鍵
クリスマスを過ぎてから、どうにもみんなの様子がおかしい。
親父はまだいつも通りだ。母さんは、微妙に俺を気遣っているように思う。
香苗は、俺を甘やかそうとし始めた。
そう。甘えるんじゃなくて、甘やかす。そのリソースは朋絵ちゃんに向けるべきだろうと前までなら言っていたのだが。
その朋絵ちゃんは、俺の部屋にあまり来なくなった。
すっごく健全。キスをせがむことも、抱き着くこともなく。なぜか毎日感謝の言葉を述べてくる。
原因は分かっている。
クリスマス当日の朝。俺が、香苗の冗談で二人を抱いたと思い込み、自責の念で縛られたところを見せたせいだ。
汚いものを見せてしまった。
でもさ。朋絵ちゃん?
前に言ったよね。俺は君を受け入れたら後悔が一生ついて回るって。
俺が思ってた意味と違ったけど。
辛かったんでしょ? 俺の心の闇が。気軽に俺に甘えられなくなるくらい。
俺はね。心の底では君たちをもう愛してるんだ。家族としてだけどさ。男女の愛に変えることも、本来はできるんだろうね。なにせ君たちは魅力的な女性のはずだから。
でも、俺はどこかが狂っているんだ。
俺は、誰かに愛されるような人間じゃない。
誰かに愛されることを、俺が許せない。
愛情に飢えているけど、受け取り口が壊れちゃってるんだ。
同世代なら、まだ納得して無理やり飲み込むこともできると思うんだけど。
罪悪感が少ないって言うのかなぁ。
まぁ、それも、この間の件でちょっと不安になってきたわけだけど。
朋絵ちゃん。処辺先生。俺は年齢を盾に君たちを拒んだよね。もしかしたら、関係なかったかもしれない。
だって、自分で愛されることを拒絶してるんだから。
愛されたくないから、相手に向ける性欲も持ち合わせていない。
香苗。俺、嘘ついた。性欲、無かったよ。
エロスとか、フェティシズムは、まだ過去の経験と記憶を元に表層で語れるんだけどね。それを性欲と勘違いしてたみたい。
今日は元日。一月一日。我が家は例の如く家でのイベントを軽視も軽視しているので、元日もただの休日でしかない。
この間の件を受けて、二海姉妹も騒ごうと言う気が起きていないらしいし。
俺の部屋の開けっ放しの扉がノックされる。
PCに向けていた体を音の方に向けると、振袖姿の香苗と朋絵ちゃんが立っていた。
「綺麗だよ、二人とも」
「ユキ兄。ありがとう」
「紀行さん。初詣に行ってくるね」
「ごめんね。俺は出られないから。気を付けて行っておいで」
「何か買ってくるものはある? 必要なものとか、欲しいものとか」
「ないよ。気にせず楽しんでらっしゃい」
俺はそう言って背中を向ける。
今は、二人とも俺の優しさを必要としていない。
俺の醜い部分を見て喝が入ったのか、二人ともしっかり自分の足で歩けている。
朋絵ちゃんは、まだお母さんのことを受け入れられてはいないけど。
二人が出てからしばらく。不意にコーヒーが飲みたくなり、キッチンに向かう。
「紀行」
「なに、母さん」
「えっと……晩御飯。何がいいとかある?」
「なんでもいいよ。なんでも」
「そう……」
キッチンでインスタントコーヒーを淹れる。
「紀行」
「……なに?」
「あんた、やっぱりあの二人の事」
「二人って、誰の事? 香苗と朋絵ちゃん?」
「―――ちゃんと―――ちゃん」
「なんて?」
「やっぱいいわ。忘れて」
「そう……?」
立ったまま珈琲をすする。
「母さん」
「何?」
「俺、なんで二人を受け入れられなかったんだろう?」
倫理観も、年齢も、関係なかった。
何かしら闇があるのは知っていた。
俺を縛っているのは、何なのか。
なぜ、俺は恋愛感情を以て愛されることを許せないのか。
それを、答えを求める訳でもなく何とは無しに自分の母親に問う。
「それは……。紀行」
「ん?」
「多分、あんたにはつらいことがあると思う。でも、それを乗り越えたら二人を受け入れられるわ。きっと」
「つらいこと、ね」
試練ってことですかね。お母様。
報酬は真実の愛ってところですか?
「イエスノーでいいんだけどさ。その試練の内容、母さんは知ってるよね」
「……イエス」
「そして、俺には母さんから伝えることはできない」
「……イエス」
「それは、俺に原因がある?」
「多分、イエス」
多分、ね。
「俺に伝えようと思ったことある?」
「イエス」
「ありがとう」
多分、何かしらの内容について俺は外部からの情報をシャットアウトしてるんだろうな。事実の改変、いや、認識の阻害かな。
だが、俺にはそれが何かわからない。
でも、自分で気づくしかない。
「過去のトラウマ……。朋絵ちゃんと同じ状況か」
「あんた、そこまで理解してるの?」
「まあ、思い返してみれば急に耳が聞こえなくなる時があったからな。それを不思議とも思わなかったけど」
「病院、行ってみる? 私が、あんたの事もっとよく見ていれば……」
「母さんのせいじゃないよ。病院は、まあ気が向いたら。ちょうど職場から離れられるタイミングだし、自分探しと洒落込むよ」
「何でも言いなさいよ? みんな心配してんだから」
「ほんと、俺にはもったいない家族だよ」
俺がそう言うと、母さんが後ろから俺を抱きしめた。
「自分を卑下するのはやめなさい」
「はは。母さんのだっこなんていつ以来だ?」
「自分で三人目になるんじゃないわよ」
「そういや、前にも言ってたな、それ」
「ヒントをあげる。一人目は中学二年の冬。二人目は大学四年の夏」
「中学二年の冬と大学四年の夏?」
「自殺した」
「は? 俺の知り合いに自殺者なんていないんだけど……。いや、居るんだろうな。確実に。俺が思い出すのを拒んでるだけで」
それがカギだ。
だから、俺は朋絵ちゃんがボールペンを喉に突き刺そうとした時、あんなにもうろたえたんだ。
ここまで分かっても、何も呼び起こされない。
俺の忘れてる誰かさんよ。俺は、薄情なのかな?
母さんの話から二人。
お前らは、俺に何を残してくれたんだ?
トラウマになるってことはただの知り合いじゃないよな?
今回の感じを見るに恋愛絡み。
もしかして、俺が好きだった奴か?
それとも、俺のことが好きだった奴か?
ぼんやりと、影が浮かぶ。
「紀行!」
重力がバグった。いや、俺が倒れている。
母さんに抱かれていたから幸い強く頭は打たなかったけど、目の前には白い破片が散乱していて、黒い液体が俺の頬を温めている。
「大丈夫、だいじょうぶ」
「大丈夫じゃないでしょ! やっぱり病院行こう? お願いだから」
「母さん。多分行っても無駄だよ。これには薬は意味が無いし、カウンセリングは自問自答の助けにしかならない。安全なベッドの上で沈んで、徐々に慣らしていくさ」
道のりは長そうだけどね。
とりあえずキッチンの片づけは母さんに任せて俺は体についた破片を落とすために風呂に向かう。
もう今日は考えない。風呂で倒れたら洒落にならない。
しばらくじっとシャワーを浴びているとなにやらバタバタと足音が聞こえて浴室のドアがどんどんと叩かれる。
「紀行さん生きてる⁉」
「ん? 香苗? 生きてるよ?」
「倒れた後すぐにお風呂入っちゃったって連絡貰って、心配で」
「気にしすぎだよ」
「紀行さん!」
「あーはいはい。俺が悪かったよ」
俺は切り上げて浴室を出る。
全てさらけ出したまま、香苗と一緒に居た朋絵ちゃんの前に出る。
普通に体を拭いて、下着を履いて。新しい部屋着を着て部屋に戻ってベッドでゆっくりしていると、急いで着替えて来たらしい二人が俺の部屋にやってきた。
「まるで病人扱いだな」
「十分病人だよ、ユキ兄」
君には言われたくないよ、朋絵ちゃん。
俺は朋絵ちゃんの膝枕で、香苗に手を握られながらベッドに寝そべっている。
朋絵ちゃんには頭を撫でられ、香苗には手を握ったまま祈られ。
「どうやったらユキ兄に返せる?」
「なにを?」
「熱」
「ねつ?」
何か、比喩的表現なのだろうか。
「朋が言ってるのは、当て嵌めるなら愛情のことだよ」
「ああ。今じゅーぶん返してもらってるよ」
「返せてないもん。返せてたら、ユキ兄は、もっと!」
「返してもらってるんだよ。俺の受け取った器に、大穴が開いてるだけで」
「どうやったら塞げる? どうなれば私とお姉ちゃんで満たせる?」
「これは俺が自分でがんばって修理しなきゃいけないんだよ。他の人にどうこうしてもらえる問題じゃないんだ」
「待っててもいい? お姉ちゃんも」
「……ずいぶん待たせることになるよ?」
「いいの? だめなの?」
「ダメって言っても待っててくれるのは知ってるから、いいよ」
ただし、と俺は条件をつける。
「他にいい人ができたら、俺を見捨ててその人と幸せになること」
「ユキ兄がそうだったように、私たちもユキ兄を見捨てないよ」
「朋絵ちゃん……」
それはダメだ。そういう前に、朋絵ちゃんが言葉を紡ぐ。
「私は、ユキ兄が好きだから」
その、なんだかんだと初めて聞いた真剣な告白に。俺の脳裏に、映像が浮かんだような気がした。
「朋絵ちゃん」
「なに?」
「今のもっかい」
「え?」
「もう一回告白して。なんか、浮かびそう」
「……私はユキ兄が好き」
ざりっと、やはり頭の中に砂嵐が起きる。
「女の子に告白されるのがキーか……?」
「ユキ兄?」
「もしかしたら、朋絵ちゃんが俺をまっとうに立ち直れせられるキーパーソンかもしれない」
確かに、何か変化があったのだ。
「君が、俺の底の抜けた器を直せるかもしれない」
朋絵ちゃんは浮かべた涙を零して俺に問う。
「私、ユキ兄の役に立てる……?」
「わからない。でも、変化をくれたのは朋絵ちゃんだ」
俺がそう言うと、朋絵ちゃんは涙をぐしぐしぬぐってあんまり見ない不器用な笑みを見せて言った。
「ユキ兄。大好き」
また起こる小さな砂嵐を感じて、俺は真っ暗な水中の中で藻掻くことを続けた。
時は少し過ぎ、大学院の入試も終えた二月の初め。二月十四日。
まぁようするに世間一般ではバレンタインデーと呼ばれる日である。
世の中のモテない男には心が荒む日であるが、俺はあまりそういった経験はない。
なんだかんだで高校以降の学生時代、義理は貰い続けてたからね。もしかしたら本命も交じってたかもしれないけど。
あと、仕事を始めたらそういう恋愛イベントどうでもよくなるからね。まだ学校に居たら、たぶん処辺先生あたりがくれそうだけど。
母さんは親父にしかあげないけど、今年は一応二つもらえる予定。たぶん。
多分なのはくれる予定の二人が大量に作っていたから。その中に俺の分があるかどうかが自信ないだけである。
学校から帰ってきて、朋絵ちゃんは今女子全員にチョコを配りに行ってる。だいたいは学校近くの公園で集まって交換するらしいが、わざわざ不登校の子や来なかった子なんかにも届けに行くそうだ。朋絵ちゃんの人徳か、行けばみんな受け取ってくれるらしい。
なにもそこまでやらんでもとも思うが、バレンタイは配るだけで終わるからこういう楽なところで協調性を見せておかないといけないそうだ。
女の子って面倒。朋絵ちゃんは外面が良すぎるから特に。
香苗は朋絵ちゃんよりはだいぶ少ない。仲いい子と三年生からのゼミ希望が同じで顔を合わせる機会が多い子。全部で二十人に満たないらしい。
それを手慣れた手つきで量産していく二人を見ながら聞いたら、揃って男には配らないという回答を貰った。
まぁ、一人渡すと面倒だからね。男は。周りが割り切ってる奴ばかりならいいけど。
つまるところ、その配らないと言った男に俺が含まれているかいないかの確認が取れていないのである。
まぁ、無ければないで別にいいのだが。
朋絵ちゃんが帰ってきて、香苗も帰ってきて。晩御飯を食べても、チョコは出てこなかった。
諦めて風呂に入る。上がって出てくると、既に俺より前に上がっていた二人が待ち構えていた。
二人に手を引かれてソファの真ん中に座らせられる。二人がキッチンに向かい、何かを取り出して、仕上げをしているのかちょっと作業して戻ってくる。
「ユキ兄」
「紀行さん」
「ハッピーバレンタイン」と声が重なる。
俺の目の前に置かれたのは。
「……これ生チョコトリュフ? あれ、ブラウニー量産してなかった?」
俺がそう言うと二人は揃ってそれはもう深い溜息をつく。
「二人からだけど、唯一の本命」
「紀行さん、ブランデー好きでしょ? ブランデーに合うチョコで調べたらこれだったから」
ああ、なるほど。ならば俺もアレを出さざるを得まい。
俺は一旦自分の部屋に帰って高級ブランデーを持ち出す。
その瓶を見て、香苗はとても嬉しそうな顔をした。
「お姉ちゃん、あのお酒……お酒だよね? 何か特別なの?」
「二十万だって」
「何が?」
「値段」
朋絵ちゃんが絶句しているのを苦笑しつつ俺はブランデーグラスを取り出して二人の真ん中に座る。
ブランデーを注ぎ、手で温め、一口。チョコに手を伸ばそうとして、チョコが奪われる。
「食べちゃダメなの?」
「うん。ユキ兄は自分で食べちゃダメ」
「自分では?」
「うん」
「あー……」
定番っちゃ定番。
ブランデーを少し多く含んで嚥下。
朋絵ちゃんが指でつまんで差し出すチョコを口の中に放り込んでもらう。
蕩けるように、甘い。
「おいしい」
「ふふっ。よかった」
次を待つが、朋絵ちゃんはくれない。代わりに反対側を指さされる。
二人でか。
俺は香苗の方を向き、チョコを貰う。
ブランデーを飲む。
幸せだ。状況に思うところはあるが。
たっぷりイチャイチャしながらチョコを貰い終え、一息つく。
「これ見せたら二人の学校の男子が慟哭しそう」
「あー。まぁ、うん。くれって視線は感じた」
「自分でいうのもなんだけど、なんだかんだと人気あるからね。私も、お姉ちゃんも」
「今まで男子にあげたことあるの?」
「仲いい男子にあげたら噂になって地獄みたからそれ以来は。バレンタインの時にはちょうど彼氏もいなかったし」
「お姉ちゃんから惨状を聞いてたから元々選択肢にない」
げに醜きかな男の承認欲求。
何個貰ったかに加えて誰に貰ったかもステータスになることもあるからな。
そんなことを考えていたら、朋絵ちゃんが顔を寄せてきて頬に軽くキスをした。
「ユキ兄。好きだよ。愛してる」
ざりっと、頭の中に砂嵐が起きる。
「今日はまだ一回目だったね」
「このタイミングで言いたかったから。今日は自分のために。ごめんね?」
中学生の枠を超えて香苗と同じくらい色っぽくなった朋絵ちゃんがそう言って俺に身を寄せる。
あの日、朋絵ちゃんからの真剣な告白を受けて頭の中の何かが呼び起されそうになって以来、朋絵ちゃんには俺に告白を続けてもらっている。
冗談ではなく本気で。二重の意味で。
俺が疲れを感じたらその日はやめてもらうようにしているが、まぁ十回くらいざりっとなると頭痛を感じるのでストップと言う感じだ。
「どう?」
「うーん……。いつもと一緒だと思う」
なんかこう、開きかけている、と言うよりは鍵がかかっている箱をとりあえず開けようとしてみてガタガタやってる感じ。告白という鍵で錠が緩んだと言うべきか。
たぶんまだ鍵が足りてない。
一人目が中学二年の冬、と言うことは年齢的にエロ方面ではないと思うのだが。
いや、その年齢だからこそエロ方面なのか……?
俺が難しそうな顔をしていると、朋絵ちゃんが心配そうに聞いてくる。
「何か思いつきそう?」
「うーん。鍵の方向性を考えてるんだけどね」
「方向性?」
「恋愛絡みなのは確かだから、どの程度のレベルまで食い込んでるのかって思って」
「その考えで一番深いのって、何?」
「子作り」
臆面もなく俺は答える。
生き物は、究極的には種の繁栄のために子を作り、そのために恋をするのだから。
敢えて難しくいえば性淘汰の結果と言うやつである。
「紀行さんのためなら脱ぐよ?」
そう言って香苗が自分の服に手をかける。
朋絵ちゃんにはさせられないから人選がそうなるのは分かるのだが。
「求めてないから。そういうことをするときは、ちゃんと女として愛してからしたい」
「私じゃ、だめ?」
「その聞き方はズルいと思うなぁ……。分かってるでしょ? 今は、俺の何かがそれを許してくれないってことは。それに香苗がしようとしていることは朋絵ちゃんの代わりだ。違う? そんな考えの子を、俺の枷が取れたとしても抱きたくはないよ。そうしたいなら、朋絵ちゃんと戦うつもりで言ってくれなきゃ。そうじゃなきゃ俺は相手にしないし、できないし、したくない」
「ほんとに。この人は。そういう考え方も、影響されてるんじゃないの?」
「あー……。否定はできない。正直冷静に見つめると過剰だと思うから」
「しょうがないよ、お姉ちゃん。そうじゃなかったら私たちはユキ兄に惚れない」
……。私、たち?
「え、香苗もなの?」
俺の問いに、香苗は首を横にブンブンと振る。
だよねぇ?
「自覚無いだろうけどお姉ちゃんもだよ。お姉ちゃんは何でもない男にキスしないしおでこに何度も許さない。前に彼氏にされてキモかったからやめさせたって言ってたじゃん。あとその証拠に家族だけどおじさんにはしてないでしょ? あといくら私のためでも体は許さないと思うし。それが既に受け入れOKの証拠だと思うよ?」
「え、私……紀行さんのこと……好きなの……?」
「絶対そうだと思う」
香苗は考えて、俺を見て、また考えて、一回俺の頬にキスして見て、また考えて、耳から頬まで真っ赤にした。
「朋、ごめん。好きになってた」
「だよね。いらっしゃい」
「ごめん。取るつもりはないから」
「取らせる気はない。でもお妾さんならいいよ?」
「……。ちょっと考えさせて」
「君たちまず俺の意見を聞こうよ。その未来は俺と朋絵ちゃんが結婚して香苗が愛人ってルートだよね? 俺は一人分の愛情しか持ち合わせる気はないぞ?」
不倫とか二股とかヤダ。するのもされるのも。
「まぁまぁユキ兄。なんとかなる」
「朋絵ちゃん。仮に可能だとしても世の中には世間体というものがあってね?」
「なんとかなるなんとかなる」
「俺、このままの方がいいのでは?」
「ユキ兄は絶対に治す」
意志は固い。
俺は二人の頭を抱き寄せて撫でた。
これくらいなら問題はない。俺がこぼしまくってる二人がくれた愛情に対して返せるものがこれくらいしかなかった。
彼氏面はできる。後腐れなくバイバイできるところまでは。でも朋絵ちゃんが、いや、二人が望んでいるのはその先にあるものだ。
今のままでは行きつく先にいっても応えてあげることが出来ない。
死ぬまでプラトニックな関係なら、可能だと思うけど。
でもそれは、あまりにも不幸だ。俺が死ぬまで二人を縛るなんて。こんな俺に、青春を捨てていくなんて。
いまのままだとそうなる。おばあちゃんになって、それでも楽しい人生だったって言ってくれるのだろうけど。それはあまりにも。
いや。俺が俺を許せない。俺の中の何かが拒否するのではない。男として、それはあまりにも男が廃る。俺が自分の男としての価値を見失う。
「がんばってみるよ」
もう君の想いからは逃げないよ。俺が想いを返せるようになったら、その時は。
ちゃんと、真剣に君とのことを考えよう。世間体とか、立場とか、年齢とか気にせず。
三月十四日。
まぁ貰った手前ね? お返しをしない訳にはいかないのよ。
返すのがチョコでは味気ないと思い、デパートの洋菓子屋を覗いているところである。
あんまり多かったり大きかったりすると逆に困るだろう。
なにか、一回で食べきれるくらいのものをとショーケースをのぞく。
仮にも本命と言われて貰っているのだ。前までみたいにラッピングだけし直したお徳用キャラメル希望者にはあーん付きでは駄目だろう。
そう思って商品を眺めるのだが。
今見ているのはバウムクーヘン。だが一個が大きく、個包装一個づつというのも開けた時の感じがインパクトに欠ける。
フィナンシェなんかの焼き菓子もおなじような気分だ。
「お?」
俺の目についたのは重厚な見た目の縦長の紙箱に一列に入った五色のマカロン。個包装は無く、そのまま入っているようだ。
お値段4890円。五個入り一箱で。
高っけぇ。マカロン一個千円かよ……。
そう思って店の看板を見れば高級店だった。しかも元から入っている店舗ではなく出張営業の期間限定。
無しだな。
そう思って他のものを探す。だが、いいものが無くまたお高いマカロンに目が行く。
多分、このマカロンが正解なんだろうな。
最初にいいと思ったものが一番いいものの法則。心理学的に言えばファースト・チェス理論とか、適応的無意識とか。まぁ、熟考した方が正解を導き出す確率が十数パーセント上がるそうだが。
まぁ問題は値段だけだし、別にいいか。
そう思いマカロンを二つ購入。プレゼント用にラッピングもしてもらう。
家に帰って、一応隠すように保管しておく。
夕食が終わり、俺よりお風呂に入るのが早い二人に向かってちゃんとお返しがあることを伝えておく。
言っておかずに部屋に戻られたら呼びに行くのが面倒だからね。
俺もお風呂から上がり、三人分のカフェオレとマカロンを持ってソファの真ん中へ。
もう俺がソファの真ん中に座って両隣に朋絵ちゃんと香苗っていうスタイルも定番になりつつある。というかなってる。
カフェオレは朋絵ちゃんが薄めミルク多め甘め。俺と香苗は濃いめ甘さ控えめ。この辺は好みの違いと言うか、朋絵ちゃんが飲めないだけなので仕方がない。
「はい。ホワイトデーのお返し」
そう言って俺は両隣にラッピングされた箱を手渡す。
「ありがとう」
「ありがとユキ兄」
開けていいかと聞かれたのでどうぞと答える。二人とも丁寧に、いや、朋絵ちゃんはちょっと失敗しながらラッピングを解き、箱を取り出す。
すぐ開ける朋絵ちゃんに対してスマホを取り出す香苗。凄い勢いで指が動く。
「あやっぱりそうだ」
「俺なんかマズった?」
「ん、うーん……」
微妙な感じの香苗に対して朋絵ちゃんは中身を見て「おいしそー!」と目を輝かせている。
「気に入らなかったかな……」
「いや、そうじゃないんだよ? そうじゃないんだけど……じゃあ聞くね?」
「うん……」
「まずホワイトデーの贈り物の意味、知ってる?」
え、意味なんてあんの?
知らないと答えると、香苗は意味を教えてくれる。マカロンを贈る意味は“あなたは特別です”。
「まぁ間違っちゃいないから別に問題はないかな。俺にとって二人はもう特別だし」
「もー。そういうことを素面でいうー」
「ユキ兄、食べていい?」
「そのために買ったんだから。食べてもらわないと悲しい」
俺がそう言うと朋絵ちゃんはどれから手を付けるか悩み始めるが、香苗が待ったをかけた。
「朋。あんた男子にあげないし普段から男子とは遊びに行かないから貰ったこともないでしょ? ちょっとこのお返しの重みを理解した方がいい。紀行さんも」
「俺?」
「あのね。箱をネットの特集で見た覚えがあって調べたんだけど、紀行さん。高すぎ」
「あかんの?」
「いや、だめなことないけど……。流石にちょっと躊躇する」
「お姉ちゃん。このマカロン、そんなに高いの?」
「多分一個千円のヤツ 箱じゃなくて、マカロン一個」
朋絵ちゃんが箱を丁寧に即閉じした。
「えー、そういう反応?」
「紀行さん多分ちょっと感覚バグってる。朋くらいなら高くて三千円くらいだと思う。私なら許容範囲内だけど、ガチ本命に贈る値段設定だよ? あと単純に一個千円のマカロンを食べていいっていう事実にビビってる」
「そうなのか……」
「これ、どういうつもりで食べればいい? いや、紀行さんが何も考えてないっていうのは分かってるんだけど!」
「本命か、ただのお返しかって話?」
「……うん」
俺は二人ににこっと笑いかけて。
「好きに解釈していいよ。でも、良い方に解釈してくれると嬉しいかな」
そう言った。
「ほんっとそういうとこ! なんでこの人売れ残ってんの⁉」
「何でって、俺が聞きたいよ」
社会人になってからは単純に出会いが無かった。学生時代は、多分友達に邪魔されていた。予想でしかないけど。
俺は、だいぶ前に俺の恋路を邪魔していたかと問うた時以来息を潜めるように一切の活動を停止している旧友とのグループチャットをぼんやりと頭に思い浮かべた。
まぁ食べて食べてと促し、あーんのオプションも聞いておく。
「紀行さんそれキャラメルで毎回やってたの?」
「え? うん。一粒だし。冗談で聞いてたら定番化した」
意外といるんよ。聞いたらしてって言う子。どっちのタイプにも。
「ほんとなんで売れ残ってんの?」
「しらねーよ」
まぁ朋絵ちゃんはオプション付けるよね。香苗は……あ、つける? そう。
あ、そういや香苗も俺の事好きだっけ。
朋絵ちゃんと比較すると大人しいから忘れがちだ。
そういう真剣な想いを忘れるのは良くない。反省しよう。
二人に食べさせつつ適度にカフェオレを啜る。
まぁ合計十回食べさせたら終わりだからね。そう長くはかからない。そう思ったのだが、殊の外二人はゆっくりマカロンを食べている。
お茶の時間が終わって、二人が俺の腕を取って体重をかけてくる。
さっきは忘れがちと言ったが、自分の想いを理解して以降、朋絵ちゃんがウェルカム状態なので香苗も俺に多少甘えてくるようになった。
だが、朋絵ちゃんを差し置いて俺に好きと言う気はないらしい。
なんともまあ奥ゆかしいと言うかいじらしいと言うか。
俺としてはそっちの方が好みなんですよ? 二人の考え方が分かっている手前絶対口には出さないけど。
私は涙を呑んで身を引きますっていう女の子を見るとね。もうね。ぐっときちゃう。
心がきゅーっともなるけど。
だからね。声をかけずにはいられなかったのよ。自分の好きな人が別の女と仲良くしてるのを教室の遠くから目で追うだけの子には。
まあそういう子も立ち直らせたと思ったら別の男にとられたりしていった訳だが。
俺の所に残ってた子は自分からはどうしてものSOS以外声をかけてこなかったし。
ちゅっと、両頬に温かい感触が触れた。
「ユキ兄、好きだよ。大好き」
ざりっ。
「紀行さん、私も」
……。
「好き」
ざりっ。
告白。それも、真剣ですよという気持ちのこもった“好き”のワードに反応する。
ちょっとずつ特定は出来てきているが、鍵の回し方が強くなってきたというよりはダイヤル錠の番号が一つ分かって、その一つの微妙な引っかかりもない完璧な位置が分かってきたと言う感じだ。
だからまだ記憶の蓋は開かない。
俺はお礼に二人の頬にキスを返して、再びゆったりとソファに身を委ねた。




