最終話 神の筋書き
最終話 神の筋書き
こうして全てが終わり、由利が守りたかった日常は無事に戻ってきた。未だに記憶は戻らないし、黛透子に怯えながら過ごしているのは変わらないが、今は亜流々がいる。よもぎがいる。あれから感情を持て余して二人に迷惑をかけたりしたこともあったけれど、それなりに楽しくやっている。
「由利くん、ぼくはきみに謝らなければならないことがある」
ある日の朝、教室で亜流々がこんなことを言いだした。
「どうした? また俺の部屋のベッドの下を勝手に荒らしたのか?」
「それくらいじゃ謝らないよ」
「いや謝れよ」
二人の間ではお決まりとなった軽口を挟み、亜流々は神妙な顔つきでこう言った。
「実際のところ、今回の件の原因はきみでも葛籠よもぎでもなく、このぼくにあったんじゃないかと思うんだ」
「どうしてだよ?」
「そもそも今回の件は、ぼくが『きみが穢霊に襲われる未来』を予見したことが発端となったわけだけど、この時点である矛盾が生じていたんだ」
「矛盾?」
「ねえ由利くん。完璧な未来予知に必要な条件って何だと思う?」
突然の問いに由利はしばし考え込んだ。
「……完璧な未来予知って言うのがよく分からないから何とも言えないな」
「まあそうなるよね。答えは『見えた未来が変わらない』という前提があることだよ。自分に置き換えて考えてみてくれたまえ。もしも葛籠よもぎが交通事故に遭う未来を見たらどうする?」
「そんなの、助けるに決まってるだろ」
「つまり、葛籠よもぎが交通事故に遭う未来を未然に防ぐということだね?」
「そうだ」
「すると、その時点でその未来予知には矛盾が発生する。何故ならきみが未来予知をしたからこそ、その未来が変わってしまったわけだからね」
「……なるほど。何となく言いたいことが分かってきた」
「ぼくの未来予知は少なくとも非術の領域では完璧なはずなんだ。何故ならぼくは世界に干渉することが出来ないからね。もっと言うと、『未来が見えること』と『未来を変えられないこと』は必ずセットじゃなければならないんだ。でなければ前提が成立しない」
「要するに、俺がお前を認識できるようになった時点で、その前提が崩れてしまったわけだ」
「その通り。そもそも今回の件は順番が逆なんだよ。ぼくがきみに穢霊の出現を教えたからこそ、きみは葛籠よもぎに接触することになった。つまりぼくが余計なことを言わなければ、きみは危険な目に遭う必要もなかったわけだ」
だがそうするとまたも矛盾が発生する。亜流々が見えた未来に対して何のアクションも起こさなければ、その未来は確実に起こるものでなければならないはずだ。しかし亜流々視点からすると、ただ待っているだけでは見えた未来に到達できないということになる。
翻って、今回の件では亜流々の予見が亜流々自身の行動すらもファクターとして内包してしまっているということになるのだ。ならば、亜流々の立場はどうなる?
「……言っている意味は分かった。だけど考えすぎじゃないのか? 仮に亜流々が俺に何も言わなかったとしても、俺は結局よもぎに関わろうとしたかもしれないじゃねえか」
「もちろん、その可能性もある。だけどこの場合重要なのはぼくがぼくの行動によってぼくが見た未来を変えてしまったこと――『変えることが出来てしまったこと』だ。ぼくはきみという存在を通して間接的に世界に関われるようになった。もしかしたら、ぼくがきみに出会った時点で、〈隠者の瞳〉はその性質を変えたのかもしれない。あるいはぼくにはもう、未来なんて見えないのかも」
「……えっと。それってつまり」
亜流々は吾妻由利に出会ってしまったせいで、その特異性を失ってしまったということなのか?
――喩えるなら。
この世界は箱庭で、亜流々はそれを上から見下ろしていたはずなのだ。見下ろしていたからこそ、亜流々はその箱庭で何が起こるかをさながらラプラスの悪魔のように見透すことが出来た。だが、もはや亜流々は箱庭の中に入り込んでいる。かつて見下ろしていたはずの有象無象の中の一つに紛れ込んでしまったのだ。たとえ亜流々が後悔していなかったとしても、それは由利が思っている以上に残酷なことなのではないか?
「由利くん、いま『自分のせいで……』とか思っているのなら、それは見当違いだよ。ぼくはこうなることが初めから決まっていたんだと思う。それこそ神様はこうなる未来すら見えていたに決まっているんだからね」
それが由利を慰めるための言葉なのは明らかだった。だが、その言葉を認めるわけにはいかない。亜流々のためにも、由利やよもぎのためにも。
「……全てはどこかにまします〈天命〉ってやつの思い通りだ、ってか? でもそれを言い出したら、俺やよもぎが助かることだって初めから決まってたってことになる。俺の頑張りやおまえの葛藤は全て、神様野郎の思い描いた筋書き通りのものだったって」
「……それは」
「俺はそんなのごめんだね。『運命』なんて言葉は、ただの手垢が付いた口説き文句だ。それ以上の意味なんてありはしない」
由利が断言すると、亜流々はぷっと噴き出した。
「――あはは。さすが未来が見えないやつは言うことが違う。しかも言うに事欠いて神様野郎ときた。怖いもの知らずもここまでくれば笑いものさ」
「ば、馬鹿にすんな」
「いいや馬鹿だよきみは。今回ばっかりはきみを素直に褒め称えたいと思う。素晴らしい馬鹿だと、手放しに賞賛するよ。先が見えないからこそ、真っ直ぐ歩いて行けるということもあるだろう。待ち受ける人生の旅路が、たとえ稜々たる隘路であろうともね」
褒めると言いながら、どこか皮肉めいた言い回しである。恐らく言葉以上に由利を称賛しているのだろうし、また言葉以上に馬鹿にしてもいるのだろう。
由利はムスっとした顔で亜流々を見た……が、すぐに顔が綻ぶ。何故なら、さっきまで難しい顔をしていた亜流々が今は笑っているからだ。
これでいい。笑いものの本懐を果たしてやろうではないか。
「……まあいいか。素直に褒められておくよ。でもな亜流々、俺が言いたいのは、もし今回の件の責任が自分にあるって本気で考えてるなら、それは違うってことだよ。おまえが今回の件で見たのは未来じゃない。もちろん運命なんかでもない。単なる神の筋書きだ。だから、そんないくらでも書き換わるものが見えるくらいで責任なんて発生しねえよ」
それを聞いた亜流々は一瞬目を丸くした後、
「うん。ありがとう、由利くん。お礼に教えるよ。きみの未来は、きっと幸福に満ちている。……何せぼくが一緒なのだから」
そう言って顔を背けた。
◆◆◆
『吾妻先輩へ』
ある日の昼休み、知らないメールアドレスからメールが送られてきた。どうやら撫子からのようだ。きっとよもぎにアドレスを訊いたのだろう。
かなりの長文のようだ。普段はスマホをいじっていると傍にいる亜流々が拗ねるのだが、今はたまたま不在だったので目を通すことにした。
『撫子です。お姉ちゃんと仲良くしていますか? していたらぶっ殺します。ところで、最近お姉ちゃんがたまに吾妻先輩以外のお友達の話をするようになったのですが、何か心境の変化があったのでしょうか? 先輩の話を聞かなくて済むのはありがたいのですが、もしお姉ちゃんの変化の原因が先輩にあるのなら、少しだけ感謝しなくもないです。けれどやっぱりぶっ殺します。
あと、最近お姉ちゃんの書いた小説を読みました。素敵なお話でしたが、とにかく先輩はぶっ殺したいと思います。……まあそれは置いておいて、私が間違っていました。お姉ちゃんが現実から逃げているという発言は撤回します。お姉ちゃんにはもう謝りました。正直なところ、お姉ちゃんの本心には薄々気が付いていたんです。だから私がお姉ちゃんにきつく当たっていたのは、実のところ心配からではなく、嫉妬からでした。他のものを犠牲にしてまで――むしろ犠牲にしてこそ真摯に小説に打ち込めるという考え方は、正しいとは思えないものの尊敬に値します。私はそんなにもひたむきなお姉ちゃんが、きっと羨ましかったんだと思います。きっとお互いが意地になっていたんですよね。けれど、もう大丈夫です。
何にせよ、これからは姉妹仲良くやっていけると思うので、先輩の入り込む隙はないです。聞いたところによると、お姉ちゃんが今書いている小説を読ませてもらえてないそうですね。ざまあみろです。ですが一応お礼は言っておきたいと思います。姉に良くしてくれて、ありがとうございました。これからもよろしくしなくても結構ですが。それでは』
どうやらこのままだと由利は三回殺されるらしい。撫子のシスコンっぷりはあの件以降順調に悪化しているようだ。
よく見ると、メールには続きがあった。さらに下にスクロールすると、こんな文章が目に入った。
『追伸です。吾妻先輩が来るときのそわそわしてるお姉ちゃんは鼻血出るくらい可愛いので、たまになら家に来てもいいですよ。そのときはティッシュをよろしく。箱のね』
殺意が全く隠されていない長文メールの文面からは、照れながらも感謝している撫子の本心が見え隠れしていた。口は悪いが、大好きな姉を取られた嫉妬と見れば可愛いものである。
あとどうやら彼女のキーゼルバッハ部位は由利のメンタル並に脆いらしい。いいことを聞いた。
こんな感じで、由利と撫子は今やよもぎを巡って仲良く(?)喧嘩する仲になっていた。亜流々はそんな由利を見て、『きみ、感情を取り戻してから加速度的に……その、馬鹿になっていないかい?』とコメントしたが、実感は湧かない。争いが同レベル同士でしか発生しないとすると、由利の精神年齢は今や撫子と同等になっていることになるが……流石にそれはないと思いたい。
(それにしても、撫子はよもぎの小説を読ませてもらっているのか……)
由利はといえば、例の小説『姫騎士アルテミシア』は読ませてもらえるが、新しく書いているという小説は全く読ませてもらえていなかった。いったいこの扱いの差は何なのだろう。そして撫子はなぜ小説を読んで由利に殺意を抱いたのだろうか?
「なに見てるの?」
いつの間にか、傍によもぎがいた。由利はメールの画面を閉じてよもぎに向き直る。
「メールだよ」
「メール? 誰から?」
……何故そんなことを訊いてくるのだろうか。「あたし以外の人と仲良くしないで!」ということだろうか。
「ユーリにメールを送ってくる人なんているの?」
どうやら違ったらしい。心底疑問に思っているような問いかけだ。
余談になるが、少し前からよもぎは由利のことを『ユーリ』と呼ぶようになった。これはよもぎが間違えて覚えていた由利の名前『ユリ』をもじった呼び方だが、今は敢えてそう呼んでいるらしい。そのせいであまり話したことのないクラスメートからもそう呼ばれるようになってしまった(おそらくあだ名ではなく本当にそう読むのだと思われている)のだが、まあそれも今はどうでもいいことだ。
「いやいるよそれくらい! ……母さんとか」
言っていて心が痛んだ気がするが、きっと気のせいだろう。何せメールする相手がいないことを気にしてなどいないのだから。確かによもぎも亜流々もメールのやり取りをするようなタイプではないので、メールを使う機会はほとんどない。しかしそれは必要ないというだけの話なので、決して寂しいなどと思ったりはしないのである。
「……ごめんねユーリ。たまにメールしてあげるから元気出して」
本気で相手を気遣っている言葉が、一番心に沁みるのだ。……まるで傷口に塩を塗り込まれるように。素直なのはいいが、よもぎはもう少し『人に強がらせてあげる』ということを覚えるべきではないだろうか。
「別にいいって。だって気にしてないし。メールなんてただの連絡手段だし。それより実際に会って話す方が楽しいし。だいたいよもぎって機械苦手なんだろ」
「うん。でも最近はすこしずつメールする機会もふえてきたし、だいぶ慣れてきたよ」
「あ、そう……」
そういえば、最近は他のクラスメートとも話すようになってきたのだったか。『難しい言葉を知っているし、神話とか雑学にも詳しいから話していて楽しい』と言われているのを聞いたことがある。よもぎの方も、姫でも騎士でもない自然体の自分が周囲に受け入れられているのを嬉しく思っているようで、由利としても喜ばしいことである。
でも今は空気を読んでほしい。『よもぎはメールが苦手』ということにしてくれないと、余計に由利の立つ瀬がないのだから。
しかしめげてはいられない。むしろこれはチャンスと見るべきだろう。
「いや待て。メールよりもさ、小説読ませてくれよ。新しいやつ。どうして読ませてくれないんだ?」
「えっ? ええっ? だ、ダメ! あれは吾妻にだけは読ませないから!」
その言葉に、由利はとてつもないショックを受けた。まさか真正面から頼み込んで拒否されるとは思っていなかったのだ。
以前の由利ならばこうした悲しみも霊装が持って行ってくれていたところなのだが、今はそうもいかないのである。というかむしろこの悲しみで穢霊の一体や二体たやすく屠れそうな勢いなのである。
「ど、どうしてだよ? どうして俺だけ?」
「だってユーリは気付いちゃうかもしれないし……じゃなくて! とにかくダメなの!」
よもぎの態度は頑なだった。これではいくら頼んだところで逆効果だろう。
そのとき、ある女子生徒が一冊のノートを持ってやって来た。確か文芸部に所属しているクラスメートで、確か名前は佐藤だったはずだ。彼女はいつぞやか教室でよもぎと『かっぷりんぐ』とやらに関する熱い議論を繰り広げていた。
なんでもよもぎはとある『かっぷりんぐ』に関して『りば(肝臓のことだろうか?)』はあり得ない派とのことで、佐藤とはそこで意見が割れたようだった。あと佐藤曰く男は『やおい穴』なる器官を下半身に備えているらしいのだが、話を聞く限り由利にそんなものはないので不安に駆られたという余談もある。
やおい穴なる器官に関してはのちによもぎから詳細を聞いたが、全く勘弁してほしい。佐藤の熱弁を聞いていると実はあるんじゃないかという気になってくるが、そんなもの現実の男には付いていない……はずだ。
閑話休題。
そう。驚いたことに、よもぎは一部の友人に自分の作品を読ませるようになったのである。それだけ周囲に心を開いたということなのだろうが、だからこそ自分だけが読ませてもらえないという事実は余計に堪える。
「よもぎちゃん、これ読んだよ! すっごくおもしろかった! 早く続き書いてね!」
「あっ、佐倉さん。ちょっといまは……」
間違いない。今しがたやって来た件の女子生徒が持っているそれは、よもぎが新しく書いている小説だ。そして佐藤ではなく佐倉だったようだ。
「なあさと……佐倉さん。それ、どんな話なのか聞かせてくれないか?」
これを好機と見た由利がすかさず訊ねると、佐倉という女子生徒は嬉々としてあらすじを語り始めた。
「いいよユウリくん! あのね。主人公は聖剣に選ばれたアルテミシアっていう女の子で、姫騎士って呼ばれてるの。超強いからずっと一人で戦ってきたんだけど、二つの聖剣がないと倒せない魔族が出てきて、他の聖剣の持ち主と一緒に戦うことになるのね。んでその人がもう滅茶苦茶カッコいいの! 名前は――」
「そこまで。それ以上話したらもう読ませないよ」
いつの間にか佐倉の背後に回ったよもぎが、その口を手で塞ぐ。普段のどこかぽわーっとした印象からは考えられない挙動の速さだ。そのまま喉笛を掻っ切ればさながら暗殺者の妙技であるが、勿論そんなことはしない。佐倉が残念そうにうなずくと、よもぎは手を放した。どうやら佐倉の口からこれ以上聞くのは諦めた方がよさそうだ。
「というわけだからごめんねユウリくん。……ってあれ? ノートどこだっけ?」
佐倉が辺りを見回した。その手にはさっきまであったはずのノートがない。よく見ると、それは足元に落ちていた。よもぎに口を押さえられたときに驚いて落としたのだろう。
由利が拾い上げようとすると、よもぎが物凄い速さでそれを阻止した。
「……どれだけ読ませたくないんだよ」
「ダメったらダメなの! ユリ――じゃなくてユーリは絶対にっ」
ノートを両手で抱えるよもぎの顔は真っ赤だ。由利は大人しく引き下がることにする。
しかし、落ちたときに表紙が開いていたため、由利は一瞬だけ中身を読むことが出来た。
『姫騎士アルテミシア 疾風迅雷の剣士リ・リウムとの出会い』
どうやらそれはタイトルのようだった。察するに『姫騎士アルテミシア』の続編にあたるのだろう。何故この話に限って由利には読ませてくれないのだろうか。
おそらく、佐倉が口をふさがれる前に口にしようとしていたのは、タイトルにも書かれているリ・リウムという名前なのだろう。この登場人物に何か理由が隠されているのだろうか? そういえば、そんな名前の植物があったような――
由利は記憶を辿ってみたものの、結局思い出せずじまいだった。
了




