秘密でもあるの?
「帰れ」
階段の1段目に片足をのせたまま、レンは後ろを向いた。
白いのが6匹。水色が1つ。
全員、床にぺたりと伏せている。
さっきからずっとこうだ。振り返ると伏せる。前を向くとついてくる。
だるまさんがころんだの鬼をやらされている気分だった。
「ここから先、地上だぞ。お前ら上がったら怒られんだろ」
(誰にかは知らねぇけど)
返事はない。当たり前だ。
先頭のスライムがちょっとだけ前に出た。
ぷるん。
「出るな」
引っこんだ。
後ろでミオが小さく息をのむ音がした。
「……言うこと聞いてる」
「聞いてねぇだろ。引っこんだだけだ」
「それを言うこと聞いてるって言うの!」
レンは頭をかこうとして、ヘルメットに指が当たった。
かけない。結束バンドのせいで脱げもしない。
しょうがないので手首から先だけ振った。
しっし。
ばあちゃんちの縁側で、野良猫を追い払うときのやつだ。
白いのが一斉に回れ右をした。
ぴょこぴょこぴょこ。
6匹そろって通路の奥へ跳ねていく。見事な撤収だった。
スライムだけが残った。
ずる、ずる、と下がっていく。途中で一度止まった。
こっちを見ている気がする。
(だから目どこだよ)
もう一度、しっし。
水色が角を曲がって見えなくなった。
ミオのスマホの中では、コメントがまた速くなっていた。
《帰った》
《しっしで帰るの草》
《飼い主かよ》
《いや飼い主でも角ウサギは言うこと聞かん》
《角ウサギってテイム不可じゃなかった?》
《不可。協会の図鑑に書いてある》
《じゃあ今のなに》
《スライムだけ名残惜しそうで草》
《ミオちゃん解説して》
同接は1,140から1,302に増えていた。
ミオはしばらく画面とにらめっこしてから、カメラを自分に向けた。
「……えー、本日の配信はここまでです!」
《逃げた》
《解説から逃げた》
《ルールその1》
「ありがとうございました! また明日!」
ぶつっと切れた。
◇
協会の受付には、出るときにも記録をつけるらしい。
ミオが紙に何か書いている横で、レンはあごの下の結束バンドを引っぱっていた。
びくともしない。
「なあ。これほんとに外れねぇぞ」
「引っぱったら締まるやつだから、それ」
「先に言え」
「今言った!」
見かねたのか、カウンターの奥から今朝の職員が出てきた。
手に事務用のハサミを持っている。
「失礼しますね」
ぱちん。
ヘルメットが軽くなった。
あごの下がすうっとする。2時間ぶりの自由だ。
「助かりました」
「交換用のあごひもは売店にありますよ。380円です」
「高ぇ」
「……そうですか?」
職員は笑いもせずにハサミをしまって、記録用紙に目を落とした。
同行者の欄。
それからレンの顔。
また用紙。
(なんか書き間違えたか、俺)
「今日は、中で何か変わったことはありませんでしたか」
「ああ、ウサギが――」
「ないです!」
ミオがカウンターに身を乗り出した。
「何もなかったです! 平和でした! スライムが元気でした!」
「……スライムが元気」
「はい!」
職員は少し黙って、ボールペンで何か書いた。
何を書いたのかは見えなかった。
「お疲れさまでした。お気をつけて」
ミオがまたレンの袖を引っぱって、自動ドアの方へ歩き出した。
今朝と同じだ。
(なんで隠すんだよ)
別に隠すようなことは何もしていない。ウサギが道を空けてくれて、スライムが帰っていった。それだけだ。
ただ、ミオの手がやけに冷たかった。
◇
協会の建物の横の自販機。
昨日と同じ場所に立って、レンはスマホを見た。
『入金がありました 15,200円』
財布と口座で1万2,400円。そこに1万5,200円。
2万7,600円。
家賃まであと8日。足りないのは1万400円。
まだ足りない。
でも、昨日よりは足りている。
レンは160円を入れて、スポーツドリンクのボタンを押した。
がこん。
冷たい。
うまい。
水道水にはこの味がない。
「……昨日、我慢してたでしょ」
隣のベンチにミオが座っていた。
いつの間に買ったのか、紙パックのいちごオレを両手で持っている。
「してねぇよ」
「財布3回開けてたじゃん」
「見てんじゃねぇよ」
「見えたの!」
ミオはストローをくわえたまま、しばらく黙っていた。
河川敷で子どもがボールを蹴っている。
「で」
ミオがストローを離した。
「聞きたいことってのは」
「……レンさ」
「おう」
「秘密でもあるの?」
「ない」
「即答!」
「秘密作るほど何もねぇよ。無職だぞ」
「そういうんじゃなくて!」
ミオがスマホを突き出してきた。
メモ帳の画面だ。
タイトルは『背中の人』。
『①昨日 カツアゲの男 レン何もしてない→逃げた』
『②スライム 足上げた瞬間→震えて隅っこ』
『③岩トカゲ 顔上げた瞬間→伏せて逃げた』
『④明日 レンを前に歩かせる』
読み終えて、顔を上げる。
「背中の人ってなんだよ」
「そこ!?」
「本名書けよ」
「なんか違う気がしたの! ていうか④見て、④」
④を見た。
明日、レンを前に歩かせる。
明日というのは今日のことだ。
レンはドリンクをひと口飲んだ。
「……ウサギのとき、お前が先に入ったのって」
「うん」
「わざとか」
「……うん」
「検証ってやつか」
「……うん」
ミオが紙パックをぎゅっと握った。
ストローからいちごオレが少し噴き出した。
「ごめん。言わないでやったのは、ずるかったと思う。でも先に言ったら、レン、変に意識しちゃうかもって――」
「200円で?」
「え?」
「200円で検証させたのか」
「……前歩き手当は、200円」
「検証手当は別だろ」
「それも払うの!?」
「払え」
「……100円」
「乗った」
「安くない!? 自分で言うのもなんだけど!」
「100円は100円だろ」
ミオが口を開けて、閉じた。
それから肩を落とした。
なんか知らないが、ちょっとだけ気が抜けた顔をしている。
「……じゃあ、聞くけど」
「おう」
「昔から、こういうことあった? 動物とかに」
レンは考えた。
考えるほどのことでもない気がしたが、一応考えた。
「犬に吠えられたことはねぇな」
「1回も?」
「1回も。近所に『猛犬注意』って札がかかってる家があって、でかい黒い犬がいたんだけど」
「うん」
「俺が通ると腹見せてた」
「……それ、猛犬じゃなくない?」
「他のやつにはめちゃくちゃ吠えてたぞ。郵便屋とか泣いてた」
「郵便屋さん泣かせる犬が、レンには腹見せてたの」
「おう」
「…………」
「あとカラスにゴミ漁られたこともねぇな。うちの前だけ」
「それはもう町内会に表彰されるやつだよ」
「されてねぇよ」
ミオが額を押さえた。
何をそんなに困っているのか分からない。
この男、郵便屋を泣かせる犬を普通と言い張っている。
「レン、それ普通じゃないからね」
「普通だろ」
「普通じゃない!」
「そうか? 親も似たような感じだったし」
ストローの音が止まった。
レンはドリンクのキャップを閉めた。今度は落とさない。
「……親?」
「親父も犬に吠えられたことねぇって言ってた。動物園でライオンが寝たふりした話、正月になると毎回すんだよ」
「寝たふり」
「目が合ったら、ごろんって。親父いわく」
「……それ、遺伝ってこと?」
「知らね。酒入ると話盛るから」
「お母さんは?」
「さあ」
「さあって」
「それより明日の日当の話しようぜ」
ミオが何か言いかけた。
レンはベンチの背もたれに体を預けて、空になりかけたペットボトルを振っていた。
ミオの口はそのまま閉じた。
閉じて、メモ帳の画面に何か打ち込んで、すぐスマホを伏せた。
(何書いたんだ、今)
聞かなかった。どうせ『背中の人』の5行目だ。
「……ねえ。協会には、言わないでほしいんだけど」
「何を」
「全部。今日のこととか、昨日のこととか」
「なんで」
ミオは少し黙った。
「……あたしのチャンネルだから」
小さい声だった。
言ってから、本人が一番いやそうな顔をしていた。
レンは横目でそれを見て、ペットボトルを振るのをやめた。
「べつに、言うつもりはないけど。聞かれたら答えるぞ」
「……聞かれたら、そのときは、そのとき」
「適当だな」
「レンに言われたくない!」
ミオがいつもの声に戻った。
レンはそっちの方が聞きやすいと思った。言わなかったけど。
◇
「で、明日」
ミオがベンチから立ち上がった。
いちごオレのパックを潰して、ゴミ箱に放る。外れた。拾いに行って、入れ直す。
「2層、行こう」
「2層」
「日当2万」
「最初からそう言えよ」
「最初は1万5,000だったの! 登録者が増えたから出せるの!」
レンは頭の中で足し算をした。
2万7,600円から、さっきの160円を引いて2万7,440円。
そこに2万。
家賃は3万8,000円。
(……足りる)
足りる。
大家に頭を下げなくていい。
「何すんだ、2層で」
ミオがスマホを見た。
さっきの伏せた画面を、もう一度表に返す。
「2層の奥にね、3層に下りる階段があるの。その手前の大部屋に、ずっと居座ってるやつがいて」
「へー」
「探索者の間じゃ『門番』って呼ばれてる。でかくて、硬くて、絶対どかない。だからみんな遠回りの通路を使うの」
「遠回りすりゃいいだろ」
「うん。だからさ」
ミオがこっちを向いた。
スライムを見るときの顔だった。
「その門番の前、歩いてみてくれない?」
「立ってるだけで2万か」
「……歩くだけ」
「乗った」
「早っ」
「家賃払えんだよ、それで」
ミオが笑いかけて、途中でやめた。
「明日、10時に協会ね。カツ丼は出ないから」
「じゃあ行かね」
「出す! 並で!」
「大盛り」
「……100円ね!」
言い終わっても、ミオはまだ帰らなかった。
「……ヤバかったら、逃げてね。ルールその1」
「逃げ足には自信あるぞ」
「それ、昨日も聞いた」
「おう」
「レンさ」
「ん」
「逃げたこと、ある?」
レンは少し考えた。
カツアゲの男は勝手に帰った。スライムは隅っこに行った。トカゲは後ろ向きに下がった。ウサギは道を空けた。
犬は腹を見せた。
カラスは来なかった。
(……ねぇな)
「あるだろ。たぶん」
「たぶんって」
ミオはそれ以上聞かなかった。
スマホをポケットにしまって、もう一度だけレンの顔を見た。
◇
翌日。
カツ丼は大盛りだった。ミオはまたかけうどんだった。
あごひもは売店で買った。380円。高ぇ。
2層は1層より少しひんやりしていた。
壁の光が青じゃなくて、うっすら緑がかっている。
「はい、3日目です! 今日は2層まで来てます!」
始めた瞬間から、同接は1,000を超えていた。
《門番行くってマジ?》
《やめとけ》
《中堅パーティでも迂回するやつだぞ》
《ルールその1どこ行った》
《背中の人の背中が今日も平熱》
ミオは返事をしなかった。
カメラをレンの背中に向けたまま、黙って歩いている。
昨日まであれだけしゃべっていたのに。
(日当2万だと口数減んのか)
通路の突き当たりに、扉があった。
石でできた両開きの扉だ。高さは2階建ての家くらいある。
片側が半分だけ開いていた。
隙間の奥は暗い。
その暗いところから、音がする。
すう。
はあ。
でかい息の音だった。
ミオが止まった。
「……ここ」
「開いてんじゃん」
レンは扉に手をかけた。
ひんやりしている。
その袖を、ミオがつかんだ。
「待って」
手が冷たい。昨日と同じだ。
隙間の向こうで、ずっと続いていた息の音が止まった。




