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20歳、無職フリーターがダンジョンで迷子になったら、魔物が全員土下座していたらしい  作者: ペンは休み休みもて(ペンもて)


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最後の抵抗




 翌日の午前。


 最上階の会議室には、前回と同じ顔ぶれが揃っていた。


 部長が紙の束を机の中央に置く。


「結論から進める」


 部長の声は低い。


「十文字レンを、異例のイレギュラー種別として扱う案で、手続きを進める」


 理事が腕を組んだ。


 窓際の部長は資料の端を指でなぞっている。


 誰も、まだ何も言わない。


 部長が書類の表紙を開いた。


「認定の書式は、すでに――」


 そのとき。


 末席から、手が上がった。


 細く、まっすぐに。


 常磐の手だった。


 背筋は伸び、顔は正面を向いている。


 部長の言葉が止まった。


「何だ、常磐君」


 常磐は、指先をゆっくり下ろした。


「異議があります」


 声は、部屋の隅まで届いた。


 空調の音だけが、一瞬、やけに近く聞こえた。


 常磐はゆっくりと立ち上がった。


 指先を机の端に軽く添える。


「本件は、協会規定に基づく通常の格付け手続きを経ておりません」


 静かな声だった。


「例外措置としての認定には、調査部の現場判断だけではなく、種別定義そのものの改定を伴います」


 部長は腕を組んだまま、常磐を見た。


 常磐は続けた。


「前例のない称号を、これほど軽々しく与えるべきではありません」


 常磐の言葉が空気に溶けるのを待つように、数秒の沈黙があった。


 窓際の部長が、資料の端を指で押さえたまま顔を上げた。


「先日、記録のとおりだとおっしゃったのは、常磐さん、あなたですよ」


 声は静かだった。


 責める調子も、嘲る響きもない。


 ただ事実を置くだけの声だった。


 常磐の口が、わずかに開いた。


「それは――」


 そこで止まった。


 窓際の部長は、指を資料から離さない。


「試験記録に疑義はない。そういうことでしょう」


 常磐の喉が、小さく動いた。


 ネクタイの結び目に触れようとした指が、途中で止まる。


 部長の目が、末席へ向いた。


 理事の組んだ腕も、ほどけないまま常磐を見ている。


 常磐は書類の束へ目を向けた。


「私が記入した試験記録は、現象の一部を記録したにすぎません」


「あの場で起きたことを、私は否定しません。しかし」


 常磐は一度、言葉を切った。


「記録のとおりでした、と申し上げたまでです」


「再現性の確認も、継続的な観察もまだ何ひとつ済んでいない」


「その状態で種別を与えるのは、協会の手続きとして不適切です」


 部長の眉がわずかに動いた。


「ですから」


 常磐は声を荒げないまま、その動きを制するように続けた。


「認定の前に、追加の適性審査を要求します」


「それが協会の信用を守る、最低限の手続きです」


 部屋が静まり返った。


 部長はしばらく常磐を見ていた。


 窓際の部長が口を開きかけた。


「待ってください、それは――」


 窓際の部長が椅子の背から身を起こした。


 声の調子は、いつもの静けさではなかった。


「世間はもう結果を見ている」


 資料の端を指で叩く。


「試験の映像は公開されています。切り抜きは回り続けている」


 理事は腕を組んだまま、窓際の部長を見た。


「世論と手順は別だ」


 声は静かだった。


「手順を飛ばす理由にはならない」


「飛ばすのではなく、前倒しです」


「前倒しも飛ばすうちに入る」


 理事はそれだけ言って、常磐へ視線を戻した。


「常磐君の指摘は規定に沿っている」


 理事は続けた。


「種別定義の改定を伴う以上、現場の疑義は無視できない」


 部長が腕を組んだまま、しばらく紙の束を見ていた。


 やがて、部長は紙の束に手を置いた。


「認定の手続きは、いったん止める」


 声は低いままだった。


「追加の適性審査を実施する」


 窓際の部長が資料を持つ手を止めた。


「日程は、追って詰める」


 部長はそれだけ言って、書類の表紙を閉じた。


 誰も反論しなかった。


 常磐は小さく頭を下げ、席へ戻った。


 理事が腕を組んだまま、天井を見ている。


 会議は、それで終わりだった。


 誰かが腕時計を机に当てる小さな音がして、椅子が引かれる。


 革靴の音が出口へ向かう。


 窓際の部長が、常磐の横を通りかかった。


「常磐さん」


 声は静かだった。


「審査で同じことが起きたら、次は誰も止められませんよ」


 常磐は顔を上げなかった。


 窓際の部長はそれ以上何も言わず、ドアの向こうへ消えた。


 ドアが閉まる。


 足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなる。


 常磐は末席に座ったままだった。


 机の上に残された紙の束を、まっすぐに見ている。


 手は膝の上で、指が軽く組まれていた。


 動かない。


 束の一番上に、先ほどの書式がまだ置かれている。


◇


 その夜。


 レンはアパートの部屋のフローリングに寝転がっていた。


 背中に直接、床の冷たさが当たっている。


 テレビはついていたが、音は聞いていなかった。


 スマホが鳴った。


 画面に『雨宮ミオ』と出ている。


 出るのが面倒で、3回ほど鳴らせてから耳に当てた。


「もしもし」


「レン? あのね、聞いて。また審査だって」


 ミオの声は早かった。


「計測の人からLINE来た。上の会議で、追加の審査をやるって決まったらしいよ」


「あの人、まだ諦めてないみたい」


「あの人って」


「常磐って人」


「あのスーツの人か」


 レンは天井を見たまま言った。


「まだやってんのか、暇かよ」


「しかも書類で異議って、どんだけ几帳面なんだよ」


 ミオの声が、少しだけ硬くなった。


「なんでそんなことすんの。あんた、何もしてないじゃん」


 蛍光灯の紐が、さっきから同じところで揺れている。


 ミオはまだ喋っていた。


 苛立っているのが、声だけで分かった。


(……審査、ねえ)


「別にいいだろ、金もらえるなら何回でも」


「は?」


 ミオの声が、電話越しに少し低くなった。


「あんたのために怒ってんだけど」


「怒られても困るんだけど」


「金って。審査って。そんなの、あんたが言うことじゃないでしょ」


「俺の審査だろ」


「そうだけど!」


 シーツが擦れる音がした。


「……なんかさ」


 声が少しだけ小さくなる。


「あんた、いつもそうじゃん。平気な顔して」


「平気だし」


「それが腹立つの」


 レンは返さなかった。


「もういい。寝る」


「おう。おやすみ」


「……おやすみ」


 通話が切れた。


 画面が暗くなる。


 しばらく画面を眺めていた。


 スマホがもう一度鳴った。


 画面の表示は『迷宮協会』。


(今度は誰だよ)


 耳に当てた。


「夜分に失礼します。迷宮協会の受付です」


「はい」


「昨日は窓口での確認、ありがとうございました」


(ハサミの人だ)


 声で分かった。


「認定の前に、追加の適性審査を行うことになりました」


「……ああ、そういうの」


「1週間後の午前10時、協会の試験場で」


「1週間後」


「ご都合、よろしいでしょうか」


「べつに。行くだけなら」


「では、その日程で」


「審査の内容は、調査部から追ってご連絡します」


「調査部」


 レンは復唱した。


(調査部って、あのスーツの人んとこじゃねえか)


(よりにもよって、そこから連絡来んのかよ)


「あのさ」


「はい」


「窓口で聞いたんですけど。反対してる人って、まだいるんすか」


 電話の向こうで、少しだけ間があった。


「……手続きの話ですので、私は」


「ですよね」


「では、失礼します」


 電話が切れた。


 レンはスマホを床に置いた。


 天井の蛍光灯が、まだ揺れていた。


 レンは寝転がったまま、床に置いたスマホを手繰り寄せた。


 画面を開き、ミオとのトークに短く打ち込む。


『1週間後の午前10時。協会の試験場。以上』


 送信ボタンを押した瞬間、既読がついた。


(早)


『え、待って。今それだけ?』


『日程だけ送って終わり?』


『あたし今ベッドから飛び起きたんだけど』


『ねえってば』


 レンはスマホを伏せた。


(「寝る」って言ったやつが一番起きてんじゃねえか)

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