第6話:混濁の影、冷徹なる追及
「――よし、今日の依頼はこれにしよう」
ルーヴェン支部の依頼ボードの前で、ルークは一枚の羊皮紙を手に取り、小さく頷いた。
昨日、アポス男爵夫人の愛猫ルナを見つけたことで、ギルド内でのルークへの見方も少し変わってきていた。
今日の依頼は、大公国の北区にある古い倉庫の荷物確認。
定期的な在庫の照合と、異常がないかの確認だけだ。魔獣の討伐はおろか、荒事の気配すらない。
(うん、今日は普通に終わりそうだ。昼は中央街のサンドイッチでも食べようかな)
そんな呑気なことを考えながら、ルークは依頼書を手に、受付カウンターのエマの元へと歩み寄った。
「エマさん、今日の依頼はこれにしますね」
エマは山積みの書類から顔を上げ、ルークが差し出した羊皮紙を一瞥すると、いつものジト目交じりの笑みを浮かべた。
「北区の倉庫ね。ええ、いいわよ。昨日の今日だし、そのくらいの仕事がちょうどいいかもしれないわね。しっかり確認してきて頂戴」
「はい! 行ってきます!」
ルークは元気よく返事をして、ギルドを出た。
昨日の騒ぎが嘘だったかのように、街はいつも通りだった。
中央街の喧騒を抜け、大公国の北区へと足を運ぶ。
古い商業倉庫が並ぶ北区は、昼間でも人通りが少ない。第四十二号倉庫の周辺は、その中でも特に静かだった。
「ここだな……」 目的の倉庫の前に到着したルークは、ふと足を止めた。
依頼主が到着する前だというのに、鉄製の扉が数センチだけ開いていた。
(……おかしいな) ルークの表情が変わった。
ルークは周囲を確認してから、扉の隙間を抜けて中へ入った。
倉庫の中はひんやりとした空気が満ちており、薄暗い。ルークは床の埃と、木箱の並びを確認した。
(……素人じゃないな。物はほとんど荒らされていない。何か目的があって入ったのか)
ルークがこれはギルドの依頼とは別の何かだと察した、その時だった。
「――やはり、あの時の違和感は間違いじゃなかったか」
倉庫の奥から、二人の男が姿を現した。胸元には、昨日と同じ歪んだ螺旋の紋章がある。
だが、昨日の連中とは明らかに違う。
大柄な男がルークの顔を正面から捉えた瞬間、目を見開き、それから笑った。
「……まさか、お前か」
続いて、隣に立つ細身の男も、ルークを見て、わずかに眉を動かした。
「あなたが抜けたとは聞いていましたが……こんなところで、そんな安い革鎧を着て何をしているのですか?」
ルークが息を呑む間もなく、大柄な男が手にした大鎌のような異形の武器を床に打ち付けた。
重苦しい金属音が倉庫内に響き渡る。
「まさかこんなところで裏切り者に会うとはな。忘れたとは言わせねえぞ。俺は“混濁の兵士”No.32――グレン・ヴァルガスだ!」
さらに、細身の男も腰の双剣にそっと手をかけ、名乗りを上げた。
「同じく“混濁の兵士”No.41――シグ・アルヴェインです。……あの頃とは、ずいぶん変わりましたね。ここで終わらせましょう。」
「えっ……? あ、あの、カオス……なんですか? 人違いじゃないですか……?」
ルークは慌てたように両手を前へ出し、困ったように眉を下げて後ずさった。
しかし、グレンはフンと鼻を鳴らし、大鎌を構え直した。
「その顔で誤魔化すつもりか?」
「……相変わらず、往生際が悪いですね。まあ、あなたらしいと言えばらしいですが」
シグもまた、冷ややかに言い放つ。ルークの背筋を、冷たい汗が伝った。
(チッ……最悪のタイミングで、最悪の連中に捕まったな。これ以上、こいつらに大公国で好き勝手させるわけにはいかないが――)
ルークは二人を敵として警戒し、腰の短剣の柄に指をかけた。
「なら、大人しく話を聞いてもらうぞ!」
グレンが踏み込んだ。
グレンの巨体が視界を埋める。大鎌が横薙ぎに振られて、ルークの首筋へ真横から肉薄した。
金属音が倉庫に響いた。咄嗟に抜いた短剣で受け止めるが、大鎌を受けた腕が痺れて、ルークの足裏が床を削って後方へ滑る。
(重い……っ!)その直後、シグの双剣が背後から突き出された。
ルークはなりふり構わず前方へ身体を投げ出し、前へ転がった。
一瞬遅れて、さっきまでルークの頭部があった空間を、シグの刃が鋭く切り裂く。
「ちっ」
立ち上がる余裕すら与えられない。
「オラァァァ!」という咆哮とともに、グレンの大鎌が上段から叩きつけられた。
ルークは仰向けのまま必死に横へ転がった。
直後、さっきまでいた床に大鎌が突き刺さり、床の破片がルークの頬をかすめた。
ルークは息を整える暇もなかった。
グレンが止まれば、シグが入ってくる。シグが下がれば、今度はグレンが前へ出る。
グレンの攻撃が途切れた瞬間を狙おうとすれば、必ずその隙間を埋めるようにシグの双剣が喉元へ滑り込んでくる。
「どうした! 昔のキレはどうしたぁ!」
大鎌の乱撃が風を切り裂き、木箱を次々と粉砕していく。
ルークは紙一重でそれをかわし続けるが、体勢がどんどん崩れていく。
一歩、後ろへ下がった瞬間だった。
「そこだ」
背筋が凍った。シグの剣先が、ルークの逃げ道を塞いでいた。
(しまっ――読まれている!?) 必死に上半身を捻る。だが、間に合わない。
逃げた先に、シグがいた。
鋭い痛みが走った。シグの双剣が、ルークの右肩の革鎧を裂いた。
肩が熱くなった。服に血が滲んでいる。ルークは肩を押さえた。
「あはは、相変わらず手厳しいねえ……。引退した先輩には、もう少し優しくしてほしいなぁ」
痛みを堪えながら、ルークは笑った。
だが、額には汗が滲み、息が荒くなっていた。
(まずい。この二人を同時に相手にするのは厳しいがここで力を出しすぎるわけにはいかない。このままじゃ、俺の動きを隠しきれない……!)
「終わりだ!」 グレンの大鎌が、逃げ場を塞ぐように横薙ぎに迫る。
シグは双剣を構え、跳び上がる隙まで潰した。
ルークは奥歯を噛み締め、静かに息を吐いた。
(――仕方ない)次の瞬間、ルークの姿がグレンの視界から消えた。
大きな金属音が倉庫に響いた。グレンの大鎌が、何もいない空間を虚しく切り裂き、背後の壁に深い傷を刻んだ。
「なにっ!?」
グレンが声を上げた瞬間、シグの真後ろにルークが立っていた。
短剣の先端が、シグの喉元へ向けて真っ直ぐに突き出される。
「……っ!?」 シグは咄嗟に首を逸らした。
パキィ、と小さな音がして、シグの頬に浅い傷が走った。
グレンもシグも、一瞬だけ動きを止め、倉庫が静まり返った。
シグが頬を指先でなぞり、付着した血を見つめながら低く笑った。
「……やはり。その動き、間違いありませんね」
シグが再び双剣を構えた、その時だった。
倉庫の外から、「おい! 四十二号倉庫の鍵が開いているぞ!」「誰か中に入っているのか!?」と、管理人たちの声が聞こえてきた。
「チッ……外のネズミどもが騒ぎ始めたか」
グレンが忌々しそうに外を睨みつける。
「今回はここまでだ。だが、大公国の結界が崩れる時、また会うことになりますよ」
二人は倉庫の奥へと駆けていき、闇の中へ消えた。
二人がいなくなったのを確認して、ルークは右肩の傷口を押さえながら壁に背を預けた。
「……ハァ、ハァ……。本当に、最悪だ……」
ルークは深いため息をついた。
「ただいま戻りましたー……」
夕方、ルークはギルドへ戻った。ギルドは夕方の報告に訪れた冒険者たちで少し混雑している。
カウンターの奥のエマは、いつものように「おかえり」と声をかけようとして、言葉を止めた。
ルークの右肩の革鎧は裂けていた。服にも血が滲んでおり、顔や腕にもいくつか傷がある。
エマの視線が、ルークの肩に止まった。
「あはは、いやあ、倉庫の荷物が崩れてきちゃいまして。ちょっと転んじゃったんですよ」
ルークは頭を掻きながら、いつもの調子で誤魔化そうとした。
しかし、エマは何も言わなかった。その表情から、いつもの笑みが消えた。
ルークはエマの顔を見て、笑うのをやめた。
(――あ、これは、もう誤魔化せない)エマはゆっくりとペンを置くと、深く息を吸い、少しの間を置いてから、静かに告げた。
「……ルーク」
「はい?」
「その傷、どうしたの?」
「……ちょっと話があるの。こっちに来て」
そう言って、カウンターの横にある執務室の扉を指差した。
ルークは小さく息を吐き、エマの後を追った。
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第7話は10月3日の19時10分!




