気のせいにしては
0.25倍速。
画面の中で、レンがしゃがむ。
キャップを拾う。
顔を上げる。
岩トカゲの口が閉じる。
ミオは一時停止を押した。
これで18回目だ。
(……やっぱり、ここなんだよね)
ベッドの上で膝を抱え直す。
ノートパソコンの熱が太ももにじわじわ来る。時計は23時を回っていた。
雨宮ミオ。迷宮配信者、3年目。
登録者は今日の昼まで2,140人だった。
今は2,488人。
半日で348人増えた。この1年で増えた分より多い。
(いや、それはいい。それはめちゃくちゃいいんだけど)
気になっているのはそこじゃない。
◇
スマホのメモ帳を開いた。
新規作成。タイトルは『背中の人』。
我ながらひどい。でも本名で書くのは、なんか違う気がした。
『①昨日 カツアゲの男 レン何もしてない→逃げた』
『②スライム 足上げた瞬間→震えて隅っこ』
『③岩トカゲ 顔上げた瞬間→伏せて逃げた』
打ち終えて、眺める。
見事に何もしていない。
①なんて本人は撃退したつもりすらない。②は足を上げただけ。③に至ってはキャップだ。
138円の水の、キャップ。
(100円って言ったら138円って返してきたし。38円のために命張る人、初めて見たよ)
アーカイブのコメント欄では、まだヘルメットの話が続いていた。
《ヘルメット最強説》
《工事現場のおじさんには勝てん》
《協会はヘルメットを支給しろ》
(いや昨日、被ってなかったし)
協会の公開図鑑を開いた。
探索者なら誰でも見られるやつだ。岩トカゲの項目は、すぐ出てきた。
『岩トカゲ
分類:中型・爬虫類系
出現階層:第3階層以深
推定難度:C(熟練者3名以上での対処を推奨)
備考:縄張り意識が強く、威嚇を受けても後退しない』
後退しない。
ミオは図鑑と、一時停止した画面を見比べた。
画面の中の岩トカゲは、思いっきり後退している。
後ろ向きで。
(しないって書いてあるじゃん……)
しかも、ミオは本物を見たことがある。
去年、ベテランのパーティの合同配信に混ぜてもらって、3層まで降りたときだ。
盾持ちが3人がかりで囲んで、20分かかった。岩トカゲは最後まで1歩も下がらなかった。
ミオはその間、岩の陰でずっと悲鳴を上げていた。
あのときの同接は140人。今日の4分の1くらいだ。
夕方、協会の窓口でも同じことを言われた。
受付の人は「岩トカゲ」と聞いた瞬間に顔色を変えて、奥から職員を呼んできた。
「1層で、ですか」
職員の眉がぎゅっと寄った。
「ここ10年で、1層に3層の個体が上がってきた記録は2件しかないんですよ」
「2件……」
「明日の午前中に、職員で確認に入ります。午後は通常どおり開放の予定ですけど」
職員はメモを取りながら、顔だけ上げた。
「それで、どうやって離脱されたんですか?」
「えっと……向こうが勝手に帰りました」
嘘ではない。
全部でもないけど。
「同行者の方は、ご無事で?」
「はい。元気です。水飲んでました」
「……それは何より」
レンの名前は出さなかった。同行者届には書いてあるから、調べればすぐ分かる。
ただ、聞かれなかった。
聞かれなかったから、言わなかった。
(……いや、言うでしょ。普通は)
で、今。23時半。
ミオはベッドの上で、チャンネルの管理画面を開いた。
登録者のグラフ。
この1年、ほとんど横ばい。右端だけ、今日の分がぴょこんと跳ねている。
同じ時期に始めた子は、春に事務所に入った。
後輩の子は先月、登録者10万人を超えた。
ミオだけずっと同じ高さにいる。
(配信者には賞味期限がある、って)
自分で言ったくせに。
この跳ねた線を、協会の調査とかで持っていかれたら。
……それはちょっと、やだな。
ずるいのは分かっている。
分かっているから、グラフの画面はすぐに閉じた。
◇
巻き戻す。
今度はコマ送りにした。
レンが顔を上げる。
目が合う。
岩トカゲの口が閉じる。
首が下がる。
あごがつく。
腹がつく。
尻尾が体の下へ巻き込まれていく。
――見たことがある。
この順番。
実家の柴犬だ。コタロウ。ソファで粗相して、父に見つかったときのやつ。
あごを床にべたっとつけて、尻尾を腹の下に隠して、目だけそらして後ずさる。
あれは逃げてるんじゃない。
(……謝ってる?)
声に出しかけて、口を押さえた。
夜中に1人で、トカゲが謝ってるとか言い出したら終わりだ。
この女、深夜0時前にトカゲの謝罪を本気で検討している。
でも、もう一度②を見る。
スライムは足を上げた瞬間に震えて、隅っこで縮こまった。
顔はない。尻尾もない。
それでも、あの縮み方。
コタロウが父の足音を聞いたときと、ほとんど同じだった。
(3回だよ? 3回。たまたまで3回はないでしょ)
……ないよね?
ミオはもう一度、巻き戻しを押した。
◇
ピロン、と通知が鳴った。
『【切り抜き】岩トカゲ、キャップを拾われて帰る』
知らないアカウントだった。投稿から2時間で、再生数は1,900。
サムネイルは黄色いヘルメットの背中だ。
ミオは迷わず開いた。
コメント欄が本編より伸びていた。
《何回見ても意味わからん》
《岩トカゲってC難度だろ 1層にいていいやつじゃない》
《トカゲ土下座してて草》
《土下座ではないだろ》
《いやこれ土下座だろ》
《あご床についてるもんな》
《ヘルメット説まだ生きてる?》
《やらせ乙》
《やらせで岩トカゲ用意できるなら逆にすごい》
《背中の人の顔はよ》
「……土下座」
つぶやいてから、画面のトカゲを見直す。
あごが床。腹も床。目は合わせない。
うん。
どう見ても、土下座だった。
◇
気づいたら0時を過ぎていた。
ミオはLINEを開いた。
レンとのトークは、昨日交換したときのスタンプ1個で止まっている。
まずは送金アプリで1万600円を送った。
『送ったよ! 日当1万と危険手当600』
既読は10秒でついた。
『着いた』
『助かる』
それだけ。
お礼のスタンプもない。まあ、レンらしい。
そのまま続けて打った。
『で、明日の件だけど』
『日当1万2,000でどう?』
今度の既読は早かった。
『2万』
『むり!!!』
『じゃあ行かね』
(そこは即答なんだ)
こっちの足元を見てるわけじゃない。たぶん、本当に行かなくてもいいと思っている。
それが一番困る。
ミオは口座アプリを開いて、すぐ閉じた。
今日の投げ銭はトカゲ代とキャップ代で1,720円。
さっき1万600円を払った。
計算するまでもなく赤字だった。
『1万5,000』
『1万8,000』
『1万5,000と、お昼ごはん』
既読がついて、返事が止まった。
1分。
2分。
(え、ダメ? お昼で釣れると思ったんだけど)
『昼飯ってカロリーバーか』
『ちゃんとしたやつ!!』
『カツ丼』
『……いいよ』
『乗った』
ミオはスマホを顔の上に落としかけた。
カツ丼でいいんだ。
いや、助かる。ほんとに。
少し迷ってから、もう1通だけ打った。
『ねえ。昨日のカツアゲの人も、スライムも、トカゲも』
『あんた、なんかした?』
送信してから、消したくなった。
既読がつく。
返事は10秒で来た。
『べつに、そういうつもりはないんだけど』
(打つんだ、それ)
ミオは天井を見て、笑ってしまった。
知らないんだ。本当に。
本人が1ミリも分かってない。
それならそれで、確かめる方法はある。
(……カツ丼って、経費で落ちるのかな)
メモ帳に戻って、4行目を足した。
『④明日 レンを前に歩かせる』
それから配信タイトルの下書きを打つ。
『【検証】背中の人を前に歩かせてみた』
消した。
露骨すぎる。
『【2日目】背中の人と1層リベンジ』
これでいい。
保存したところで、スマホが震えた。
『あと』
『ヘルメットのあごひも、ずれる』
「……そこ?」




