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第六話 姫でも騎士でも

  第6話 姫でも騎士でも




 神崎亜流々はこう言った。


「我々は泣きながら生まれて、文句を言いながら生きて、失望しながら死んでいくらしい。ところでそれは、どこの死人に聞いたんだい?」




 ◆◆◆




「おはよう、由利くん」


 意識を取り戻した由利は、自室のベッドで亜流々の膝枕に頭を乗せていた。すでに部屋には朝日が差し込んでいる。


「……よもぎは、助かったんだよな」


「最初の言葉がそれか。葛籠よもぎに嫉妬してしまうね」


 亜流々はいつも通り、澄ましたようなアルカイックスマイルを由利に向ける。


 こうしてあまりにも穏やかなひと時を過ごしていると、まるで昨夜のことが夢だったように感じる。だが決してそうではない。由利は運命に抗い、誰も死なせずに今日という未来を勝ち取ったのだ。


「……俺は、勝ったんだよな」


「うん。よくやったね、由利くん」


 そう言って由利をねぎらう亜流々に由利は違和感を覚えたが、違和感の正体はすぐに分かった。


「亜流々……その髪と、瞳の色はいったい……?」


「これがぼくの本来の姿なんだよ。きみがぼくのことを認識出来るようになったときと同じで、ぼくの姿が変わったのではなく、きみの見える世界が変わったんだ」


 そう言って由利を諭す亜流々の髪の色は、〈常夜〉の月のような群青色だった。髪だけではない。深い輝きを放つ瞳も、漆黒の宇宙から夜明けの空のような瑠璃色へと変わっている。いや、よくよく思い返すと、穢霊に止めを刺したときから――正確に言うと、『あの刀を抜いたとき』からこの色だった。


 もっと言うなら、〈常夜〉の世界で初めて亜流々と出会ったとき、彼女はこの姿だったはずだ。あれは見間違いではなく、どういうわけか彼女の真の姿を見ていたのだ。


「そうだ、目を閉じてくれないかい?」


 一週間前のことを思い出していた由利に、亜流々が突然そんなことを言った。


「どうしてだ?」


「ご褒美を上げようと思ってね。恥ずかしいから目を閉じてほしいんだ」


 顔を赤らめながらそんなことを言われては、従わないわけにはいかなかった。


 大人しくまぶたを閉じて唇に意識を集中していると、頬に手を添えられ――不意に額に鈍痛が走った。頭蓋骨の中で硬いもの同士のぶつかり合う音が反響し、鼻の奥がツンとする。


 痛みに数秒間悶えた由利は、勢いよく起き上がった。


「何すんだ!」


「何って、ご褒美だよ。ぼくの言うことにことごとく逆らってくれたご褒美」


 涙目で額をさすりながら、亜流々はそうのたまった。どうやら頭突きされたらしい。


「ぐっ。それは、まあ……悪かったよ。でも穢霊を倒して、みんなが助かったんだ。最高の結果だろ?」


「そう、それについて訊きたいことがある。実際のところ、きみには穢霊を倒せる確信があったのかい? つまり、あの力のことを知っていたのかということだけれど」


 あの力。突然由利の目の前に現れた、あの刀のことだろう。


「……いいや」


「つまり、あの時点では何の勝算もなかったにも関わらず穢霊に立ち向かったと?」


「……その通りです。えっと……あれはいったい何だったんだ?」


 由利がおずおずと訊ねると、亜流々はため息混じりでこう答えた。


「あれは〈霊装〉だよ。概念の力が生み出す〈マグナ・オペラ〉、人が扱うことのできる力の中でも究極のものの一つだ」


「……まぐろ、おから?」


「〈マグナ・オペラ〉だよ。つまりは人間が扱えるものの中でも、『神器』や『奥義』、『秘術』と呼ばれるような力のことさ。その中でも〈霊装〉は概念の力を武器として形にしたもので、〈概念武装〉とも呼ばれる代物だ。おそらくきみの〈霊装〉は『雷』と『刀』の概念によって象られたものだろう。見たところ、きみの霊力を高温の熱プラズマに変換する性質を持つようだね。分類としては理術に該当するが、純度の高い概念の力はより上位の存在にすら対抗しうる。きみが法術級の存在である〈ネフィア・ラムルア〉を倒すことが出来たのはその霊装に込められた力のおかげだ」


「……どうして俺がそんなものを?」


「それはこっちが聞きたいよ。ぼくですら見抜くことが出来なかったんだから。でも、あれがきみの異常性の原因であったことは間違いないだろう。あれだけの莫大な霊力を普通の人間が随時供給できるはずがない。つまり、あれがこれまできみの感情のほぼ全てを霊力として蓄えていたから、きみは感情を失っているように見えていたのさ」


 そう言われると、確かに納得できる。あの〈霊装〉を手にしていたときの由利は、普段では考えられないほど感情が昂ぶっていた。あれは蓄えていた霊力が感情として由利に逆流してきたのだろう。


「さしずめ〈カタルシス・ブレード〉といったところか。きみの場合、力の開放がそのまま感情の開放を意味するのだからね。力を一点に集中させ、一気に開放するための武器というわけだ。もっとも、これまでの三年で溜め込んできた霊力は昨夜の戦いでほとんど使い切ってしまったようだけれど」


「……〈雷〉だ」


「うん?」


「あの刀の名前だよ。雷で『あずま』だ」


 誰に教えられたわけでもないが、由利は確信を持ってそう言った。〈霊装〉それ自体を構成する概念の中には『銘』という要素もある。所有者である由利はそれを把握することが出来るのだろう。


「〈雷〉……ね。その名前には意味があると考えるべきか」


「どういうことだ?」


「済まないがその前にぼくの質問に答えてくれ。きみはどこでその霊装を手に入れたのか覚えているかい?」


「……いいや」


「ふむ、そしてきみの例の異常性は、記憶を失ってからずっとあるものなのかい?」


「そうだ」


「ならばおそらく、きみがその霊装を手に入れたのと、きみが記憶を失ったのは同時だということになる」


「でも、記憶を失う前から持っていたという可能性もあるだろ?」


「どうだろうね。もちろんその可能性もあるし、もしそうなら黛透子やきみの母親に当時のきみの様子を訊いてみれば分かるかもしれない。でも仮にそれらが同時だとすると符合する事実があるんだ。それも極めて運命的にね」


「符合する、って……もしかして、名前のことか?」


 吾妻と〈雷〉。確かにこの二つの存在の名称は運命的に符合している。


「その通り。きみのご両親はきみが記憶を失ってすぐに離婚されたのだろう? そしてきみは母の旧姓である吾妻を名乗ることになった。奇しくも、きみが霊装〈雷〉を手に入れてすぐの時期にね」


「……だけど、たかが名前だぞ? そんなのこじつけじゃないか」


「そうだね、こじつけだ。けれどまるできみの本質が〈雷〉の持つ概念に染まっているようじゃないか。現にきみという精神は生まれた瞬間から吾妻という名前だったのだから」


 亜流々の言っていることは、確かに辻褄が合っているように聞こえた。だが、同時に恐怖を覚える。由利は思わず片手で顔を覆いながら、もう片方の手で亜流々がそれ以上話すのを制していた。


「待て。待ってくれ。それなら……俺という存在を構成する概念はいったい何なんだ? 俺は、どこからやって来たんだ?」


「その答えは、きみ自身が一番よく分かっているんじゃないのかい?」


 亜流々の言葉に、由利は息を呑んだ。彼女の言うとおり、由利の中には一つの仮説が生まれていたからだ。


「俺は……ずっと前にもあの世界――〈常夜〉の世界に来たことがある気がするんだ。その時俺は、青い月を見上げながら、大きな虎みたいな怪物に……殺された。それをさっき思い出したんだ。いや、きっとこれは俺の記憶じゃなくて――」


 もう一人の由利の記憶。いや、本物の由利の記憶だ。


 亜流々は由利の考えを肯定するように一つ頷いてから、


「由利くん。ぼくはずっと不思議だった。何故きみはぼくのことを認識できるのか。そして、何故きみはあの日〈常夜〉の世界に入ってきたのか。


 でも、今なら分かるよ。ぼくらの出会いは偶然ではなかったんだ。きみは元々、こちら側の世界の住人だったのさ。きみはかつて〈常夜〉の世界で一度精神の死を経験し、そのときどういうわけか霊体に概念の力を宿すことになった。それが今回とあるきっかけで目覚め、無意識にぼくを引き寄せたんだ。そして、結果的にきみの中に眠る力は目覚めた。まるで、初めからこうなることが決まっていたみたいにね」


 そう言って、由利の面前に手鏡を突きつけた。由利は反射的に鏡に映る自分の顔に目が行き、そしてある変化に気付いた。


 由利の右の瞳が、アメジストのような紫色に変わっていたのだ。左目はこげ茶色のままなのに、右目だけが変色している。よもぎが言っていたのはこのことなのだろう。


「これは……何なんだ? 俺はいったいどうなったんだ?」


「言っただろう。きみの見える世界が変わったのだと。それはつまり、きみ自身の在り方が変わったということだ。元々『不完全な術者』だったきみの霊体はあの霊装を解き放った時点で不可逆の変質を遂げた。魂の設計図が書き換わり、結果として現実の肉体にも変化を及ぼしたのさ。とはいえ安心したまえ、一般人にぼくが見えないのと同じで、非術者がきみの本当の姿を見ることは出来ないよ」


 鏡に映る自分の姿を、放心したように眺める由利。そんな由利の様子に一つ嘆息し、亜流々は優しい声色で話し始めた。


「ショックを受けるのも仕方ないと思う。何せ自分のルーツに関わる話だ。でもすぐに全てを理解する必要はないさ。今はまだ実感がないかもしれないが、きみは感情を取り戻したんだ。これからはきっと、楽しい日々が待っているはずだよ」


「……感情を?」


「そうさ。きみの感情の欠落の原因はきみの霊装にあった。つまり霊装を制御できるようになれば、これまでみたいに感情を失うこともなくなるだろう。……あるいは、きみの言う『虎』とやらを倒せば、きみの記憶を取り戻すことも出来るかもしれない」


 それを聞いて、由利の心に光が差した。今日一日で世界の見え方が変わり、自分自身の在り方さえ変わってしまったが、それは決して悪いこととは限らないのだ。亜流々に出会ったときのように。


「何にせよ、きみは勇敢にも穢霊と戦い、そして勝った。絶望の夜を生き延び、葛籠よもぎのことすら救ってみせた。今はそれを喜ぶといい。……ぼくが言えたことではないのかもしれないけれど、これで葛籠よもぎと仲直りすることが出来るんだよ」


「仲直り……」


 そうだ。何をおいても、由利はそのために頑張ってきた。よもぎと、そして亜流々と過ごす日々を守るために。今度こそ、ただ純粋に仲直りのためだけによもぎに謝ることが出来るのだ。


 すると、急に居ても立ってもいられなくなってきた。身体は寝起きで重いのに、心ばかりが先行して早くよもぎに会いに行きたいと急き立ててくる。


「……なんだか、落ち着かないな」


「それが感情というものだよ、由利くん。人間はいつだって、感情に振り回される生き物だ。どんな人間も、その定めから逃れることは出来ないのさ」


 当たり前のことのように、亜流々は言った。実際、当たり前のことなのだろう。由利はようやく、自分が人間になれたような気がした。




 その日、由利はいつもより早く家を出た。亜流々と並んで登校するのはこれが初めてかもしれない。


 ……そういえば、由利が目覚めたとき、亜流々は既に由利の部屋にいた。亜流々によれば、〈常夜〉から帰って来たときはいつものように目覚めるそうだが、ならば亜流々はいったいどこに帰ってきたのだろう? 道中それを訊いてみたところ、「それを教えるには、まだ好感度が足りないね」とはぐらかされてしまった。


 知りたいという欲求とともに、『それでもいいか』とも思う。それは仕方なく諦めたからではなく、亜流々から話してくれるのを待とうと思ったからこそだ。


 学校に着くと、すでによもぎが登校してきていた。まだ朝早いため、教室にはよもぎしかいなかった。要するに、(よもぎから見れば)二人きりである。


 仲直りの絶好のチャンスだが、急に訪れた機会で由利は何と言ったものか分からなくなる。


「あ。……おはよう、吾妻」


 だが、よもぎはこちらが拍子抜けしてしまうほど普段通りの調子で朝の挨拶をしてきた。……いや、一瞬由利の顔から目を逸らした。どうやらよもぎの方にも思うところはあるらしい。だがせっかく向こうから歩み寄ってきてくれたのだ。この機会を無駄にするわけにはいかない。


「あ……えっと」


 だが、言葉が出てこない。そんな自分に驚く。昨日までの自分なら、ここで頭が真っ白になるようなことはなかったはずなのに。これが、感情なのだろうか。


「よ……よもぎ!」


 絞り出すように目の前の少女の名前を呼ぶと、呼ばれた当の本人はびくっと肩を跳ねさせた。そういえば、彼女の前でこんなに平静を保てなくなったのはこれが初めてかもしれない。だが今はそんなことを気にしてはいられない。とにかく、何かを言わなければ……


「あの、俺、昨日は……」


 訥々としていて要領を得ない由利の言葉を遮るように、よもぎが近付いてきた。よもぎはそのまま由利の懐に滑り込むと、由利の眼を覗き込んでくる。必然、顔が近くなり由利は狼狽した。


「な、なんだどうしたっ?」


 みるみるうちに顔が熱くなっていく。そんな由利の反応を意にも介さず、よもぎは何かを確認したかのように一つ頷くと、再びすっと距離を開けた。


 そして、笑顔でこんなことを言ったのである。


「うそつき」


「……えっ?」


「やっぱり夢じゃなかった。あんな怪物においかけられて、死にかけて、あたしのせいなのにあたしのために嘘までついて。やっぱり吾妻はやさしいね」


 それを聞いて、由利だけではなく亜流々までもが驚愕した。いったい何故――


「あれ、なんか今日は吾妻がなに考えてるかわかるよ。どうしてわかった? って顔してる。あのね、もともとそうなんじゃないかな、とは思ってたけど、確信したのは吾妻の眼を見たから」


 眼……? まさか、見えているのか?


「その紫色の瞳でわかったよ。昨日のことは、夢じゃなかったんだって」


 やはり、本当の色が見えているのだ。だが、いったい何故……?


「……おそらく、きみが穢霊を倒したからだ」


 と、傍らの亜流々が言った。


「なにせ前例がないから確かなことは言えないけれど……きみが穢霊を倒したことで、穢霊を構成する概念の力――本来なら願いを叶える際に使い切ってしまうはずの力が、葛籠よもぎに還元されたんだろう。そのとき彼女がもともと持っていた力だけでなく、穢霊としての力も彼女に宿り、結果理術者に匹敵する存在になった――とすれば辻褄は合う」


 つまり、よもぎは既に『こちら側』の人間だということなのだろうか?


「……じゃあ、よもぎはもう」


 由利が呟く。それは亜流々への確認のつもりだったが、よもぎが頷いた。


「うん。ぜんぶわかってる。あたしが何をしてしまったのかも、吾妻がどんなに大変な思いをしてあたしをたすけてくれたのかも、ぜんぶね」


 実のところ、薄々そうではないかと思っていた。彼女の態度を見れば、さすがに気が付く。しかし、それは由利にとって決して好ましいことではなかった。


「……ぼくは席を外そう。まあ、うまくやりたまえ」


 何と言おうか迷っていると、亜流々がそう言って教室を出ていった。これで正真正銘二人きりになった。


 それから数秒沈黙が続き、ついに由利は言葉を紡いだ。


「あのな、よもぎ……その。今回のことは災難だったな、お互いに」


 由利が間を持たせるために何気なく言った一言に、よもぎが呆れた顔をした。


「……おたがいに、じゃないでしょ。あたしは自業自得。吾妻は被害者じゃない」


「それは違う。上手くは言えないけど……今回のことはなるべくしてなったんだ。きっと今回のことは、俺がよもぎの小説を勝手に読んでしまったときから始まったんだと思う」


 そもそも、由利がよもぎに関わらなければ――関わりたいと願わなければ一連の出来事は起こらなかった。すべての因果はあるべき形で由利たちの身に降りかかったのだ。そこに誰かのせいなどという言葉はありはしない。だから今回の件は全て、お互い様なのだ。


「それに……なんだ。それはそれ、これはこれというか……よもぎには負い目を感じてほしくないんだ」


 由利は穢霊と戦い、勝利することで結果的によもぎを救った。しかしそれはあくまでも自分のためだ。それでよもぎが由利に恩を感じるようなことはあってはならない。少なくとも、そのことを理由に由利のことを許してもらいたくはなかった。


「たしかに俺が戦ったのは、よもぎのためでもあった。よもぎの夢のため、小説のために戦った。それは事実なんだけど、一番大事なのは、俺がそうしたかったからそうしたってことだ。だから昨夜の話はもう終わりにして、今までと、これからの話をしたい」


 よもぎは少し不服そうな顔をしたが、由利の意思を汲んでくれたのか、黙って頷いて由利の次の言葉を待った。


「……実のところ、そもそも俺はある目的があってよもぎに近付いたんだ。何故なら、俺は一週間前から昨日のことを知っていたからだ。俺は死にたくないから、よもぎのご機嫌取りをしようとおまえに近付いたんだよ」


「そう、なんだ」


 よもぎは少なからず動揺していた。無理もない、結局由利はずっと隠し事をしてきたのだ。もっとも、本当のことを言うわけにもいかなかったのだが。


「でも、よもぎの小説が好きなのは本当だ。むしろ、この一週間は今まで生きてきた中で一番楽しい一週間だったよ。少しだけ、死んでもいいかって思ったりもした。でも俺には死ねない理由があったから、おまえを騙そうとして、そして失敗したんだ。……つまりだな、よもぎが俺を利用したり、隠し事をしていたのと同じように、俺もおまえを利用しようとしたり、隠し事をしてきたんだ。こんな関係、初めから上手くいくわけないよな?」


 由利は苦笑した。対して、よもぎの表情は晴れなかった。


「……それじゃあやっぱり、あたしが悪いよ。吾妻はお互いさまって言うけど、少なくとも願いを叶えてくれるなんて誘惑に踊らされてコトダマ様に頼ってしまったことの責任はあたしにあるもん」


「そんなこと――」


 由利はそれが悪いこととは思わなかった。叶えたい望みがあったとして、それを叶えてくれる存在に願って何が悪い? そもそも、願うことによってよもぎ自身もリスクを背負っているのだから、コトダマ様に頼ることは決してズルではないだろう。


 それを言おうとして、気付く。きっとこんな言葉ではよもぎに届かない。


 想いを言葉にして伝えるのは、どうしてこんなにも難しいのだろう。これ以上ないほど正確に言語化しても、上手く伝わらないことがある。


 ……いや。そもそも思考や感情を正確に言語化することなど出来はしないのかもしれない。だからこそ由利は自分の世界を一生懸命文章にしていくよもぎの姿に憧れたのだ。由利にはあんなにも綺麗な文章は書けない。言葉にするのも下手だ。ならば……どうすればいい? 自分に何が出来る?


 そして気付いた。今どうするべきか、どうしたいのかを。


「…………うん、おまえの言うとおりだ」


 由利の言葉に、よもぎが怪訝な顔をした。


「おまえ、何てことしてくれたんだ? 俺に図星突かれたからって逆切れして、挙句妙なオカルトに縋って危うく友達を殺しかけるとか……もうバカ。おまえバカすぎ。バーカバーカ!」


「……えと、あれ? 吾妻?」


 由利の幼稚な罵倒に対し、もはやよもぎの顔は怪訝を通り越して宇宙人でも見たようなそれになっている。思考が状況について来れていないのだろう。


「ああそうだ! 俺も悪いけどおまえも悪いよ! しまいにゃ怒るぞ俺も! えっと、怒ってんだぞ俺は! 分かってんのか!」


 だんだん自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。我ながら怒るのが下手すぎる。そう、由利は怒っていたのだ。恐らくは、ずっと前から。さっきまでの言葉も、今吐露している怒りも、紛れもない由利の本心だった。その感情をこそ、今はよもぎに伝えたいと、由利はそう思ったのだ。


「要するに何が言いたいかっていうとだな! どうして俺や撫子に頼らないんだってことだ!」


 由利の一喝に、よもぎは息を呑んだ。


「俺は編集者なんて名ばかりの、おまえにとって都合のいい感想を言うだけのイエスマンなんだろ? 少なくともおまえはそれが欲しかったんだよな。それならそうと早く言え! 俺だって別におまえの作品に口出ししたかったわけじゃねーんだよ! 別にいいじゃねえか利用しても。俺はおまえの小説が読めれば何でもいい! 褒めろといわれりゃのべつ幕なし褒め殺してやるし、本当に意見が欲しいならいくらでもひねり出してやるよ! つまりはそれだけの話なのに下らないこと気にしやがって。体裁を気にして人を気にして――そんなことよりも大事なのは、『よもぎの書く小説が面白い』ってことだろうが!」


「ひぃっ。ありが……とう?」


 由利の剣幕に、よもぎは完全に圧倒されている。だが、もはや由利の怒りは由利自身でも引っ込めることが出来なかった。


「そもそもおまえ、コトダマ様に何を願ったんだ? 『作家になりたい』か? 『吾妻なんかよりもマシな読者に恵まれますように』か? それとも『最近調子乗ってる撫子が深爪しますように』か?」


「そ、そんなこと。最初のはともかく、あとのふたつは思ったこともないよ。っていうか吾妻、あたしがそんなこと願うと思ってたの?」


「だったら何を願ったんだよ」


「え? それは、その――『…………たい』って」


「聞こえねえなあ!」


「ひぃっ。『人気者になりたい』っておねがいしましたぁっ」


「……はあ?」


 あまりに予想外の答えだったため、由利の怒りは一瞬で鎮火した。


「どういう意味だそれ? というかおまえ、『作家になるために友達を作らず、誰とも馴れ合わない』的な、意味不明の中二病じみた美学があるんじゃなかったのか」


「い、意味不明とかいわないで! ……いや中二病も聞き捨てならないけど。言葉のブーメランってしってる?」


「今はそんなことどうでもいい。どうしてそんなことを願ったんだ?」


 よもぎはどこか釈然としないような顔をしながらも、ぼそぼそと語り始めた。


「……あたしは、姫騎士になりたかったの。お姫様みたいな人気や可愛さと、騎士みたいな強さやかっこよさを備えた人間になりたかったの」


 よもぎが語り始めると、由利は黙った。今は真剣な顔でよもぎの話に耳を傾けている。よもぎの口調にもだんだんと熱が籠もっていく。


「……でも、それってむずかしいよね。きっと騎士にはきれいになる努力をするひまなんてないし、お姫様はきっと大切にされすぎて戦うなんてゆるされないもん。現実でもそう。なりたいものになるためには、ひたすらそれに打ち込む覚悟や、役目に徹する覚悟が必要なんだよ。とくに作家は。……だってパパはいつも言ってるもん、『作家は自分の人生を切り売りする仕事だ』って。それと同時に、じぶんの葛藤やコンプレックスを作品として昇華しなければならないんだって。だからあたしはお姫様になるのをあきらめたの。人気者になるためにまわりの人たちに愛想をふりまくひまもないくらい、書いて書いて書きまくらなきゃならないの」


「……だから願ったのか。その両方を備えた人間になれるようにって」


「そう。こんなえらそうなことを言っておきながら、結局あたしは撫子みたいになりたかったの。だからこそ、作品のなかでは撫子を悪役にせずにはいられなかった。……みっともないよね」


「……ディアンヌのことか。じゃあやっぱりアルテミシアはおまえなんだな」


「やっぱり気づいてたんだ。さすがだね」


 実際は亜流々にヒントをもらったわけなのだが、それは黙っておく。


「……でも、だったらなおさら分からない。俺は読んでてディアンヌがただの悪役には見えなかったけどな。少なくとも自分の作品の中でいじめ倒してやろうって雰囲気は全く感じなかった。『せずにはいられなかった』って言うなら、むしろそれこそがよもぎの本心なんじゃないのか?」


 つまり、そもそもよもぎは撫子に憧れはしていても、屈折した劣等感を抱いているわけではないのだ。少なくとも、由利はそう感じた。


「でも、現にあたしはコトダマ様に願っちゃったんだよ? ズルをしたんだよ?」


「願いを願って何が悪い? 悪いのは殺人の片棒を担がせる悪趣味な神様野郎だろ」


「だとしても、吾妻はそのせいであんな大けがをしたんだよ?」


「怪我? 俺の身体のどこに怪我があるんだよ。そもそもよもぎはただ願いを叶えて欲しかっただけだろう。『誰かの命と引き換えにしてでも』なんて考えたか?」


「――かんがえないよ。かんがえるわけない!」


「だろ? 何度も言ってるけど、昨夜のことはお互い様なんだからよもぎが気にする必要はない。そもそも俺が今怒ってるのはおまえが願ったからじゃない。おまえの願いが気に入らないからだ!」


「ええっ!?」


 よもぎが驚いたようながっかりしたような、微妙な表情になる。無理もないだろう。これまで偉そうなことを言っておきながら、結局は個人的な理由で怒っているのだから。しかし、他の何は良くともこれだけは看過できないのだ。


「おまえには俺がいるのに、どうしてそんなことを願うんだよ。俺だけじゃ不満か? だいたいその願いが叶って人気者になったとして、おまえはそれで満足なのかよ? おまえの取り巻きはみんな『おまえが人気者だから』群がってるだけの奴らなんだぞ?」


 よもぎは黙って聞いている。動揺すらしていないのがなんだか無性に悔しくなる。


「あのとき、俺のことを本当の友達って言ってくれたじゃねえか。俺もよもぎのことをそう思ってる。だからよもぎはコトダマ様なんかに頼らなくたって自分で作れるんだよ、『本当の友達』を!」


「……そっか。そうだったんだ」


 由利の言葉を受け、よもぎは何かに納得したように頷いた。心なしかその表情はニヤついている。


 ……ニヤついている? この場合、その反応は不適切のような気がするのだが。ここは由利の言葉に感動する場面ではないのか?


「つまり、吾妻は妬いちゃったんだね」


 しかして由利は、続くよもぎの言葉でその表情の意味を悟った。よもぎは今の話を聞いて、あろうことか由利をからかうネタを閃いたのだ。


「なっ」


 咄嗟になぜそうなる、と言い返そうとした由利は言葉に詰まる。これはつまり、そういうことなのだろう。


「図星なんだ。あたしがほかにも友達がほしいって思ったことがいやなんだ? 『よもぎの友だちは俺だけだ』とかおもってるの? ぷぷぷ」


 さっき驚かされた復讐なのだろうか。よもぎは挑発的な笑みを浮かべつつ、口元をわざとらしく覆いながら流し目を送ってきた。由利を煽ろうとしているのなら、それはこれ以上なく効果的なしぐさだった。もっとも、余裕のあるときの由利ならばこんなよもぎも可愛く思えてしまうのだが。


「ち、違う! というかどうしてそうなる! 俺が言いたいのは普通に友達を作ればいいだろうってことで」


「でもあたしにほかの友だちができたらさびしいでしょ?」


「寂しいよ当たり前だろ他に友達ができても一番仲良しは俺なんだからなって何言ってんだ俺は」


 もうダメだ。完全にイニシアチブを握られている。どうしてこうなった。


「……ありがとう、吾妻」


 由利が悶えていると、不意によもぎがトーンダウンした声で礼を述べてきた。その顔にはもはや由利をからかおうとする様子はない。……もしかすると、今までのは照れ隠しだったのだろうか。急激に変化した雰囲気にばつが悪くなる。


「あたしって、バカだね。欲しいもの、もう手にいれてたのに」


 一つ深呼吸する程度の間があって、ゆっくりとよもぎの独白が始まった。


「友だち、理解者。読者、編集者。ヒーロー、ヒロイン。ライバル、悪役。心配してくれる人、怒ってくれる人。いないとさびしいけど、たくさんいても意味ないの。


 ……きっとあたしは、大切にするものをまちがえてたんだね。意味のないこだわりとか、ありもしないしがらみとか、あって当然の劣等感とか。そんな当然のものをありがたがって、ほんとうに欲しいもの、自分から遠ざけてた。あたし、認めるのをこわがってたの。大切な友だちといっしょに過ごして、楽しかったってこと。


 吾妻のことが、だいすきだってこと」


 段々と口調がおぼつかなくなり、徐々に嗚咽が混じり始める。そして、ついによもぎは大粒の涙をこぼした。


「今まで、ごめんね。見捨てないでくれて、ありがとう。あたしのために、当然のように戦ってくれて、ほんとに、ありがとう。あたしは、姫でも騎士でもないけれど――これからも、友だちでいてくれますか?」


 それは、由利にとっては答えるまでもなく、訊かれるまでもない問いだった。


 だから、由利はただ「ああ」と言って、ぎこちなく笑って見せた。


 するとよもぎは涙を流しながら、見惚れるような笑顔を浮かべた。


 今ならあのときの亜流々の問いに答えられる気がする。何故自分が戦ったのか――


 きっとこの笑顔のためだったのだ。




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