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飯を食え!

 夏休み終了を目前としたある日。俺は、職場である学校ではなく教育センターに来ていた。

 教育センターは、ざっくり言えば先生が先生としての勉強をするところだ。講習会などが開かれている。

今日はそれに参加するだった。

 教員の講習会にもいろいろ種類があるが、今日行われるのは教科の講習会。受けなければいけないひともいればそうでない人も居り、俺は受けなくてもいいはずだった。

 俺は肩越しに背中に張り付かせたスーツの女性を見る。

「処辺先生。そろそろ離れてもらえると……」

「あ、の、もう、ちょっと」

 この子……、今までどうやって生活してきたんだろう。特に就活とか。あ、スイッチが入ればなんとかなるのか……。

 いっしょに施設内に入って受付で名前を言う。張り紙に従い会議室へ。

 今日は席指定がある講座か。

 絶望した顔をした処辺先生を見捨てて自分の座席に。腰を落ち着け、水筒の水で喉を潤す。

 時間が来たので講習会開始。今日の内容は一年地学分野の実戦。だから処辺先生が参加して俺が頼み込まれて随伴したというわけだ。

 講義の内容は俺にとっては良く知った内容。この講座は基礎なのだ。応用でなければ目新しい話はあまり出てこない。

 適当に聞き流して後半の情報交換会をこなし、講座はお開きとなる。

 終わってぼーっとしていると、すぐに処辺先生がすっ飛んできた。

「教科講座は初めてでも新採研修とか出てますよね? なんでそんななんですか……」

「だってだって! 壁にしようと思ってたら席固定なんですもん!」

 何気に失礼なこと言ってるって気づいてるか? おおん?

 というかこれしきの事でいい大人が泣くんじゃない!

 とりあえずどもりが消えていることから相当にテンパってるのは理解できたので、会議室を出てすぐの所にあるラウンジでジュースを奢る。

「すみ、ま、せん」

「落ち着いてきたようですね」

 俺は俺で缶コーヒーを啜り、スマホの時計を見る。

 時間通りに終わらないのは常だが、予定よりちょっと押しているか。

 これから学校に帰って勤務なのだが……。正直初心を思い出すくらいにしかならない講習会を受けた後のこのテンションで仕事に行くのは少々怠い。

 よし。後半休取ろう。

 即学校に電話。そのまま後半休を取ると連絡して了承を貰い電話を切る。

 ウキウキとしていると、正面で処辺先生がこちらを見ていた。

「お休み、取れるん、ですか?」

「ん? 年休が残っていれば取れますよ? 処辺先生も休んでないから、連絡したら休めます。……休みたいんですか? 午後」

「あの、その、えと……、はい」

「なら、先ずは学校に連絡してください。今日後半休を取りたいと。あとそのまま直帰しますで大丈夫です」

 処辺先生が俺に言われた通りに電話をかける。しばらく話して電話を切り、ほっとした様子でスマホを胸に乗っけた。

 この子乗るんだ……。

「お休み、とれました!」

「よかったですね。じゃあ俺はこの辺で……」

 街に繰り出そうと席を立つ。が、処辺先生が捨てられた仔犬のような目で見てきた。しかもその手は俺のリュックのベルトの先を握っている。

「……何か?」

「あの! あのあのあのあのあのあの」

「はい落ち着いてー。深呼吸ー。吸ってー、吐いてー」

 俺の眼を見せながら深呼吸させて落ち着かせる。落ち着いたところで、再び声をかけた。

「で、何の御用ですか?」

「あの!」

「はい」

「お昼ご飯っ、一緒に、いきま、せん、か……っ」

 弱弱しく力強いという何とも矛盾した声音でそんなことを言う処辺先生。だが。

「すいません。俺、弁当なんで」

 近くの公園ででも食べるつもりだ。一旦帰る選択肢はない。

帰ったら早く部屋に来いという視線が痛いのなんのって……。割と自由が無いんよ。

「だめ、です、か……?」

「や、ダメなこと無いですけど……」

 おっさんと飯食って楽しいか? まあ、好きにさせておくか。俺に損は無いし。

 そう思って処辺先生に同行したのだが。

 どうしてこうなった?

 俺は今、処辺先生の家にいる。

 過去二回入ったことはあるが、あれは全て不可抗力。今回はちゃんと招かれて、自分の足でここに居る。

 一人暮らしをしている年若い女性の家に気安く入るものではないとは思うのだが、人を待つには正午を少し過ぎたくらいの外は流石に暑かった。

 処辺先生のマンションは1LDK。俺はリビングに置かれているソファを借りて座っていた。

 二海恵美。朋絵ちゃんと香苗さんのお母さんの事故の日。その日の飲み会の後に酔いつぶれた処辺先生を寝かせたソファだ。

 キッチンは綺麗だ。そして冷蔵庫はきっと空。朝食と昼食がサラダチキンひとつだけという食生活を知っているだけに、老婆心がムクムクを湧き上がる。

 いや、自分から食事に誘ったのだから、今日の昼食はまともだと思うのだが。それ以前に老婆心があったとて俺がそれを指摘することは無い。頼まれれば、たまに振舞うくらいはするかもしれないが。

 実際、料理は好きなので大学時代は少数の男連中で集まって料理を振舞ったりしていた。だいたい集まるのは俺か貞宗の家で、俺の家に集まればパスタを中心にいろいろ。貞宗の家に行けばラーメンの試食会といった具合だった。

ちなみに貞宗の家での食事がラーメン一択なのは彼の実家がラーメン屋だからである。

 だから家に呼べればいいのだが、基本的には広く浅くの関係なので家に呼べる人物は少ない。呼べたとしても、処辺先生のような若い女性を誘うのはおじさんとして抵抗があるし、そもそも二海姉妹がいる時点で今俺の家に人を招くのは適切ではない。

 でも、一人の年長者として心配なものは心配なのである。

 仕事始めると人の食生活なんて知る機会無いからなぁ……。その辺で言うと処辺先生もほんの若干ながらただの同僚の枠から外れかかってきてるんだよなぁ……。

なんかこう、生活能力皆無だった大学の後輩を思い出す。

あ、男ね。泣きつかれて少額を貰う代わりに皆で面倒を見てた。俺が卒業するころには自炊も洗濯も掃除も一人でできるようになっていたなぁ。感慨深い。

 思い出に浸っていると「お、待た、せ、しま、した……」と処辺先生がやって来た。

 いつもながら本当にこの子は清楚系と言う言葉が似合う。清楚ではなく清楚系。後に続く言葉はわざわざ言うこともあるまい。

 スーツに眼鏡だと印象キツイんだけどね。顔自体はタレ目でどちらかと言うと狸顔なので今はとても可愛らしい。というか印象ががらりと変わる女の子のメイク技術すごい。

「大丈夫ですよ。で、どこに連れて行ってくれるんですか?」

「あ、ぇう、その……、どう、しま、しょう……?」

 誘っといてノープランかよ……。

「案が無いなら野菜と肉と米食わせますよ。前に冷蔵庫の中空っぽなの見てるから」

「なんっ……、あっ、あの時……」

 処辺先生の顔が赤くなる。

「どうしますか?」と聞きつつ本音では弁当を消費したい俺である。

「時野、先生、は、お弁当、です、よ、ね?」

「まぁ、そうですね」

 お弁当を考慮してくれると言うことは近くのショッピングモールのフードコートかな。あそこ、持ち込みOKだし。

ただし電車で一駅。歩ける距離だが外はそれを躊躇させる暑さだ。

「いつもの、買って、きます。出るのも、暑い、ですし、家で、食べましょう?」

 いつものって……、サラダチキン?

「ちょいまち」

「はい?」

「人の食事に口出すべきではないのは分かってますけど言わせてください。流石に自分より若い子がサラダチキンだけもそもそ食べてる横で自分だけ弁当つつくのは気分が悪い」

「気に、しま、せん、よ?」

「俺が気にするの!」

 全くこの子は……。全く。腹が立つ。

 素早くスマホを操作してランチ営業している焼き肉屋を予約。

「ちゃんとした! メシを! 食え!」

 しまった。思わず本音が。ええいままよ! 今日はとことん世話焼いたらぁ!

 だってこの子、職場でもサラダチキン食べてるんだもん。それも一個だけ。俺と同じで生物専攻の癖して食事を蔑ろにしているのは我慢ならん。

 生物と言っても色々あるが、最低でも栄養学の走りは修めているはず。つまり食事の大切さは知っている。

それなのにまともな食事をしていないと言うのは料理が出来ないのか単にズボラなのか……。

 俺の突然の怒りに目を回した処辺先生を連れて店に。

 ノリが完全に大学時代に不健康な後輩を見つけた時のそれであるが気にしない。

 付き合いが長い順平、貞宗命名、通称オカンモード。その時残りの桐吾他仲のいい面子は大爆笑していた覚えがある。

 飯を食ってない奴を見るとどうにも我慢がきかない。広く浅くの関係なら食生活はほぼ見えないからいいのだが、二食が確定してもう一食も想像できると流石に口が出る。

 処辺先生に対しても我慢はしていたのだが、目の前でそれを見せられるのは無理。多分自分の弁当をねじ込んでいた。

 特にね、金も時間もあるのに食事をさぼってる奴は許せんのよ。

 店に入り、掘りごたつ式の座敷席に着く。

「いらっしゃいませー。ご注文がお決まりでしたらボタンからどうぞー」

「あ、すいません。ランチ食べ放題セットお願いします」

 そう頼むとすぐに注文用のタブレット端末が渡される。

「食べれないもの、ある?」

「あ、ない、です」

「飲み物も料金に入ってるから言って。俺は基本外の食事じゃ水しか飲まないけど」

「は、はい」

 とりあえず注文。米、スープ、サラダ、カルビ、ハラミ、レバー、マルチョウ。この店のランチ食べ放題は大きく分ければこれだけしか頼めない。だがランチメニューなら十分だろう。

 注文を飛ばしてしばらく。肉が乗った大量の皿がテーブルを埋め尽くす。それを見て処辺先生が目を丸くするが、気にせず網の上に満遍なく投下。大皿のサラダを小皿に取り分けて処辺先生の方に押しやる。

「え、ぁ、えぇ?」

「いいから食え。どんどん頼むから」

 焼けた肉を処辺先生の皿に。自分の皿にも入れながら食べ進める。

 俺の腹は人並だが食おうと思えば食える。もちろん限界はあるし、フードファイターの人とは比べ物にならない。一般的な基準で比べれば、という話だ。

 相手に遠慮させないように勢いよく食べ進める。

 人に食わせたいならそれ以上に自分が食べないとね。

 肉がなくなって来たので追加。サンチュと網焼き野菜も追加。

「無理はしなくていいかんね」と言いつつもっと食えと皿に肉と野菜を盛る。

 こういうのもハラスメントに当たるのだが、その時はその時だ。食生活が心配な相手に飯を食わせて怒られるならそれは社会が悪い。怖がっていては行動が出来ん。

 冷静に考えればそんなことは無いのだが、今の俺は少々冷静ではなかった。

「もう、無理、です」

「そう? じゃあ残りはさらえるね」

 追加注文を止めて残っている分と新たに来た分を腹に詰め込む。水を飲んで、一息。

「ごちそうさまでした」

「あっ、ごちそう、さま、でした。……けっこう、食べるん、ですね」

「たまにはね。動ける?」

「大丈夫、です」

 店を出ようと会計に。そこで割引が適応できることを告げられる。どうやらグループのチェーン店でカップル割をしているらしい。

 俺と処辺先生がカップルに……見える訳ないな。男女ペアというくくりで見られて適応範囲内だから言われただけだろう。

「どうやって確認するんです?」

「自己申告です。男女ペアでのご来店ならご案内させて頂いております」

「なるほど」

 ちらりと隣の処辺先生を見る。

 まぁ考えるまでも無いか。こんなおっさんとカップルに見られるのも嫌だろう。

 そう思って適応を断ろうとした時だ。

「……っ」

 左腕が肉に埋まる。

 懐かしい感覚だが、姉貴はここまでじゃなかった。

「カップル割適応させて頂きますねー」

 割引された料金を支払い、店を出る。

「あの、私、払わなくて、良かった、ん、です、か?」

「まぁ、無理やり食わせたようなもんだから……。というか、割引されるからと言って無理にカップル申告しなくてもよかったんじゃ?」

「お金は、節約した方が、いいですよ?」

「だからと言って何も抱き着かなくても……」

「あのっ、そ、れは、……つい。話すのは、苦手、なの、で」

 納得できるような、できないような……。

「とりあえず、男に気軽に抱き着くのはやめようね」

「……気軽じゃないもん」

 その呟きは小さかったが、別に耳が悪いわけではない俺にはしっかり聞こえていて。

 その呟きの意味を察せないほど鈍くはないが、今ばかりは鈍くならざるを得なかった。

 処辺先生。君が俺のどこを気に入ったかは知らないけど、こんなおっさんに夢をみちゃいけないよ。

 そう思ってはみたものの、しっかりと振ってやるだけの度胸が俺には無かった。

その度胸があれば。その度胸さえあれば。きっと朋絵ちゃんを悲しませることもないだろうに。

俺は多分、悪い大人なのだと思う。

「このあと、どう、します、か?」

「どうって……、解散では?」

 俺も予定が決まっているわけではないが、エスポワールでゆっくり珈琲片手に読書でもという気分である。

 普通嫌がられるよね。でもあそこのマスターはむしろ推奨してるんだ。

 雰囲気を楽しめということらしい。

「お暇では、ない?」

「いや、暇は暇なんですけど」

「お暇なら、付き合って、くれません、か?」

 まぁ、べつにいいか。いいのか?

 連れてこられたのは昼食前に思い浮かべていたショッピングモールの隣にある大型ゲームセンター。

「意外だ……」

「そう、です、か?」

 中に入って、クレーンゲームでもするのかと思えば奥へ。メダルゲームでもするのかと思えばさらに奥へ。着いたのは、リズムゲームコーナー。

 再度言う。意外だ。

 手慣れた様子で処辺先生は財布で筐体にタッチし、イヤホンを繋げ、百円玉を投入。

「あの、ここ、後ろ、立ってて、もらえ、ますか?」

 指定されたのは守るような背後。ただ真後ろからは少しずれていて、画面と手元が見える。観戦者の位置だ。できれば後ろの壁にもたれかかっていたいのだが、それがルールなのかもしれないと従う。

「あう……。最近来てなかったから情報リセットされてる……」

 初期設定をし、チュートリアルをプレイし、本番。

 腕は……下手な方、かな。でも楽しそうだから好きでやっているのだろう。

 そう言えば、こういうリズムゲームは桐吾がやたらと上手かったな。というか音楽関連全般。もっと正確に言えば、歌とリズムゲームとダンス。

矢印を踏むタイプのリズムゲームで二人分のパネルをガッツリとブレイクダンスみたいなことをしながらパーフェクトを叩きだしたりしてたし。動画を上げたら大バズリしてたのはいい思い出だ。

まぁ、アクロバット技やってたから店からみんなで仲良く出禁食らったけど。

 ああ、その後ちゃんと謝罪して出禁は解除されましたよ? ええ。丁度ここのゲームセンターです。改装前の話だけど。店長は……流石に変わってるか。

 処辺先生が後ろを確認する。多分、順番待ちがいないかどうか確認したのだろう。体を戻して再びコインを投入したところを見ると順番待ちはいないらしい。

 でも、ちょっと居心地悪そう?

 ちょっと気になって後ろを振り返ると、数人だがギャラリーができていた。

 あー、あぁー、あぁぁー。俺の役割が今よくわかった。と言うか思い出した。これ男避けだ。女の子がクレーンゲームとメダルゲーム以外のゲームしてると目立つんだよな。あ、パチスロは除く。

 一応確認するが無断でスマホを向けるような輩はいない。が。

 これは多分声掛けてくるかな~。

 経験値からくる予想だが、声をかけてくる奴はなんとなく雰囲気で分かる。

 処辺先生のプレイが終わる。すると、間髪入れずに「次撮っていいですか?」と聞いてくる輩。撮影のマナーは守っているが、それに対して処辺先生は案の定しどろもどろに。

 あ、だめだ。完全にテンパってる。

 俺は縮こまって筐体から手を離せないでいる処辺先生の背後に触れない程度にぴったりと身を寄せ、後ろから両手に手を重ねる。

 おっと、話す前に自己暗示と……。よし。

「琴葉」

「ふえっ⁉」

 次の言葉は、ギャラリーに届くように気持ち大きく。

「もう行こう? 二人きりになりたい」

「ひきゅっ」

 さらにテンパった処辺先生の肩を抱いてその場から退散。フロアをかえて、ベンチを見つけて座る。

 高校、大学と男避けとして都合よく使われていた時に編み出した……というか教わった方法だ。なお監修は姉貴。今からえっちなことしに行きますよという雰囲気を出すとうまく退散できる。相手側の協力も必要だが、ハマるとこれが食い下がられないという一点で案外うまくいく。

 処辺先生に伝えてはいないが、彼女の気持ちは、まぁ、理解してしまったのでうまく利用させてもらった形になる。

 ……好意を利用していると言うと本当に自分が悪い大人に想えてくるな。いや、何も間違っちゃいないんだけどさ。うん。俺は悪い大人だし酷い男だよ。自覚してる。

「琴葉……じゃなかった」

 はやく意識を切り替えろー。処辺先生に自己暗示使い過ぎると墓穴を掘るぞー。多分。

「処辺先生。もう大丈夫ですよ」

「あへ?」

 その発音は文字にすると良くない気がするな……。

「もう誰も見てないから大丈夫ですよ」

「……。はっ? ここどこ? ホテル?」

 案外むっつりか? この子。男が苦手も信憑性がちょっと無くなって来たな。いや、下種な視線に敏感なだけか。さっきのように。

あ、それ以前に処女しかできない行為の確認方法してたわこの子。

 ちょっと痛い目見せた方がいいかなとも思ったが、一途が故の暴走なら裏目に出る。

 というか、朋絵ちゃんにしろ処辺先生にしろ、何故俺のゾーンから外れた子から好意を寄せられるのか。昔馴染みが言うには気づいてなかっただけで昔からそうだったらしいけど。

 処辺先生は年齢的にはギリ……許容圏内……ということにしておいても……いいか? そっちを置いておくとしても俺は清楚系はゾーンから少し外している。嫌いではないが好きでもない。

 好意を向けられるのは嬉しいが、やはり俺は処辺先生の想いには応えられないだろう。俺の中で年齢差はそれだけ重い。

 どうしても想像してしまうのだ。残すことも、残されることも。

 愛する人を失ってからの時間は短ければ短い方がいい。死別した後に他の人を愛したくないし、愛してほしくない。そんな利己的な想いが、ずっと俺を縛っている。

 俺は誰でも愛せる分、代わりに自由に人を愛せなくなっていた。

 でももし、彼女が本気で想いを伝えてくるなら。朋絵ちゃんと同じようにしてくるなら。その時は、ちゃんと応えることにしよう。

 その答えは、彼女の望むものではないかもしれないけど。

 そもそも処辺先生はまだ若い。勤務先が移動して、関係性が薄まれば新たな恋を見つけるかもしれないし。

 それまで、精々逃げさせてもらうとしよう。朋絵ちゃんよりは逃がしてくれやすそうだ。

でもそれ以前に朋絵ちゃんからどうやって逃げよう……。今は子供の冗談と思って親父も母さんも真面目に取り合ってないけど、高校卒業時まで言ってたら確実に外堀は埋まってると考えた方がいい。そしてそれ以上に俺はあの子がちょっと怖い。

ヤンデレはおもいっきり趣味じゃないんよ……。

とりあえずぼーっと俺の顔を見つめている処辺先生をどうすべきか。

愛想笑いでも、今笑いかけたら駄目だろうなぁ……。

あー、でもいたずらしたい。

俺は元来大人しい方ではない。より正確に言うなら、人が慌てふためくのを見て楽しむタイプだ。

男避けと思って割り切って俺を利用していた女の子に軽く迫ってみたりするのは楽しかった。好みのタイプの子には緊張してしたことないけど。

……これか? 学生時代に俺は好きでもないのに俺の事が好きな子を量産してたらしい理由は。

うん。やめとこ。俺もいいおっさんだ。いつまでも女の子をからかって遊んでいてはいけない。個人的には封印していた学生時代のいたずら心を呼び起こさせた処辺先生を褒めたいところだが。

多分、場所と状況もそうさせている一因だろう。感傷に浸る訳ではないが、今日の処辺先生には昔を呼び起こさせられている。

とりあえず、体を離すか。

俺に体を預けている処辺先生のバランスを取って座らせ、俺はほんの少し距離を取る。

うわぁ、露骨に悲しそうな顔した。

「ゲームセンターはよく来るんですか?」

「え、あ、はい。あ、いえ、大学まで、です。仕事を、始めてから、は、初めて、です」

「以前はどうしてたんですか? 人避け、というか男避け」

「友達、が、盾になって、くれ、て。あ、みんな女の子、ですよ?」

 まぁ、こんなでも友達くらいいるか。

「そうですか。これからどうしますか? まだやりたいなら壁にくらいなりますけど。ただ離脱する時はさっきみたいになります」

 あ、想像してる想像してる。初心な女の子の百面相はいつ見ても面白い。……いやだから自制しろって。

「他を、見て回っても、いいですか?」

「どうぞ」

 並んでクレーンゲームコーナーを見て回る。ラインナップはぬいぐるみ、クッション、バッグ、お菓子、フィギュアなど多岐にわたる。その中で処辺先生は……。

「やっぱり意外だ」

 アニメキャラのフィギュアの筐体の前に陣取った。

「アニメ好きなんですか?」

「? いいえ? 最近は、あまり、見てません、よ?」

「でもこのフィギュア、取るんでしょ?」

「はい。あ、この子、アニメキャラじゃ、なくて、ボイロ、です」

「……ネギ持ってる子の仲間?」

「ネギ……。あ、それは、ボカロ、です。えっと……これ、ですよね?」

 処辺先生がスマホを取り出して動画を見せてくる。流れてきたのは民謡のような曲調の唄。頭身の低いツインテールのキャラがネギを持っている。

 曲は割と好きだが……。動画の映像の意味が分からん。なんでネギ持ってんだよ。

 曲も知らないしボイロ? ボカロ? の違いも分らん。どっちも音声合成ソフトじゃなかったっけ?

 朋絵ちゃんなら音楽方面明るそうだし知ってるかな。

 とりあえず曖昧な頷きを返してスマホも返す。

「とりあえず、取るんですね」

「はい」

 そう言って処辺先生は五百円玉を投入する。同じ回数プレイするなら安いとはいえ思い切りがいいな。

ウィーン、カタン。ウィーン、カタン。ウィーン、ガコン、ゴトッ。

マジか。きっかり無駄のない回数で取りやがったこの子。

「ゲームセンターのフィギュアって取れるんだ……」

「割と簡単、ですよ?」

 処辺先生は景品を胸の前に掲げてコテンと首を傾ける。

「やって、みますか?」

「フィギュアには興味が無いので……」

「お菓子、とかは?」

「スナック菓子はあんまり。専らケーキですね。たまに和菓子」

 ケーキは基本エスポワールのだ。

「そう、ですか……」

 俺にやらせたかったのかな。でも無駄なもの取る訳にはいかないし……。

 だが景品を入れる袋を貰いにカウンターに行く途中。俺の目にとある景品が止まった。

「ミニ試験官セット? あ、調味料入れか」

「取ります、か?」

 多分「教えて」と俺が言うことを期待されている。何となくNOとは言いだしづらい。

まあいいか。試験官立てもついてて五本セットだから机に放りっぱなしの鉛筆やボールペンを挿して置いておけば。

「やってみます。教えてもらえますか?」

 処辺先生の顔に花が咲く。正解だったようだ。

「四回、700円で、取れると思い、ます」

 言われるままにとりあえず五百円玉を投入。どの程度動かせばいいのか聞こうと顔を向けると、取った景品を床に置いた処辺先生が俺の前に立って腕を掴んだ。

 俺の手に、処辺先生の手が重なる。

「ちょ、何を」

「集中、集中」

 あ、この子テンション上がりすぎたのか教えるのに必死過ぎるのか今の状況に気が付いてない。

 言っても仕方がなさそうなので処辺先生の操作に身を委ねる。するときっかり700円で景品が取り出し口に落ちた。

「取れるもんなんだなー……」

 そんな感想を口にする俺を余所に処辺先生は通りすがりのスタッフさんを捕まえて身振り手振りで何かを伝えている。

 どもるのと下種な視線が苦手なだけで人見知りではないんだよな、この子。

 笑顔のスタッフさんが俺の取った景品を補充する。そして滑り込んできた処辺先生がゲームスタート。

「……取るんですか?」

「……はい。ダメ、ですか?」

「俺に駄目だという権利はありませんよ」

 ただ、お揃いの小物かぁ……。一気に部屋に置くのがキツくなったな……。

 位置が悪かったのか五回かけて景品を取った処辺先生は今度こそ袋を貰いに行く。それについていき、何となく処辺先生が開かないビニール袋に悪戦苦闘する様子を見守る。

 景品を手に入れて処辺先生はご満悦だ。多分好きなんだろうな、ゲームセンター。でも今日の様子を見るにもしかして俺が入ったことがない部屋はオタク部屋か? 

 いや、偏見はないよ? 友達にはそっち系の奴もいたし。女児アニメ全話耐久鑑賞会は流石に遠慮したけど。確か一作品見終わるのに丸一日かかったという話だ。当時参加者だった桐吾が教えてくれた。

 さてそろそろ解放されるかなと水を向けて見るが、失敗。

 まだ解放してくれませんか。そうですか。

 俺がどうしようか困っていると、最近聞いた間延びした声で呼びかけられた。

「あれぇ~、紀行じゃ~ん」

「桐吾! 丁度いい所に、じゃなかった。丁度お前を思い出してたんだよ。こないだぶりだ」

「お知合い、ですか?」

「ええ。俺の中学からの友達です」

「なに紀行~。また壁のバイトやってんの~?」

「かべ……?」

 壁のバイト。俺が男避けとして利用されまくっていたのを揶揄して誰かが言い始めたことである。

言い出したのはいつもの面子の誰かではなかった気がする。多分、あまり仲良くなかったグループの誰かが女の子に連れ回されてる俺を妬んで言った言葉だったはずだ。

 本当に好きな子には全く相手にされずにポイされてたけどな!

「というか紀行~。僕、二股は良くないと思うよ~?」

「滅多なこと言うな。あの子は違うしこの子も違う。俺に彼女はいねぇよ」

「……昔から言ってるけど、刺されないようにね」

 普段と違ってマジトーンの桐吾に、俺は「気を付ける」と返した。

「で、お二人はデート中~?」

 刺されないようにと言ったそばからそれを聞くかコイツは。

「違う」

「はい」

 おい。処辺琴葉。俺はデートのつもりはないぞ。

「刺されないようにね……」

「二度も言うな。二度も。で? お前は何しに来た」

「ん~? 踊りに~」

「……お前、まだやってんの?」

「Of course」

 桐吾、サムズアップ。やっぱちょっと欧米臭いよな、コイツ。

「久しぶりに見てよ~。僕の踊り」

「処辺さん、どうでしょう?」

「私は、構いません、よ」

 一緒にいられればという声が続いた気がしたが、多分実際に言ってはいないと思う。

 とりあえず桐吾に続いて再びリズムゲームのコーナーへ。目当ての筐体の前に行き、桐吾は何やら手際よく機材を設置。スマホを録画にして取り付ける。

「お前何やってんの?」

「……仕事?」

「意味分らん上に何故疑問形……。というか、二か所に金入れるのはやめたのか?」

「好きに踊る余裕がないんだよ~」

 それはそう。むしろあの足さばきをしながらアクロバット決めてた当時がオカシイ。

「僕に話しかけるのは控えてね~」と言った桐吾が五秒ほど時間を置いて曲を選択する。ゲーム開始。

 昔より大人しくなったが、昔より洗練されたダンスを踊りながら桐吾がパネルを踏む。逆立ちもしてるから昔と同じように譜面は覚えているのだろう。

 四曲通しでやって、終了。桐吾が額の汗を拭う。

「お前、相変わらずスッゲェな」

「ん~。僕としてはイマイチ、やっぱノれない」

 そう言いながら桐吾がスマホの録画を停止し、機材を片付ける。

「あれ、もういいのか? 昔は一日中ぶっ続けでやってたのに」

「もう昔とは違うよ。何回もやればいいってもんじゃない」

 そんな桐吾の表情には、陰が射していた。だがすぐにそれを隠し、いつものぽやっとした雰囲気を纏う。そして俺を手招きし、ガシッと肩を組んだ。

「紀行。一応聞いてあげるけど、逃げたい?」

「めっちゃ逃げたい」

「だよね~。だと思った。昔みたく助けてあげよっか?」

「頼む。ずるずるいっちまったんだ」

「そういう詰めの甘さは相変わらずだねぇ~。でもホントに背中には気をつけなよ~? まぁ確かに紀行の趣味には可愛すぎるとは思うけど」

 桐吾が俺を解放して処辺先生の方を向く。

「えーっと、……おっぱいちゃん?」

「ひゅっ」

「おい」

 俺は桐吾をグーで殴る。

「いたっ」

「この子は処辺琴葉だ。俺の同僚だよ」

「あ、先生……。え、先生? 大学生引っかけたんじゃなくて?」

「新卒」

「こんなAぶもごもが」

「それ以上口にするなここは公共の場だ」

「むぐ」

 首を傾げている処辺先生を余所に頷いた桐吾を解放する。

「ところべ……さん? ここからは僕が紀行を借りるね~」

「ぇ……?」

「大丈夫大丈夫。紀行は言えばちゃ~んと応えてくれるから。ね、紀行」

 その言葉に、忘れていた記憶が蘇る。体が勝手に動き、処辺先生の右手の小指を自分の右手の小指で絡めとる。

「どんな約束がいい?」

「ふぇ?」

「次に遊ぶ約束。どんなのがいい?」

 あ、昔の記憶のまま遊ぶって言っちゃった。まぁいいか。

「決められないなら、俺が決めるね。君の好きな時、好きな場所に行く。いくつかダメなところはあるけど。それでいい?」

「は、はい」

「じゃあ駅まで送る。それくらいはいいだろ?」

 そこまで言い切って桐吾を見ると、桐吾は腹を抱えて笑っていた。

「ぶふふふふっ。昔と、一言一句、一緒! くくくっ」

「お前しばくぞ。一言一句同じ言葉で誘導してやらせたのお前だろ」

「ごめんごめん。じゃあ早くいきなよ。くくくっ。後から、行くから。……ぶふっ」

 笑いながら俺を処辺先生の方に押しやった桐吾を睨みつつ処辺先生の腰を軽く押す。

 そのまま腰に手を回すかどうか悩んで、結局やめた。昔なら嫌われないと踏んだら腰を抱いていたが、流石に処辺先生にするのは不味い。

 当時していたのも今更ながら酷い話だが、今はもう若気の至りでは済まされないのだ。

 処辺先生の隣を歩いて駅まで送る。改札の向こうに処辺先生を進ませ、俺は邪魔にならないところまで下がって手を振る。

 処辺先生は不安げに瞳を揺らして胸の前に両手を上げ、俺をしっかり見てから小さく手を振った。

 俺の好みから外れた、地味で引っ込み思案な子がよくやった仕草。

 今までの処辺先生なら別れ際には必ず頭を下げていた。だがそれをやめて同輩のように振舞ったということは、彼女自身が張っていた壁を薄くしたか、取り払ったということに他ならない。

 いや、今は考えないでおこう。来るべき時に、責任を取ればいいだけだ。それがどんな形であれ。

「漫画誌がいいらしいよ~」

「写真誌の方が同じ厚みでより防刃効果が高いぞ。紙の密度が違うから」

 というか処辺先生はそういうタイプではないと思う。どっちかっていうと自分を傷つけるタイプな気がしてならない。

 ……実際どうなんだ? でも朋絵ちゃんがああなった前例があるし……。あ、ちょっと不安になって来た。

「じゃあ紀行、いこっか?」

「あれ、昔みたいに缶ジュース一本じゃだめ?」

「ううん。ただ個人的なお願い」

 俺の体は、まだ解放されそうにない。


「で、なんでカラオケ?」

 場所は変わって近くのカラオケボックス。桐吾に連れ込まれ今に至る。

「僕と言ったらゲーセンとカラオケでしょ~」

「理解はするけど……。はぁ。なんか最近会った面子でお前だけ時間が止まってる感じするわー……」

「僕から見たら紀行も十分昔のまんまだったけどね~。紀行は入れる? 聞いてるだけでもいいけど」

「入れる入れる。あ、テメッ、五曲も連続で入れんな!」

 慌てて端末を持って曲を入れる。自分の選曲ラインナップは古いが、それは時代に取り残されたおじさんの性だろう。

 曲が始まって桐吾がマイクを持つ。俺が曲を入れる前に桐吾が入れた曲に統一感はまるでない。いつも一曲目にしている声出し用のJポップ、激しいシャウトが続く洋楽のハードロック、噛みそうなラップ、歌いやすくノリのいいアニソン、超高音域&早口のボカロ。ボーカルの男女も、高音低音も関係なく歌い上げる。そして何より、巧い。

 いつもの面子でカラオケと言って思い浮かぶのは順平と桐吾。順平は一言で言うならモノマネ芸人。どんな歌でも原曲を聞き込んで歌い方や声音をコピーしてくるという面白いやつだ。それに対して桐吾はしっかり自分の歌声を持っていて、ただただ巧い。順平も上手いが、桐吾はプロの歌手を見ている気分になる。

 昔でさえそうだった。その桐吾の歌声は今、さらに進化していて。でも。

 コイツ、全然楽しそうじゃねぇな……。

 なんとなく、そう思った。

 桐吾が歌い終わって俺の番。俺が入れたのは昔からある、みんなが知ってるみんなで歌える名曲だ。

「オラ、一人で歌うには寂しいからお前も歌え」

 そう言って桐吾にマイクを寄こす。連続で歌わせることになるが、この程度で桐吾の喉は潰れない。

 歌い終わり、端末を手に取る。

 あ、また連続で入れてやがる……。別にいいけどさ。払いは桐吾だし。

 桐吾がまた歌い出す。

 ……ちょっと雰囲気が変わったか? 何と言うか、少し?

 その後も桐吾の歌を聞き、桐吾とともに歌い、三時間もぶっ続けで歌って小休止を取った。

「昔より技量上がってんじゃねぇの。まだみんなで行ってるのか?」

「……昔の面子の誰かと来たのは、大学の時以来だよ」

「え……。ちょ、ちょっと待てよ。グループ動いてるんだろ?」

「動いてるよ。近況報告だけ。後は昔話に花を咲かせるくらい。紀行、既読つけるだけで読んでないね?」

「……すまん」

「いいよ。理由は分かってるから。というか、僕らが悪いんだ」

「何の話だ?」

「みんなは忘れてるならそっとしておこうって言ってたけど、僕には無理。―――ちゃんのこと」

 ……何だ? 聞き取れなかった。そういえば前にも……。

「誰だって?」

「だから、―――ちゃん」

 聞こえない。あれ、大音量で耳がおかしくなったか?

「すまん、名前が聞き取れない」

「紀行、もしかして君……」

 なんだよ桐吾。なんでそんな悲しそうな顔をするんだよ。それに。

 なんでそんなにざわつくんだよ。俺の心は。

「僕に続いて発音してみて。……ミ」

「み?」

「キ」

「き?」

「―――」

「すまん、聞き取れん」

「紀行、今の自分が変だって自覚ある?」

「別に変じゃないだろ、周りがうるさくて聞き取れないだけだし」

「わかった。大したことじゃないから気にしないで。……ごめん。本当にごめん」

「そんな謝んなよ。大したことじゃないんだろ?」

「うん。忘れて。できれば、ずっとそのまま」

 その言葉に、俺の心のざわつきが消えた。

「なんか変な言い方すんなぁ……。で? なんでグループ動いてんのに集まらないんだよ。この前のフットワークを見る限り全員じゃなけりゃ不可能じゃないだろ?」

「んーっとね、要が居なくなったから、かな」

「そんな名前の奴いたっけ?」

「違う違う。要石の要だよ。紀行のこと」

「俺?」

 変なことを言う。俺がいなかろうが集まって遊ぶくらいできるだろうに。

「めっちゃ不思議そうな顔するね。でも紀行がどう思ってるかは関係なくてさ。あのグループは紀行が作ったもので、中心に居たのは紀行だったんだよ」

「ほーん……。ならまた暇なときに声掛けてみるか」

「そうしてあげて。みんな喜ぶから。さて、もう何曲か歌ったら帰ろうか」

「俺はもう無理。疲れた」

「おっけー。じゃあラストにしとこうか」

 そう言って桐吾は曲を入れる。

 知らない曲だ。でもアーティストは知っている。数年前に一時的に海外で爆発的に売れたアーティストだ。前に朋絵ちゃんが歌っていた曲もこの人の曲だった。でも表記がGOTO、つまりゴトウって名前だから多分日本人だろう。

ゴートゥーだったら分らんけど。

 英語は読めないこともないが辞書を片手にやっとのレベルなので歌詞の意味はわからない。でも、とても懐かしい感じがする。学生時代を思い出す様な、そんな不思議な高揚感。さっきまでの桐吾に比べると荒く歌い上げ、曲が終わる。

 店を出て、桐吾と別れる。今から帰れば晩飯に少し遅れるくらいだ。

 電車に揺られて、最寄り駅に。家に帰ってみんなで晩飯を食べて、風呂に入って部屋で朋絵ちゃんを甘やかして。時間が来たから朋絵ちゃんを部屋に返して、ゆっくりと眠りにつく。

 そして俺は、夢を見た。

「私、お父さんにされてるの……」

 中学の頃好きだった、不登校になってしまった女の子。

「毎日毎日。生で、ずっと……」

 俺は何もできなくて、彼女を泣きつかせたまま突っ立っている。

 視界が変わる。

 目の前には別の女の子。大学生くらい。

「また、いっしょにいてくれる?」

「君の好きな時、好きな場所に行く。いくつかダメなところはあるけど。それでいい?」

 無責任な、俺の声。そんな関係を続けて、結果彼女は。

「んが……っ?」

 時計を見ると午前三時過ぎ。

 いやに喉が渇く。

 夢のあの子は誰だ?

 顔は分かる。でも、名前が思い出せない。

 あの二人は、今どうしてるんだっけ……?

 最初の子は確か中三から縁が切れた。転校……、だったっけ? もう一人は、確か、大学四年生になる頃には会わなくなった気がする。

 一方は好きだった子、もう一方は何でもない子。見た目も、雰囲気も、違う二人。

 そんな二人が、何故こんなにも俺の心をざわつかせる?

 コップの水を飲み干して、唇の端から零れた水滴を拭う。

「桐吾の奴、俺になんかしたか……?」

 部屋に戻ってベッドに入る。布団を丸めて抱きしめる。

 今は何故だか、無性に誰かのぬくもりに飢えていた。


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