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20歳、無職フリーターがダンジョンで迷子になったら、魔物が全員土下座していたらしい  作者: ペンは休み休みもて(ペンもて)


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特別な個体




 職員が2人がかりで、布の端をつかんだ。


 布がするりと落ちた。


 檻の中から、まず長い爪が踏み出した。


 床をひとかきするたび、硬い音が響く。


 大型の獣だった。


 檻から出た獣は、作業着の職員の頭を越す高さだった。


 毛は黒に近い灰色で、床に擦るほど長い。


 首から背にかけて、硬いたてがみが筋になって盛り上がっている。


 たてがみの先が、灯りの下で光った。


 目は金色だった。瞳孔は縦に細い。


 四肢は太く、肩が盛り上がっている。


 首を高くもたげ、細い瞳孔で人間たちを見下ろした。


(でけえ)


 レンは白線の内側で、ただ立っていた。


 ヘルメットは小脇に抱えたままだ。


 軍手はポケットの中。


 壁際の立会人が息を呑む。


 指定位置でミオがカメラを握り直す。


「……うそ」


 声がかすれた。


 獣はゆっくりと試験場を見回した。


 壁際の立会人は動かない。


 作業着の職員が一歩下がった。


 靴底が床をこする音がした。


 記録係が画面から顔を上げる。


 キーボードを叩く手が止まっていた。


 個体は鼻を鳴らした。


 低い音が床を伝ってくる。


 指定位置でミオが小声を出した。


「でっか……。これ、ほんとに試験?」


 ミオがスマホを見た。


「同接、10万超えちゃってるんですけど」


 カメラを握る手が白い。


 スマホにコメントが流れる。


《檻のやつデカすぎだろ》


《背中の人まだ天井見てる》


(俺はまだ何もしてねえんだけどな)


 常磐が一歩前に出た。


「この個体は、生態学的に格上にも決して屈しないことが確認されています」


 常磐は記録用カメラに向き直った。


 記録用カメラの赤いランプが、常磐の横顔を捉えていた。


「協会の推定難度はA」


 常磐の声が、静かな試験場によく通る。


「ランクAの探索者パーティと3度接触し、3度とも伏せなかった」


 常磐はクリップボードを胸の高さに掲げる。


「これが、この個体の履歴です」


 壁際で、第三者の1人が身を乗り出した。


「その記録の出所は」


 常磐は資料をめくる。


 付箋の貼られた頁を開き、相手へ差し出した。


「確認し給え」


 第三者は資料を受け取り、付箋の頁に目を落とす。


 もう1人の第三者が、資料に素早くペンを走らせる。


 レンは小脇のヘルメットを持ち替えた。


「へー」


 声に、ひとかけらの力も入っていない。


 常磐の眉が動いた。


 クリップボードの角を指で叩き、小さく息を吐く。


「素人が」


 声は上品なまま、レンにだけ届く音量だった。


(出た。4回目)


 レンは心のなかで指を折った。


 常磐は獣のほうへ顎を向けた。


「君がどれだけ涼しい顔をしていようと、この個体は君に頭を下げない」


 言い切った。


「いや、下げてもらわなくていいんすけど」


 レンはヘルメットを抱え直した。


 獣が低く鼻を鳴らした。


 レンは天井を見たまま、小さくあくびをした。


(べつに涼しい顔してるつもりもないんだけど)


 カメラの向こうでコメントが流れた。


《背中の人、あくびしてね?》


 個体は檻の前で、まだ動かない。


 常磐が職員へ顎で合図を送る。


 獣が爪を鳴らして歩き出す。


 ドン、ドン、と床が低く響く。


 獣はレンの正面で足を止めた。


 距離は数メートル。


(近いな。においがする)


 獣の鼻先がひくりと動いた。


 尻尾が一度だけ、ゆっくり振れた。


 レンは白線の内側から動かない。


 配信の画面にコメントが流れる。


《え、でか》


《背中の人動かないんだけど》


 獣はただ立っている。


 レンも、ただ立っている。


 獣が姿勢を低くした。


 前足に体重を沈め、長い爪を床に立てる。


 硬い音が4本ぶん鳴った。


 喉の奥が低く震える。


 唸り声だった。


(うるせえな。腹減ってんのか)


 壁際で、立会人の肩が上がった。


 調査部の職員が半歩、下がる。


 資料を持つ第三者の指が、紙を握って止まる。


 記録係のキーを打つ音が、急に速くなった。


 常磐は獣とレンを交互に見て、口元を緩めた。


「ご覧の通り、通常の反応です」


《スーツの人どや顔で草》


 常磐がペン先をクリップボードの欄に当てる。


 獣の唸り声が途中でぷつりと途切れた。


 低く沈めた前足が止まる。


 爪が床に食い込んだまま、動かない。


 耳が後ろへ倒れた。


 縦に細かった金色の瞳孔が丸く開く。


 牙を見せた口が閉じきらない。


 その目がレンを見ている。


(いや、こっち見んなよ)


 1秒。


 2秒。


 3秒。


 尻尾だけがかすかに震えていた。


(あれ。電池切れたのか)


 常磐のペン先が書式の上で止まった。


『やらせの疑いあり』の欄の、ちょうど真ん中あたり。


 常磐は顔を上げた。


 獣を見る。


 止まっている。


 記録係のキーを打つ音が、ぴたりとやんだ。


 計測担当の職員がモニターに顔を近づける。


 試験の個体の心拍だ。さっきは91だった。


 84。


 79。


 73。


 職員はマウスを握り直した。


 レンはあくびを噛み殺した。


 獣はまだ動かない。


 会場がしんと静まり返った。


 指定位置で、ミオがカメラを握りしめた。


 指の関節が白い。


「え、待って待って」


 小声がひっくり返りかける。


「止まってる。あの子、止まってるんだけど」


 画面にコメントが流れる。


《止まった?》


《フリーズしてて草》


《スーツの人ペン止まってる》


《背中の人だけ通常運転》


 ミオは画面をちらりと見て、また顔を上げた。


 呼吸が浅い。


「うそでしょ。まだ何もしてないよ。まだ立ってるだけだよ」


 手元のカメラがわずかに揺れる。


「……通常の反応です」


 常磐が同じ言葉を繰り返した。


 今度は立会人の方を向いて言った。


 語尾がわずかに乾いていた。


 第三者の1人がペンを落としそうになって、あわてて掴む。


 壁際で、ひそひそとざわつきが広がる。


「……あれ、おかしくないか」


「まだ、何も起きていないだけだ」


「いや、あの個体が止まるか。普通」


 指定位置で、ミオがスマホを覗き込んだ。


「……同接、11万」


 声がかすかに裏返った。


 計測担当の職員が椅子の肘掛けに手を置いたまま、ゆっくりと手を挙げかけた。


 指先が宙で止まる。


「……常磐さん」


 常磐が振り返る。


「何かね」


 声はいつもの調子だった。


 職員がモニターを指差す。


「心拍、60を切りました」

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