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君に預ける

 お昼休み。発表続きでどこか疲れているように見えたから、ご飯の後屋上庭園にルイカを誘ってみた。風が気持ちいい。

 他愛無いことを話していたけれど、話が途切れるたびにだんだん眠たくなってきたようだ。最終的に話題も尽きて、秋が深まってきた屋上庭園の植物を眺める。ふと横を見ると時々居眠りをしては頭が落ちて起きるのを繰り返していた。


「ルイカ、肩貸そうか?」


 多分断られるだろうけど、だめ元で聞いてみる。前屈みで眠るより多少はましなはず。せっかくいい気持ちで寝ようとしていたのに、目が覚めるのを何度も繰り返しているから可哀想だ。

 眠たそうな、言葉になっていない言葉と共に寄りかかってくる。少しだけ重いけどそれが逆に安心する気がした。

 ……ふう、と大きな彼の寝息が耳に触れる。今まで気づかなかったけれど、それがきっかけで息が耳にかかるくらい近くに男の子がいることに気づいてしまった。

 いつものわたしなら、この状況に慌ててしまうのかもしれない。でもわたしもご飯を食べたあとで、頭がぼーっとしていた。だから彼ならすぐそばにいてもいいかなって思ってしまって。

 彼のそばにいるのが好きだ。安心する。どうして彼のそばに居たいのだろう。安心するのだろう。

 頼るところがないわたしを受け入れてくれたかけがえのない人達、その一人だから? ……きっとそれは違うのだとわかっている。いい加減に認めるべきだと理解していても、一番近い答えをわたしは見ないふりをしている。

 そっとわたしも彼の側に頭を傾けた。思考が取り止めもなく流れてはぼやけていく。この時間がずっと続けばいいのにと思いながら微睡んだ。


「キャーッ!」


 目が覚める。一体どれくらい寝てしまっていたのだろう。それ以前に近くで悲鳴が聞こえた。何が起きたのかな。


「見にいく。いいよな? 君はあまり前に出るなよ」


 頷く。彼に隠れるように声の発生源に近づいた。女子学生が黄色に染まった、屋上で育てるには大きすぎるのではないかといつも思うあの木を見上げている。危険な目に遭っているようには見えない。


「ねえ、どうしたの? さっきの悲鳴は……」


 女の子が困った顔で振り向いた。にゃあと小さな鳴き声がする。


「あのね、エンちゃん……うちの研究室で飼ってる子猫がね、木に登っちゃって。降りれなくなっちゃったの」


 よく見ると太い木の枝の上で茶や黒、白が混ざった可愛い子猫が足を出しては引っ込めている。時々うろうろと左右に動いていて、上下左右が危なっかしい。


「危ないよ。どうしよう?」


 ルイカを見る。エンちゃんと木を交互に見て考えていた。


「猫……エンは人懐っこいか? 噛まない?」


「エンちゃんはあまり噛んだことないかな。人懐っこい方だと思うよ」


 分かったと応えるとルイカは木に近づいていく。


「捕まえるまでおとなしくさせててほしい。暴れたら一番危ないから」


 ネズミのおもちゃを振りながら彼女はエンちゃんに話しかけ続ける。本能からかエンちゃんはおもちゃを目で追っているようだ。

 木の下に目を向ける。ルイカが木を見ていた。足を掛けると身軽に登って、エンちゃんのすぐそばまで辿り着いた。枝に器用にまたがってエンちゃんを抱きかかえる。でも、抱えたままだと降りられない。


「危ない!」


 彼はさっと枝から飛び降りた。おおよそ彼の三倍はある高さだ。彼とエンちゃんがどうなってしまうのか見るのが怖い。顔を背けて固く目を閉じる。


「大丈夫だって」


 ルイカの声がした。元気そうな声だったから安心してそちらを見る。もうエンちゃんは女の子の腕の中にいてごろごろと満足そうな音を立てていた。

 ルイカも、エンちゃんに噛まれてしまったようで少し血の滲んでいるシャツの袖を押さえてはいるけれど、他に怪我はなさそう。


「エンちゃん、よかったね。だめだよ。もう高いところに登ったら」


 女の子の言葉ににゃあ、と鳴いた。返事をしている気がする。


「エンちゃんを助けてくれてありがと! 怪我がなくてよかった」


 女の子はエンちゃんを撫でる。エンちゃんは気持ちよさそうだ。


「大丈夫」

「それじゃ、二人ともまたね! よかったらエンちゃんに会いに来てね」


 女の子はエンちゃんに話しかけながら出口に向かう。手を振って見送った。

 ルイカを見る。結構深く噛まれてしまっているようだ。わたしとしては講義よりも先に医務室に行ってほしい。だけど、彼のことだから講義に出たがるだろう。


「ねえ、医務室に行こう? エンちゃんとは言え、動物に噛まれたらちゃんと見てもらった方がいいよ」


 分かったと頷く。ほっとした。


「……講義は大丈夫だった?」

「講義に遅れることなんかよりもあれを放っておいて何かあった時の方が嫌だから」


 そう彼に聞いてみたら平気な顔で言われた。そうだよね、あの子が無事でよかった。猫であっても降りられないくらい小さい子猫だったから落ちた時怪我をしてしまうかも。

 それにしても、少し血のシミが広がっている気がする。心配だ。


「そろそろ行こうよ」

「今更講義に行っても同じだし、ゆっくり行こう。あの講義は補習があるから問題ないんだ」


 早くと医務室へ急ごうとする足を止めて、そうだねと返事をする。講義の方もなんとかなりそうでよかった。追いついてきた彼と並んで出口へ向かう。


 ***


 通りの木々が赤く、黄色く色づいている。風もだんだんと冷たくなって目がしゃっきりとする。

 ぼんやりと街路樹を眺めていたせいですれ違う時に肩が触れそうになった。ルイカが咄嗟に腕を引いてくれて当たらずに済む。


「ごめんなさい!」


 深くフードを被った女の人が振り向いた。少し背が高い。わずかに黒の混ざった灰色の瞳が一瞬だけ見えた。


「え?」


 彼女は驚いたような声を上げた。彼女にとってまさかのことが起きて戸惑っているような声。


「あの……」


 ああ、見間違いかと呟いて彼女はフードを深く被り直す。顔を見られたくないような印象を受けた。何か事情があるのかもしれない。


「いいえ、大丈夫です。ご心配ありがとう」


 少しだけ微笑んだのが口元でわかった。不思議な人だなと思いながら見送る。


「気を付けろよ」


 その通り。ぼーっとしてしまっていた。


「ごめんね。ありがとう」


 彼女の様子が少しだけ気になったけれど、あまり詮索しない方が良さそうな気がする。顔を見られたくなさそうだったし。

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