夏の二人 4
まあいいか、と手のひらにクリームを乗せてじわりと温めた。多分、溶かした方がよく伸びるはずだ。キャトラの言った通り、いつもお世話になっている恩返しなのだから、全身全霊でもてなしてみよう。
ここから見えるルイカは釈然としない顔をしている。何か騙されているような、うまいこと言いくるめられたような。
不思議だなぁと改めて思う。あの時は大慌てで心臓もばくばくとしていたのに、今は全然大丈夫。きっと普段隠れていたものをいきなり見てしまったのと、今当たり前のように見ているのとは何かが違うのだろう。
「いいから早く」
足をばたばたさせている。その言葉へ返事をする代わりにぺたりと両方の手のひらを押し付けたら、うわっと短い声をあげた。
「急にはやめろって!」
「わぁ! ごめんね!」
びくりと急に起きあがろうとするから、驚いて謝ってしまう。手をひらを離した。
それから改めてゆっくり塗り広げる。外からの熱よりも、彼の内側から伝わるそれの方がずっとずっと熱い。錯覚なのだろうけど、そんな気がする。
「いや、やっぱりおかしい」
ルイカは我にかえったようにうつ伏せのまま体を起こす。
「わたしが触るの、嫌だった?」
「冷静に考えろよ、さっきは鵜呑みにしてしまったけど……僕はそもそもそこまで日に当たるつもりは無いし、あったとしても君が塗る必要もない」
確かにそうだけど、一緒に泳ぎたいし、わたしは君にやってあげたい。うーん、と彼の言葉に渋る。
「キャトラ、何かやったのか?」
「やってませーん。あなたの判断力の問題」
へらへらしていてもなかなかグサリときてしまいそうな言い方だけど、そこに嘘はなさそう。
「嫌ならやめるよ。嫌?」
なぜだか惜しい。でも、嫌がる彼を無理強いできない。見つめ合う。何かと何かで天秤にかけているような顔。どうしたのだろうと首を傾げた。
あ、今彼の何かがもう片方の何かに負けたんだ。そう察せられるほどわかりやすく項垂れた。
「いい。好きにして」
ルイカはべたーっと平たくなる。ついついわーいと両手をあげてしまった。
改めて、クリームを塗る。彼の肌に触れるのはなぜか心地よい。肩の周りを撫でていると、違和感を覚えた。
「あれ、肩こってる?」
「そうだったら何?」
訝しげな顔でわたしを見る。かなりがちがちだから、本を読んだり勉強したりする時に辛いんじゃないかなと心配だ。
「頭が痛くなっちゃうよ」
「誰だって多少はそうなるだろ」
ということは、やっぱり普段から肩こりのせいで大変な思いをしているのかもしれない。
「うんうん、痛くなるわよね。難しい本とか読んだら特にね」
キャトラの言っていることはちょっと違うけど……どちらかといえば、わたしの頭痛もキャトラ側。頭が痛くなって、ちょっと休もうかと突っ伏して。結局そのまま。
そこは置いておいて。ルイカは普段から我慢強い人だ。いつもこれぐらいで弱音を吐いたらいけないと思っているんじゃないかと、心配になるくらい。もしかしたらわたしが思っているよりひどいかもしれないと思った。
そーっと肩をつかむ。やっぱりかたい。わたしの力だとうまくほぐせないかも。
「きもちいい?」
「あー、うん。いいな。これ……」
思ったより抵抗されず、ルイカはべたっとなったままこちらに顔を向けて目を閉じている。うまく言い表せないけれど、とても可愛いものを見ている気がする。多分、キャトラから見たら変な顔になっているはずだ。にやけてしまっているのが自分でもわかる。
「今まで人に頼んだりしなかったの?」
「別に頼むことじゃないし」
そうかもしれないけど。それでも相談してくれたらうれしい。体調が悪い時は力になりたいと思う。肩こりくらいで大袈裟なのかもしれないけど。
「うまいな……」
ゆっくりと呼吸をしているのが手から伝わってくる。
「えへへ、いつでも揉むよ」
ふと振り向くとキャトラが何だろう、とても面白いものを見たかのような笑みを浮かべている。キャトラは思いついたようにソーチャとボールの打ち合いをしていたトリカさんを手招きした。
トリカさんはぷかぷかプールの端へ泳いで行く。完全に打つ直前だったのに、それを見てソーチャは高く打ち上げた後にキャッチしている。すごい運動神経だ。
「なになに、キャトラ」
やっぱり砂の上を歩くのは苦手なのか、足を取られながら向かってくる。トリカさんは身軽な雰囲気だけど、ところどころ体を動かすのが苦手なところが出る。
「かわいくって。ついつい呼んじゃいました」
いいから続けて続けてと手で示される。かえってやりづらい。
「姉さんとキャトラこそプールに行ってこいよ」
照れ隠しなのか、鬱陶しいと思ったのか、不機嫌そうにルイカは言う。わたしにやめさせようとはしないんだ、と意外に思った。続けてほしいのだったら嬉しいな。
「うーん、これ座った方がやりやすいよ」
もう目的がすり替わっているような気がするけど、せっかくのお休みなのだからリラックスするのも楽しみの一つだろうと思って、座るように促す。
彼は言われるがまま座る。肩を丸めていた。いい感じの位置に手が届く。ぎゅーっと力を入れる度に何かしら反応してくれるから楽しい。結構くすぐったがりだ。
「ホント仲良いよねぇ。お姉ちゃん的にはすっごく嬉しいけど」
しみじみとトリカさんは言う。わたしはそう言われてとっても嬉しいけれど、彼はどう思うだろう。面倒に思われないかな?
「えへへ、ありがとうございます。嬉しいな」
表情は後ろからだとよく見えない。
「んー? どしたのー? 照れちゃってて言葉も出ない感じ?」
キャトラはにやーっとしたいつもの笑みで覗き込んでいる。うるさいとあしらわれていた。何も思っていなさそうな声だった。
「なーんだ、あんまり面白くない」
表情含めてあまり動きがない、フラットな反応だったのだろう。キャトラはくるりと回って悲しそうにプールの縁で足をつけているだけのノイラの元に向かった。
昨日話していた通り、彼女は水が苦手なようだ。もしかしたらレクチャーしてあげるつもりなのかもしれない。荒療治じゃなければいいけど。
「ルイカはわたしと仲良しだって言われるのが嫌だった?」
首を振る。
「嫌じゃないけど、よく分からない」
ルイカは賢いから、きっと色々考えてよく分からなくなってしまっているのだと思う。でも嫌じゃないことだけは知ることができた。だから、わたしはそれでいい。
「うん! いい感じになったんじゃない?」
……きっとこれ以上話を続けるのも黙ったままいるのも、彼が複雑な気持ちになるだろうし、ちょっと手が疲れちゃったし。ぽんぽんと優しく肩を叩く。ルイカは肩を回していた。
「いい感じ。ありがとう」
どういたしましての気持ちを込めて微笑みかける。そろそろわたしも泳ぎに行こうか。
一人膝を抱えて沈んでいるキステットが少し気にかかる。息継ぎはしているようだけど、頻度が少ないような。上がってくる様子に異変はないから多分大丈夫。
「わたし、プールに入ってくる。いつでも来てね!」
手を振ると高く一つに結んだ髪が解けないように再確認する。敷いてある砂はもうかなり熱くなっていた。早く足を冷やさないと。




