管理された試験
3日後。迷宮協会の会議室。
長机がコの字に並んでいる。
常磐がホワイトボードの前で、マーカーを手に取った。
キャップを外す。
小さく、パチンと鳴った。
「では、これから君の格付け試験の条件を説明する」
常磐は白い板に、丸をひとつ書いた。
その横に、長い横線を引く。
「第1に、生体反応の常時計測だ」
チラリと、レンを見た。
すぐに視線を正面へ戻す。
「心拍数、体温、脳波、呼吸数。これらを君と試験に出すモンスターの両方から記録する」
ミオが隣で、鞄から取り出したメモ帳にボールペンを走らせた。
カリカリ、と小気味よい音が続く。
「計測機器は協会規格のものを使用する。不正な改竄は構造上できないようになっている」
常磐は丸の中に「レン」、その下に「モンスター」と書き足した。
(脳波まで取るのかよ。寝てる場合じゃねえな)
レンは口元を手で隠すようにして、小さくあくびをした。
目尻に涙がにじむ。
「これにより、君の身体に異常な反応が出ていないか、モンスター側に薬物投与や訓練の痕跡がないかを数値で確認する」
常磐の声はまるで説明書を読んでいるみたいに平坦だった。
「つまり、私の前で誤魔化しは利かない。そう思ってもらって結構だ」
(べつに、そういうつもりはないんだけど)
レンは椅子の背に体重を預けた。
天井の照明をぼんやり見上げる。
蛍光灯が1本、わずかに明滅している。
(あれ、チカチカしてんな)
ミオはメモ帳の端に「生体反応計測:心拍・体温・脳波・呼吸」と几帳面な字で書いていた。
それから「モンスターにも」と書き足し、さらに二重線で囲む。
「計測結果はリアルタイムで記録係が管理する」
常磐は部屋の隅に座っていた記録係へ目をやった。
記録係の職員はパソコンの画面を開いたまま、こくりと頷く。
「試験終了後、数値に不自然な点があれば即座に調査対象とする。もちろん、君の身体にも負担がかかるものではないから安心し給え」
(安心できるか。電極べたべた貼られて寝られるかよ)
レンは頭をかいた。
寝癖がさらに跳ねる。
ミオがレンの袖を軽く引っ張った。
声を潜めて言う。
「ねえ、レン。心拍ってあたしも測るの?」
「知らねえよ。試験受けるのは俺だろ」
「そうだけど、配信映えするかなって」
(お前はもう配信の話か)
ミオがボールペンを構え直した。
「続きがあるのかよ……」
レンの呟きは誰にも聞こえないくらい小さかった。
常磐が、ホワイトボードに「第2」と書いた。
その下へ、檻の形をした四角を描く。
「試験に使用するモンスターは、外部から調達する」
常磐はマーカーの先で、四角をトントンと叩いた。
「協会の職員はもちろん、君とも事前に接触していない個体だ」
「へぇ」
「当日まで封をした檻に入れ、誰も触れない。餌やりも監視カメラ越しだ」
ミオがメモ帳に「モンスター:外部調達・未接触・封印檻」と走り書きする。
字が少し右上がりに傾いている。
「つまり、訓練も薬物投与も物理的に不可能ということだ」
常磐はレンをちらりと見た。
「第3に、立会人を複数置く」
ホワイトボードに「第3」の文字。
その横に、人の形をふたつ並べて書く。
「調査部の職員に加えて、協会の外から第三者を招く。公正を期すためだ」
ミオが顔を上げた。
「あの、それって」
「なにかね」
「配信、してもいいんですか」
ミオはボールペンを握ったまま、少しだけ身を乗り出す。
「試験の様子を、あたしのチャンネルで」
常磐はマーカーのキャップを閉じた。
パチン、と音が鳴る。
「協会が指定した位置からなら構わない」
「え、待って、それって」
「ただし、機材は事前に検査する。撮影位置もこちらの指示に従ってもらう」
「もちろんです!」
ミオがぴしりと背筋を伸ばす。
メモ帳の端に「配信OK! 要機材検査」と書き、その周りに花丸を描いた。
常磐はホワイトボードの前に立ったまま、レンへ向き直る。
「これで、言い訳の余地はない」
声には確信が乗っていた。
「訓練された個体でも、協会のコネでもない。誰も触れていないモンスターが、君の前で同じ反応を示すか」
常磐はレンの目をまっすぐ見た。
「私の監督下で、白黒つけよう」
レンは天井から視線を外し、ようやく常磐を見た。
(この人、さっきから俺にしか喋ってねえな)
蛍光灯がまた一度だけチカッと瞬いた。
「……そんなに準備すること?」
常磐の手がマーカーを持ったまま止まった。
一拍。
レンの声はほんとうに不思議そうだった。
「誰も触ってないやつ連れてくるだけだろ」
会議室が静かになった。
ミオが隣で、メモ帳の端をぎゅっと握る。
「レン、あんた、いまの空気でそれ言う!?」
「だってそうだろ」
「そうだけど、そうだけど!」
ミオが小声で叫ぶ。
常磐はマーカーを置いた。
音もなく、机の端に揃える。
それから、指先でネクタイの結び目を正した。
「素人が」
声はあくまで静かだった。
(出た。3回目)
レンはマーカーを置いた常磐を見ていた。
それから、膝の上で手を組み直す。
「で、何時に来ればいいんすか」
常磐の指がネクタイの結び目で止まった。
一拍。
「1週間後の午前10時だ」
「場所は」
「この施設の試験場を使う」
「ふぅん」
レンは天井の蛍光灯へ、もう一度だけ目をやった。
(まだチカチカしてる)
常磐は報告書を手に取った。
ページをめくる音が、やけにゆっくり響く。
「試験の所要時間は最大3時間。途中棄権は認めない」
「はぁ」
「質問は」
「ひとつ」
常磐が顔を上げる。
「受かったら金は?」
常磐の口がわずかに横へ動いた。
それから、元の位置に戻る。
「報酬は、規定の範囲内で」
「規定って、いくらすか」
「追って書面で通知する」
(また規定かよ)
レンは組んだ手を見下ろした。
常磐は報告書の最後のページを開いた。
白い紙の下の方、罫線で囲まれた欄を指でなぞる。
「記録の書式は、すでに用意してある」
「へぇ」
「結果欄のすぐ上に、『やらせの疑いあり』と記入する欄がある」
常磐はページを閉じた。
音を立てず、机の端に揃える。
「試験が終わったあと、その欄を使うかどうかは私が決める」
(決めるって言い切ったな、今)
会議室の空調が、低く唸っている。
「1週間後だ。遅刻は認めない」
レンは動かなかった。
常磐はそれだけ言って、扉の方へ歩き出した。
革靴の音が、廊下へ抜けていく。
扉が閉まる。
音は、しなかった。
◇
協会の建物を出ると、昼の日差しが目に刺さった。
ミオはスマホを鞄にしまいながら、半歩後ろを歩く。
「あの人、本気で潰しに来てるよね」
声が少しだけ上ずっている。
「外から運ぶモンスターって、普通は輸送費だけでもバカにならないんだよ。それをわざわざ手配して、計測機器まで揃えてさ」
「輸送費の心配までしてやんのかよ」
レンはポケットに手を突っ込んだまま言った。
ミオは足を止めない。
「そうじゃなくて、そこまでするってことはそれだけ本気ってことでしょ」
「本気も何も、試験やるだけだろ」
「ちがうって」
ミオが半歩前に出て、振り返りざまにレンを見る。
「あの人、会議室で言ったじゃん。白黒つけようって」
「言ってたな」
「あれ、あたしらが廊下で聞いた電話と一緒だよ。必ず白黒つけますって」
ミオは唇を噛んで、前を向いた。
「最初から決めてんだよ、あの人」
レンは寝癖のあたりをかいた。
「知らね」
ミオがレンの横に並ぶ。
「でも、それが怖いんだよね」
「なんで」
「だって、あれで何も起きなかったら終わりじゃん。あたしのチャンネルも、あんたの評判も」
レンは信号で足を止めた。
青になるのを待つ。
「別に、いつも通りにするだけだろ」
「またそれ」
ミオがため息をつく。
「なんでそんな平気なの。あんたのそれ、自分で何かしてるの?」
「してねえよ。勝手にああなるだけ」
「勝手にって、心拍とか体温とか自分でコントロールしてるわけじゃないんでしょ」
「してるわけねえだろ。何も考えてなくてもああなるし」
信号が青に変わる。
レンが歩き出す。
ミオは小走りで追いかけた。
「でも、今回だけはさ、何かあるんじゃないの。例えば、念じるとか呼吸を整えるとか、そういうので」
「ねえよ。昔からそういうもん」
レンはポケットから手を出して、寝癖を押さえた。
「俺が何かしたわけでも、何かを制御してるわけでもねえよ」
ミオは少しだけ口を開けて、それから小さく吹き出した。
「……なにそれ」
「なにそれってなんだよ」
「だって、あんたのその体質めちゃくちゃ特別なのに、当人が一番どうでもよさそうなんだもん」
「べつに、そういうつもりはないんだけど」
レンは前を向いたまま言う。
「ただ、昔からそういうもんだから今さら騒ぐことでもねえだろ」
ミオは肩をすくめて、半歩前に出た。
「ま、あんたらしいけどね」
「なんだよそれ」
「褒めてない」
ミオが振り返って、いたずらっぽく笑った。
レンはその笑顔から目を逸らして、歩く速度を少しだけ上げた。
◇
それから1週間。
最初のLINEは、その日の夜に来た。
ミオからだった。
『格付け試験、密着します』
(はいはい)
『伝説の瞬間を目撃せよ』
(はいはい)
『背中の人の正体に迫る』
(やめろ)
『協会公認・完全密着』
(公認じゃねえだろ)
『歴史的瞬間を生で』
(まだ何も起きてない)
『登録者30万記念企画』
(まだ24万だろ)
『試験、配信します』
(それが最初から言いたかっただけだろ)
レンはスマホを枕元に置いた。
画面を伏せる。
天井のシミを見る。
いつもと同じ形をしている。
3日後。
スマホが震えた。
ミオから写真が1枚。
小型カメラに貼られた協会のシール。
『機材、協会のシール貼られて帰ってきた』
『検査通った!』
『カメラ3台持ち込み許可もらった!』
(そんなに持ってどうすんだよ)
レンは既読だけつけた。
その夜。
スクショが3枚、連続で届いた。
《管理された試験とかガチじゃん》
《どうせ何も起きない》
《逆に起きたら伝説》
『待機もう3万!』
(試験だぞ。見世物じゃねえんだよ)
レンは布団の上に仰向けになった。
スマホを胸に置く。
画面が暗くなる。
翌日。
協会からメールが1通。
『当日は午前9時集合。計測機器の装着のため』
(9時。早ぇ)
レンはコンビニで菓子パンとお茶を買った。
レジの店員はレンを見なかった。
家に帰って布団に潜った。
スマホをいじる。
気づけば夜になっていた。
前日の夜。
ミオから最後のLINE。
『明日、9時集合だよね。あたし8時半に行くから』
『寝坊しないでよ』
(寝坊はしねえよ)
レンは既読をつけた。
スマホを床に置いた。
電気を消す。
布団をかぶる。
明日のことは何も考えなかった。
3分後、寝ていた。
そうして、試験当日がやってきた。




