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20歳、無職フリーターがダンジョンで迷子になったら、魔物が全員土下座していたらしい  作者: ペンは休み休みもて(ペンもて)


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現地でも同じ




 朝5時半。空はようやく白み始めたばかりで、前線基地のテントの上に冷たい空気が張りついていた。レンは借り物の黄色いヘルメットを小脇に抱え、眠そうな顔で入口前の集合場所に立っていた。隣のミオはすでに小型カメラを手に持ち、指先を真っ赤にしながら設定をいじっている。


「さむ。なんでこんな朝っぱらから山登りみたいな空気なんだよ」


「山だからだよ。富士山のふもとだもん」


「そういうこと言ってんじゃねえよ」


 レンがあくびをかみ殺したところで、足音が近づいてきた。大男だ。長物を肩に担ぎ、無言のままレンたちの前を横切る。後ろに4人の班員が続いている。誰も口を開かない。装備を整えた背中が並ぶ様は、朝の空気よりよほど重い。


 ミオが小さく息を吸ってカメラを構えた。赤いランプが点く。班員の1人がちらりと大男の横顔をうかがった。


「撮るのは勝手だ。俺の顔は映すな」


 大男は前を向いたまま、それだけ言った。班員は黙って頷き、全員がレンたちを囲むように半円を作る。


「え、映していいんだ。やった」


 ミオが小声でガッツポーズを作り、レンの袖を引っ張った。


「レン、今どんな気持ち? 初の大迷宮だよ?」


「眠い」


「そうじゃなくて! 意気込み的な!」


「……腹減った」


「朝ごはん食べたばっかりでしょ!?」


 ミオが声を張り上げる横で班員の1人が小さく噴き出した。大男が振り返り、鋭い目を向ける。班員は慌てて口を引き結び、前を向き直った。


 6時ちょうど。大男が「行くぞ」とだけ言い、先頭で山の斜面へ向かって歩き出す。巨大な裂け目が朝の光を吸い込むように黒く開いていた。一歩踏み込むごとに、空気がひんやりと肌にまとわりつく。


 裂け目の奥は岩肌がむき出しの下り坂になっていて、足場は濡れて滑りやすかった。レンはヘルメットをかぶり、使ったことのない警棒を腰にぶら下げたまま慎重に下りていく。ミオがその後ろで、カメラを岩壁へ向けながらはしゃいだ声を上げる。


「見てこれ、壁が光ってる。苔かな? それとも迷宮のエネルギー的なやつ?」


「知らねえよ。それより足元見ろ」


「大丈夫だって、あたしこう見えて3年目だし」


「3年目がカレーをテーブルに落とすのか」


「あれは不可抗力! あの場の空気が悪い!」


 言い合いながら坂を下りきると、視界がぱっと開けた。第1階層。天井は高く、壁のあちこちが淡く発光し石造りの回廊が奥へ奥へと続いている。空気は冷たく澄んでいて、足音がやけに遠くまで響いた。


 大男が片手を上げ、班がぴたりと止まる。


 回廊の空気がほんの少しだけ重くなった。岩壁の向こうから、カサカサと乾いた足音が幾重にも重なって近づいてくる。


「来るぞ」


 大男が低く言い長物を両手で構え直した。班員たちもそれぞれの得物を手に、無言で半円の陣形を取る。ミオがレンの背中にぴたりと寄り、カメラを前方へ向けたまま息をひそめた。


 角の生えた小型のモンスターが、回廊の奥からぞろぞろと姿を現した。灰色の肌にぎょろりとした目。数は10を超えている。先頭に立つ大男の姿を認めると、群れはぴたりと足を止め牙をむいて低く唸り始めた。


「班長、囲まれます」


「わかってる。数で押してくるタイプだ。俺が前を開く、左右は任せた」


 短い指示が飛び班員たちが呼吸を揃える。ミオが「うわ、群れだ」と声をひそめレンの袖をぎゅっと握った。レンは眠そうな顔のまま、腰の警棒をちらりと見下ろした。まだ触る気はないらしい。


 そのとき群れの先頭にいた1匹がレンの姿を視界に捉えた。途端に、唸り声がぴたりと止む。耳を伏せ、尾を下げ後ずさる。隣の個体も、その奥の個体も連鎖するように左右へと体を寄せた。


「……あ?」


 班員の1人が、素っ頓狂な声を漏らす。


 モンスターの群れはまるで水が石を避けるように、回廊の真ん中をすっぽりと空けた。レンの周りだけ、ぽっかりと通路ができている。牙をむいていた顔はすべて伏せられ、視線すら合わせようとしない。


「なんだ、今の」


「道、空けたぞ。あいつを避けてやがる」


「うそだろ。あの数が、1匹残らずか」


 班員たちがざわつく。陣形がわずかに崩れ、誰かがレンを振り返った。黄色いヘルメットの下で、レンは相変わらず眠そうな顔をしている。


「進めるんじゃねえの」


 レンの声は、回廊に思ったよりはっきりと響いた。モンスターたちは壁に張りついたまま、1匹も動こうとしない。ミオがカメラを左右へ振りながら「え、待って待って今の絶対バズる」と小声で連呼する。


「たまたまだろう」


 大男の声が低く落ちた。長物は下ろさない。構えたまま、空いた通路の先を睨んでいる。


「腹が膨れてただけだ。相手にしなくていい」


 班員たちが口を閉じた。質問を飲み込んだまま、得物を握り直して陣形を戻していく。さすがベテランだ、とレンはぼんやり思った。動揺を消すのが早い。


「えー、たまたまって。今の絶対たまたまじゃないでしょ」


 ミオがレンの横で小声のまま身をよじる。カメラは回廊の奥へ向けたままだ。


「見た? 壁に張りついてたよ。あんなの初めて」


「べつに何もしてねえけど」


 レンは肩をすくめた。本当に何もしていない。立ってただけだ。それで道が空くなら、俺はもう少し楽をしてもいいんじゃないかとすら思う。


 大男が振り返らずに言う。


「行くぞ。最後尾、遅れるな」


 班員たちが足並みを揃えて歩き出す。レンはあくびをひとつかみ殺し、のろのろとその後ろについた。回廊の奥へ、一行の足音が重なって消えていく。


◇


 広間は回廊よりずっと天井が高く、床一面に細かな石畳が敷かれていた。壁の発光が弱く、奥が暗い。空気がひやりと重い。


 その奥から、のそりと影が動いた。人の背丈の倍ほどで、トラックよりは小さい。四つ足だが背中の皮が岩のように盛り上がり、肩のあたりに短い棘が並んでいる。目は2つ、黄色く光って一行をじっと見据えていた。


 大男が片手を横に払う。「下がれ」


 班員たちがすばやく散る。ミオもレンの袖を引いて入口の岩陰へ下がった。大男は長物を肩から下ろすと、両手で握り直して一歩また一歩と前へ出る。


「こいつは俺がやる」


 低い声だった。広間に通る宣言に近い響きがある。回廊で見せられたものの分を取り返すつもりらしい、とレンはぼんやり思った。


 レンは広間の入口の岩に腰かけて、ペットボトルのキャップをひねった。ごく、と一口。


 大男が間合いを詰める。長物の先が低く地面をなぞり、石畳をこすって小さく鳴った。モンスターは逃げない。棘を逆立て、前足を踏ん張って唸りを深くする。


 大男が右足を踏み出し長物を横薙ぎに振り抜こうとした、まさにその瞬間だった。


 モンスターの黄色い目が、くるりと動いた。標的は目の前の大男ではない。広間の入口、岩に腰かけてペットボトルを傾けるレンの姿を、その目はとらえていた。


 棘がしぼんだ。


 岩のように盛り上がっていた背中の皮が、しゅんと縮こまる。唸り声が喉の奥で途切れ、前足が二歩三歩と後退する。ずしん、ずしんと巨体が石畳を踏む音が広間に響いた。


「っ」


 大男の長物が空を切った。ぶぉん、という重い風切り音だけが虚しく広間に残る。狙っていた獲物はもういない。モンスターは尻をつくように後ずさりしながら、広間の奥の暗がりへと逃げ込んでいく。黄色い目が暗がりの中で一度だけ瞬いて、それきり消えた。


「おい、待て!」


 班員の1人が声を上げる。だがモンスターは振り返りもしない。逃げ足は速く、あっという間に闇の奥へ吸い込まれてしまった。


 広間に、しんとした静寂が落ちる。


 レンはペットボトルを口から離しただけだった。ごく、と飲み込んでそれから「あれ、逃げたぞ」と呑気に呟く。ミオが岩陰から身を乗り出して、カメラを暗がりへ向けたまま「え、待って待って今の何? あたしのせいじゃないよね?」と早口でまくし立てた。


 大男は長物を握ったまま暗がりの一点を睨みつけていた。振り抜いた姿勢のまま、筋肉がこわばって動かない。長物の先が、かたかたと小さく震えていた。悔しさか、それとも別の何かか。


 大男が、ゆっくりと振り返った。


 長物の先を石畳に突きその重い一撃で小さく石を跳ね上げた。肩の上下はまだ荒い。目の奥には、回廊で道を空けられたときの不機嫌がそのまま煮詰まったような色が浮かんでいる。


「……お前、今なにをした」


 地を這う低い声だった。問い詰めるというより、答えを聞く前に決めつけている響きがあった。班員たちの視線が、一斉にレンへ流れる。得物を握ったままの手が、どれも微動だにしない。ミオも岩陰から身を半分出したまま、レンに向けたカメラの赤いランプを点けたまま固まっている。


「なにって」


 言いかけて、口をつぐんだ。広間の壁の発光が弱く揺れて、大男の長物の影が石畳に長く伸びた。


 レンはペットボトルを膝に置いたまま、本当に不思議そうな顔で大男を見上げた。黄色いヘルメットの下の寝癖が、壁の発光に照らされてふわふわと揺れている。


「いや、俺関係なくね?」


 大男のこめかみがぴくりと動いた。長物を握る指が白くなる。広間の空気が一瞬で張り詰め、班員たちは息を止めた。ミオは岩陰でカメラを回したまま、両手で口を押さえて声を殺している。赤いランプだけが規則正しく瞬いていた。


「……今の状況で、よくそんな口がきけるな」


 大男の声は地の底から絞り出すように低く、それでいて震えていた。怒りか、屈辱か。あるいはその両方か。


「いや、だって俺、座って水飲んでただけだし」


 レンは首をかしげた。本当に心当たりがない顔だった。立ってもいない。武器も抜いていない。水を飲んで、モンスターが逃げた。ただそれだけの話だ。


「お前……!」


 大男が一歩踏み出した。ずしん、と石畳が鳴る。班員の1人が「班長」と小さく声をかけたが、大男は止まらない。レンの目の前まで来ると、長物の柄を握り直し真上から睨みつけた。


「次は、邪魔するな」


 吐き捨てるように言って大男は背を向けた。長物を肩に担ぎ直すと、広間の奥へ向かって歩き出す。班員たちが慌ててその後を追う。誰もレンを見ようとしない。ただ、1人だけが振り返り困ったような顔で小さく頭を下げた。


 レンは膝のペットボトルのキャップを閉めた。ミオが岩陰から這い出るように近づいてきて、小声でささやく。


「ねえ、今の、やばくない? あの人絶対レンのこと殺す気だったよ」


「殺す気って、水飲んでただけだぞ」


「それが余計にムカつくんだって!」


 ミオはカメラを抱えたまま大男の背中をちらりと見た。その背中はすでに広間の奥の暗がりに半分溶けている。レンは小さくあくびをした。


 広間の奥、壁の発光が届かないほど暗い場所に、その階段はあった。


 大男が先に気づいて足を止めた。長物を肩に担いだまま、顎をわずかに上げて奥を見やる。班員たちも続いて立ち止まり、誰かが懐中電灯を向けた。白い光の輪の中に、下へと続く石の階段が浮かび上がる。幅は3人が並べるほど。段は低く、奥へ行くほど闇に沈んでいた。


 そして、その階段の途中から下の壁が白かった。


「霜……?」


 班員の1人が呟く。懐中電灯の光が壁をなぞるたび、白い結晶がざらりと照り返した。階段の上、こちら側の壁は灰色のままなのに、途中から下だけがまるで冷凍庫の内側のように白く覆われている。


 風が吹き上げてきた。真冬のそれだった。第1階層の空気はひんやりと澄んでいた程度だ。それが、階段の下からは凍えるような冷気が流れ出している。


「おい、待て。こんなの聞いてないぞ」


 班員の声が少し上ずった。大男は黙って階段の手前まで歩み寄り、片膝をつくようにして下を覗き込んだ。長物の先が霜の縁に触れ、かち、と硬い音を立てる。


 そのときだった。大男の腰の無線が、ざりざりと音を立てて鳴った。


『こちら先発の第3班。第2階層、気温が急に下がった。モンスターの動きも……変わった。繰り返す、撤退する。撤退――』


 途切れ途切れの声は、途中でぶつりと切れた。ざりざりという雑音だけが残る。


 大男の顔色が変わった。長物を握る手に、ぐっと力がこもる。


 レンは階段の手前まで歩いていき、白い息を吐いた。


(なんか急に寒くね?)

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