泉の娘とペンダント 1
いつも通り、早朝から二人で本を読んだり、勉強したり。テーブル越しの向かい側にいるルイカがページをめくる音がする。
部屋がまた少し散らかってきているのが気になるけれど、ルイカはまだ気付いていないようだ。時々下着が落ちていて対応に困るから、なんとかして欲しい。
だんだんそれに慣れてきているのも何だか変な感じだ。ああ、またか。みたいな反応に正直そろそろなってしまいそう。
直接片付けるように言っても不機嫌になるし、間接的に言っても気付かないふりをするし。最終的にはいつもトリカさんに頼んでなんとかしてもらう。
共有スペースは職員さんが綺麗にしてくれるけど、部屋は各自で管理する決まりだから。明らかなゴミはわたしが拾って捨てているけど。
実家にいた時はどうしていたのだろう。やっぱり、お手伝いさんのような人が全部片付けていたのかな。
ノートに視線を戻す。相変わらず汚い字だと思う。わたしは読み書きに不自由したことはない。でも、書き慣れていないことを考えると
、きっともう思い出すことのない誰かの優しさでわたしは今こうやって学べているのだろう。
最近は講義で聞いている範囲もなんとか理解できるようになってきた。じゃあ説明して、実際にやってみてと言われてしまうと困るから、本当の理解にはまだ遠いのかもしれない。がんばろう。
「今日はいつものじゃないのか」
視線を感じたと思ったら、ルイカがさほど気にしていないような口調で尋ねてきた。どきりとする。無意識に結んでいる赤いリボンに触れた。いつもと違う布の手触り。
毎日つけていたら早く傷んでしまうと思って、彼からもらったリボンは時々休ませている。できるだけ長く使いたい。
「え、えへ。そうなの。よく気付いたね」
「こんなに色が違えば気付く」
さらっとした言い方。だけど、何となく、微かに、不機嫌な表情に見えるのはわたしの主観的な感想にすぎないのだろうか。……彼は、わたしがあの藍色のリボンをつけていない日はいつもそのことに言及する。
それはどんな色であっても同じ。あのリボンと同系色のリボンは他に持っていないから気付けると言えば気付けるのだけど。
そう、わたしは彼が気付くように、まったく違う色を身に付けるようにしている。正直に言うとわたしは気付いてもらいたい。
違うのかと声をかけられるのは、なぜかいい気分になる。わざわざ、それも毎回ということもあって彼に求められている感覚。本当はあまりよくないことだと思うけど理性や道徳より先に心がそれを欲しがってしまっていた。
……これは一体なんだろう。自信や自分のなさから来る他人への依存だとか、理由づけはいくらでもできるけれど、どこか違う気がする。
***
二人並んで道を歩く。最初の頃より随分と距離が近くなったと思う。そんなことは今まで一度もなかったけど、肩が触れ合うのではないかと思ってしまいそうなくらい。
それに、わたしの自惚れかもしれないけれど歩調を合わせてくれているように感じる。最初の頃はついていけずに遅れてしまうことも珍しくなかったから。
単にわたしの速く歩く彼についていけるくらい体力がついたせいでしかないかもしれない。
ふと視線を感じて横を見ると、反対側の道端で若い男の人と話していた白い髪の少女がじっとわたしたちを見ている。鋭いけれど好奇心に輝いているような黄色い瞳がずっとこちらを捉えていた。
整った顔つきで、きりっとしているから男の子なのかもと最初は思った。足元のすぼんだズボンを身につけているから尚更。
きっと学校にいたら女子学生の密かな人気を集めていただろう。彼女たちの中にはかっこいい女の子のファンも多い。ソーチャのファンクラブなんてものも見かけた。
立ち止まって見つめ合う。ルイカが少し先で呆れたように待っているけど、彼女が気になった。
その一瞬後。彼女が目をキラキラとさせて勢いよく駆け出してくる。驚いて動けずにいると、ぎゅっと両手を握られた。肩にかけた鞄がずれ落ちて曲げた肘で引っかかる。重い。
「これ、わたしが作ったペンダントですよね! ねっ!」
これが何を指しているのかはすぐにわかった。春祭りの時にプレゼントしてもらった、毎日身につけているあのペンダント。
「えっと……春祭りに……」
女の子は目を細める。満面の笑みといったような様子で、意外にもきりっとした雰囲気の彼女によく似合っていた。
「そうですそうです! 誰かがつけているところを見るのは初めてだから話しかけちゃいました」
ぎゅっと強く握った後、顔を顰めたのを見た彼女はあ、と呟いて力を緩めた。
「アニモ、困ってるじゃねーか。ごめんな、お嬢ちゃん」
アニモと呼ばれた女の子が嫌そうな顔で振り向いた。
「でも……」
不服そうな様子だ。男の人は肩をすくめた。
「お嬢ちゃん、付き合ってやって欲しい。時間があるんならいいんだけどさ」
それは困る。講義前に時間を取りたいであろうルイカを待たせるのは悪いから。だから、どうにか講義が終わった後にお話ができたらいいな。
「ルイカ! ごめんね、ちょっと来てくれる?」
「なんだよ」
一度腕にはめた時計を見て、それでもこっちに来てくれる。離れたところから一連の流れを見ていたせいか、さめた目をしていた。
「彼女……アニモさんと少しお話がしたいの。講義が終わった後にカフェに行ったらどうかなって思うんだけど……どう?」
「僕はいいけど。そっちの二人に聞くのが先じゃないのか」
確かに、そうだ。わたしはあまり要領が良くないから彼がいつもそっと助けてくれる。ありがたいことだと思う。
「ごめんなさい。勝手に話を進めてしまいました。えっと、アニモさんたちは……」
「大丈夫! 大丈夫ですよ! ねっ! フェーユ兄さん!」
楽しそうにアニモさんはフェーユさんに向けて確認する。彼は大きなため息をついた。
「ま、今日は一日観光の予定だったしなぁ。アニモはいいのか? 首都をあんなに楽しみにしてたのにさ」
「やった! いいんですよ。わたしの作ったものがどうだったか、聞いてみたいですから!」
一日観光。そういえば二人はどうしてここにいるのだろう。わざわざ観光とつけるあたり、本来の用事は何らかのお仕事だろうということは分かったのだけど。
「そういえば、お二人はどうして首都に? 旅行ですか?」
「いいえ! いつも納品しに行っているおばさまが腰をやって動けなくて。だから代わりにわたしとフェーユ兄さんが来たんですよ」
多分、あの時の女性だ。腰を痛めてしまったなんて。心配だ。
「えっと、彼女は……」
「大丈夫、元気そうでしたよ! おばさまは元から腰痛持ちなんです。だから慣れてますよ。心配してくれてありがとう」
よかった。ほっとした。わたしにはまだ分からないけれど、腰痛持ちはなかなか辛いと聞いている。大変だな。




