかった。だけど、また朋が妙案を持ち出す。
「両方負けってことでジャッジに二人でキスっていうは、どう?」
天才。採用。
私たちは戸惑う紀行さんが逃げないように肩をつかみ、両側から唇で挟んだ。
テレ? テレですか? 超レアなテレ顔頂きました。
本当に珍しいこともある。普段あんなに飄々としてるのにほっぺにチューでテレるとか。
これは楽しいことになってきた!
次は朋と紀行さんの対局。負かせばキスしてもらえるから朋に容赦はない。
結果負けて紀行さんは。
「それはズルいと思う!」
手の甲にキス! 少女漫画か! しかもヘタレた結果!
もうね。笑うしかない。この人普段あんななのに。あんななのに! キス一つでヘタレるとか!
「やり直し」
流石に朋が可愛そうだし、私も手の甲じゃ面白くないから、範囲を首から上に限定して無慈悲にそう告げた。
仕方なしに紀行さんが選んだのは、おでこ。無難。
私もコテンパンに負かしてみたけど、やっぱりおでこ。
不服なところはあるけど、唇で触れられたところがほんわかしている。
何回負かしてもおでこにしかしてくれないので、私も朋も紀行さんが偶然勝つのを待ちきれなくて負けに行く。
頬。まぶた。鼻。耳。耳の裏。首筋はぢゅっと強く吸う。
怒られた。
「首は太い血管があるんだから血栓ができるリスクを考えろ。巡り巡って脳梗塞になったらどうするんだ。事例があるんだぞ」
斜め上の怒られ方をした。
そこはキスマークをつけようとするな、じゃないの?
呆れて物も言えない私に対してキスマークをつけるという発想が無かった朋がどこならつけていいか聞いている。
隠れる所につけるのがマナー、ね。
私は朋と協力して紀行さんの服を剥く。でも楽しくなってきたところで、特大の欠伸が出てしまった。
寝ろと言われて、何となく素直に従う気になった。でも紀行さんの思い通りにはならない。なぜならここでこのまま三人で川の字の予定だから。
紀行さんの腕に抱き着いていると凄く安心して、すぐに眠気が襲ってくる。
私は電池切れした子供のように、そのまま心地よい眠りの中に落ちて行った。
窓から差す光の反射で私は目を覚ました。
手に持ったままのスマホをみると時刻は六時五十三分と表示されていた。
スマホを見るために上げていた腕をぱたんと落とす。カーペットが敷いてあるだけのフローリングの上で寝たから体が痛い。でも、背中の人肌が心地いい。
あ、そっか。はっちゃけて三人で寝たんだ……。
もぞもぞ体の向きを変えると、紀行さんが私に背中を向けて寝ている。その背中越しに反対側を見ると、腕枕された朋が掻き抱かれるように寝ていた。
「……」
私は紀行さんが朋に乗せている腕を引っ張って大の字にさせた。そして自分も、朋と同じように腕を枕にしてもう一度寝転ぶ。
朋はぴったり紀行さんに密着している。
なんとなく、私も同じようにして、三人の上にスマホを掲げた。
パシャッ……。
その音で朋が目を覚ました。
「ん……。何今の音……」
「朋、おはよう」
「ふぁ……あー……。お姉ちゃん……おは……よぅ……」
眠気覚ましにもう一枚撮ってやる。
「ん……しゃしん……写真?」
「おはよう」
「お姉ちゃん、撮った?」
私はスマホの画面を見せる。一枚目に撮った方を。
紀行さんが大の字で寝てて、寄り添うように朋と私。
服が無ければ、まるで3Pの後のような雰囲気の写真。
たったいま手に入れた、宝物。
「それ欲しいちょーだい」
「だめ」
「冗談だよね? 流石に怒るよ? というか泣くよ?」
「朋、ステイステイ。正確に言うと、今はまだ駄目。えーっと、あと一年と二ヶ月半後ならいくらでもあげる」
「何その具体的な数字」
「あのね、朋。あんたがこういう写真が喉から手が出るほど欲しいのは分かってる。でも朋のスマホに入れたら同級生の誰に見られるかわからない。朋は写真とか見せるでしょ。私もそうだし」
「お姉ちゃんは問題ないの?」
「私は見られても仲いい親戚で通せるから。あんたの同級生に見られたら紀行さんの顔が分かるから大問題でしょ」
「それはそう」
「だから、この写真は、いまは、渡せない。OK?」
「OK」
「でも写真はいっぱい撮る。OK?」
「お姉ちゃん大好き!」
無防備な紀行さんとは対照的に、と言っても私たちもすっぴんで髪もぼさぼさの無防備な格好だけど、精いっぱいあざと可愛い顔をキメてフレームの中に納まる。
「盛る?」
「ユキ兄との思い出はそのままがいい」
「だよね。わかる」
「お姉ちゃん、ちゅーも撮ろう」
「いいね」
二人で寝ている紀行さんの頬に唇を寄せて、なんとか横目でスマホを確認してから一瞬で視線を戻して撮る。
何枚か撮って、構図に悩む。
「どうしたい? 朋」
「ぬ……が、す?」
「……。いや、それはやめとこ?」
GOサインを出しそうになったのを寸でのところで自制する。
「朋、唇もダメだよ。そういうのは意識のあるときにやってこそだから」
「はぁい」
「あ、でも」
私はそう言って自分の人差し指に口づけ、その指先を紀行さんの唇に触れさせる。
「こういうのならいいんじゃない?」
「お姉ちゃん……」
「あ、だめだった?」
「ううん。ただちょっとえっちだなって思っただけ」
その言葉に私は思わずずっこけた。
「そう思って自分でもやるなら一回でやめときなよ? 連続でやるとバカみたいで色気が無いから」
「……確かに。でもやっぱ私は頬にでも直接の方が好きだなー」
そんな風に紀行さんを弄繰り回していた時だ。
「息子にもようやくちゃんとした春が来たのねぇ……」
その声に、私と朋は跳ね上がった。
「お、おばさん……」
「おはよう……、ございますぅ……」
私たちは、そーっと紀行さんから離れた。
ゆっくりとおばさんの前に移動して、何となく正座してしまった。
「正座するってことはやましいことをしていた自覚はあるのね……」
「はい。すみません」
「ごめんなさい」
「いいのよー、別に。香苗ちゃんのお腹の中に我が息子の吐き出した白いドロッとした体液が入ってても。香苗ちゃんが訴えないなら犯罪にはならないだろうから。朋絵ちゃんは、悪いけど十八になるまで待ってねー? でももしもうフライングで入ってるなら教えてねー。流石にすぐ病院にアフターピル貰いに行かなきゃだから」
その言葉に、私と朋は思わず耳を真っ赤にして俯く。
「そ、こまでのことは、してません」
「ふーん? でもどーみても事後だったわよ、事後。十分くらい眺めてたけど」
そんなに見られてたの? 声掛けてよおばさん!
「何か申し開きは?」
「ユキ兄には黙っててください」
「平にご容赦下さい」
「とりあえず、撮った写真全部見せなさい」
おずおずと、震える手でスマホを操作して写真を表示する。
「ふーん。へーぇ。ほぉーう?」
おばさんの判決を待つ。
「うちのクラウドで共有していい?」
「ホンッとに勘弁してください」
公開処刑はイヤぁ!
「というか、本当に事後じゃないの?」
「ちがいます」
「事実にしたいです」
「朋」
「ごめんなさい」
「ほんとーに、妊娠の可能性は無いのね? 特に朋絵ちゃん」
「ないです。残念だけど」
「私も無いです」
事実だ。でも。
紀行さんとのそういうことをリアルに想像して、私は知らずに体を火照らせてしまっていた。
「わかった。娘たちを信じましょう」
その言葉に、私たちは安堵して姿勢を崩した。でも。
「その写真、紀行に見せて自分たちで懺悔するか隠蔽して完全に消去するか。どっちがいい? 消すって言っても私の方で保存しておいて朋絵ちゃんの卒業式の後に返してあげるけど。ちなみにその場合はあなたたちはデータを気軽に見られない」
流石に固まる。朋と顔を見合わせて、悩む。
どちらにしても完全消去じゃない。でも。
「お姉ちゃん」
「分かってる。気持ちは一緒」
あの写真は手元に置いておきたい。お守りみたいなものだから。
だから私たちは、懺悔を選んだ。
ここまで全く起きる兆しが無かった紀行さんをおばさんが起こす。
寝ぼけ眼でお腹を掻きながら大欠伸をして胡坐をかいた紀行さんの前でふたりで正座をして、揃って頭を下げる。
「盗撮いたしました申し訳ありません」
「ユキ兄ごめんなさい」
「流出はしないように徹底いたしますので削除だけはご容赦下さい」
そう言って私は自分のスマホを紀行さんに差し出す。
紀行さんは寝ぼけた目で写真を流し見して。
「ふふっ。ふたりともかわいーなぁー……。おれにはもったいねーや……」
うっすらと笑って、そう言った。
これにはさすがに驚いた。本気で驚いた。
完全に寝起きで、本音のいつも隠している部分が無防備にさらけ出されている。
想いが溢れていて、溢れすぎていて、思わず面食らった。
「こら紀行! ちゃんと起きて確認しなさい!」
そう言っておばさんが紀行さんの後頭部をおもいっきり叩く。
「あってっ⁉ 何? 何? 何だ⁉」
「ちゃんと起きて香苗ちゃんのスマホの写真確認しなさい!」
「何⁉ え、何? スマホ? 写真?」
紀行さんの目が、私のスマホを握っている右手に向く。
操作して、何か黙ってしようとしておばさんが私のスマホを奪い取る。
「勝手に消そうとしない!」
「いやそれは消させろ流石にまずい! 完全に事後じゃん! 俺ヤったの? ねぇ俺ヤっちゃったの⁉」
青い顔でおろおろする紀行さんがおかしくて、おもわず私から笑いが漏れた。
お腹に手を当てて、できてるとうれしいな、って言ってみた。
「ノー!」
「そんなに嫌がらなくても……」
「あぁ……。そうだね。自分のことを気にしてる場合じゃないね。ごめんね。本当にごめんね。一生かけて責任はちゃんと取るから……。あ、朋絵ちゃんもか。そっかぁ。俺、二股の最低野郎だったかぁ。ごめんね、出来ちゃってて産むつもりなららちゃんと二人とも認知するから。ごめんね。本当にごめんね……」
「紀行、あんた……」
膝を抱えてめそめそし始めた紀行さんを見て胸がきゅっとなった。朋を見ると、同じように感じてるみたいだった。
本気でごめんねを繰り返し続ける紀行さんを見て、安易な既成事実なんて思いは二度と起きようもなかった。
朋。気をつけなよ? 一歩でも間違ったらこの人とは幸せにはなれない。あんたも、この人も。どんな未来を描いてたかは知らないけど。
思った以上に、見えている以上に、この人の闇は深い。今まで隠すのが上手すぎた。
女の子にモテてラッキーみたいな人だったら何も考えずに済んだんだ。そうだったら気に入って懐くことも無かったけど。
私たちに向けてくれる優しさや気遣い、愛情の根底は、きっと複雑に絡まりすぎてどうしようもない。
ピンポン玉みたいになった猫ちゃんの毛玉を一本ずつ解く方がマシかもしれない。
さっきの寝起きに見せた奥底の感情を感じた後だからどうしようもなく分かるんだよ。
朋も分ってるでしょ? 分かったでしょ?
この人は、今は誰も愛せない。愛しちゃいけない。
あんなに愛してるって感じたのに、口から出てくる言葉が謝罪だけなんだから。
私たちと一緒になれて嬉しいって言う感情が一つも無いの。
ごめんなさい。私と朋が軽率だった。
紀行さんは私たちを助けてくれたけど、あなたの方がもっと昔から一番傷ついていた。
それを知らずに、ずっと、無邪気に。私たちは。子供のように。
だから私は、朋は、紀行さんに寄り添いたいと思った。それが無意味なことだと知っていても。
「紀行さん。冗談だから」
「ユキ兄。嘘だよ。してないよ」
「俺を気遣ってるならいいよ。正直に言ってくれ。じゃないと俺は自分が許せない」
責任感なんて優しいものじゃない。
呪縛。
ねぇ。何が紀行さんを縛ってるの?
あなたに何があったの?
ねぇ。
性欲あるって言ったよね? 男として、女の子と触れ合って嬉しいって感情があるんだよね? 触れ合いたいって感情があるんだよね?
じゃあなんで、そんなに自分で自分を傷つけてるの?
同意の上かもしれないのに。本気で愛されてるかもしれないのに。私たちが望んだのかもしれないのに。自分のほうが被害者かもしれないのに。
自分が無理矢理したって思い込んでるのはなんで?
「ほんとにしてないから。信じられないなら指突っ込んで確かめてもいいよ。自分で触って、ちゃんとあるのは知ってるから」
「……」
「ユキ兄。私もいいよ? 責任なんて取らなくてもいいから。取るようなこともしてないから」
「……。ごめん。変なこと言わせた。俺は二人を信じてたよ。だから俺は何も聞いてない」
「紀行さん」
「ユキ兄」
紀行さんの殻が無理やり閉じられていく。私や朋なんか比べ物にならないほど分厚い殻が。
中身の肉は既に腐り落ちていて、すっからかんの心が残り少ないまともな血肉を撒き散らしながら閉じていく。
どうやったら私たちはあなたを充たせる?
どうやったらあなたの流出を止められるの?
朋。あんたならやれる?
私は全力でサポートに回るから。
ぜったい。二人で幸せになりなさい。




