全国区の舞台へ
新幹線のグリーン車はレンが思っていたよりずっと静かだった。座席がふかふかで、肘掛けが広くて足元がやけに遠い。ミオは窓際に座って、出発の瞬間からずっとスマホを横向きに構えている。
「同行者1名まで可、って書いてあったからついてきた」とミオはあっさり言った。それ以上の説明はなかった。レンも特に聞かなかった。聞いたところで「だって面白そうじゃん」以外の答えが返ってこないのは目に見えていた。
レンはポケットから協会から届いた封筒を出した。切符の半券と、宿の手配書と明細が1枚にまとめて入っている。新幹線のグリーン料金、宿泊費、現地での交通費――全部協会持ちと書いてある。レンは指で明細をなぞって、一番下の合計欄を見た。
「……は?」
声が漏れた。ミオがスマホから顔を上げる。
「どしたの」
「いや、これ」
レンは明細をミオのほうに少し傾けた。
「新幹線と宿だけで、4万2,000円になってる」
「え、安くない? グリーン車だよ?」
「お前から貰ってる日当、1回4万だろ。これだけで1日分の日当超えてんな」
レンは口元がゆるむのを止められなかった。ミオがその顔を見て、スマホを置いて身を乗り出してくる。
「ちょっと、今の顔。今の顔なに? あんた今、すごいニヤついてたでしょ」
「ニヤついてねえよ」
「してた! してたしてた! レンが金の話で笑うの、あたし初めて見たんだけど!」
「うるせえ、静かにしろ。グリーン車だぞ」
「グリーン車だからってあんたの顔は静かにならないでしょ!」
(こいつ、本当に声がデカい)
レンは明細を封筒に戻しながら、窓の外を見た。流れていく景色はもうほとんど田んぼと山だ。新幹線はまだ目的地の手前で、迷宮の入口は遠い。
(まあ、悪くねえな)
レンは背もたれに体を預けて、目を閉じた。グリーン車の座席は、思っていたよりずっとよく寝られそうだった。
肩を揺すられて、レンは目を開けた。目の前にミオの顔がある。近い。
「レン、起きて。ねえ起きてってば」
「……今、いいとこだったんだよ」
「いいとこって何。あんた寝てただけでしょ。ねえ聞いて、今計測の人からLINE来たの」
ミオはスマホの画面をレンの鼻先に突きつけてきた。文字がにじんで読めない。
「全国から来てるんだって。探索者も協会の職員も。あちこちの支部から人が集まってて、もう入口の前に前線基地みたいなのが建ってるらしいの」
「へえ」
「へえじゃないの。前線基地だよ? あたしそういうの、動画でしか見たことないんだけど」
「そりゃよかったな」
「あんたの調査なんだけど!」
新幹線が静かにホームへ滑り込む。
「着いたよ、レン。ほら、降りるよ」
ミオが肩を小突く。レンは寝癖の頭をそのままに立ち上がった。足元の荷物を引っつかみ、のろのろと改札へ向かう。
改札の外には、黒いスーツの男がひとり立っていた。手に「迷宮協会」と書かれた白いボードを持ち、背筋を伸ばしてこちらを見ている。
「お待ちしておりました。車を用意してあります」
名乗りもせずボードを胸の前でぴたりと畳むと、さっさと歩き出す。レンはその後ろを、ミオはその横を小走りで追った。
駐車場に止まっていたのは白いマイクロバスだった。車体の側面に協会のロゴが薄く入っている。乗り込むと、座席は固く冷房が効きすぎていた。
「寒っ」
レンが呟くと、ミオがすかさず「グリーン車との差がすごい」と小声で返して笑う。
バスが走り出す。駅前の建物がすぐに減り、田んぼと畑の間を抜けていく。
しばらく走ると道路の雰囲気が変わった。普通の乗用車が減り、白い車体に青いラインの入った協会の車が増えてくる。大型のトラックも、前を走っている。荷台には機材がぎっしり積まれているのが見えた。
「……あれ、全部協会の?」
ミオが窓に手をついたまま、声をひそめる。
「だと思う」
「やばくない? まだ入口にも着いてないのに、この台数」
道路の先には白いテントの屋根がいくつも並び始めている。まだ遠い。けれど、空気が少しずつ張り詰めていくのが分かった。
レンは寝癖を指でつまんで、窓の外を眺めた。
(やっぱ来るんじゃなかったかな)
◇
バスが止まると外の空気が一気に騒がしくなった。扉が開く前から、人の声と無線の混線した音が流れ込んでくる。
レンが先に降りてミオがその後ろからぴょんと飛び降りた。地面は舗装されておらず、踏むと小石がじゃりと鳴った。
目の前に、白いテントがずらりと並んでいる。テントの間を、迷宮用の装備を着込んだ探索者たちがせわしなく行き交い、首から下げたカードをかざして機材の前を通り過ぎていく。無線の声があちこちで途切れ、どこかで金属の箱が派手な音を立てて落ちた。
「ねえ見た!? 見た見た!? これぜんぶ前線基地だよ!」
ミオがレンの袖を引っ張り、もう片方の手で小型カメラを構えている。声が裏返っている。
「白いテント何個あると思ってんのこれ! 奥まで続いてるんだけど! 人もやばくない!? 全国から来てるって、ほんとだった!」
ミオはカメラを右へ左へ振りぴょんぴょん跳ねながら周囲を撮り始めた。通行人の肩にぶつかりそうになって、小さく謝ってまた跳ねる。
レンは黙って近くのテントに積まれた銀色の機材へ目をやった。見たことのない機械が、日差しを反射してぎらぎら光っている。
(これ、今日のやつか)
風が吹いて、テントの屋根がばたばたと音を立てた。
「なんか、学園祭みたいだな」
「はあ!? 学園祭!? あんた今の見てそれ!? 規模感おかしいでしょ! テント何百張あると思ってんの!?」
ミオが口をあんぐり開けて両手でカメラを抱えたままレンの正面に回り込む。声がひっくり返って、近くを通りかかった探索者がぎょっとした顔で振り返った。装備を着込んだ大男で、肩に担いだ長物が危なっかしく揺れている。レンと目が合うと、男は無言のまま眉をひそめ何かを確かめるようにレンの寝癖と顔を見比べてから足早に去っていった。
「見た? 今の人、あんたのこと見てたよ」
「そりゃお前が騒ぐからだろ」
「あたしのせいにするの!?」
ミオは声を潜めるでもなく続け、周囲の視線をさらに集める。白いテントの影から、通信機を耳に当てたスタッフがちらりとこちらを見て、すぐに視線を戻した。
「あれ、雨宮ミオだよな。登録者50万いったって」
「ってことは、隣が……種別S?」
「寝癖じゃん。あれ絶対違うだろ。替え玉だろ」
「おい、声がでかいって」
「聞こえてんぞ」
レンは振り返らず、そう言った。平熱の声だった。
探索者たちが一斉に口を閉じる。気まずさをごまかすように装備の留め具をいじり、足元の小石を蹴る者もいた。
クリップボードを抱えた男がテントの間を縫うように小走りで近づいてきた。白いワイシャツの袖をまくり、首には青いストラップのカードを下げている。
「十文字さんですね? お待ちしておりました。こちら、特別立会人用の通行証です。首から下げて、迷宮内では常時提示してください。なくすと再発行に2時間かかりますので」
男は息を切らしながら、レンの首にカードをひっかける。レンはされるがままに突っ立っていた。カードは思ったより軽い。
「現在この前線基地には、全国の支部から探索者と職員を合わせて数百人規模が集まっています。テントの列はこの先、迷宮の入口手前まで1キロ以上続いています。あちらの受付で手続きを済ませたら、宿泊先の案内を――」
「へえ」
レンは男の説明を途中で遮るでもなく、ぼんやりとテントの列を眺めたまま言った。
「で、その、飯は出んの?」
男の早口がぴたりと止まった。クリップボードを胸に抱えたまま、レンの顔をまじまじと見返す。
「……食事は、各休憩所で配給がありますが」
「おお」
レンの声に、ほんの少しだけ張りが出る。ミオが横から「あんた、それ聞く?」と呆れた顔でレンの袖を引っ張った。
「あと、そちらの方は撮影は指定の場所だけです。前線基地の撮影可能エリアは限られています。間違っても無断で機材を回さないでください」
男はミオの小型カメラを指さし、早口で一気に言い切った。ミオは「はーい」と片手を上げて、カメラを胸の前でぱちんと閉じる。
「分かってますって。あたし、そういうとこで失敗するタイプじゃないんで」
(お前、さっきまで基地の全景撮りまくってただろ)
レンは口には出さず、首から下がったカードを指でつまんだ。プラスチックの端が少し欠けている。使い回しかもしれない。
「で、報酬はいつ決まんだよ」
男がクリップボードの紙をめくる手を止めた。
「報酬につきましては、本調査の終了後、評価と合わせて提示されます。額はまだ」
「まだ、ねえ」
レンは小さくため息をついた。数百人規模の基地で、テントは1キロ続いて通行証まで首から下げている。なのに財布の中身は相変わらず、新幹線に乗る前と1円も変わっていない。
(まあ、飯が出るだけマシか)
男はもう一度「では、受付へどうぞ」と言い足早に次の来訪者へ向かっていった。
レンはテントの列のほうへ歩き出した。
テントの列を縫うように歩いて、切れ目まで来たところで視界が開けた。
「わ」
ミオの足がぴたりと止まった。レンも止まった。止まらずにはいられなかった。
遠く、山の斜面に、口があった。巨大な裂け目だ。岩肌が左右に裂けて、中は薄暗く奥へ行くほど闇が濃くなっている。人がひとりで立ったら米粒みたいに見えるだろう大きさの穴が、ぽっかりと空いていた。
「あれが富士裾野の入口……」
ミオの声が、さっきまでとは別人みたいに小さかった。
その手前の平地に、バスが並んでいた。白い協会のバス、青いラインの車両、大型のトラック、よく分からない装甲のついた車。何十台という列が、まるで駐車場を埋め尽くすようにずらりと並んでいる。
「写真だと、バス3台だったよね」
ミオが呟くように言った。カメラを構えるのも忘れて、ぶら下げたままだ。
「今、何台並んでんだよ」
レンはその列を端から端まで数えようとして、途中でやめた。数えるのが馬鹿らしくなった。
現地担当の職員がテントの間を縫って小走りに戻ってきた。クリップボードを胸に抱えたまま、息を切らせてレンの前に立ち止まる。
「すみません、言い忘れていました。この後すぐ、奥の大型テントで合同ブリーフィングがあります。全国の各地方から呼ばれた探索者がもうそろっておりまして。十文字さんもご出席をお願いします」
「ぶりーふぃんぐ?」とレンは復唱した。
「え、待って待ってそれってあれですよね、各地の有名な探索者がずらっと並ぶやつですよね!?」とミオが顔色を変えて職員に詰め寄る。「あたし動画で見たことある! 地図広げて作戦会議するやつ! あれにレンが出るの!?」
「ですから、特別立会人としてですね」と職員がクリップボードで汗を拭いながら答える。
ミオがまだ何か騒いでいるのを、レンは半分聞き流しながらテントの列の奥を見やった。
白い屋根が連なる先に一回り大きな緑のテントが口を開けている。入口の垂れ幕が風に揺れ、中から低い話し声が漏れていた。
(あの中に、全国から集まったってやつらが揃ってるのか)
垂れ幕の前にはさっきの大男がいた。肩に担いだ長物を片手で支え直し、腕を組んで立っている。近くで見ると、厚みがまるで自動販売機だった。背中だけでレン1人ぶんくらい横幅がある。
「あの人、ランクAだよ。西の方じゃいちばん有名な探索者」
ミオがレンの袖を引っ張って口元に手を添えて小声で言う。声は震えていないのに、指先だけがレンの袖をきつくつまんでいた。
大男はゆっくりレンに目を落とした。頭のてっぺんからつま先まで、1秒かけてじっくりと。それから鼻で短く、ふん、と笑う。
何も言わず、腕を組んだまま垂れ幕をくぐっていく。背中が緑のテントに吸い込まれるまで、レンはそれを見送った。
「……レン、今の完全に笑われてたよね」
「笑われてねえよ、鼻で息しただけだろ」
「同じだよ!」
ミオがまた声をひそめて叫ぶ。レンは垂れ幕の揺れを眺めながら、首から下がった通行証を指でつまんだ。




