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20歳、無職フリーターがダンジョンで迷子になったら、魔物が全員土下座していたらしい  作者: ペンは休み休みもて(ペンもて)


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9/41

全員、土下座




 跳ぶ。


 ミオにはそれが分かった。


 後ろ脚が床をつかんだ。灰色の毛の下で、太い筋肉がぎゅっと縮む。


 コタロウと同じだ。この次は、跳ぶ。


(レン――)


 声が出なかった。


 目もつぶれなかった。カメラを持っているからだ。こんなときまで。




 門番は跳ばなかった。


 跳ぶ形のまま、止まった。


 後ろ脚に溜めた力がどこにも行かない。行き場をなくして、毛の下でぶるぶる震えている。


 黄色い目がレンを見ていた。


 突き出された手刀を。


 その向こうの、レンの顔を。


 かくん、と前脚が折れた。




 ずしん。


 胸が床に落ちた。続けて、あごが落ちた。骨が何本も弾かれて転がっていく。


 門番は止まらなかった。


 頭を床にこすりつける。牙の先が石をひっかいて、ぎぎぎ、と嫌な音がする。


 1回。2回。


 もっと低く。もっと平たく。


 唸り声が変わった。


 くうん。


 ……くうん。


 トラックくらいある体から、子犬みたいな声が出ていた。




 レンは手刀の形のまま固まっていた。


「……は?」


 ミオは何も言えなかった。


 カメラだけがまっすぐそれを撮っていた。




◇




《今の何》


《土下座した!?》


《は?》


《いやいやいや》


《推定難度Bが土下座》


《去年ここで盾割られたパーティいたよな》


《担架出たやつ》


《警棒も抜いてない》


《手刀だぞ》


《切り抜き班はよ》


《もう録ってる》


 同接が2,400から9,800に跳ねた。瞬きしたら4万を超えていた。




 ぱらぱらと、天井から何かが落ちてきた。


 黒い、手のひらくらいのもの。


 コウモリだった。天井の暗がりにずっといたらしい。それが次々に床へ下りてきて、翼を左右いっぱいに広げて、ぺたりと伏せる。


 骨の陰からは灰色の小さいトカゲが何匹も這い出してきた。全部、腹を床につけた。


 門番を先頭に、部屋じゅうが伏せている。


 すとん、と隣で音がした。


 ミオが座っていた。


 正座だった。骨の散らばる床に。両手でカメラを持ったまま。


「いや、お前は座んなくていいだろ」


「……腰、抜けた」


「抜けんな」


《画面下がった》


《ミオちゃんも座った?》


《ミオちゃんまで土下座してる》


《全員土下座》


《画面の中で立ってるの背中の人だけ》


《俺もなんか椅子から降りた》




 レンは門番に向き直った。


 でかい頭がまだ床にめりこもうとしている。


「はぁ? 何拝んでんだよ、気持ち悪いな」


 くうん。


 余計に低くなった。


「低くなれって言ってねぇよ!」


 くうううん。


「だから違うって!」


 ツッコめばツッコむほど平たくなる。なんだこいつ。


「顔上げろ。な? 普通にしてろ」


 でかい頭がほんの少しだけ持ち上がった。


 黄色い目がレンを見た。


 ばん、と音がするくらいの勢いで、また床に戻った。


「見てから戻んな! 傷つくだろ!」


《草》


《顔見て再土下座》


《背中の人の顔どうなってんの》


《背中しか映らないの逆に怖い》




(……いや、待てよ)


 さっきまで、こいつは跳ぼうとしていた。


 あの体で。あの牙で。


 ミオが半泣きで止めるくらいの勢いで。


 それが手刀1本で止まった。


 止まって、謝っている。


 誰に。


(俺に、か?)


 犬も、ウサギも、スライムも。郵便屋を泣かせるやつまで。


 全部、たまたまで片付けてきた。そういう日もあるだろ、くらいに。


 トラックくらいあるやつに謝られる日は、さすがにない。


「……べつに、そういうつもりはないんだけど」


 突き出したままだった右手を、そっと下ろした。




 カメラが小さく揺れた。


 ミオだった。正座したまま、レンを見上げている。


「……レン」


 声が震えていた。


「今の、絶対配信史に残るやつだよ」


「残すな」


「残るの。もう残ってるの」


「配信史ってなんだよ。そんな歴史あんのか」


「あるの! 今できたの!」


「今できたもんに残すな」




◇




 数分たっても、門番は顔を上げなかった。


 コウモリもトカゲも伏せたままだった。部屋の中で動いているのはコメント欄だけだ。


「とりあえず、これもう終わりでいいだろ」


「……」


「帰るぞ。ほら、立て」


 レンはミオの腕をつかんで引っぱり上げた。


 さっきは引っぱられる側だった。


 ミオの足はまだふにゃふにゃしていた。立ったけど、カメラは下ろさない。下ろせないのかもしれない。


「……2万」


「は?」


「日当。払う」


「だから歩いてねぇって」


「歩いたよ」


 ミオが床を指さした。扉からレンが立っているところまで。


「3歩。門番の前」


 レンは自分の足元を見た。


 扉。1歩。2歩。3歩。


 確かに前だった。真ん前だった。


「……3歩で2万はぼったくりだろ」


「いいから受け取って! あと検証手当100円!」


「それ俺が言うやつだろ」


《3歩で2万》


《歩合制なの草》


《時給換算したらやばい》


《むしろ協会が払え》


 ポケットが一度だけ震えた。


『入金がありました 20,100円』


 財布と口座で2万7,060円。そこに2万100円。


 4万7,160円。


 家賃は3万8,000円だから――


(……足りた)


 大家に頭を下げなくていい。


 それは助かる。助かるのだが。


 背中の後ろに、まだ平たくなったままの門番がいる。


 喜ぶタイミングが、よく分からなかった。




 扉の方へ下がる。


 門番の横を通るとき、巨体がごろんと横に転がった。


 4本の脚を宙に浮かせて、灰色の腹を天井に向ける。腹の毛だけ、少し白かった。


(近所の黒い犬と同じじゃねぇか)


 同じなのは格好だけだ。でかさが30倍違う。


「腹しまえ」


 くうん。


 しまわなかった。




◇




 扉を出ても、ミオはまだ配信を切っていなかった。


 スマホの中で、同接は4万7,000のところで止まっている。


《ミオちゃん何か言って》


《放心してる》


《切るな》


《いや切ってあげて》


《切り抜き班もう3本上げてる》


「……えと」


 ミオがカメラを自分に向けた。


「本日は、えと……」


 続きが出てこない。


 口を開けて、閉じて、また開けた。


「……数字、見て……」


 いつもの台詞の、10分の1くらいの声だった。


《見てる》


《見てるよ》


《見てるから休んで》


「……ごめん。ちょっと、締め方わかんない」


 レンは横から手を伸ばした。


「貸せ」


 画面の赤いボタンを押した。


 ぶつっと切れた。


「あっ」


「お前が切らねぇからだろ」


「……ありがと」


「おう」




 帰りの通路では、何にも会わなかった。


 1層への階段を上りきったところで、足が止まった。


 白いのが並んでいる。


 角ウサギが6匹。水色が1つ。


 1列にきっちり並んで、全員、床に伏せていた。


「……お前らまで何してんだ」


 返事はない。当たり前だ。


(昨日、帰れって言ったよな。言ったよな?)


 ミオがスマホを握ったまま、乾いた声で笑った。


「出迎え、されてる」


「されてねぇよ」


「されてるよ。どう見ても」


 レンが1歩出ると、6匹と1つは、そろってもう一段低くなった。


「低くなんな」


 なった。


 隣でミオの膝も、かくんと沈みかけた。


「お前は低くなんな」


「……今のは、つられただけ」


 ミオが膝を伸ばして、スマホの画面をちらっと見た。それから、レンの顔を見た。


「……ねえ。⑤、書いていい?」


「書くな」


「書く」


「聞いた意味ねぇだろ」


(親父の話、盛ってなかったのかもな)


 動物園のライオンが寝たふりをした話。


 正月の酒の席の、いつもの話。


 今まで1回も本気にしたことはない。




 隣でミオがまだスマホを握りしめている。


 画面は真っ暗なのに、震え続けていた。


 ミオが親指で画面を点けた。ロック画面に通知が積み重なっている。


『【悲報】迷宮の門番、土下座』


 再生12万。




 こうして、迷宮の中で一番驚いていたのは、たぶんレン自身だった。


(いや、誰か説明してくれ)


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