積み上がる実績
翌日の夜。
雨宮ミオの部屋は、配信機材と段ボールで半分埋まっていた。
その中央で、ミオはノートパソコンを開いていた。
画面の光が、床に置いたカップ麺の容器を青白く照らしている。
「まず、アーカイブから……っと」
ミオは指を動かした。
配信のアーカイブが、ずらりと並ぶ。
再生回数の数字が、上から順に大きくなっている。
スクロールするたび、サムネイルのレンの背中が何度も何度も出てきた。
「ちょっと待って。これ、こんなに再生されてたっけ」
目をこすった。
数字は変わらない。
コメントの欄を開く。
《背中の人まだ生きてる?》
《この切り抜きで草生えた》
《土下座モンスターってなんだよ》
ミオは口元をゆるめた。
「あたしの配信なのに、主役が背中だけってどうなのよ」
笑いながら、笑いきれなかった。
(でも、あの人がこれを見たらまた「やらせ」って言うんだろうな)
腹の底が、まだチリチリしていた。
昨夜の電話のことを思い出す。
「あんたのために怒ってんだけど」
首を振って、ミオは作業に戻った。
配信の問い合わせフォームを開く。視聴者からの質問やコラボ依頼が、ずらりと並んでいる。その一番上に、見慣れない差出人があった。
『迷宮協会』
未読が3件。件名はどれも同じだった。
「資料使用の件」
ミオは眉を寄せた。
(資料使用? あたし、協会に資料なんか出したっけ)
開こうとして、指が止まる。
(待って。これ、もしかして調査部の……)
昨夜の電話が頭をよぎった。常磐って人が、わざわざメールなんか送ってくるだろうか。
(嫌がらせ? だとしたら、ひどくない?)
腹の底が、またチリチリと熱くなった。
(開くもんか)
ミオは受信箱を閉じた。閉じた瞬間、少しだけ後悔した。でも開きたくなかった。
そこへ、スマホが短く震えた。
画面に『十文字レン』。
『明日協会行く。ヘルメットの貸し出しの期限』
相変わらず、そっけない。
ミオは指を速く動かした。
『あたしも行く。協会に言いたいことある』
送信。既読がつくまで、3秒。
『好きにしろ』
それだけだった。
「……ほんと、そっけないんだから」
ミオはスマホを膝に置いてもう一度、閉じた受信箱の画面を見た。
◇
「あれ、窓口ってこっちで合ってるよね」
ミオは小声で言って、かばんの肩ひもを握り直した。
2階の廊下は1階よりずっと静かで、蛍光灯の光も白くて冷たい。装備課の窓口には誰も並んでいなかった。
レンは背中を丸めたままカウンターへ近づき、かばんから黄色いヘルメットを出した。
「これ、貸し出しの更新ってここでいいんすか」
声は相変わらず寝起きみたいに低い。
窓口の内側で書類をめくっていた装備課の職員が顔を上げた。
「はい。装備の貸し出しはこちらで――」
そこで、職員の手が止まった。
視線が、ヘルメットのあごひもに固定される。
白い結束バンド3本があごひもの付け根をぐるぐると留めている。角度も長さも、器用なんだか不器用なんだか分からない留め方だ。
職員はヘルメットからレンの顔へ、レンの顔からヘルメットへ視線を行ったり来たりさせた。それから、のどを鳴らすように息を飲んだ。
「あ」
声は半分だけ漏れて、そこで消えた。
職員の目が、一瞬だけ大きく開く。
ミオはカウンターの横で、思わず口元を押さえた。
(あ、これ、気づいたやつだ)
(背中の人だって、ヘルメットで)
レンはヘルメットをカウンターに置いたまま、首だけかしげている。
「どうかしました?」
ミオは、カウンターの向こうの職員の顔をじっと見た。
(何か言いたそうな顔してる)
職員は一度うつむき、それから声を落とした。
「更新の手続きはすぐに済みます。ただ、それとは別に……少しだけ、こちらの案件にもご協力いただけないかと」
「案件?」
レンの声が、ひとつ低くなる。
ミオも思わず身を乗り出した。
職員はカウンターの端に手を置き、さらに声をひそめた。
「奥の倉庫で、運搬用の個体が3日前から動かなくなっておりまして」
「運搬用?」
「荷車を引く、甲羅のある四つ足です。今は倉庫の隅にうずくまったまま、業務が止まっています」
ミオは目をしばたたいた。
(またモンスターの話だ。しかも今度は倉庫)
レンはあからさまに面倒くさそうな顔をした。
「またかよ」
「近くに立っていただくだけで構いません。可能なら、それで」
職員の声は丁寧だったが、目だけがわずかに泳いでいる。
ミオは横からレンの袖を引いた。
「ねえ、それってつまり」
「聞こえてた。要するに俺が倉庫行けば動くかもしんねえって話だろ」
「まあ、立つだけなら」
「あ、それ、金出るんすか」
レンがカウンターに肘をついて聞いた。声が急に真面目だった。
職員は一瞬言葉に詰まり、「装備課の予算では……」と口ごもってから、小声で「自販機の飲み物くらいでしたら」と付け足した。
「じゃあそれで」
あっさりだった。あまりにもあっさりで、ミオはカウンターの横で口を開けたまま固まった。
(え、今、飲み物で決まった)
(この人、審査の報酬は「決まってない」で文句言ってたのに)
職員はほっとしたように手続きの用紙を引っ張り出し、レンはもう興味を失った顔で寝癖を押さえている。
「レン、あんたねえ……」
「何だよ。タダよりマシだろ」
ミオは天井を一度見上げた。
職員は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。助かります」
職員の案内で、廊下の奥へ進む。
装備課の奥の倉庫は段ボールと木箱が壁際に積まれていて、空の荷車が2台ちょうど入り口の正面に止まっていた。天井が高く、蛍光灯の光が届かない隅のほうが暗い。
「あれです」
職員が指さした先で甲羅のある四つ足がうずくまっていた。首を完全に引っ込めて、石像みたいに動かない。
「3日前から、あのままです」
ミオは、かばんの肩ひもを両手で握った。
(カメラ、出せない。出したら怒られる。分かってる。分かってるけど)
指先がじんじんする。
撮影禁止の館内で、これ以上ない画が目の前にある。
(なんで今日にかぎって、こんな)
レンは入口から2、3歩だけ進んだ。
それだけだった。
甲羅の中から、首がするりと伸びる。
黒い目が、ゆっくりレンを向いた。
次の瞬間、前足が折れて頭が床についた。
ドン、と重い音。
職員の手から業務用のタブレットが滑った。
「あっ」
声だけ漏れて、職員は慌ててしゃがみ込む。
ミオは、かばんを胸の前で握りしめた。
(今の撮れてない。撮れてないよ。嘘でしょ)
(あたしのチャンネル、今この瞬間が一番伸びるのに)
指が、かばんのファスナーにかかる。
開けられない。
開けたら終わりだ。
「……おい、大丈夫すか」
レンが職員に声をかける。
職員はタブレットを拾いながら、何度も頭を下げた。
「だ、大丈夫です。すみません」
顔を上げた職員の目がレンではなく、隅の個体に固定されていた。
ミオは、唇を噛んだ。
(あたし、今、何もできない)
レンは腕を組んだまま、うずくまる個体を見下ろした。
「いや、仕事しろよ」
言い方は、本当にどうでもよさそうだった。
その一言で、甲羅の四つ足が起き上がった。
ぐぐ、と前足に力が入り首が持ち上がる。
個体はレンの横を通り抜けると、自分から荷車の前に回った。
首をすっと引き具に通し、蹄のような足で床を蹴る。
がらがら、と荷車が動いた。
倉庫の中を1周。荷台を揺らさない、きれいな円だった。
ミオはかばんを握ったまま、口を半開きにしていた。
(今の、何。指示なんて何も出てない)
職員がタブレットを抱えたまま、呟くように言った。
「3日動かなかったのに」
声が少し上ずっている。
職員はタブレットに業務記録を打ち込み始めた。指が速い。
「これは装備課の記録として、正式に上げます」
ミオは思わず職員の顔を見た。
(正式に。また、積み上がる)
レンは荷車を引く個体をちらりと見て、肩を落とした。
「またかよ」
(ほんとに、この人どこまで行ってもこの調子だ)
個体は満足したのか引き具のまま荷車の前に立って、しっぽをゆっくり振っていた。
「あの、ここって調査部とは別の部署ですよね」
ミオはかばんを胸に抱えたまま聞いた。職員はタブレットから目を上げない。指がせわしなく記録を打ち続けている。
「ええ、装備課です。調査部とは別の階ですよ」
ミオはかばんを抱え直し、職員の顔をうかがうように言った。
「背中の人って、すぐ分かりました?」
職員はタブレットから顔を上げ、きょとんとした。
「分かりますよ」
即答だった。
「雨宮さんの配信の映像、研修課でも広報でも施設管理でも教材として回ってるんです。装備課にも先週回ってきました」
ミオは目をしばたたいた。
「教材」
「はい。だから窓口でヘルメットを見て、ああ、あの、と」
職員はレンのヘルメットをちらりと見た。
「ちなみに施設管理から、雨宮さんのチャンネルに使用の依頼メールを3回出しているはずです」
ミオの指が、かばんの口で止まった。
(3回。未読の3件。あれ、そういうことだったの)
腹の底でチリチリしていた熱が、すうと引いていく。
(嫌がらせでも、調査部でもなかった)
(常磐が止めたのは認定の手続きだけで、見た人たちはちゃんと止まってなかった)
ミオは下を向いた。
口元が、ゆるむ。
「……なんだ」
声が、自分でも分かるくらい小さく震えた。
(あたし、勝手に、ひとりで)
ミオは顔を上げて、にやけたままつぶやいた。
「もう後には引けないやつじゃん、これ」
横でレンが「……何が」と気のない声を出す。
「なんでもない」
ミオはそれだけ返して、口元を手のひらで押さえた。
職員がタブレットでヘルメットの更新を済ませ、約束どおり自販機の缶コーヒーを1本レンに渡す。
「ありがとうございます。助かりました」
「べつに」
レンは缶を受け取って、ポケットに突っ込むようにしまった。
2人が廊下に出たところで、ミオのスマホが震えた。
画面に『計測の人』。
トークを開く。
『常磐さんが追加審査の条件を見直す書類を出したらしいです』
『もっと厳しくする方向で』
ミオの足が止まった。
画面を見たまま、にやけた顔が固まる。
レンが半歩先で振り返る。
「おい」
ミオはスマホを握りしめたまま、小さく息を吐いた。
(あの人、まだ)
(まだ、この流れに杭を打ってくるんだ)




