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LASTLAST

 白い霧が重く沈む湖畔。

 明け切らぬ朝の中を、男が一人行く。

 静かな、風が立てる仄かな水音のみに浸る世界はどこか人を不安にさせるが、男は歩みを止めることなく、迷いなく進む。

 やがて、小さな古びた桟橋の先へと辿り着いた彼は、そっと膝を突き、湖面を覗き込んだ。

「…… 久し振り」

 凪いだ水面に向かい、この上なく幸せそうに微笑みを浮かべる。

「しばらく忙しくて、なかなか来れなかった。待たせてごめんな」

 男は、そっと水面を撫でるように、指を浸した。

 そのまま、愛しみを込めた声で語りを続ける。

「実はな、俺たちの息子が嫁を貰うことになったよ。驚いただろう? この間まで、ほんの小さな子供だと思ってたのに」

 息子の結婚。

 愛らしい花嫁の話。

 そして、これを機に家督を息子に譲り渡す準備を進めているということ。

「全部終わったら、俺はここの別荘に移り住むから」

 そう報告する彼は、本当に嬉しそうに笑んだ。



 もう何年も前に買い求めた、この湖を臨む小さな別荘。

 それは、友人である王太子の力を借り、隣国であるこの国の王族の許しを得て、ようやく手にしたものだった。


 妻が眠る、湖。

 ここに通い続けるために。



「そうだ。今朝はこれを渡したくて来たんだ」

 早く、君に見せたくて。

 そう言いながら男が胸元から取り出したのは、金色の指輪だった。

 台座に嵌め込まれているのは、透き通った水色の石。

 男の身形にそぐわない、丸みを帯びた小さな石が光るだけの、質素で素朴な品だ。

「君に似合う石を探すのに苦労したんだ」

 何年も選び探した石を、さらに何年もかけて男が手ずから磨き、仕上げた。

 金のリングは、男の元を去った娘が、去り際に残して行った妻の形見。

 同じ意匠で同じ石を嵌め込んだ指輪が、男の左の薬指にもある。


「――― 君に」


 今度は、ずっと手放さぬように。

 差し出した指輪を、男は水面の向こうへ贈った。

 透明な水に溶ける淡い石の色と、沈む金の色。

 深い湖に抱き止められていく誓い。

男は、満ち足りた、幸福そうな目で、それを見守った。




  + + + + + +




 もう、二度と合えない君。




 今日も、明日も、明後日も。

 何度でも、いつまでも、ずっと。




 俺は、君に逢いにいく。

 

 



長い間お付き合いくださいまして、ありがとうございました!

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