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20歳、無職フリーターがダンジョンで迷子になったら、魔物が全員土下座していたらしい  作者: ペンは休み休みもて(ペンもて)


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23/41

準備段階でも




 午前9時。迷宮協会の試験場。


 だだっ広い床の上を、作業着の職員たちが機材を運び込んでいる。


 床には配線が何本も這い、無骨な計測モニターが並んでいた。


 隅の方で、レンは突っ立っていた。


 胸に心拍センサー。額に脳波用の電極。指先には体温計。


 腕にも呼吸を測るベルトを巻かれている。


 黄色いヘルメットは頭に乗せたままだ。


 あごひもは白い結束バンドで固定されている。


(なんで俺だけ。なんで俺だけこんな)


 計測担当の職員が、レンの腕に巻いたベルトの位置を直した。


「きつくないですか?」


「べつに」


「動くとずれるので、なるべく安静にしていてください」


(安静って、まだ何も始まってねえだろ)


 レンは天井を見上げた。


 高い。照明が等間隔に並んでいる。


 待機エリアにはケージがひとつ。


 中に小型のモンスターが丸まっていた。


 試験に出す個体とは別の、動作確認用だ。


 こちらをじっと見ている。


(あれ、犬みてえなやつだな。耳でけえ)


「十文字君」


 常磐の声が飛んできた。


 レンは視線だけ動かした。


 常磐は手順書を片手に、職員へ細かく指示を出している。


「計測機器の起動確認は済んでいるかね」


「はい。ただいま最終調整中です」


「記録係の画面は見られるか」


「問題ありません」


 常磐は手順書から顔を上げ、こちらへ歩いてきた。


 革靴の音が近づいてくる。


「準備はどうかね」


「見ての通りっす」


 常磐はレンの頭から足先まで視線を走らせた。


 額の電極で止まる。


「ヘルメットは取ってもらおうか」


「は?」


「脳波を測るのに邪魔だ」


(マジかよ)


 レンは黄色いヘルメットを脱いだ。


 結束バンドはそのままだ。


 髪がさらに跳ねている。


「あと、その軍手も外し給え。指先のセンサーが触れん」


「これからモンスター出るのに素手かよ」


「安全のためだ。君の反応を正確に測る」


(安全って言葉の使い方、間違ってるだろ)


 レンは軍手を外してポケットに突っ込んだ。


 常磐はひとつ頷き、手順書をめくる。


「では、準備が整い次第始める」


「へいへい」


 常磐は去っていった。


 背筋はまっすぐのまま、折り目の位置も乱れていない。


(朝からフルスーツで疲れねえのかよ)


 レンは再び天井を見上げる。


 指先がむずむずする。


 心拍計が、規則正しい数字を刻んでいる。


 レンは配線を引きずりながら歩いた。


 待機エリアの前を通りかかる。


 ケージの中で丸まっていた小型モンスターが、ぴくりと耳を立てた。


 一拍。


 耳を伏せた。


 床に腹をつけ、前足を折って縮こまる。


 尻尾が巻き込まれるように内側へ入った。


(あれ。寝てたんじゃねえのか)


 レンは足を止めずに通り過ぎようとした。


 ケージにつないだモニターの数字が跳ねる。


 計測担当の職員が画面を覗き込んだ。


「えっ」


 ケージとモニターを見比べる。


「ちょっと待ってください。これ、おかしいです」


 職員はマウスを何度か動かした。


 数値は下がらない。


 ケージの中のモンスターは、まだ腹をつけたままだ。


 小さく震えている。


「あの、常磐調査官」


 職員が振り返る。


「機材が、変な数値を……」


 レンはその場でぼんやり突っ立っていた。


 ただ、配線が重いなと思っていた。


 常磐が歩いてきた。


 モニターの前に立ち、数字を一瞥する。


 それからケージを見た。


 丸まったままの小型モンスター。


 震える背中。


 常磐はレンを一度だけ見た。


 ぼんやり立っている。


 配線を引きずったまま。


 眉ひとつ動かさず、ネクタイの結び目へ指をやる。


「機材の初期不良でしょう」


 声は静かだった。


「新品に交換し給え。予備はあるかね」


「は、はい。あります」


「ではそれで。初期化も忘れずに」


 常磐はモニターから手を離した。


「試験は予定通りだ。余計な手間を取らせないでくれ給え」


 職員が慌ててケーブルを外し始める。


 常磐はもうレンを見ていなかった。


 レンは配線を引きずりながら、元の位置へ戻る。


 待機エリアの前を通る。


 ケージの中の小型モンスターが、また腹をつけた。


 耳をぺたりと倒し、尻尾を巻き込む。


 さっきより小さく見える。


(あいつ、腹でも痛いのか)


 レンはちらりとケージを見ただけで、そのまま通り過ぎる。


 足を止めない。


 壁際の椅子に腰を下ろす。


 背もたれに体重を預けて、天井を見た。


 交換したばかりのモニターの前で、計測担当の職員が息を呑む。


「う、そ」


 画面の数字が、跳ねている。


 心拍数が急降下して、体温がわずかに下がっている。


 職員はケージを振り返る。


 小型モンスターは腹をつけたまま、ぴくりとも動かない。


 職員は青い顔で常磐の背中を見た。


 常磐は手順書に何かを書き込んでいて、こちらを見ていない。


 職員は言いかけて、口を閉じた。


 手が、マウスを握ったまま固まっている。


 レンは天井を見たまま、胸のセンサーを指で押さえた。


(なんかチクチクするな。電極)


◇


 試験場の隣の待機室は、パイプ椅子が並んでいるだけの狭い部屋だった。


 ミオが待機室のドアを開けた。


 パイプ椅子に座るレンを見て、ぴたりと足を止める。


「……ぶっ」


 吹き出した。


 口を押さえて肩を震わせている。


 レンはちらりとミオを見た。


 胸にセンサー。額に電極。指に体温計。腕にベルト。


 ヘルメットなし。軍手なし。


「なにあれ。なにあの格好」


 ミオが小声で言う。


 スマホを構えかけて、レンにじろりと睨まれた。


「撮るな」


「撮らないよ。撮らないけどさ」


 ミオはスマホを下ろして、空いているパイプ椅子を引き寄せた。


 音を立てないように座る。


 それから声をさらに潜めた。


「ねえ、聞いたよ。廊下で職員の人たちが走り回ってた」


「へぇ」


「機材が変な数値出したから交換するって」


「そうらしいな」


 ミオは口元を手で隠したまま、目だけを三日月みたいに細める。


「もう試験始まる前から崩壊してるじゃん」


 小さく笑う。


 パイプ椅子の脚が、かすかにきしんだ。


 レンがパイプ椅子の背に体重を預けた。


 配線が肩からずり落ちかける。


「なんもしてねーのに機材のせいにされても」


 ミオが目を丸くする。


「通りかかっただけでしょ?」


「通りかかっただけ」


 ミオが口元を押さえたまま、くくっと笑う。


「じゃああの子、通りすがりの人に縮こまったの?」


「知らねえよ。あれ犬みてえなやつだな」


「犬に失礼じゃん」


 レンは首を傾げたまま、天井を見る。


 ミオがスマホの画面をレンの方へ向ける。


「ほら、待機のコメント、もうざわついてる。《まだ?》《背中の人どこ》って」


 レンは画面を見ない。


「見てよ」


「見なくていい」


 ミオがスマホを引っ込めて、また小さく笑った。


「常磐さん、あれで『初期不良』って言い切ったんでしょ。顔は平気だった?」


「平気だったな。眉も動いてなかった」


「こわ」


 ミオがパイプ椅子に座り直す。


 脚がまたきしんだ。


 待機室のドアがノックされた。


 計測担当の職員が顔を出す。


「機材の交換、終わりました」


 一拍。


「十文字さん、試験場へお願いします。試験を始めます」


 レンはパイプ椅子から腰を浮かせかけた。


 ミオが立ち上がる。


「じゃ、あたし配信の位置に戻る」


 跳ねるような足取りでドアへ向かう。


「カメラ3台、もう構えてあるから。がんばってね」


「別にがんばんねーよ」


 ミオは振り返らず手をひらひらさせて出ていった。


 レンは黄色いヘルメットを小脇に抱えた。


 あごひもの結束バンドが指先に当たる。


 配線を肩に掛け直して、立ち上がった。


 センサーが重い。腕のベルトが少しずれた。


(3時間これかよ)


 レンは天井を一度だけ見て、歩き出した。


 ドアの向こうで、職員が待っている。


 レンが試験場に戻ると、中央に大きな檻が台車で運び込まれてくる。


 封のシールが何枚も貼られた鉄製の檻だ。


 中身は見えない。


 厚手の布がかけられている。


 作業着の職員たちが無言で台車を所定の位置に固定する。


 常磐は手順書をぱたんと強めに閉じた。


「次はないようにし給え」


 計測担当の職員が首をすくめる。


「も、申し訳ありません」


 常磐は返事を待たず、記録の書式を挟んだクリップボードを手に取った。


 『やらせの疑いあり』の欄の上に、ペン先を置く。


 それから顔を上げて、レンをまっすぐ見た。


「始めよう」


 檻の中で、重い息がひとつ聞こえた。

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