はじめての学校 1
次の日。朝の空気は、やっぱり気持ちいい。鳥が鳴いている。まだ早い時間だから、人通りもほとんどない。
隣のルイカを見た。眠そうでも、元気そうでもない、ニュートラル。朝に強い人なんだ。
今朝、いつも通りに早く目が覚めてしまって、でも外に出るのはルイカを起こしてしまうからと部屋にいたけれど、紙をめくる音やペンを走らせる音が聞こえた。きっと起きていたんだと思う。
でも、なんだか邪魔をしてしまう気がしたから、わたしはその音を聞きながら本を読んでいた。なんだか、とても心地のいい時間だった。
「ねえ、腕につけているものは何?」
「これか?」
ふと彼の手元で輝いたものが気になった。円盤がベルトに留められていて、真っ白な円盤に針が一本と、砂が減っていく装飾がついている。これは時計だ。
針は”国王によって定められた特別な砂時計”が日の出から数えて何度落ち切ったかを示す。こっちは自信がないけれど、きっと減っていく砂はその砂時計と連動しているのだと、思う。
「時計。小さいね」
少なくとも、わたしたちは個人の時計を持っていない。多分家庭で括っても持っている人は少ないかも。時計以外では日がのぼってから沈むまでの一時間とその半分毎に鳴る、鐘の音が時間を知るすべだ。
「大体の学生は借りてる。実家にも時計自体はあるけど、自分だけのものは便利だと思う」
「もしかして、ルイカってお坊ちゃま?」
「さあ」
あまり、ルイカから名家のこどもという雰囲気も、普通の家のこどもという雰囲気もしない。だからなんとなく、研究者のご家庭なのかなと思っているけれど。姉弟二人とも魔術学校に通っているし。
「今日がいい天気で良かったよね。ほら、二年生になって初めての――」
「止まって止まって! どいてどいて!」
あまり興味がなさそうだったから、またいつか聞けるといいなと思いつつ話題を変えようとする。その時、叫び声が聞こえた。
金属のようなものでできた馬が、走り回っている。後ろから女の子が同じような馬に乗って追いかけていた。
馬の進行方向には小さな男の子がいる。このままじゃ危ない。わたしの位置なら、間に合う距離。大丈夫、余裕もある。
「おい、待てよ!」
「ごめん!」
男の子の方に向かう。……途中から、急に体が軽くなった。その勢いを殺さないように、足がすくんでしまっている彼を抱き上げて必死に走る。少しでも距離を稼ごうと。
「お母さん!」
馬が通り過ぎる気配がない。お母さんの元へ男の子が向かったのを確認して振り向いた。
足から崩れ落ちた金属の馬が、男の子が立ちすくんでいた場所のすぐ近くにある。内側から煙が出ているようだ。
「大丈夫!?」
女の子に別の馬の上から尋ねられた。よく見たら彼女は二人乗りで、後ろにはよく知った顔の女の子がいた。声をかけようとした時、ルイカが走ってこっちに来る。
「どう見ても大丈夫じゃないだろ! 自爆できるならもっと早く……!」
「人を検知しないと発動しないんだよ。文句はこれ仕込むくらいしか時間くれなかった奴に言って」
きっと心から悪いと思っているのだろうけど、なんて言い表せばいいんだろう。彼女はそれとこれとを切り離すのが上手なのだろうと思った。
「リティもだ! 後少しで大怪我してた!」
「……うん。ごめんなさい」
あのままだとあの男の子は馬にぶつかってしまって、あの子がどんなに大きな怪我をしてもわたしには何もできなかった。
でも、あの時なら、まだわたしにできることがあった。だから頑張ってみたけれど、結局は助けてもらって、運が良くて。「でも、これしか無かったの」って言い訳する権利なんてない。
「リティ……! ケガはない?」
ぴょんと身軽に女の子が飛び降りた一方で、おろおろした声が馬上から聞こえた。すぐに降りたいけれど、降りるのも怖い、そんな感じの声だった。肩より少し短い位のふわふわの黒髪を二つに結んでいる彼女は巫女の一人、コルネーヤ。少し怖がりで、ボードゲームがとっても強い子。
「大丈夫! コルネーヤこそ降りられそう?」
悲しそうな顔で首を振っていた。そういえば、もう一人の女の子は?
「チィ、降ろしてよ……」
「ダメだよ、ぼくたちはこれからあいつに文句付けに行かないと。ぼくだって検証不足だって言ったのに。早々に落馬しちゃうし。騎士団への納品が近いからって」
ルイカと顔を見合わせる。彼女に何を言えばいいのだろう。怒らないといけないのかもしれないけど、どうも彼女以外に関係者がいるようだ。そして、彼女はむしろ自爆装置を設置して、事故を防ごうとしたようで。
「事故が起こらなかったからこれで済んでいるんだ」
「わかってるよ。”ぼくたち”は事故を起こしちゃいけない。だからあいつも叱らないと。大人だからって容赦しない」
もしかしたら、彼女なりに責任を取ろうとしているのかもしれない。騎士団と取引するような大人に向かって、おそらくは気分を損ねるような忠告をする。きっと、それはまだ若いチィにとって勇気がいることのはずだ。
「それじゃ、ぼくたちはここで。また学校でね。……転がすか」
チィはそう言って指を一回転させる。コルネーヤの悲鳴とともに馬が座り込んだ。金属の馬なのに、不思議なことにそのまま彼女に滑るように引っ張られて行く。わたしも、ルイカも、あの親子も見送るしかできなかった。
***
「チィ・リユだ」
お母さんに感謝されて、内心申し訳ない気持ちになった後。学校へ再び向かっていた。ルイカが唐突に言う。
「チィ? さっきの子?」
「有名な学生だ。広く言えば魔術なんだけど……感覚的な言い方になってしまうな……とにかく少し違う術を使う。それを用いた彼女の作品は、すでにこの首都で高く評価されているんだ」
騎士団を取引先とする人と縁があるのも不思議じゃないのかもしれない。
「ええと、そうなの? コルネーヤの守護魔術師ってそんなすごい子なんだね」
「……そうだな」
声のトーンがおかしかった気がするけれど、気のせいかもしれない。そうだ、言わないといけないことがあった。
「あのね、さっき、魔術を使ってくれた……よね」
男の子を助けようと走った時、急に体に変化が起きた。普段のわたしでは出せないようなスピード。いくらでも足を止めずに走れそうな錯覚。きっと、彼の助けなのだと思った。
「……間に合わなかった。どう考えても」
胸が痛む。わたしは間に合うと信じて、それで駆け出した。目の前の状況に混乱して、何もできないのが怖くて、周りが見えていなかったんだろう。
「ごめんなさい。……ありがとう」
「この話はこれで終わりにしよう。誰も怪我していないんだから」
一度深く息を吐いてからルイカはそう言った。……さっきだけじゃなくて、また、助けてくれた。優しい言葉をかけてくれた。一つお兄さんだから、わたしの守護魔術師だからといって甘えちゃいけないと思う。わたしも、しっかりしないと。




