クッキーよりも
「そう言えば、会ったばかりの頃に今度お料理しようねって言ったのに、まだできてなかったよね」
お休みの日のお昼前。珍しくベッドの上でゴロゴロしながら本を読んでいたルイカに声をかけた。
「それで?」
体を起こす。眼鏡をはずして目をこすっていた。
「今日、一緒に作ってみない?」
今からお買い物に行けばお昼までには間に合って、それからお片付けを手伝った後に台所を借りて……とおやつどきに間に合うと思う。
うん、これで行こう。
「今日?」
あまり乗り気ではないみたい。確かに急だったのは急だったけど。
「あ、えっと、ごめんね、急だったよね」
本を閉じて考えているようだった。そこまで考えることでもないように思うけど。
「……作るか。どうせやることもなかったしな」
多分嘘だ。何かがあった……と思う。そう伝えてもいいのだけど、二人でお菓子作りをしてみたい気持ちが強くて、わざと黙ってしまった。悪いこと。
***
少し薄暗くて色々な食べ物のにおいがする場所。古いけれど隅々までピカピカに掃除されていて、昔から大切にされてきたんだなあと思う。
いつもお世話になっている食料品店のおばさんが、クッキーを作りたいと伝えただけで全部用意してくれている。いつもありがとうございます。
この前は皆で煮込み料理を作ったけど、その時もいろいろとアドバイスしてくれた。お肉はこうした方がおいしいとかいろいろ。やわらかくて本当においしかった。
「お兄ちゃん」
ルイカの元に小さい女の子が走ってきた。彼女はおばさんのお孫さん。よくなついてくれていて、とっても可愛い。
「何だ?」
ルイカはいつも通りのフラットな対応。こどもと関わり慣れていないのかもしれない。それを察しているのか、彼女もあまり彼に話しかけることがないのだけど。
「リティお姉ちゃんといつか結婚するの?」
苦笑いする。小さな女の子らしい、他愛のない質問だ。きっと誰かに影響されたのだろう。
「しない」
「ぜったい?」
考え込んでいる。彼女は興味深そうに見つめていた。
「そうだな、絶対ない。リティにはもっと相応しい男がたくさんいるし……そもそも僕達はただの友達」
少し間があった。彼女、トゥエナちゃんは残念そう。
……言葉の裏にある、彼の自己評価の低さを垣間見るのはいつも辛い。そんなことはないのに。じゃあ具体的に君のどこが相応しくなくて、他のどんな人が相応しいのか教えてと詰め寄りたくなる。
「ふさわしい? どんな意味?」
「相応しいの意味は……」
「トゥエナちゃん、お姉さんとお話しようよ」
後ろからぎゅっと彼女を抱きしめる。楽しそうな笑い声が聞こえた。
ルイカは驚いた顔でわたしを見ている。わたしが聞いているとは思っていなかった?
「いいよ! リティお姉ちゃんとお話しする!」
トゥエナちゃんはきらきらとした目で神殿や、その近くにある王宮のことを聞いてくる。わたしも詳しくないけど、それでも驚くことはいっぱいあった。
綺麗なドレスを着た女の人達の話をすると、自分もいつかそんな服を作りたいのだと彼女は言う。
「作りたい?」
「うん、そうだよ! だって、そうしたらあたしの好きな色で、好きな形のドレスが作れるんだもん」
「そっか、素敵だね! トゥエナちゃんならきっと作れるよ」
トゥエナちゃんは満面の笑み。いつか彼女の作った服を着てみたいと思う。……まだ、巫女の役目が終わった時にわたしはどうするか、想像もつかないけれど。
***
家に戻って早速お菓子作りを始める。
図書館で借りたレシピ通り進めれば簡単で、粉を混ぜて生地を練って……あとはさっくりとドライフルーツを混ぜるだけ。型の用意をしていると小さな呻き声がした。
「ルイカ、どうしたの?」
「なんでもない」
さっと手を隠している。分かりやすい。
「指、切っちゃった?」
「……切った」
ばつが悪そうな顔。可愛い。うーん、どうしても彼のことを可愛いと思ってしまう。見た目じゃなくて、言動が。
「包帯包帯……」
台所には簡単な救急箱が置いてあることは把握済み。レーチェもこの間指を切ってしまったから。
包帯を取り出して指に巻く。自分でやると言っていたけど、両手が使える方がやりやすいに決まっている。
「ルイカの指ってすらっとしてるよね」
細い指に、短く切りそろえられた爪、少し骨ばっていて冷たい体温。言ってしまうと恥ずかしいけど、惹かれるものがある。
「君の指もそう変わらないと思うけど」
「わたしのはなんて言うかな、栄養が行ってないだけだよ」
自分の手を見る。少し脆い爪が気になった。大分体がしっかりしてきたと思うけれど、それでもやっぱり色々と時間がいるようだ。
――こうしてちょっとしたトラブルはあったものの、クッキーをオーブンに入れることに成功した。焼き上がりまでに時間があるのだけど、今日は皆出かけているのか匂いにつられた誰かも来そうにない。
ルイカはコンポートを少しお皿に開けて試食している。 大海の向こうからの輸入品で、甘酸っぱい果物らしい。おばさんがお勧めしてくれた。
「少し酸っぱいな……」
あまり口に合わなかったのかな。顔をしかめている。他の国のものだから余計に食べなれないと癖が強いのかな。
お皿のふちに置いてあるスプーンを手に取って、ちょっとだけ味見してみる。ちゃんと甘くてそんなに酸っぱさを感じない。
「酸っぱいかな?」
振り向いた。目を合わせてくれない。照れている? それとも恥ずかしがっている?
「どうしたの、急に」
黙っている。理由を言う気はないようだ。急にそんな態度をとられちゃったら、わたしも困ってしまう。
「ねえ」
「……それ、僕が使ったやつ」
言われて初めて思い当たる。言われなかったら気にしなかったのに。本当に”それ”をしたわけではないのに、唇に触れてしまう。きっと顔が真っ赤だ。
単に同じものに口をつけただけ。でも君がそんなに照れるから。わたしも変に意識してしまう。
「気にしない人だと思ってた」
「気にするよ、流石に」
沈黙が続く。
「まだ焼けないね……」
「……そうだな」
じっとオーブンから見える炎に意識を集中させた。
***
さっきあったことはただのアクシデントとして忘れようというのがわたしたちの結論だった。どちらもそんなことを言ったわけではないけど、場の雰囲気で。
クッキーを談話室へもっていこうと廊下に出ると、すぐにセラと会った。
「セラ? いたんだね」
「はい、いましたよ。お休みなので」
それはそうだけど、いたのに気づかなかった。
「クッキー焼いてたんだよ。来ればよかったのに」
「そうだったのですね。遅かったみたいです」
知っていましたが、と言いたげな表情。セラは不思議な女の子だ。
「これから談話室にクッキーを持っていくの。セラも行く?」
「ええ、きっと皆さんお待ちですよ」
彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべている。
それにしても、待っている? 出かけているんじゃなかったのかな。それにしては誰も来なかった。珍しい。
「……甲斐がありましたね」
前を向いて歩きだしたとき、ぽつりとセラが何かを言った。それが何なのか、よく聞き取れなかったけれど。




