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20歳、無職フリーターがダンジョンで迷子になったら、魔物が全員土下座していたらしい  作者: ペンは休み休みもて(ペンもて)


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31/42

積み上がる実績




 翌日の夜。


 雨宮ミオの部屋は、配信機材と段ボールで半分埋まっていた。


 その中央で、ミオはノートパソコンを開いていた。


 画面の光が、床に置いたカップ麺の容器を青白く照らしている。


「まず、アーカイブから……っと」


 ミオは指を動かした。


 配信のアーカイブが、ずらりと並ぶ。


 再生回数の数字が、上から順に大きくなっている。


 スクロールするたび、サムネイルのレンの背中が何度も何度も出てきた。


「ちょっと待って。これ、こんなに再生されてたっけ」


 目をこすった。


 数字は変わらない。


 コメントの欄を開く。


《背中の人まだ生きてる?》


《この切り抜きで草生えた》


《土下座モンスターってなんだよ》


 ミオは口元をゆるめた。


「あたしの配信なのに、主役が背中だけってどうなのよ」


 笑いながら、笑いきれなかった。


(でも、あの人がこれを見たらまた「やらせ」って言うんだろうな)


 腹の底が、まだチリチリしていた。


 昨夜の電話のことを思い出す。


「あんたのために怒ってんだけど」


 首を振って、ミオは作業に戻った。


 配信の問い合わせフォームを開く。視聴者からの質問やコラボ依頼が、ずらりと並んでいる。その一番上に、見慣れない差出人があった。


『迷宮協会』


 未読が3件。件名はどれも同じだった。


「資料使用の件」


 ミオは眉を寄せた。


(資料使用? あたし、協会に資料なんか出したっけ)


 開こうとして、指が止まる。


(待って。これ、もしかして調査部の……)


 昨夜の電話が頭をよぎった。常磐って人が、わざわざメールなんか送ってくるだろうか。


(嫌がらせ? だとしたら、ひどくない?)


 腹の底が、またチリチリと熱くなった。


(開くもんか)


 ミオは受信箱を閉じた。閉じた瞬間、少しだけ後悔した。でも開きたくなかった。


 そこへ、スマホが短く震えた。


 画面に『十文字レン』。


『明日協会行く。ヘルメットの貸し出しの期限』


 相変わらず、そっけない。


 ミオは指を速く動かした。


『あたしも行く。協会に言いたいことある』


 送信。既読がつくまで、3秒。


『好きにしろ』


 それだけだった。


「……ほんと、そっけないんだから」


 ミオはスマホを膝に置いてもう一度、閉じた受信箱の画面を見た。


◇


「あれ、窓口ってこっちで合ってるよね」


 ミオは小声で言って、かばんの肩ひもを握り直した。


 2階の廊下は1階よりずっと静かで、蛍光灯の光も白くて冷たい。装備課の窓口には誰も並んでいなかった。


 レンは背中を丸めたままカウンターへ近づき、かばんから黄色いヘルメットを出した。


「これ、貸し出しの更新ってここでいいんすか」


 声は相変わらず寝起きみたいに低い。


 窓口の内側で書類をめくっていた装備課の職員が顔を上げた。


「はい。装備の貸し出しはこちらで――」


 そこで、職員の手が止まった。


 視線が、ヘルメットのあごひもに固定される。


 白い結束バンド3本があごひもの付け根をぐるぐると留めている。角度も長さも、器用なんだか不器用なんだか分からない留め方だ。


 職員はヘルメットからレンの顔へ、レンの顔からヘルメットへ視線を行ったり来たりさせた。それから、のどを鳴らすように息を飲んだ。


「あ」


 声は半分だけ漏れて、そこで消えた。


 職員の目が、一瞬だけ大きく開く。


 ミオはカウンターの横で、思わず口元を押さえた。


(あ、これ、気づいたやつだ)


(背中の人だって、ヘルメットで)


 レンはヘルメットをカウンターに置いたまま、首だけかしげている。


「どうかしました?」


 ミオは、カウンターの向こうの職員の顔をじっと見た。


(何か言いたそうな顔してる)


 職員は一度うつむき、それから声を落とした。


「更新の手続きはすぐに済みます。ただ、それとは別に……少しだけ、こちらの案件にもご協力いただけないかと」


「案件?」


 レンの声が、ひとつ低くなる。


 ミオも思わず身を乗り出した。


 職員はカウンターの端に手を置き、さらに声をひそめた。


「奥の倉庫で、運搬用の個体が3日前から動かなくなっておりまして」


「運搬用?」


「荷車を引く、甲羅のある四つ足です。今は倉庫の隅にうずくまったまま、業務が止まっています」


 ミオは目をしばたたいた。


(またモンスターの話だ。しかも今度は倉庫)


 レンはあからさまに面倒くさそうな顔をした。


「またかよ」


「近くに立っていただくだけで構いません。可能なら、それで」


 職員の声は丁寧だったが、目だけがわずかに泳いでいる。


 ミオは横からレンの袖を引いた。


「ねえ、それってつまり」


「聞こえてた。要するに俺が倉庫行けば動くかもしんねえって話だろ」


「まあ、立つだけなら」


「あ、それ、金出るんすか」


 レンがカウンターに肘をついて聞いた。声が急に真面目だった。


 職員は一瞬言葉に詰まり、「装備課の予算では……」と口ごもってから、小声で「自販機の飲み物くらいでしたら」と付け足した。


「じゃあそれで」


 あっさりだった。あまりにもあっさりで、ミオはカウンターの横で口を開けたまま固まった。


(え、今、飲み物で決まった)


(この人、審査の報酬は「決まってない」で文句言ってたのに)


 職員はほっとしたように手続きの用紙を引っ張り出し、レンはもう興味を失った顔で寝癖を押さえている。


「レン、あんたねえ……」


「何だよ。タダよりマシだろ」


 ミオは天井を一度見上げた。


 職員は深々と頭を下げた。


「ありがとうございます。助かります」


 職員の案内で、廊下の奥へ進む。


 装備課の奥の倉庫は段ボールと木箱が壁際に積まれていて、空の荷車が2台ちょうど入り口の正面に止まっていた。天井が高く、蛍光灯の光が届かない隅のほうが暗い。


「あれです」


 職員が指さした先で甲羅のある四つ足がうずくまっていた。首を完全に引っ込めて、石像みたいに動かない。


「3日前から、あのままです」


 ミオは、かばんの肩ひもを両手で握った。


(カメラ、出せない。出したら怒られる。分かってる。分かってるけど)


 指先がじんじんする。


 撮影禁止の館内で、これ以上ない画が目の前にある。


(なんで今日にかぎって、こんな)


 レンは入口から2、3歩だけ進んだ。


 それだけだった。


 甲羅の中から、首がするりと伸びる。


 黒い目が、ゆっくりレンを向いた。


 次の瞬間、前足が折れて頭が床についた。


 ドン、と重い音。


 職員の手から業務用のタブレットが滑った。


「あっ」


 声だけ漏れて、職員は慌ててしゃがみ込む。


 ミオは、かばんを胸の前で握りしめた。


(今の撮れてない。撮れてないよ。嘘でしょ)


(あたしのチャンネル、今この瞬間が一番伸びるのに)


 指が、かばんのファスナーにかかる。


 開けられない。


 開けたら終わりだ。


「……おい、大丈夫すか」


 レンが職員に声をかける。


 職員はタブレットを拾いながら、何度も頭を下げた。


「だ、大丈夫です。すみません」


 顔を上げた職員の目がレンではなく、隅の個体に固定されていた。


 ミオは、唇を噛んだ。


(あたし、今、何もできない)


 レンは腕を組んだまま、うずくまる個体を見下ろした。


「いや、仕事しろよ」


 言い方は、本当にどうでもよさそうだった。


 その一言で、甲羅の四つ足が起き上がった。


 ぐぐ、と前足に力が入り首が持ち上がる。


 個体はレンの横を通り抜けると、自分から荷車の前に回った。


 首をすっと引き具に通し、蹄のような足で床を蹴る。


 がらがら、と荷車が動いた。


 倉庫の中を1周。荷台を揺らさない、きれいな円だった。


 ミオはかばんを握ったまま、口を半開きにしていた。


(今の、何。指示なんて何も出てない)


 職員がタブレットを抱えたまま、呟くように言った。


「3日動かなかったのに」


 声が少し上ずっている。


 職員はタブレットに業務記録を打ち込み始めた。指が速い。


「これは装備課の記録として、正式に上げます」


 ミオは思わず職員の顔を見た。


(正式に。また、積み上がる)


 レンは荷車を引く個体をちらりと見て、肩を落とした。


「またかよ」


(ほんとに、この人どこまで行ってもこの調子だ)


 個体は満足したのか引き具のまま荷車の前に立って、しっぽをゆっくり振っていた。


「あの、ここって調査部とは別の部署ですよね」


 ミオはかばんを胸に抱えたまま聞いた。職員はタブレットから目を上げない。指がせわしなく記録を打ち続けている。


「ええ、装備課です。調査部とは別の階ですよ」


 ミオはかばんを抱え直し、職員の顔をうかがうように言った。


「背中の人って、すぐ分かりました?」


 職員はタブレットから顔を上げ、きょとんとした。


「分かりますよ」


 即答だった。


「雨宮さんの配信の映像、研修課でも広報でも施設管理でも教材として回ってるんです。装備課にも先週回ってきました」


 ミオは目をしばたたいた。


「教材」


「はい。だから窓口でヘルメットを見て、ああ、あの、と」


 職員はレンのヘルメットをちらりと見た。


「ちなみに施設管理から、雨宮さんのチャンネルに使用の依頼メールを3回出しているはずです」


 ミオの指が、かばんの口で止まった。


(3回。未読の3件。あれ、そういうことだったの)


 腹の底でチリチリしていた熱が、すうと引いていく。


(嫌がらせでも、調査部でもなかった)


(常磐が止めたのは認定の手続きだけで、見た人たちはちゃんと止まってなかった)


 ミオは下を向いた。


 口元が、ゆるむ。


「……なんだ」


 声が、自分でも分かるくらい小さく震えた。


(あたし、勝手に、ひとりで)


 ミオは顔を上げて、にやけたままつぶやいた。


「もう後には引けないやつじゃん、これ」


 横でレンが「……何が」と気のない声を出す。


「なんでもない」


 ミオはそれだけ返して、口元を手のひらで押さえた。


 職員がタブレットでヘルメットの更新を済ませ、約束どおり自販機の缶コーヒーを1本レンに渡す。


「ありがとうございます。助かりました」


「べつに」


 レンは缶を受け取って、ポケットに突っ込むようにしまった。


 2人が廊下に出たところで、ミオのスマホが震えた。


 画面に『計測の人』。


 トークを開く。


『常磐さんが追加審査の条件を見直す書類を出したらしいです』


『もっと厳しくする方向で』


 ミオの足が止まった。


 画面を見たまま、にやけた顔が固まる。


 レンが半歩先で振り返る。


「おい」


 ミオはスマホを握りしめたまま、小さく息を吐いた。


(あの人、まだ)


(まだ、この流れに杭を打ってくるんだ)

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