素人が
迷宮協会 調査部 調査官。
協会公認探索者、ランクB。
常磐。
名刺にはそれだけ書いてあった。
メールから2日後。迷宮協会の応接室。
名刺から顔を上げる。
向かいのソファに男が座っていた。
背筋を伸ばし、膝の上で指を組んでいる。
仕立ての良いスーツ。
折り目の位置まで整っている。
ネクタイの結び目は、定規で測ったみたいに真ん中だ。
(テレビに出てくる官僚って、こういう顔してるよな)
レンは自分の膝を見る。
着古したパーカーの袖口がほつれている。
寝癖はたぶんまだ直っていない。
隣では、ミオが背筋を伸ばして座っていた。
膝の上に両手を置いて、指をぎゅっと組んでいる。
(お前まで借りてきた猫みたいになってどうすんだよ)
ミオが常磐から目を離さないまま、身じろぎもせずに囁いた。
「……調査部の調査官。しかもランクBの探索者。あたしの配信、3年やっててもランクBの人と会ったことない。ランクBってだけで普段なら絶対会えない人」
レンは気のない声で返す。
「Bってどんくらいだよ」
「Aの下。Sの下。それでも、普通は会えない人なの」
レンは正面の男へ視線を戻した。
常磐は背筋を伸ばしたまま、まばたきの少ない細い目でこちらを見ている。
(あ、これ面倒くさいやつだ)
常磐がゆっくりと脚を組み直した。
革靴の先がテーブルの脚に当たらない。
音ひとつ立てない。
口がわずかに開きかける。
「先日の“実演”とやらを拝見しましたがね」
常磐の声は静かだった。
「試験用モンスターが君の前で伏せた。報告書にもそうあります」
「はぁ」
「しかし、訓練された個体です。指示次第では、ああもなります」
常磐は膝の上で指を組み替えた。
「さらに言えば、協会内に君へ便宜を図った職員がいた可能性も、確認中です」
「へぇ」
「やらせと断じるのは尚早ですが、コネによる忖度の線もまだ消えてはいません」
「そうすか」
ミオが隣で唇をぎゅっと結んだ。
常磐はレンの着古したパーカーに目を落とした。
「我々は、検証された前例しか信じませんのでね」
常磐は湯呑みに手を伸ばした。
指先で縁をなぞるだけで、持ち上げはしない。
「検証されていないものを、協会が認めるわけにはいかないのだよ」
「へぇ」
「訓練室の警備用モンスターの件も、映像がない以上証拠にはならん」
「そうすか」
常磐は手元の報告書を1枚めくる。
紙の音だけが、妙に大きく響いた。
「次の試験で同じことが起きなければ、これまでの結果は“やらせの疑いあり”として記録に残す」
「はぁ」
「試験の日程は、追って連絡する」
常磐が顔を上げる。
細い目が、レンの寝癖のあたりで止まった。
「君に拒否権はないと思い給え」
ミオが隣で、膝の上に置いた両手をぎゅっと握った。
指先が白くなっている。
レンはソファの背にもたれたまま、天井を見た。
(長い。帰りてぇ)
常磐は報告書を閉じた。
音を立てず、テーブルの端に揃えて置く。
「正式な、私が直接監督する格付け試験を受けていただく」
「で、金は出るんすか」
常磐の指が止まった。
一拍。
「報酬は、規定の範囲内でしかるべき手続きの上」
「しかるべきってなんだよ」
「私の一存では、約束できません」
(答えられないんじゃなくて、答える気がないだけだろ)
常磐は湯呑みに口をつけ、テーブルに戻した。
それから、一拍。
「素人が」
応接室の空気が、少しだけ冷たくなった。
(出た)
レンは湯呑みを両手で持って、まばたきをした。
隣で、ミオの膝が、ぐっと浮きかけた。
「……」
ミオは何か言いかけて、口を閉じた。
常磐は膝の上で指を組み直す。
視線は、レンのパーカーの胸元あたりに止まっている。
「はぁ」
レンは湯呑みを一口すすった。
「はいはい」
常磐の眉がほんのわずかに動いた。
拍子抜けした顔だった。
ミオが腰を下ろす。
◇
廊下に出ると、ミオが足音を立てて歩き出した。
「感じ悪いんだけど、あの人」
レンはポケットに手を入れたまま歩く。
「別にいいだろ、どうせ変わんねーし」
「変わんないって、あんたさっき言われっぱなしだったじゃん」
「言われっぱなしで済むなら安いもんだろ」
ミオが大股で半歩前に出る。
「あたし、あの『素人が』で1回殺意湧いたんだけど」
「湧くな」
「湧くでしょ普通」
ミオが振り返ってレンを睨む。
レンは目を合わせずに歩き続ける。
ミオが足を止めた。
「ねえ、やらせの疑いありって記録に残るって言ってたよね」
声が急に小さくなっている。
「あれ、もし本当に残ったらさ」
「残るんじゃねえの。あの人の顔、残す気満々だったぞ」
「あたしのチャンネル、やらせのレッテル貼られるよ」
ミオがスマホを握り直す。
「切り抜きも企画も止まる。24万まで伸びたのに、一気に信用ゼロになる」
「へぇ」
「あと、あの話」
「どの話」
「2人で迷宮入るやつ。事務所の人が言ってた、日当4万の探索配信」
レンの足が止まった。
「あれも、やらせ疑惑がついたら消えると思う」
「4万なくなんの?」
「そこ!?」
ミオが振り返ってレンを指さす。
「名誉とか評判とか、そういうの気にしないの!?」
「べつに、そういうつもりはないんだけど」
レンはポケットに手を突っ込んだまま、天井を見た。
「4万はでかい」
「いや分かるけど、もっとこう、あるでしょ」
ミオが両手を広げる。
「あたしのチャンネル人生がかかってるんだよ」
「チャンネル人生ってなんだよ」
ミオは答えず、スマホの画面を下へ流した。
コメント欄に『やらせ』の文字が混じっている。
「これ、1回ついたら消えないんだよ。切り抜きのコメント欄、もうちょっとずつ荒れてる」
レンはスマホを覗き込まない。
「大丈夫だろ」
「根拠は?」
「ない」
ミオが深いため息をついた。
「ないんかい」
レンは寝癖のあたりを手のひらで押さえた。
それから、ゆっくり頭をかく。
「めんどくせぇな」
廊下の先で、空調の音だけが低く鳴っている。
ミオは前を向き直った。
口を開いて、また閉じる。
拳を握ったまま、まだ何か言い足りない顔をしていた。
応接室のドアが、半分だけ開いていた。
中から、常磐の声が漏れてきた。
「ええ、はい。報告書はまとめておきました」
「訓練された個体です。指示次第でああなりますよ」
「ええ。次の試験は、私が直接監督します」
「検証された手順で、必ず白黒つけます」
「やらせでもコネでも、私の前で同じ手は通じませんのでね」
ミオの足が止まった。
ドアを睨んでいる。
レンは歩きながら、短く言った。
「知らね」
「素人が、妙な夢を見ただけですよ」




