【9】天才は何を見たのか?〜静か過ぎる帰還と、イーサンの視線の先〜
イーサンがそう言って蓋を開けると、縦5センチ、横3センチの透明なシートが入っていた。
「このシートは、火傷治療などに使われる人工皮膚の一部を改良したものだ。
このシートを肌に貼ると、人工皮膚と変わらない働きをする。
そして、最も単純なセンサーが人工皮膚の間に組み込まれている。
電流も流れていない。
外部からの刺激によって壊れることで、この送信機は人間の皮膚温度、つまり体温で初めて動く。
だから、相手が電流を伴うセンサーや金属を検知しようとしても無駄だ。
そして、セシルは危険を察知したら、このシートを貼った部分を強く掴めば良い。
センサーは壊れ、作動する」
ベック、カリスタ、ヴィヴィアン、そしてエレノアの四人が目を見開く。
イーサンは淡々と続ける。
「セシルの腕には、これから俺が貼る。
お前はこの受信機を持っていてくれ。
受信範囲は50メートル以内。
セシルがこのシートを掴みさえすれば、この受信機からアラーム音がして赤く点滅する。
そうなったら、アルマン家に突入しろ」
ベックが嬉しそうに即答する。
「凄いな……!
了解だ!」
イーサンのアイスブルーの瞳がギラリと光る。
「アルマン家に、正当な理由なく銃は持ち込めない。
セシルのお得意の短剣も、金属探知機に引っかかるだろう。
セシルを頼む」
「俺に任せろ!」
ベックが受信機を掴むと、イーサンが皆を見渡した。
「これまでの情報からして、犯人はまず『理想の外見』の持ち主を探し出し、『理想の内面』かどうかを必ず確認している筈だ。
だが、今のところストーカーの線は見当たらない。
だとしたら、昨日セシルが言っていたように、一見無害な人間が被害者に接近したことになる。
但し、被害者達はモデルとして成功する事を第一として生活していた。
被害者にとって、モデルとして有益な人間でなければ、家庭環境や収入面を詳しく話したりしないだろう。
その点を重視して、第二の被害者から第六の被害者までを、ここハリウッドでの生活について手分けして調べよう。
エレノアはもう一度ランディの遺族に会って、『一見無害だが、ランディがモデルとして成功する事に協力的だった人物』がいなかったか確認してくれ。
但し、協力的『だけ』では無く、『有益』であることが条件だ」
エレノアが「はい!」と答え、本部を出て行った。
17時30分。
セシルがホテルの自室で、「……こんなもんかなあ……?」と言って礼服一式を身に着けると、ベックの前に立った。
ベックが感嘆の声を上げる。
「おおっ!流石、セシル!
本物のモデルみたいだぞ!」
そして、なぜかスマホでパシャパシャとセシルを撮りだした。
「ちょっと!
やめてよ、ベック!
僕の写真なんか撮ってどうする気!?」
ベックが可笑しそうに答える。
「チャールズが拗ねてるんだよ。
『セシルのバッチリ決めた姿を俺だけ見られないの!?』って、カリスタとヴィヴィアンと俺にメッセージ攻撃してきてさ」
「それならまあ良いけど……」
セシルがボソッと言うと、ベックが「ほら」と言って紙袋からブーケを取り出した。
ブーケには様々な種類の花が使われているが、色は全て白で統一されていて、白いリボンで束ねられている。
セシルが不思議そうに「それなに?」と訊く。
「エレノアが用意しといてくれたんだ。
ランディを悼む食事会に招待されたんだから、何か手土産を持って行った方が良いって。
だけど、アルマン家に手に入らない物は無いだろうし、お前はそもそもランディを知らないんだから、花束くらいが丁度良いって」
セシルが小首を傾げる。
「でも……これブーケだよ?」
「でっかい花束を持って行く方が不自然だ。
ブーケはシャーロットに渡せ。
お前はランディを知らないんだから、シャーロットを慰める為に持って来たと言って。
シャーロットはお気に入りのお前から同情されれば、絶対に喜ぶ。
ランディについて話させるチャンスが増えるってことだ。
それと、送信機は貼ったか?」
心配そうなベックに、セシルがにこりと微笑む。
「左腕にイーサンが貼った」
「良し!
じゃあ出発だ」
「うん!」
そうして二人は、地下駐車場に停めてあるオラクルのSUVに乗り込んだ。
ベックが運転するSUVは、18時5分前にアルマン家の正面玄関から300メートル先に到着した。
セシルがブーケを持って助手席から降りる。
ベックが厳しい声で言う。
「車はアルマン家の正面玄関近くに駐車しておく。
危険だと少しでも感じたら、必ず腕を握れ。
それから、屋敷の奥に誘われても行かないようにしろ。
受信出来るのは50メートル以内だからな」
セシルは「分かってるってば!ありがと、ベック!」と笑顔で言って車のドアを閉めると、アルマン家に向かって歩き出す。
か細い背中にベックが呟く。
「セシル、頑張れよ」
ベックはそれから、望遠カメラを構えてアルマン家を見張っていた。
勿論、銃は装備済みだし、受信機は目の前のダッシュボードの上に置いてある。
そして一時間半を過ぎると、ベックは信じられない光景を目にした。
アルマン家の正面玄関が開き、190センチ以上はある大柄の男に、セシルがお姫様抱っこされて出て来たのだ。
セシルは真っ赤な顔をして、ぐったりとその男に身を任せている。
ベックはすぐにでも車を飛び出したかったが、セシルは発信機を押していないと思い直し、写真を撮る事に専念した。
ベックが夢中でその光景を写真に収めていると、セシルを抱きかかえている男の後ろを歩いていた50代前半の燕尾服を着た男が、その男を抜き去り、門を出て、一直線にベックの乗るSUVに向かって足早に近付いて来る。
ベックは燕尾服の男を連写すると、カメラを助手席に置いた。
燕尾服を着た男が、車の窓をコンコンとノックする。
ベックが窓を下げると、燕尾服の男は恭しく頭を下げた。
「セシル・アシュリーさまの同僚の方でいらっしゃいますね。
実はアシュリーさまが酔ってしまわれて、トラヴィスさまがお運び致しました。
助手席にお乗せして宜しいでしょうか?」
ベックがドアを開け、車から飛び降りる。
「いえ、後部座席に寝かせて行きます」
ベックがそう言って後部座席のドアを開けると、「アシュリー捜査官。ベック捜査官の車に着きましたよ」と別の男の声がした。
ベックが振り返ると、セシルを抱きかかえていたのは――
トラヴィス・アルマンだった。
ベックが無言で両手を出す。
トラヴィスがセシルを差し出す。
ベックは無言のままセシルを受け取り、後部座席に寝かせる。
そしてドアを閉めると、言った。
「セシルは何を飲んだんですか?」
トラヴィスが申し訳無さそうに笑う。
「実は、姉はワイン類全般が苦手なんです。
社交辞令の為に、ほんの少し口にすることはありますが。
それで、ランディの話になったらカクテルを飲みだして」
「カクテル?
どんな?」
「ボイラーメーカーです」
ベックが思わず声を上げる。
「ボイラーメーカー!?
セシルも飲んだんですか!?」
「姉に付き合って下さった。
やさしい方ですね、アシュリー捜査官は」
「あなた、医者でしょう!?
セシルが酔い潰れるまで放っておいたんですか!?」
そうベックが問い詰めると、トラヴィスは本当に済まなそうな顔になった。
「すみません。
病院から緊急の電話が入りまして、30分程離席していたんです。
そして戻ったら、この状態でした」
「そうですか。
では失礼します」
ベックはそれだけ言うと、運転席に乗り込み車を発車させた。
ベックがロサンゼルス市警察のオラクルの本部に、セシルを抱きかかえて戻ると、本部で待機していたカリスタとヴィヴィアンとエレノアがギョッとした顔になる。
イーサンが眉一つ動かさず、静かに立ち上がった。
イーサンを筆頭に、全員がベックの周りに集まる。
イーサンは一度セシルの顔を見ると、ベックを正面から見据え、淡々と言った。
「セシルは、ただ酔っているだけか?」
「ああ、医者のトラヴィスがそう言ってたからな」
「トラヴィスがセシルを運んだのか?」
「そうだ。
執事連れで、俺と同じ。
セシルをお姫様抱っこして、車まで連れて来た」
「セシルは何を飲んだ?」
「乾杯はワインかシャンパンだと思う。
だけど、シャーロットはワイン類が苦手で、セシルはシャーロットに付き合ってボイラーメーカーを飲んだと、トラヴィスが言ってた」
カリスタが怪訝そうに口を開く。
「アルマン家の人間がボイラーメーカー……?
変ね。
カクテルなら、もっと上流階級向けのものが無数にあるのに……」
ベックが大きく頷く。
「俺もそう思う。
しかもトラヴィスは、『アシュリー捜査官はやさしい方ですね』だとさ。
トラヴィスに病院から緊急連絡が入った30分の間に酔い潰れたらしくて、トラヴィスは気付かなかったらしい」
すると、ヴィヴィアンが素早く言った。
「椅子を並べるわ!
セシルを寝かせてやらなきゃ」
イーサンの冷静な声が響く。
「いや、このままホテルに連れて帰る。
2〜3時間は起きないだろう。
セシルからアルマン姉弟の話を聞いて、それと被害者の情報を突き合わせ、明日の朝プロファイルを発表する。
悪いが、今夜0時に俺の部屋に集合してくれ。
エレノア、君も来い」
「はい!」
エレノアがセシルの荷物を持ち、イーサンとセシルとエレノアの三人は、あっという間に本部を出て行った。
顔を見合わせるカリスタとヴィヴィアンとベック。
ベックが笑顔で言う。
「イーサンに任せておけば大丈夫だ!
俺達もホテルに戻ろう。
少しでも身体を休めないと。
セシルの話次第では、寝るのが午前2時過ぎになっちまうぞ」
カリスタが頷く。
「そうね。
私たちも戻りましょう」
ヴィヴィアンも「ええ」と答えると帰り支度を始め、三人はイーサン達を追うようにホテルに戻った。
だが、三人も、エレノアすら気付いていない。
イーサンの視線が、セシルの左腕から一度も外れていなかったことに。
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