試験、開始
「これより、格付け試験を開始します」
スピーカーの声が試験場の高い天井に跳ね返った。
午前10時ちょうど。
壁際には4人の立会人が並んでいた。
調査部の職員が2人。無表情で、腕を組んでいる。
その隣に、協会の外から来たという第三者が2人。
スーツを着て、手に資料を持っている。
全員がレンの方を向いていた。
(なんか見られてんな)
レンは軽く頭をかいた。
配線が揺れる。
奥には三脚に据えた協会の記録用カメラ。
赤いランプが点灯している。
(撮られてんのかよ)
視線を横へずらすと、指定位置にミオがいた。
小型カメラを3台、すでに構えている。
そのうちの1台がゆっくりとこちらを向いた。
(3台も向けんな)
ミオが小さく、親指を立てた。
レンは見なかったことにして、正面へ向き直る。
床に敷かれた配線が、足元でうねっている。
(落ち着かねえな。電極がチクチクする)
レンは胸のセンサーを指で押さえた。
檻の中で、また重い息がした。
布が、かすかに揺れた。
第三者の1人が、資料から顔を上げる。
檻の方を向いたまま、動かない。
レンは檻をちらりと見た。
(なんか、でかいのいるな)
そのとき、常磐が立会人たちの前に進み出た。
革靴の音が試験場に静かに響く。
常磐は背筋を伸ばし、ゆっくりと両手を後ろで組んだ。
立会人たちへ向き直り、ゆっくりと口を開く。
「本試験は、受験者の生体反応と試験個体の反応を常時計測する」
声はよく通った。
「個体は協会の外から調達し、誰の手にも触れていない」
常磐は中央の檻へ、ちらりと目をやる。
「今回は、これまでとは比較にならない個体を用意しています」
布をかけられた檻が、静かにそこにあった。
レンは黄色いヘルメットを小脇に抱え直す。
「はいはい」
声がわずかに間延びした。
「ご丁寧にどうも」
常磐の眉がほんの少しだけ動いた。
だが、すぐに立会人へ視線を戻す。
「記録係。計測機器の最終確認を」
記録係の職員がパソコンの画面に目を落とす。
キーボードを叩く音だけが、やけに大きく響いた。
「で、3時間も何すんの」
レンは配線を肩に掛け直しながら言った。
声が思ったより響いた。
常磐が振り返る。
手順書をめくる指が一瞬止まった。
「君は、足元の白線の内側に立っているだけでいい」
「は?」
「そこから動かなければ、それで構わない」
常磐は手順書を閉じて、中央の檻へ目をやった。
「準備が整い次第、檻を開け、個体を放つ。君はその場で待つ」
「待つだけ」
「そうだ。危険と判断すれば、職員が介入する」
常磐の声にはまだ余裕があった。
「計測は最大3時間続ける。君が何もできずに突っ立っている間、数値はすべて記録される」
(立ってるだけで3時間かよ)
レンは天井を仰いだ。
額の電極がかすかに引っ張られる。
「せめて椅子くらい置けよ」
常磐は答えなかった。
常磐が第三者の2人の前に立った。
「封の確認を願います」
第三者のひとりが資料を小脇に挟み、檻へ歩み寄る。
かがみ込んで、シールを1枚ずつ指でなぞる。
2人目も続く。
「破れはありません」
「こちらも。異常なしです」
常磐は頷いた。
「ご確認ありがとうございます」
(几帳面だな。シール1枚ずつ見てった)
常磐が作業着の職員へ向き直る。
「開封の準備を」
「はい」
職員が工具箱を開ける。
金属の金具がカチンと鳴った。
「シールを切るのは私の合図のあとだ。布もそのままに」
職員たちが檻の周りに並ぶ。
指定位置のミオはカメラを構えたまま唇を噛んでいた。
3台のうち1台が布のかかった檻を映している。
残りの2台は配線を付けたレンを映していた。
ミオはカメラの前で声を潜めた。
「始まります、たぶん! たぶん!」
小型カメラの画面をちらりと確認する。
「うそでしょ」
声がひっくり返った。
「同接9万2,000って、まだ何も起きてないのに」
ミオはカメラをぎゅっと握り直した。
手元のスマホに、コメントが流れていく。
《スーツの人説明長くない?》
《背中の人、天井見てない?》
ミオは画面から顔を上げた。
布のかかった檻を見る。
それから、レンを見る。
(あんた、ほんとに平気なの)
声には出さない。
唇がわずかに動いただけだった。
モニターの前で、計測担当の職員が待機エリアのケージを見た。
それからレンを見た。
またケージを見た。
手の甲で額の汗をぬぐう。
口を開きかけて、閉じた。
常磐の背中をちらりと見る。
また口を開きかけて、閉じた。
マウスを握る指が白くなっている。
職員の目が、手元のモニターに落ちた。
中央の檻の生体反応が映っている。
112。
105。
98。
職員は目をこすった。
もう一度、画面を見る。
91。
指がマウスを握り直す。
心拍数が、下がり続けている。
常磐は立会人と言葉を交わしていて、こちらを見ていない。
(あの人さっきから顔色悪いな)
レンは配線を肩に掛け直した。
檻はまだ開かない。
常磐がレンの前まで歩いてきた。
常磐はペン先で、クリップボードの欄を軽く叩いた。
「『やらせの疑いあり』。この欄が埋まるかどうか、私自身が判断します」
それから顔を上げ、中央の檻へ目をやった。
「あの個体は、ランクBの私でも単独では相手にしない」
声は静かだった。
(へえ。そんなに強いのか、あれ)
レンは布のかかった檻を、ぼんやり見た。
「今回ばかりは、いつものようにはいかないと思いますがね」
「そう」
それだけだった。
常磐はレンの返事を待っていた。
一拍。
二拍。
レンは天井を見ていた。
蛍光灯の並びを端から順に目で追っている。
「……そう」
常磐が言葉を繰り返した。
レンは視線を戻さない。
「そう」
もう一度だけ言って、小さくあくびをした。
(この人、同じこと2回言わせてどうすんだ)
壁際で、立会人の第三者が資料の端を指で押さえた。
調査部の職員が隣の第三者と目を合わせる。
記録係の手がキーボードの上で止まった。
常磐はネクタイの結び目に指をやった。
ゆっくりと、絞めるように。
「……よろしい」
声は上品なままだった。
常磐が手を上げた。
「開封」
職員がカッターで封のシールを切る。
ビリ、と音が響いた。
檻の閂が外れる。
鉄の扉がきしみながら開き始めた。
布はかけたままだ。
(ようやくかよ)
レンは黄色いヘルメットを抱え直した。
配線が足元でかすかに揺れる。
指定位置で、ミオが息を呑む。
カメラが檻を捉えたまま、ぴたりと止まった。
扉がゆっくりと開いていく。
布の下から、長い爪が覗いた。




