わたし、まだがんばれるから
明日は、バイトが休みの日だった。
バイトを五時で上がって着替えてスマホを見る。ずっと動いている友達のグループに通知がある。
無理強いはしないけど、無事なら顔を見せてほしい。
大学で仲のいい、三人の友達が送ってくれたメッセージだ。朋が安定していなかったこともあって、私はずっと誘いを断っていた。でも今は、あの人が朋を安定させてくれている。だから私の付き合いも、少しづつ戻して言っていいかもしれないと思った。
この後空いてるよ。
そうメッセージを打つと、まるで見張っているかのようにすぐさま返信が返ってきた。
現在地を聞かれ、待つように言われ、一時間後には皆が集まってくれた。
「おひさ~」
「香苗!」
「カナ!」
「カナっち!」
順番に日和、和沙、美代。美代は泣きながら抱き着いてきた。
「大丈夫? 病んでない? おっぱい揉んでいい?」
「美代、おっぱいは揉まないで。元気だから。みんな心配かけてごめんね」
「許す。でもなんで会えなかったのさ?」
「妹がね。身近な人が近くにいないと暴れる様になっちゃって。ショックで」
「それ今日来て大丈夫なん?」
「大丈夫。お世話になってる親戚のおばさんに預けて来たし、そもそも最近落ち着いてきたし」
「ふーん……。ま、とりあえず飲みながら話そうよ。私らこの夏で全員成人したわけだし」
「あそっか、ヒヨは初アルコールか」
「うんにゃ。家で飲んだ。彼氏と。そのまま泥酔ックスしようと思ったらあいつ、舐めても擦っても勃たないでやんの。二人ともフラフラで前戯もまともにできないし笑ったよね」
わははと日和が笑う。とりあえず往来でする話じゃないことはわかる。
場所を移動して目的のお店へ。移動中に和沙がリサーチしてくれたみたいで、海鮮メインのお店だそうだ。
店に入って予約してあった座敷席に。
お気にのブーツは基本脱ぎにくいから座敷席はあんまり好きじゃないんだけど、まぁ仕方がない。
「とりあえずカナの無事を祝って、かんぱーい」
イェーイとジョッキをぶつける。琥珀色の炭酸をごきゅごきゅと喉に流し込んで私は少しご満悦だ。
お酒は好きだ。朋の事もあって最近は飲めてなかったから猶更。
「で、カナは大丈夫なん?」
「何が?」
「何がって、その、親亡くして」
「そうだよ! 学校辞めたりしないよね⁉」
「学校はやめないよ。親戚の人が、いい人だったから。私も朋も、実の子供のように育ててくれるみたい」
「よかったぁ~。じゃあカナっち自身は?」
「私? 私は……」
大丈夫じゃないよ。今にも壊れそう。でも朋がいるから。それに。
朋がどうにかなろうが、私がどうにかなろうが、そうなる前にきっとあの人がなんとかしてくれる。彼が認めるところまでは、がんばれせてくれる。
私が弱ったら、立ち直らさせてくれる。
「……」
皆が私を見ていた。
「何?」
「香苗、男できた?」
「はぁ? そんなわけないじゃん。あんなヤリたいだけの猿を相手にしてる暇ないって」
「出た。カナっちの辛口辛辣コメント」
「ふーむ。じゃあ新しい家の事を聞こうか。どんな人が家族になったか」
そう言われて新しい家族の事を思い浮かべる。
まずは大黒柱のおじさん。無口で、何を考えているか分からない人。昔バンドをやってたらしくてキーボードを持ってる。あとお酒が好き。でも弱い。奥さんであるおばさん第一の人。割と理想の夫婦像の体現者だと思ってる。
つぎにおばさん。一番お世話になっている人。専業主婦で家を守ってる。あと私たちに怒りたそうにしている時があるけど我慢している時がある。そのせいもあるのかこの間家事ストライキを起こした。でも普段はとってもいい人。紅茶が好き。かくしてるけどおじさんが大好きな人。理想の夫婦像のもう一人の体現者。
最後に紀行さん。名前の呼び方は外で私が先生って呼ぶと嫌そうな顔をしてたから頑張って紀行さんに変えた。中学校の理科の先生。妹の教科担任。この人は……どういう人なんだろう。もう一緒に住み始めてしばらく経つけど、全くわからない。理解できないんじゃなくて、キャラがブレててどこに当て嵌めたらいいのか分からない。
人としては多分普通の人。あ、でも気遣いの鬼。でも天然じゃなくて、訓練の賜物のような感じがする。どっちかっていうと大学にいっぱいいるモテたいお猿さんたちと同じ行動をしてくる。でも朋が攻めまくってるのに逃げまくっている。モテたいのかモテたくないのか分からない。しかも行動の先に性欲が全くない。本当にびっくりするほど無い。ただ気遣いだけして去っていく、本当に変な人。一線は引いてるし、嫌な所には絶対に踏み込んでこない。でも向こうはオープンにしていて、強がりも弱みも全部飲み込まれそうで怖い。だから妹はどっぷり沈んでるんだと思う。
私に対しては、少し遠い。でもそれは、私が拒んでいるから。そこを見極めて、私が伸ばして突っ張った手の範囲の外ギリギリでじっと背中を向けていて、たまにっ振り返ってみてくれる。そんな感じの人。
そこまで語り終えると、みんなが興味深げな目を向けていた。
「何?」
「いや……まあいいけど。その人いくつ?」
「紀行さん? 確か三十……は過ぎてる。三十前半」
「オジか」
「当たりのオジってそういうとこあるよね。若いころの経験値フルに使ってメロつかせてくる。それなのにこっちがその気になると困った笑顔でバイバイとか言うムカつく人種」
「で、カナはその人の事好きなん?」
「あ、和沙が我慢できずにブッこんだ」
「私が? 紀行さんを? ないない」
そう言いながら何杯目か分からないジョッキを空けておかわりを頼む。
私があの人を好きになることは無い。好きになってはいけない。妹に恨まれたくはない。
今のままでもあの人は優しい。私たちはもう家族だから。無理してこれ以上を求める必要はない。
いろいろ根掘り葉掘り聞かれつつビールを進められ、気がつけば結構な量を飲んでいた。
「……トイレ」
お気にのブーツを履き、フラフラとトイレへ。出すものを出して、席に戻る。
空いてた隣の席に、お客が入っていた。
「紀行しゃんだぁ~」
見知った安心する顔を見つけて私の顔がほころぶ。席に戻って紀行さんをじぃっと見つめ、なんでここに居るんだろうと考える。
この人は朋を見ててくれなきゃだめなのに。
だから私は怒る。なんで朋の側に居てくれないんだと。
何故か朋の話になって、紀行さんが家族として放っておけないと言ったところで私の中の変なスイッチが入った。
「そうれすよ! わらしらちは、かろくなんれす! でものりゆきしゃんは朋ばっかりみて! わらしはにのつぎれ! もうちょっろわらしをみてくれらっていいじゃないれすかぁ!」
もっと私も見ろ! 朋と同じくらい甘やかせ! 私だって傷ついてるんだぞ!
その後日和と美代が紀行さんに抱かれたいとか言い出したので私はキレた。
興奮して血が上ったのか、クラッときて倒れ込む。板間に頭をぶつけなかったのはいいけど、紀行さんの膝はやっぱり男の人の膝でそれなりに硬い。
頭を上げようとするが、目の前が真っ暗になって力が入らない。紀行さんは私のイヤリングを取り外してまた私を寝かせ、もう寝ろと言いながら私のおでこと目にかけてその大きな手で覆った。
あ、ひんやりしてて気持ちいい……。
気づくと、私は硬い枕……いや、紀行さんの膝で寝ていた。体を起こして周りを見れば、私の友達と紀行さんの友達……友達? 職場の人? が和気藹々と話していた。
支えが無いと倒れそうだかから紀行さんに寄り掛かりながら状況把握に努める。でもアルコールの回った私の頭は働かなくて、気づけば目の前にトマトのお皿が突き出されていた。
「ほら、これ食べて。酔い覚ましと二日酔い防止になるから」
そう言われてお箸を取る。でも狙いが定まらない。
耳元でため息が聞こえ、お箸を奪われた。お皿の上でトマトが半分にされて私の口に運ばれる。
唇に触れるか触れないかのタッチ。私が目を閉じていても分るように差し出されたトマトを、口を広げて受け止める。
おいひぃ。
人に食べさせてもらうなんていつ以来だろう。
お父さんや、省吾さんに、ポップコーンやチョコレートなんかのお菓子を口に放り込んでもらった思い出が蘇る。
しばらく食べさせられて、今度はお椀が口に当たる。飲み頃に冷まされたお味噌汁をゆっくり飲まされ、具の貝を一つづつ摘まんで口に放り込まれる。そしてまたお汁を飲まされる。
なんかとっても安心する。あたたかい匂い。
朋の言ってたお日様の匂いって、たぶんこれかな……。
確かに、お父さんや省吾さんと同じ、心が温かくなる、いい匂い。
「おーい、帰りますよー」
そう囁かれて私は起きる。でもこの温もりを離したくなくて、ちょっと寝たふりをつづけた。
紀行さんがどこかに行って、戻ってきて、私を体に捕まらせながら外に行く。
解散して、別れ際に和沙が抱かれたいとか言い出した。
いくら温厚な私でも怒るよ、と言いたいが、体が動かない。それに紀行さんが和沙の方へ行ってしまう。
置いていかないで。
そう思ったら、紀行さんは壁際に和沙を追い詰めて腰砕けにさせた。
何をしたんだろう……。気になるけど、聞くだけの気力が今の私にはない。
紀行さんに寄り掛かりながら帰って、家に入ると朋が仁王立ちで待っていた。そして怒られた。だが酔っぱらっている私にはよく理解できない。
そうこうしていると朋が紀行さんを引っ張って出て行った。取り残された私はなんとか自分の部屋にたどり着き、これまたなんとか着替えてメイクだけはちゃんと落として布団に入った。
翌朝、酷い頭痛とともに起きた私は部屋の前に置かれたビニール袋に気が付いた。
中にはラムネ菓子が一つと、メモ用紙?
読んでみるとあの人からのメッセージだった。冷蔵庫にスポーツドリンクと栄養ドリンクが入っているらしい。
キッチンに入って冷蔵庫を開けさせてもらうと、中に1リットルのペットボトルに入ったスポーツドリンクが二本とクエン酸配合のとても酸っぱい栄養ドリンクが一本入っている。ご丁寧に油性ペンで私の名前まで書いて。
栄養ドリンクを一気飲みし、スポーツドリンクを一本取り出してソファに体を落ち着ける。スポーツドリンクを飲み干して、私は飲み終えたスポーツドリンクのペットボトルを握りつぶした。
蘇るのは昨日の痴態。膝枕とか、あーんとか、いろいろ甘えたことを覚えている。
どんなに酔っていても記憶が無くならない自分の体質が恨めしい。忘れられればどれだけ良かったか。
大丈夫。変なことは口走ってないはず。ストレスで暴発したという言い訳で収まる範囲。そう自分に言い聞かせて、私はシャワーを浴びに行った。
シャワーから上がって、部屋に戻って、スマホを見ると和沙からものすごい勢いでメッセージが飛んできていた。
要約すると、私は紀行さんと付き合ってないよね? だったら連絡先くれるようにお願いして! という内容だった。
被害者が増えた……。
あの人なら適当にあしらうだろうから別に断る理由は無いんだけど、一言私は「イヤ」とだけメッセージを返した。
貰ったラムネ菓子をぽりぽり食べながら残りのスポーツドリンクをちびちび飲む。しばらく部屋に引きこもって自省していたら部活から帰って来たらしい朋が襖を開け放った。
「たのもーぅ」
「だからそのノリやめなよ……」
また朋はいそいそと勢いよく開け放った襖を丁寧に閉める。そして私の前に正座して澄んだ目でじぃっと私の目を覗き込んだ。
「お姉ちゃん」
「何よ」
「私、怒ってる」
「それは分かるけど、怒られる理由は無いと思うんだけど」
「お姉ちゃんだけ白昼堂々ユキ兄とお出かけしてずるい! 今回二回目だよ⁉」
「ええぇ……?」
待ってほしい。前回はともかく今回は不可抗力だ。
「私は理不尽を言ってます」
あ、自覚はあるんだ……。
「でも羨ましいものは羨ましい! この怒りはお姉ちゃんにぶつけるしかない!」
「いや、紀行さんにぶつけようよ」
「ユキ兄には寂しさをぶつけたから。昨日。たっぷり。今日も、たっぷり」
妹の目が濁っていく。
「朋、紀行さんとずっと一緒に居られるわけじゃないからね?」
「どうして? ユキ兄とは一生一緒だよ? ずっといっしょに、世界が終わっても私とお姉ちゃんとユキ兄の三人でお母さんを待つの。なんでお姉ちゃんはそんな変なこと言うの?」
曇りのない濁った眼でそんなことを言う妹を放っておけなくて、私は朋を抱きしめる。
「お姉ちゃん、まだお酒臭い」
「ごめんね。私がしっかりするから。朋はゆっくりついておいで」
そのまま優しい泥濘の中で眠ってしまえばいい。でもそうさせてあげるには、私だけじゃ足りない。あの人にも居てもらう必要がある。
でもそれはあまりにも不幸だ。朋は私たちに依存し続けて、私は朋を背負ったまま。彼にはそれが枷になる。
彼もいい歳だ。家庭を持つことも考えているだろう。その相手に朋がおさまるのがもっとも私たちのハッピーエンドに近づくけど、きっと世間の目が厳しくなる。
二人の立場は、単に年が離れているというだけで片づけられる問題ではないから。
でももしそうなったら。その時私は。どこに居るんだろう。
どこに、居ればいいんだろう。
ぞわりと、恐怖が私を襲った。
「お姉ちゃん……?」
「朋は、好きに、自由に生きればいい」
私が支えるから。私が我慢するから。でも。
朋を大空に送り出して、ロケットの燃料タンクのように重力に引かれて堕ちていく自分を想像して。その私は恨みがましく手を伸ばしていて。
その手は、誰がとってくれるんだろう。誰が私を空にはばたかせてくれるんだろう。
朋を抱きしめたまま、私は頬に流れた雫を隠した。




